「元始、教会は家であったその7~救い、回復、宣教の家」

聖書箇所;ルカの福音書19:1~10/メッセージ題目;「元始、教会は家であったその7~救い、回復、宣教の家」  今年のはじめは、この年に新型コロナウイルスが拡散しようとは想像もしていませんでした。3月に爆発的に流行しはじめたとき、都会を中心に多くの教会が、集まりを取りやめ、日曜日の礼拝さえも集まらないという、苦渋の決断をしました。  私もそのような決断をしなければならないのではないか……しかし、やはり集まるべきだ、そのようにおっしゃってくださる信徒のみなさまに背中を押され、いえ、何よりも、主ご自身が最初から最後までお守りくださり、感謝なことに、今年はついに最後まで、この礼拝堂での礼拝を一度も欠かすことなくおささげすることができました。ほんとうにハレルヤです。 もちろん、コロナの流行は依然として予断を許しません。私たちは充分に気をつけていく必要がありましょう。それでも私たちが優先すべきは信仰です。つねに信仰の決断、信仰の選択をしていく私たちとなることができますように、主の御名によってお祈りいたします。  今年最後の礼拝の聖書箇所は、「元始、教会は家であった」というテーマのもとに、ルカの福音書19章1節から10節を選ばせていただきました。よく知られている取税人ザアカイのお話です。  今日のみことばを見てみますと、イエスさま見たさに木に登ったザアカイのことを、イエスさまは見つけ、「わたしは今日、あなたの家に泊まることにしています」とおっしゃいました。  ここでイエスさまが「あなたの家」とおっしゃったことに注目しましょう。イエスさまは、みこころに留められた者の家に泊まってくださるお方です。  しかし、このおことばを聞いた人々は、「あの人は罪人のところに行って客となった」と文句を言いました。そう、彼らは文句を言いました。イエスさまがあんな奴の家に行って、しかも泊まるだなんて、不満だったのです。  それでも、この人々の不満のことばは、イエスさまがどういうお方かを言い当てている分、あながち的外れなことばでもありません。いえ、まさしくイエスさまはそのようなお方です。罪人の家に入って客となるお方、それがイエスさまです。  このような不満を口にした者たちがどういう人だったか、聖書は特に語っていません。しかし、確かなことがあります。自分はあんな取税人のような人間に比べればましだ、ちゃんとしている、あんな奴はとんだ罪人だ、大嫌いだと思っている、ということです。  それはどういうことかというと、彼らには罪人の自覚がない、ということです。人と比較して罪がないのだから、自分はきよい、とでも思うわけです。  しかし、そのような者は、イエスさまのことなどいらないと自分で言っているのと同じです。もし、自分は取税人のような罪人だという罪の自覚があったならば、イエスさまにすがります。イエスさまはそのような人を喜んで受け入れてくださいます。  ザアカイはイエスさまのことばを聞いたら、すぐにイエスさまを迎えました。私たちはどうでしょうか? イエスさまをお迎えする準備はできていますでしょうか? 自分の罪深さ、醜さ、きたなさを自覚し、認めることができている人は、イエスさまがお客になって来てくださる方です。あとは、迎え入れる準備をするだけです。  さて、イエスさまが来てくださった場所が、単純にザアカイのもと、だったのではなく、「ザアカイの『家』」だったことに注目しましょう。私たちはついこのお話を、ザアカイという「個人」にスポットを当てて読んでしまってはいないでしょうか。しかし、イエスさまがとどまられたのは、「家」なのです。イエスさまは、「家」において、「今日、救いがこの『家』に来ました」とおっしゃったのでした。  ザアカイの家とはどんな家だったのでしょうか? 2つの可能性が考えられます。ひとつは、ザアカイが独身として暮らしていた家、もうひとつは、ザアカイが家族で暮らしていた家です。  もし、ザアカイが独身だったならば、ザアカイを独り身にさせたのは、彼のその忌み嫌われた職業のゆえであるのは、間違いのないところです。そんな彼のひとりで住む家が、救われ、まことの回復をいただいたゆえ、もうだれかお嫁さんを迎えても大丈夫な家になる、幸せが訪れた、ということになるでしょう。  一方でもし、ザアカイにはすでに家族がいたとすれば、家族はザアカイの立場ゆえに、とても肩身が狭い思いをしていたか、ザアカイのように厚かましくふるまって、ザアカイと一緒に嫌われ者になっていたかしたことでしょう。いずれにせよ、家族はザアカイの職業の悪影響を受けていたわけです。 しかしこのようにイエスさまがザアカイを救ってくださったならば、ザアカイの家族はともに救われ、「取税人の家族」という汚名がそそがれたことになります。 どちらにしても、家族に至るまで救いにあずかったことになるわけです。ゆえに、救いはザアカイひとりに及ぶのではなく、ザアカイの「家」に及ぶ、ということになるわけです。  さて、このザアカイの家の救いは、救いいう形で実現しただけでしょうか? それだけではありません。「回復」、ひいては「宣教」という形ででも実現した、ということも無視できません。  ザアカイはイエスさまを家に迎えたとたん、まったく変わりました。8節のとおり、財産の半分を貧しい人に施し、人から脅し取ったものを4倍にもして返す、と宣言しました。これは、イエスさまを迎えた嬉しさに、できもしないことを口にしたのではありません。それならば、聖書に記録されているわけがありません。彼はほんとうに実行したのです。  ルカの福音書が、このようにザアカイという実名まで挙げて、イエスさまに出会っての回心を告げているということは、その当時のユダヤで、ザアカイという取税人がこんなにも素晴らしく変えられた、という話題で持ちきりだったのではないか、そんなことも想像させます。