過越と十字架を巡る人々

聖書箇所 ヨハネの福音書11:53~57/メッセージ題目「過越と十字架を巡る人々」  今週のみことばは、これまで学んできたヨハネの福音書11章の終わりの部分で、とても短い箇所です。しかし神さまは、この短い箇所からも私たちにいろいろなことを教えてくださっています。 イエスさまが、その友ラザロをよみがえらされるにあたって、神の時にしたがって歩まれたことは、すでに学んだとおりです。そして、そのすべての歩みの究極の目的は、父なる神さまのご栄光を顕すことにありました。 ラザロのときだけではありません。イエスさまはすべての歩みにおいて、父なる神さまの時に従って歩まれました。それが、御父とひとつということであり、御父に従順であったということです。  私たちも、御父に従順であることが求められ、また、そのように教会で教えられます。しかし、人のレベルでは、神の時に従って生きるということは、そうと意識をしようとしても簡単なことではありません。私たちはただ、私たちの心の中にお迎えしているイエスさまがつねに神の時に従って歩んでいらっしゃるゆえに、私たちもまた、イエスさまに導かれて神の時に従って歩むことを許されるという。その信仰を持ち、主と主の時に信頼する必要があるわけです。  私にとっても時というものはありました。その最も顕著だったのは、1989年7月26日の深夜です。そのとき私は15歳、高校1年生で、すでにイエスさまを信じてバプテスマも受けていましたが、信仰と実際の生活はまったく別々のものになっていて、それに葛藤を覚えることもありませんでした。  しかしそんな私も、自然気胸という肺の病気でたびたび入院し、いやでも自分の弱さと向き合わなければなりませんでした。その夏も私は病気を発症し、手術を伴う入院生活を余儀なくされていました。ところが、大きな手術になるはずだったのが、病院を変わるとまったく簡単な手術で終わり、あっという間に退院となりました。そればかりか、入院をとおして友達ができたりして、苦しいはずの闘病生活がとても楽しいものとなりました。退院2日前の夜、1989年7月26日、私はなぜこのようなことが自分に起こったのか、病院のベッドでまんじりともせずひとり想い巡らしていました。 そのとき、それは神さまが私のことを特別に選び、愛してくださっていたからだという示しが与えられました。私はすっかりうれしくなり、興奮して眠れなくなり、しかし入院生活は睡眠をとらなければならないわけで、睡眠薬をもらってようやく眠りについたというわけでした。 私はこのことを通して、神さまの近くにいさせていただくように人生が変わりました。この喜びを私は、教会の日曜礼拝の時間に証しという形でお話しさせていただいたものでした。 これが、時というものであると私は体験しました。それまでの不信仰を信仰に変えていただいた「時」でした。その体験から確信を持って言わせていただきますが、人それぞれの時は、主がそのご主権をもって導いていらっしゃいます。要は私たちが、その、神の時にあらがわず、主に従順になることによって、その時その時に従って歩ませていただき、主に用いられることです。 イエスさまのこの、荒野に近いエフライムの町に退かれたことも、イエスさまが神の時に従順であることというポイントから説明できます。カヤパによるイエスさま殺害のプランがユダヤ最高会議にて採択された以上、彼らはすぐにでもイエスさまを逮捕し、死刑に処することを願ったわけです。しかしイエスさまが死なれるということは、神の民を御父の怒りから過ぎ越させる過越の子羊としてほふられる、ということを意味していました。この年の過越が、神の目から見て最後の過越、究極の過越となるためには、イエスさまはすぐ逮捕されて死刑に処されてはならなかったのでした。過越の時が満ちる必要がありました。イエスさまは荒野の町に退かれ、その御父の時を着々と待たれたのでした。 しかし、イエスさまはこの退かれる時間を、おひとりでは過ごされず、弟子たちとともにお過ごしになりました。イエスさまにとって御父と過ごす特別な時間に伴わせていただく特別な存在、それが主の弟子です。私はよくこのメッセージにおいても、それ以外の牧会の現場においても、「弟子訓練」ということを強調させていただいていますが、それは他人を凌駕する何やらすごい人にならせるための訓練だったり、牧師や教会という組織に絶対服従する人を育てるためのプログラムであったりはしません。