それは、ザアカイが素晴らしい人であったということではなく、ザアカイを素晴らしくしてくださったイエスさまが素晴らしい、と、イエスさまがほめたたえられ、イエスさまが宣べ伝えられる家となった、ということです。  これは、ザアカイの家が回復したのみならず、宣教に用いられたということを意味します。  これはザアカイ個人の働きではなく、家の働きです。といいますのも、財産というものはザアカイひとりの持ち物ではないからです。 ザアカイが独身だったら、将来のお嫁さんのために取っておく必要があるでしょうし、家族がいたならば、その家族の財産を手離すことになるからです。脅し取った財産を返すのみならず、そのさらに3倍分の財物をつけたり、所有する財産の半分を手離したりするということは、相当な財産を犠牲にすることです。  しかしザアカイがこのようにすることは、ザアカイはいい人だとほめてもらうためではありません。ザアカイをこのように救い、回復してくださった、イエスさまを宣べ伝えるためです。宝よりも大切なイエスさまを宣べ伝えるためならば、いくらでも家の財産をささげる……これが、イエスさまを迎えた家において行われたことでした。  イエスさまを迎えた家……これは、教会へと発展していきました。肉の家族から、同じイエスさまを主と告白するどうしが召されて集められた、霊の家族へと発展します。この家族は、ただ単に自分たちさえ救われて、集まっていればいいという段階にとどまっているだけでは、健康な共同体ではありません。経済的な犠牲を伴ってでも伝道、宣教に出ていく、イエスさまを証しする共同体として成長していくことが求められています。  この働きは個人で行うのではありません。ザアカイは「個人」の財産ではなく、「家」の財産で施しをし、自分を救ってくださったイエスさまを証ししました。同じように私たちは、イエスさまを宣べ伝える働きを、「個人」でするのではなく、「教会」という神の家、神の家族で取り組んでこそしかるべきです。  教会全体が宣教のために祈り、宣教のために財産を分かち、教会のひと枝ひと枝であるお一人お一人が実際に、人々の前にキリストを現すのです。  私は学生時代、キャンパスクルセードの学生メンバーとして「四つの法則」による伝道の訓練を受けたり、昨年は「爆発伝道」の訓練を受けたりしました。しかし、伝道というものは、上手な伝道の方法を身につけさえすればそれで充分なのではありません。 ザアカイは十二弟子のような訓練を受けていたわけではありませんが、イエスさまに出会ったら、あっという間に犠牲を払って宣教する家へと変えられました。要は、どんな訓練を受けたか以上に大切なのは、イエスさまによって罪から救っていただいた感動にあふれているかどうかです。この感動が教会全体で分かち合われることによって、伝道、宣教のわざは前進します。 そういうことからも、イエスさまがザアカイの家で語られたこの10節のみことばに、私たちは注目する必要があります。救いがこの家に来た、私たち教会は、イエスさまによって、この宣言をしていただいている存在です。  イエスさまはそれに続いて、なんとおっしゃっていますでしょうか? 「この人もアブラハムの子なのです」。アブラハムの子というのは、一義的には、アブラハムの子孫として生まれたユダヤ人として、正当な神の子、神の民としての立場を回復した、という意味になります。これでザアカイは、もはやユダヤの裏切り者という扱いを受けることはなくなったわけです。  しかし、それだけならば、ユダヤ人ではない私たちとザアカイに臨まれたイエスさまの救いの御業は、関係ないことになってしまいます。アブラハムの子とはだれでしょうか? それを知るためには当然、アブラハムとはだれかがわかっている必要があります。アブラハムは、肉なるイスラエル人の先祖以上の人です。今年集中してアブラハムのことを学びましたが、アブラハムは、信仰の父です。神さまを信じることそのもので神さまに義と認めていただくという、その道を神さまによって開いていただいた人です。  一見するとザアカイは、そのあまりに大胆な施しの行いが目立つあまり、私たちはこの箇所を斜め読みすると、ザアカイのように多額の施しをすることが救いの条件のように誤解してしまうかもしれません。しかしそれはまったくちがいます。ザアカイは、イエスさまに救われたことが、結果としてそのような行いに実を結んだのであって、行いで神の国に入る権利を買ったのではありません。  ザアカイは、イエスさまを信じて救われたということで、アブラハムにならう人になった、つまり、信仰によって救われ、神の国に入ったということです。ザアカイのこの姿は、私たちにとってのモデルです。  しかし、ここでも注目すべきは、救いはザアカイひとりに及んだのではなく、ザアカイの「家」に及んだ、ということです。アブラハムの子、つまり信仰によって義と認められ、天の御国に入れていただいた家長の治めるこの家庭が、やはり信仰をもって救いに入れられる、というわけです。  元始、教会は家であったという主題で毎週お話ししてまいりましたが、私たちはこの礼拝が終わりましたら、それぞれの家に帰ります。そのご家庭での立場はさまざまでしょう。家長の立場におられる方もいれば、奥様、お子さん……さまざまです。 しかし、忘れないでいただきたいのは、私たちは救われている、つまり、アブラハムの子という立場をいただいている以上、そのそれぞれが属している家に対し、救いへと導く権威が与えられている、ということです。  現実を見てみますと、ご家庭での立場は弱いから救いに導くなんてとてもとても……と思われるかもしれません。しかし、ザアカイのことを考えてみてください。ザアカイがもし家庭を持っているならば、ザアカイはその立場のゆえに、家族からも忌み嫌われ、家族の中で発言する権限もなかった、などという可能性も考えられはしないでしょうか? しかし、その家庭はア

主イエスを礼拝する家