言うなれば、「どんなときにもイエスさまとともにいる」訓練です。おわかりでしょうか? イエスさまが私たちといつもともにいてくださるということは、見方を変えれば、イエスさまのおられるところにいつも私たちがいさせていただく、ということです。たとえば私たちは、隣人やこの世界を覚えて、とりなしの祈りをすることが主から求められています。これは、いま天の御国において、御父の右の御座にてひたすらとりなしの祈りをささげてくださっている、イエスさまのそのお祈りにともにあずからせていただくということです。 イエスさまとともにささげる祈りである以上、それは主のみこころにかなっているものであるべきで、そうなっているならば、神さまは必ずその祈りを聞いてくださる……その信仰をもって、イエスさまの御名によってとりなして祈るのです。 またイエスさまは、ゲツセマネの園にて血の汗を流して祈られたとき、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子たちにも、そこにともにいて、目を覚まして祈るようにおっしゃいました。私たちも時に、血の汗を流して祈らなければならないようなときがあることでしょう。それは、イエスさまのゲツセマネの園の祈りに、ともにいさせていただくということであり、そのときもし私たちが、肉体と精神に限界を感じてそれ以上祈れなくなったならば、それはペテロやヤコブやヨハネがそうだったように、心が燃えていても肉体が弱かった、その弱さを主にあって思い知らされ、主の御前で認めることになります。 しかし、それにとどまりません。その弱さをイエスさまの十字架の贖いによって覆っていただく体験をすることであり、それもまた恵みの体験となるのです。いずれにせよ私たちは、ゲツセマネの園で血の汗を流して祈られた、イエスさまの祈りに伴わせていただく恵みをいただくのです。 このように私たちは、イエスさまとともにいるべく召されています。しかし、ともにいるためには、私たちの側からも「歩み寄る」必要があります。そのためにも、みことばと祈りにより、一定の訓練を私たち自身に課す必要があるわけです。 この、11章54節の時間もまた、十字架の受難を前にした、イエスさまにとって大事な時間であり、そこに弟子たちが伴わせていただいたということでした。私たちもまた、聖書をお読みしてイエスさまの歩みにふれるとき、その歩みに伴わせていただく恵みを、そのたびごとに体験します。イエスさまが退かれて十字架に備えられたそのときに、私たちも伴わせていただくのです。 では、その時間は私たちにとって、どのような意味があるのでしょうか? それは、私たちもまたイエスさまのあとについて十字架を負う者になるために、イエスさまのそばにいて、祈りをもって備えよ、ということです。 私たちはバプテスマを受けてクリスチャンになったら、自動的に主に従順な敬虔の生活を送れるようになるのではありません。主にお従いするように、自分のために祈り、教会の兄弟姉妹のために祈って、私たちの従順の意識が育つようにしていただかなくてはなりません。 はっきり申しまして、十字架を負ってイエスさまのみあとを従う生き方は、はやりの生き方ではありません。人気のある生き方ではありません。しかし私たちは、この生き方が何にも替えることのできない恵みの生き方、喜びの生き方であることを知っています。 ただ、この生き方をする上で、私たちの中には、肉を満足させたい思い、世の友となりたい思いがつねにあり、十字架を背負う生き方、従順の生き方を邪魔するものです。 だから私たち教会は、この生き方をともに最後まですることができるように、励まし合い、祈り合う必要があるのです。それが、イエスさまの苦難の場に伴わせていただいている私たち、主にある兄弟姉妹に求められている姿勢です。見てください。イエスさまが伴われたのは、「ひとりの」弟子ではありません。弟子たちという「共同体」です。私たちもまた、ひとりひとりで信仰生活を送っているのではありません。「ともに」イエスさまのみあとをお従いするのです。 いま、この世はまたもやコロナウイルスの流行を意識しなければならない時勢になり、礼拝に来ることも多数の人前に出ることである以上、感染を念頭に置くと控えざるを得ないという判断が下されるようになりつつあります。それはもちろん、主の宮なるからだを守るという次元から考えるならば、尊重されるべきことではあります。 しかし、同時に忘れてはならないことは、各自の家でインターネットなりCDなりで礼拝をささげることになったとしても、私たちは礼拝の共同体をなすひとりであるということです。私たちは孤独であると考えてはなりません。自分はキリストのからだという共同体を形づくっている一員であるという意識と自覚を、つねに持っていただきたいのです。 また、こうしてともに集っている私たちは、ここに来ることができないでいる兄弟姉妹を覚え、その兄弟姉妹はここにいなくてもともに共同体を形づくっている家族であるということを意識し、とりなして祈っていただきたい、できればメールなり電話なりお手紙なりで励ましていただきたい、ということも思います。この励ましととりなしの祈りのわざは、牧師だけがするのではなく、教会でともに取り組んでいただきたいと願います。 さてそれでは、55節にまいりたいと思います。このときエルサレムには、地方からも多くのユダヤ人が集まっていました。 彼らは過越の祭りに備えて、宗教的に身をきよめる期間をしっかり持とうとしていました。ユダヤ人にとって過越の祭りは、それほど大切なものでした。しかしこの年においては、ユダヤ人たちが過越の祭りにおいて、特別に大きな関心をいだいていたことがありました。56節です。 そうです、イエスさまが来られるかどうかが、彼らにとって大きな関心事でした。イエスさまはユダヤ人の王として待望されていたお方で、この方をエルサレムにお迎えして過越の祭りの時を持ったならば、彼らユダヤ人にとっては忘れがたい祭りになるのはたしかなことでした。 しかし57節をご覧ください。イエスさまを見かけた者は当局に通報せよ、とのお触れが出ています。そのような中にイエスさまはあえて入っていくことはなさいませんでしたが、それでも、イエスさまが祭りに来られることに期待するユダヤ人は一定数いたと見るべきでしょう。実際、エフライムでの生活を切り上げ、時満ちてイエスさまが子ろばに乗ってエルサレムに入城されたとき、ユダヤ人たちはこぞって、イエスさまのことを熱狂的に迎えました。 もっとも、この56節の表現はイエスさまのことを指して「あの方」とか「来られない」などと、尊敬形の訳し方をしていますが、それはもちろん、この箇所は、ユダヤ人はユダヤ人でも、イエスさまをメシアとして待望していたユダヤ人たちが話した会話という前提で訳されているわけです。別の日本語訳の聖書でも、口語訳、新共同訳、聖書協会共同訳では、特に尊敬形を用いてはいません。つまりユダヤ人といっても、イエスさまのことをメシアとして待望していたとはかぎらない人たちだった可能性もあるわけです。 とするとこのユダヤ人たちは、それこそ、イエスさまを死刑にして葬り去ろうと陰謀を巡らしていたユダヤ人だった可能性もあるわけです。ユダヤ人の王というならば、この過越の祭りに来ないはずはなかろう。そうだとすると、彼らはこの過越の祭りを、彼ら自身の意識しなかった形で、動物の子羊ではない、神の子羊を血祭りにあげる究極の機会として、虎視眈々と狙っていたということになります。なんということでしょう、彼らは究極の子羊をほふるという点で、たしかにユダヤの宗教指導者らしくはありました。いえ、それ以外の何者でもなかったからこそ、彼らはそのような行為に及んだとさえ言えます。 しかしこれは、先週、あの十字架を意味する預言をした大祭司カヤパを例にして申しましたとおり、宗教者として結果的に主のみこころを実践したからといって、その行為がその人を救うわけではありません。私たちも、それがみこころにかなうとばかりに、宗教的行為をすることで満足していても、結果としてみこころを損なうことをしているならば、何の得にもならず、かえってその宗教的行為は呪わしいばかりです。このようにささやき合ってイエスさまを待ち構えて手ぐすねを引き、過越の祭りを血祭りの機会とするような宗教指導者たちなど、まさにその典型です。 私たちもきわめて問われるところです。もし私たちがこの時代のユダヤに生きていたならば、いったいどんな立場の人になったでしょうか。 いちばんなりやすい立場は、イエスさまを迎えようと気分が高揚していた一般のユダヤ人の立場かもしれません。イエスさまが子ろばに乗って入城すると、熱狂的にイエスさまを迎えました。