聖書箇所;マタイの福音書2:1-12  説教題目;主イエスを礼拝する家 あらためまして、クリスマスおめでとうございます。 クリスマス礼拝ともなりますと、クリスマスの物語を語るのが常です。クリスマスの物語を語るとき、だいたい、2組の礼拝者の群れについて語ります。一方は羊飼いたち、もう一方は東方の博士たちです。今日のクリスマス礼拝では、東方の博士たちについて、「元始、教会は家であった」というテーマでお話ししたいと思います。それではさっそくまいります。 まずは1節と2節のみことばを見てみましょう。いわゆる「東方の博士たち」です。何者でしょうか? 新共同訳聖書という聖書を読みますと、かれらのことをかなりはっきりと書いています。「占星術の学者」。 そう、彼らは星占いをする人です。おやおや、と思いませんか? 言うまでもないことですが、聖書のみことばは星占いの類の占いを固く禁じています。それはまことの神さまに敵対する、極めて霊的なものと理解されています。しかし、主は、そのような人たちの中から、まことに主を信じ礼拝する人たちをお選びになったのでした。 私たちクリスチャンは聖書の民として、星占いのようなことをする人にきびしい目を向けるかもしれません。しかし、彼ら東方の博士たちはどうだったのでしょうか? ただの偶像礼拝者ではなかったことは、この2節のみことばから明らかです。彼らは、はるばる東方から旅をしてきてきました。それは、ユダヤ人の王として生まれる方を礼拝するためであったということでした。そのために彼らは、王さまであるヘロデにまで謁見したのでした。 なんと彼らは、星占いの人たちでありながら、ほんとうに礼拝すべきお方はユダヤ人の王として生まれるメシアであって、その礼拝のためにはどんな犠牲も惜しむべきではないということを、彼らなりの研究の中でちゃんと学んでいたのでした。学ぶだけではなく、実際に礼拝しに旅をするという形で、みごとに実践にまで移していたのでした。 これは驚くべきことではないでしょうか? イエスさまを礼拝することとは全く関係のなかったような人、それどころか、ほかの宗教を窮めるような人の中から、神さまは未来の礼拝者を起こされるのです。 今日の箇所の博士たちを見ると、神さまはそんなおひとりおひとりのことを、実はご自身を礼拝する存在として選んでいらっしゃると考えることはできないでしょうか? 今年は残念ながら、あまり大々的にクリスマスをお祝いできないで今日を迎えました。しかし、私たちの周りから、そのような礼拝者が起こされると考えてみてはいかがでしょうか? 私たちがそうしたように、まだイエスさまに出会っていない方々も、こころ素直に、神さまの選びを受け入れていただきたい、そう願って、謙遜におひとりおひとりに仕える私たちとなりますように、主イエスさまの御名によってお祈りいたします。 さて、その東方からのお客のことばを聞いたユダヤの反応はどうだったでしょうか? 3節です。……どういうことでしょうか? 本来ならば主の民であるはずのユダヤ人ならば、王から庶民に至るまで、この知らせを聞いたとたん、ついにみことばのとおりに救い主がお生まれになることを、大喜びしたはずです。 しかし実際は、王も民も不安を抱いたのでした。それはなぜでしょうか? それは、本物のユダヤ人の王が現れることで、いまとりあえず平和を保っているヘロデの治世が転覆することを、王も民も恐れたからでしょう。 しかしそれでは、ほんとうの意味でメシアを待ち望んでいることにはなりません。どんな時代であろうとも、メシアを待望すべき民、それがユダヤ人だったはずではないでしょうか。この恐れ惑う姿を見ても、いかにその当時のユダヤがみこころから遠く離れていたか、わかろうというものです。 不安になったヘロデは、ひとつのアクションを起こします。4節から8節です。……ここで祭司長や律法学者たちは、メシアはユダヤのベツレヘムで生まれることを、旧約聖書ミカ書のことばから告げています。 彼らにもわかっていたのです。しかし彼ら宗教指導者たちは、自分たちの仕えている主が送ってくださったはずのメシアに会いに行かなかったのでした。会いに行ったのはあくまで、東方の博士たちであって、彼らではありませんでした。彼らは聖書を教える指導者でありながら、信じていなかったのでしょうか? もっとも、彼ら祭司長や律法学者たちは、会いに行こうにもできない事情がありました。折しも、ユダヤを含む全ローマ帝国には、住民登録が布告されていました。そのため彼ら宗教指導者たちは、エルサレムを離れることができなかったのでした。 そもそもイエスさまがベツレヘムでお生まれになったのだって、ヨセフとマリアが住民登録のために先祖の町に行ったからでした。ユダヤ人は、どんなにイエスさまのお誕生をお祝いしたいと思っても、住民登録のせいで、ベツレヘムに先祖がいる人を除いてイエスさまに会うことは許されません。 エルサレム神殿にて神さまに仕える宗教指導者はなおのこと、エルサレムを離れるわけにはいきませんでした。イエスさまに会うために自由に旅ができるのは、彼ら東方の博士たちたちのような、ローマ帝国の支配下にない人だけです。 ともかく、メシアがベツレヘムに生まれることを知った一方でヘロデは、今度はメシアの年齢を知ろうとします。星がいつ出現したのか、占星術の学者たちに尋ねたのでした。そのことによってヘロデは、その子が生まれたばかりの赤ちゃんだということを知りました。 そしてヘロデは、その子のことを詳しく調べて報告するように占星術師たちに言いました。ヘロデはその理由を、自分も行って拝むためだと言っています。 しかし、それをヘロデが知りたがったのも、もちろんイエスさまのことを葬り去るためです。ベツレヘムにいるそれくらいの年齢の子どものことを詳しく知ったら、あとはその子どもを殺してしまえばいいわけです。 実際ヘロデはあとになって、ベツレヘムの2歳以下の男の子を皆殺しにしました。ひとりくらいメシアがまぎれていれば、結果的にメシアは死に、ヘロデの王権が保たれると思ったからでしょう。まったく、とんでもない話です。 結局、主がご介在されて、イエスさまは守られたわけですが、その陰で多くの子どもたちが犠牲になりました。救い主を葬り去ろうとするサタンの勢力が、暴君ヘロデを用いて暴れ回ったわけです。 ともかく、異邦人である博士たちにも、旧約聖書のミカ書のみことばが開かれました。彼らの目指すべき地はベツレヘムであることを知り、彼らはベツレヘムに向けて再び出発します。しかし彼らには問題がありました。具体的に、ベツレヘムのどこに行けばいいかがわからなかったからです。しかし、そのような学者たちに、主はどのような導きをくださいましたか? 9節と10節です。 実に不思議な現象が起こりました。それでも、彼らは星については専門家の中の専門家です。これこそ主の導きと確信しました。それだけの説得力を持って、主は彼らを導かれたのでした。 主は、人を召されるとき、しばしばその相手に最も近しい存在をお用いになります。彼らにとって最も通じている存在は、「星」です。人の考えではけっして動くはずがないものです。しかし主は、天の星を不思議に動かして、星のことならば何でも知っている星のプロたち、博士たちのことを礼拝者としてお導きになりました。 さて、ついに東方の博士たちは、イエスさまのおられる場所にまでたどり着きました。そこはどこかというと、ベツレヘムの「家」だったとあります。 これは具体的に言えばどこでしょうか? 私たちはクリスマスの物語から、ついここのことを「馬小屋」と考えてしまうかもしれません。私もかつてその前提で、馬小屋の汚い地面にひれ伏した博士たち、なんてメッセージを語ったことがありましたが、「家」と書いてあると、そこは馬小屋とはかぎらないことが分かります。 これが馬小屋ではなく、「家」という建物だとすると、こう考えられないでしょうか? マリアは、産後の養生のためにまだしばらくベツレヘムにとどまる必要があった。その間に、住民登録を終えたユダヤ人たちはみな自分の住所へと帰り、宿屋に空きができて、もうマリアたちは馬小屋にいる必要がなくなって、それこそ「家」に入ることができた……。 いずれにせよ、このイエスさまを産んだ聖家族がとどまっている場所を「家」と表現している聖書のことばに、私たちは注目する必要があります。そこを単なる空間と考えたら、「宿屋」と言うべきでしょう。しかしここは「家」なのです。なぜかというと、イエスさまを産んだ「家族」がいるからです。 つまり、東方の博士たちは、宿屋に来たというよりも、イエスさまの家族に招かれたということです。建物よりも重要なものは、家族というつながりであり、そこに人を招くことが、教会の原型、そして、教会の実体です。 私たちにも同じことが言えます。私たちが現にいるこの場所は、「礼拝堂」というよりも、「教会」と呼ぶのが普通です。「礼拝堂」というとそれは「建物」を指しますが、「教会」は、建物ではなく「家族」、「共同体」です。イエスさまを信じる信仰によって、同じ天の父なる神さまをお父さまとお呼びしてお従いする、霊の兄弟姉妹の群れです。切っても切れない関係にある有機体です。 例年、クリスマスともなりますと、うちの教会は祝会を開き、フルートのコンサートを開催しました。これは、礼拝堂で行うイベントにボランティアで人々を招いたということではありません。そうではなくて、私たち主にある家族が、この家族に交じっていただくように、お客さまをお呼びした、ということです。 お客さまはもともと、クリスチャンではない方もいっぱいいらっしゃいます。しかし、最高の時間を過ごし、その貴重な時間を神さまにささげていらっしゃいました。そのお姿はまるで、東方の博士たちのようでした。 それでは、東方の博士たちはどのようにしてイエスさまを礼拝したのでしょうか? 11節です。彼らはイエスさまに、黄金、乳香、没薬を贈りました。この贈り物は、イエスさまがどのようなお方かということを象徴的に言い当てていました。 黄金は何でしょうか? イエスさまが王であることを示しています。列王記第一10章によりますと、ソロモン王は主から栄誉を与えられたしるしとして、金をぜいたくに用いたとあります。人々の上に燦然と君臨する象徴、それが黄金というわけです。黄金は、イエスさまこそがまことの王であるということを象徴しています。 乳香は何でしょうか? それは主にささげる香りであり、すなわち、人と主との間に交わりを成り立たせるものです。その働きをするのは、祭司です。乳香は、イエスさまこそがまことの祭司であるということを象徴しています。 圧巻は、没薬です。これは少しご説明します。没薬もまた、高価な貴重品です。しかしこれは、死体に防腐処理を施すためのものであり、これを贈ったということは、貴重な物を贈ったということ以上に、生まれたばかりのイエスさまの、葬りの準備をしているということになるのです。イエスさまは死なれるお方だということを、学者たちは知っていたことになります。この没薬は、イエスさまがまことの預言者であることを示しています。 これがなぜ預言者のことを指しているか、少しご説明します。預言者の預言とは、いわゆる一般的か「あらかじめ起こっていないことを言い当てる」予言とはちがいます。「ことばを預かる」と書きます。神さまのことばを預かり、世に対してそのみことばを曲げないで伝える働きをする、それが預言者のすることです。預言者たちは、曲げないで主のことばを語ったことにより、相当な苦しい目に遭わされました。中には殺された者もおります。 イエスさまは、神のことばが肉体を取ってこの世に来られたお方であるのだと、聖書は語っています。イエスさまはまことの預言者であられるのと同時に、生きて働く預言そのものでいらっしゃったのです。そしてイエスさまが十字架にかけられた理由は、大祭司がイエスさまの語られたおことばを、神への冒涜だとさばいたからでした。 イエスさまは、みことばを語られたから、いえ、みことばそのものであったゆえに、みことばを正しく理解しなかった宗教指導者たちによって殺されたのでした。イエスさまは、みことばに生まれ、みことばに生き、みことばに死なれました。