しかし、政治的メシアになってほしいという自分たちなりの願望がなくなるや、宗教指導者たちにあおられるままに、イエスさまを十字架につけろと叫び、そのためには極悪人のバラバを釈放させることもいとわなかった者たちでした。 彼らは一見すると神の民のようでも、神さまではなく世に流されていたために、そういうことになり、結果として神さまのみこころをいたく損なったわけです。この世と調子を合わせることが結果として主を十字架につける罪につながるということを、彼らはよく示しており、これがもっともなりやすいタイプといえるでしょう。もちろん、私たちはこのような、ユダヤの群衆のようであってはなりません。 他のタイプは、ユダヤの宗教指導者たちです。彼らは確信をいだいてイエスさまを十字架につける者たちです。流されて罪を犯すユダヤ人ももちろん問題ですが、彼ら宗教指導者は、イエスさまを十字架につける、つまりあえて神に敵対することを、まるでこの上ない喜び、人類の究極の目標のようにして実践します。もちろん神さまは、彼らのそのどす黒い企てをとおしてさえ、十字架による罪からの贖いという永遠のみこころを成し遂げてくださるお方です。しかし、神に敵対する生き方を悔い改めることもなく、あえてイエスさまを十字架につけるようなことは、なんと恐ろしく、また悲しい生き方でしょうか。 最近私は、妻から教えてもらい、インターネットなどを通じて、現代社会のあちこちをおおっている反キリスト、キリストに敵対する文化の諸様相を見させていただいています。これまで聖書の価値観から悪とされていたものが、現代においてはみな相対化され、受け入れるべきもの、美しいものという扱いを受けるようになっています。しかしそうなると何が起こるのでしょうか。そういうものと相対化された聖書の教え、イエスさまの教えは、やれ偏狭だ、やれ独善的だ、などと攻撃され、まるでいけないことのような扱いを受けるようになっています。 こういう邪悪なムーブメントに乗せられる方も問題ですし、そういうムーブメントを罪深いとわかっていながらもつくり出し、世界をその悪しき文化に染め、人々に聖書もキリストも信じなくさせる勢力は、世界のいたるところに存在しますし、それはこの日本も例外では ありません。 時の宗教指導者たちはイエスさまを十字架につけた張本人であったという点で悪魔の手先でありましたが、こんにちの邪悪な勢力は、自らがはっきりとキリストに敵対し、悪魔を崇拝する者たちであることを表明しつつ活動する分、ある意味で時のユダヤの宗教指導者たちよりひどい存在です。 私たちはけっして、このような闇の勢力の味方になってはいけません。もし私たちの近くにそのような勢力の中にいる者がいたならば、私たちはひたすら、彼らが悪の道から立ち帰るように、主にとりなして祈る必要があります。 しかし、今日の本文を見てみますと、そこにはユダヤの群衆でも宗教指導者でもない存在が見えてきます。そうです、さきほども集中的に学びましたが、イエスさまの弟子たちです。イエスさまの弟子たちは、たしかにイエスさまの十字架を目の前にしては、弱い姿、みっともない姿をさらしてしまいました。しかし少なくとも、彼らはイエスさまを十字架につける勢力についてはいませんし、なによりも、イエスさまを十字架につけたりはしていません。 もちろんその中には、イスカリオテのユダのような物もいました。しかし私たちは少なくとも、イエスさまを主と告白してお従いする姿勢を保ちつづけるならば、ユダのようにイエスさまを十字架につける勢力にあえてなることはありません。私たちはどこまでも、主によって召され、主に遣わされた弟子です。そのアイデンティティを最後まで保つことです。 弟子であるならば、私たちは十字架を経て、まことの悔い改めを経験し、聖霊の力を着せられてこの世に遣わされ、主の栄光を顕す者、主の愛をもってこの世を愛する者として用いていただけます。私たちはあおられるユダヤ人、イエスさまを十字架につけるユダヤ人の姿を見て、自分もそうだなどと考えることはありません。 もちろん私たちは、かつてはイエスさまを十字架につけるほどの罪人でした。それでも、そのような存在だったところから救い出してくださり、ご自身の弟子としてくださった、ご自身の救いの生きた証人としてくださったイエスさまを見つめ、イエスさまを賛美しましょう。主の弟子であることに心から感謝し、この世にて大きく用いられてまいりましょう。