没薬は、イエスさまこそがみことばを大々的に宣言され、かなえられた、まことの預言者であることを象徴しています。 まことの王、まことの祭司、まことの預言者、これぞ来たるべきメシアです。イエスさまがそのようなメシアであったことを異邦の学者たちに見抜かせた主のお導きは、驚くばかりです。そして主は不思議な方法、ローマ帝国の人口調査というわざを通して、ユダヤの宗教指導者たちではなく、異邦人の占星術の博士たちを礼拝者としてお選びになりました。 私たちが今日こうしてクリスマス礼拝をささげているのも、主が私たちのことを礼拝者として選んでいらっしゃるからです。私たちは選ばれているのです。 私たちは今日この日、クリスマスにお生まれになったイエスさまを礼拝する礼拝者として選ばれた「選手」です。私たちを創造され、導いてくださっている神さまのために、神さまが私たちのことを一つにしてくださった教会のために、教会がキリストの平和というよき知らせを携えて大々的に出ていくべきこの世のために、私たちは今日、クリスマスの礼拝をおささげしているのです。私たちは、その礼拝をささげるために選ばれた「選手」です。 博士たちは、はるばるベツレヘムまで旅をしてまで礼拝場所を求めました。家に入って赤ちゃんのイエスさまの御前にひれ伏しました。貴重なだけではなく、それぞれに深い聖書的な意味のある黄金、乳香、没薬をささげることにより、救い主なるイエスさまをほめたたえました。私たちはそれくらい真剣でしょうか? それほどの態度で、それほどのささげものをおささげすべき素晴らしいお方、それがイエスさまです。 私たち自身を振り返りましょう。私たちは長い間、イエスさまに会うまでの間、はるかの旅を続けていた存在でした。しかし今、イエスさまを中心とする神の家族、教会の家族の中に入れられて、私の罪のために十字架にかかってくださるためにこの世に生まれてくださった、まことの王なるイエスさまの御前に、礼拝をささげています。私たちは、来るべき場所に来たのです。 私たちが過ごしたこの2020年、それは、新型コロナに翻弄された激動の年でしたが、それでも変わらずに私たちとともにいてくださるお方、私たちを導いてくださるお方、イエスさまに目を留めましょう。私たちのただ中におられるイエスさまをともに礼拝しましょう。 その、ともにおささげする礼拝によって、私たちが一つとされていますことを、心から感謝し、来たる2021年、ますますイエスさまへの献身を新たにする私たちとなりますように、その献身によって私たちが一つとなり、ともに主のご栄光を顕すものとなりますように、主の御名によって祝福してお祈りいたします。

元始、教会は家であった~その5 教会は帰るべき家、いるべき家~

聖書箇所;ルカの福音書15:11~32/メッセージ題目;元始、教会は家であった~その5 教会は帰るべき家、いるべき家~ 本日の箇所はとても有名なみことばです。私たちはこの箇所をお読みして、いろいろなことを思うでしょう。私もこの弟息子のようだった、とか、お兄さんはひどい、とか、いや、お兄さんは正しいことを言っている、とか。 「元始、教会は家であった」シリーズも、本日で5回目となりました。本日は、イエスさまのたとえ話に現れた「家」というものから、「家」なる教会をめぐる人間関係に主はどのようなみこころを持っていらっしゃるか、ともに探ってみたいと思います。 イエスさまのたとえ話は、「ある人に二人の息子がいた」ということばから始まっています。このお話の中でもっとも大事な登場人物は、「ある人」、つまり「お父さん」です。この人が神さまのことであるのは、説明するまでもありません。神さまから見て2種類の人間、それが弟息子と兄息子であるわけですが、まずは弟息子のほうから見てみましょう。 弟息子はどんな人のことでしょうか? 父親の財産をせしめ、父親から遠く離れて別の国に行き、そこで湯水のごとく財産を使い、放蕩のかぎりを尽くした人間です。 これを、神さまと人間との関係に当てはめてみましょう。私たちの持つすべての財産は、ことごとく神さまのものです。しかし人間は、あたかもその所有権が自分にあるかのように振舞うのです。神さまなど関係ないように生きるのです。好き勝手に生きるのです。人間みんな放蕩息子です。 しかし、罪からの報酬は死です。人間は神さまから離れ、好き放題に生きるならば、必ずどこかでその罪の刈り取りをします。そのことをこのたとえ話でイエスさまは、折からの大飢饉に食い詰めて人のところに身を寄せたら、豚の世話をさせられたということにたとえておられます。 ユダヤでは、豚はけがれた動物ということになっていました。そういう戒律です。今私たちクリスチャンはすべての食べ物の戒律から自由になっていて、おいしい豚肉を食べられてありがたいかぎりですが、このたとえ話を聞いていたのは、パリサイ人や律法学者を含めたユダヤ人です。 とかく形から入ることで自分たちはきよいと思いたがるパリサイ人にとって、豚の世話をするなどというたとえ話は、かなりショッキングに響いたはずです。 悪臭ふんぷんたる場所で働かされたこの放蕩息子は、きわめてひもじい思いさえしていました。16節です。「彼は、豚が食べているいなご豆で腹を満たしたいほどだったが、だれも彼に与えてはくれなかった。」 火も通っていない家畜のエサなどだれが食べるというのでしょうか。しかし、それさえも彼は食べることを許されませんでした。豚のほうが大事なのです。お前が飢え死にしようと知ったことじゃない、勝手に死ね、この家の主人は、そんなことさえ言っているかのようです。 放蕩のすえに食い詰めて彼が身を寄せたこの家の主人は、サタンを象徴していると言えましょう。この世の君は、人を快楽で操り、手先としてこきつかって、ついにはぼろぼろにして、死んでいくに任せます。この世にはサタンの軍門に下った放蕩息子が、なんとたくさんいることでしょうか。 しかし、彼はそれで終わりではありませんでした。17節をご覧ください。「しかし、彼は我に返って言った。」我に返って。この部分、赤い字で印刷して、はっきり読めるようにしたいくらいです。自分の居場所はここではない。帰ろう。恥も外聞も捨てて。 いまさら合わせる顔がないと思ったことでしょう。弟息子は、父親に財産を分けてくださいと申し出たときには、それを元手に一旗揚げて立派な人物になる、そんな青雲の志さえ父親に語ったかもしれません。ところがふたを開けてみれば、一文無し、すってんてんのすっからかんで、何一つ誇れるもののない、ただの罪人です。彼は思いました。もう息子と呼んでいただく資格はない。雇い人の一人にしていただこう。 しかし、なんということでしょう。父親はいつも、家からずっと離れたところに立って、彼のことを待ちわびていたのでした。そして、ついに、遠くに彼のことを見つけました。駆け寄って抱きしめ、口づけしました。罪の汚れにまみれたこの子のことを、父はその威厳もかなぐり捨てるがごときに、受け止めてくれたのでした。 これが、御父の姿なのです。だいじな子どもは背を向けて去っていく、好き放題する、そんな子どもがその罪の刈り取りをすることになっても、御父はただじっと待っておられるのです。どんな思いで待っておられることでしょうか。 しかし、このお方のもとに戻る恵みはわれわれに臨むのです。我に返る恵みをなお、神さまは与えてくださいます。戻ることができるのです。 父は、弟息子が戻るのを、ずっと待っていました。そして、戻ってきた彼のことを、その姿のまま抱きしめてくれたのでした。彼は言いました。「お父さん、私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。」 彼はこのことばに続いて、あなたの家の雇い人のひとりにしてください、と言うつもりでした。しかし父親は、みなまで言うな、とばかりに、息子のことばを聞かなかったかのように、しもべたちに言いました。「急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履物を履かせなさい。」罪人のきたない恰好のままでいさせません。きれいな格好に飾ってくれました。中でも注目すべきは「指輪」です。これは、父親が自分のすべてを譲り渡す証拠です。雇い人どころではありません。立派な「跡継ぎ」です。 23節もお読みください。「そして肥えた子牛を引いてきて屠りなさい。食べて祝おう。」父を離れ、悪の世界に身を置くかぎり、豚の餌さえ食べられなくなった者が、なんと肥えた子牛のパーティです。しかもこのパーティの主人公です。救われるということは、こういうことなのです。 救われるとはどういうことか、いみじくも父親が24節で語っているとおりです。「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」。私たち人間は、創造主なる神さまのもとに帰るまでは、みな死んだ者、いなくなっていた者です。行きつくところは滅びです。しかし、そのような者でも救っていただきました。 元始、教会とは、神さまを父とする家であります。救われる人が起こされるたびに、このような喜びが繰り広げられる場所、それが教会なのです。だれかにこの喜びを味わってほしい、私もこの喜びを味わいたい、そこから、伝道ということに対してやる気が出てくるのではないでしょうか。 教会、父の家とは、人の帰るべきただひとつの場所です。ここに帰ってくるまでは、人はさまよっており、どこに行くべきかわからず、たえず不安に支配されます。しかし、父の家に帰るならば、安全であり、安心です。あとは、もう離れないだけです。 私たちは、救われた時の感動を思い起こしましょう。帰るべき家に来た! みんなでともに神の国を継ぐ者とされた! 私たちは救われたゆえに、教会という神の家から離れてはいけません。 さて、ここに、兄息子が登場します。彼は畑で働いていました。そこに、家からパーティの歌舞音曲が聞こえてきて、何事か、と思いました。それが、弟が帰ってきたからだと知ると、怒って、家に入ろうともしませんでした。 父はそんな兄息子を見るに見かねて、家の外に出てきて彼をなだめました。しかし、彼は訴えます。「ご覧ください。長年の間、私はお父さんにお仕えし、あなたの戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しむようにと、子やぎ一匹下さったこともありません。それなのに、遊女と一緒にお父さんの財産を食いつぶした息子が帰って来ると、そんな息子のために肥えた子牛を屠られるとは。」 さあ、みなさんなら、この兄息子のことばを聞いて、どのように思われるでしょうか。およそ宗教というものは善行ということを説きますが、そのような見方からすれば、この兄の言っていることは筋が通っているように思えないでしょうか? しかし、繰り返しますが、イエスさまのこのたとえ話は、パリサイ人や律法学者を含むユダヤ人たちを相手に語られたお話です。彼ら宗教指導者たちは、イエスさまが取税人や罪人のような者たちのことを受け入れて、食事さえ一緒にしていることを快く思わず、ケチをつけたわけでした。そんな彼らに対して、イエスさまがこのたとえ話を語られたということを前提に、考えてまいりたいものです。 パリサイ人のような人ならおそらく、この兄息子のようなことを言いかねなかったことでしょう。自分の行い、正しさを主張し、罪人を決して許さない、受け入れない。彼らからすれば、神さまがそんな罪人さえ受け入れるだなんて、到底、理解できなかったはずです。 しかしイエスさまは、そんなパリサイ人に対しても、やさしい心を持っていらっしゃいました。私たちは読みかじりの程度に聖書を読むだけだと、イエスさまはパリサイ人に対して、ただひたすらに厳しい、こわい、という印象を持つかもしれません。マタイの福音書の23章など読むと、イエスさまは口を極めて、パリサイ人のことを罵っておられるくらいですので、余計そう思われるかもしれません。 しかしイエスさまは、パリサイ人の言動を問題にされてはいても、パリサイ人の人格まで呪っておられるわけではありません。むしろ、兄息子に例えられたパリサイ人に対する御父の御思いをこの父親のことばから読み取るなら、とてもやさしいお方、ということがわかると思います。 まず、父はなんと言っていますでしょうか? 31節です。「父は彼に言った。『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。」 兄息子はそれまで、いろいろな問題にとらわれていました。まず、父の戒めを守り行なってきたことが、結局は父に認められていないように思えてしまったこと、それは、その愛の表現として子やぎ一匹もらえなかったからたしかにそうだと思ったこと、それなのに、戒めを破り放題で財産を使い果たした奴に対し、父はとても寛大であることに怒りを燃やしていたこと……。 それは何が問題だったか。まず彼は、正しい行いで自分の正しさを父に認められようとしていました。しかしこれでは、きりがありません。99パーセント正しくても、1パーセントが正しくなければ、すべてが正しくない、人間に対するきよい神さまのありかたは、そういうものです。結局人間は、神さまのほんとうのみこころがわからなければ、的の外れた努力を繰り返すしかないものなのです。 そして彼は、自分が充分に父に愛されていることも考えないで、わかりやすい形で父の愛を受けた弟に嫉妬しました。そう、これは嫉妬なのです。正しくふるまう努力を怠らない自分は認めてもらえないのに、放蕩のかぎりを尽くしたこいつはとっても愛されている……。 私たちが信仰生活をするうえでしてはならないことがあります。それは、「ほかの兄弟姉妹と比較をする」ということです。これほどみじめになるか、傲慢になるかして、自分にさんさんと注がれている神さまの愛を見失わせるものはありません。それもそのはずです、神さまに向けるはずの目を、人に向けているからです。完全な神さまを見上げて、自分も完全なものにされている喜びを味わう代わりに、不完全な他人か、不完全な自分を見て、不完全な信仰を持つしかなくなります。 そんな不完全な人、みじめな人の代表選手が、この兄息子です。そんな兄息子に、父はとてもやさしいです。まず、呼びかけてくださいます。「子よ。」そうです、父の気持ちも知らないで文句を言うような彼のことを、もう子ども扱いしない、そんな父親ではありません。おまえも子どもだ。愛するわが子だ。 どんな子どもなのでしょうか。おまえはいつも私と一緒にいる。そうです。遠い国、サタンの国に行くことがなく、父の家にとどまりつづけていることは、なんという祝福なのでしょうか。 そして、私たちはただ神さまとともにいさせていただいているだけではありません。もちろん、それだけでも充分に祝福と言えますが、それだけではないのです。「私のものは全部おまえのものだ。」父なる神さまのもの、天の御国を、イエスさまを信じる信仰のゆえに受け継がせていただけるのです。子やぎどころではありません。天国そのものです。それをまるごと受け継がせていただいているとは、どれほど大きな祝福でしょうか。 だから私たちは、神さまからいただく祝福というものを取り違えてはいけないのです。神さまの祝福をいただいている私たちはこの世においても繁栄する、などと教える牧師や教会は人気があるものですが、ほんとうの神さまの祝福というものは、必ずしも目に見えるものとはかぎりません。 しかしただひとつ確実なことは、私たちはすでにその祝福、天の祝福を、この地上において受けており、のちの世で永遠のいのちとともにこの祝福を完全にいただく、ということです。だから、この天の祝福につねに目を留める、霊的な目をいつも備えさせていただくように、私たちはどんなときにも神さまと交わりを欠かさないでまいりたいものです。 しかし、そのような天の祝福をいただいているということは、同じイエスさまの十字架により罪赦され、贖われて神のものとされた、兄弟姉妹を愛するという形で実を結んでしかるべきなのです。32節で、お父さんは何と言っているでしょうか?「だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。」 父の戒めを落ち度なく守っていることを誇りにしていた兄息子は、パリサイ人や律法学者のような宗教指導者を暗に指していましたが、このような人は、この神の家、教会の中にもいるものです。私こそ兄息子かもしれない、そう思っていただけるなら、それはすばらしいことです。 なぜなら、このままでは兄弟姉妹をさばく、つまり、同じ神さまから生まれた愛すべき存在を遠ざけることを、当然のことのように思う、自分さえよければそれでいい、心の冷たいクリスチャンになってしまうからで、そんな自分のことを悔い改めるならば、御父のみこころどおり、愛にあふれた素晴らしいクリスチャンになれるからです。 私がメッセージの中で何度も申し上げていることですが、福音書があれだけ、パリサイ人を責めることばに満ちているのは、パリサイ人とちがって私は恵みによって神さまのものとされている、などと、悦に入るためでは決してありません。そうではなくて、これを読むあなたの中にもパリサイ人の要素があります、恵みにとどまりたければ悔い改めなさい、と戒められているからです。パリサイ人とは、私たちのことです。兄息子とは、私たちのことです。 兄息子は、家の中に入ろうとしませんでした。これは象徴的です。兄弟を受け入れず、さばくということは、教会という神の家の中に、父とともにいようとしないということを意味します。これは不幸なことです。 兄息子は家で何が起きているかに関心も払わず、いえ、もしかすると、毎日のように出ていって弟を待ちつづける父の心も知ろうともしないで、その日も畑にいて仕事をしていました。しかし、それを父は喜んだでしょうか? 父とともにいて、喜びを分かち合わないならば、畑仕事に精を出すがごとく、行いで認められようとしたところで、何にもなりません。 私たちも同じです。私たちは父の心を知って、父とともにいることを選ばなければなりません。そうすれば、父の願いどおり、兄弟姉妹を受け入れ、愛する思いが生まれてきます。神の家、教会は、中に入ってとどまるべきところです。 私たちは弟息子のように、戻るべき場所に戻りました。しかし今からは、兄息子のような自己中心、律法主義を、たえずみことばと祈りをとおして悔い改めながら、父に似た者としてともに成長していく群れとなりたいものです。そのために今日、私たちはどんなことを決心しますでしょうか? 初めの愛に帰りましょう。ありのままを受け入れてくださった御父の愛を思えば、私たちもまた、兄弟姉妹を受け入れることはできるはずです。それを阻む自己中心が、主の御手によって取り去られますように、私たちは真剣に祈りたいと思います。

元始、教会は家であった その4~主の晩さん考察~

聖書箇所;使徒の働き2:41~47/メッセージ題目;元始、教会は家であった その4~主の晩さん考察~ 今日は、恥ずかしい話からお分かち合いしたいと思います。 私は中学生のとき、母に連れられて初めて教会にまいりました。兄がすぐにイエスさまを信じてバプテスマを受け、ほどなくして母も、祖母もバプテスマを受けたのですが、私はバプテスマを受けるまでに少し時間がかかりました。 そんなときにどうしても気にしてしまうのが、主の晩さんの時間です。バプテスマを受けている人はみな受けられても、バプテスマを受けていない私はいただくことができません。みんな、いいなあ、と思いながら、手持無沙汰な時間を過ごしたものです。 そんな私もやがてバプテスマを受けました。主の晩さんにあずかれるようになったわけです。しかし、そうなるとどうなったか、といいますと、今度は、主の晩さんの時間を、とても退屈なものと思うようになってしまったのでした。 要するに、主の晩さんというものをちゃんとわかっていなかったわけです。それにしても今思い返しても、恥ずかしいことです。 本日学びますのは、主の晩さんに関してです。さきほどお読みいただいたみことば、使徒の働きは、イエスさまが天に昇られた後、聖霊なる神さまのお働きによって、エルサレムにはじまり各地に教会が形づくられたという記録に満ちています。 その中でも今日の箇所、2章は、エルサレムに集った聖徒たちに聖霊なる神さまがお降りになり、その聖徒を代表したペテロのメッセージをとおして、実に3000人もの人がイエスさまを主と信じ受け入れ、バプテスマを受けた、という、ダイナミックな箇所です。 マタイの福音書を締めくくるみことば、28章の18節から20節のみことばには、このようにあります。……イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。 この「バプテスマを授け」ということばは、ただ単に宗教的儀式としてバプテスマを授けるということではありません。このことばは「弟子としなさい」ということばと密接な関係があり、「バプテスマを授けて弟子とする」という意味でもありますし、「弟子とするためにバプテスマを授ける」ということでもあります。 つまり、バプテスマはゴールではないのです。むしろスタートというべきです。一説によると、日本のクリスチャンの平均信仰年数は、2年8か月ということです。短いと思いでしょうか? しかしこれは、10年、20年、30年以上、信仰生活をしている人と平均した数字です。となると、バプテスマを受けてたった数か月以内に教会に行くことをやめてしまう人というのが、とても多い、ということになりはしないでしょうか? このような問題を引き起こす背景には、2つのことが考えられます。ひとつは、バプテスマ準備クラスさえ終えればそれでよしとしてしまう、教会教育の不在、もうひとつは、主の晩さんが単なる儀式としかとらえられず、軽んじられている、ということです。 今日はその中でも、教会の存在の根本に主の晩さんが存在するというテーマでお話しします。本日お読みいただいたこの短い箇所の中に「パンを裂き」ということばが、2回も登場します。それは、すべての教会の基礎の基礎である初代教会にとって、パンを裂くこと、すなわち、主の晩さんを口にすることは、それだけ大事だった、ということではないでしょうか? 「主の晩さん」は、ほかならぬイエスさまが「守り行いなさい」と定めてくださったものであり、つまりそれは必ず守り行うべきものであり、それだけ、厳粛な思いで参加させていただくものです。 この「主の晩さん」を守り行う人は、バプテスマを受けている聖徒です。それはなぜなのでしょうか? それを知るには何よりも、聖書がバプテスマというものをどのように定義しているかを知る必要があります。ペテロの手紙第一、3章18節から21節です。 ……キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。その霊においてキリストは、捕らわれている霊たちのところに行って宣言されました。かつてノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに従わなかった霊たちにです。その箱舟に入ったわずかの人たち、すなわち八人は、水を通って救われました。この水はまた、今あなたがたをイエス・キリストの復活を通して救うバプテスマの型なのです。バプテスマは肉の汚れを取り除くものではありません。それはむしろ、健全な良心が神に対して行う誓約です。 8人の家族が箱舟の中に入って救われたのは、彼らが、その時代に生きたほかの人よりもよい生き方をしたからでしょうか? そうとは言えません。ただひとつ確実なのは、箱舟の中に入るという、神さまの方法に従えば救われるという、信仰を保っていたからでした。その信仰の実践として、箱舟の中に入ったのでした。 われわれが受けるバプテスマというものも、これと同じだというわけです。バプテスマはその形が形なので、つい私たちは、「みそぎ」のように、それを宗教儀式として体験すれば、きよくなる、きれいになる、と考えてしまいがちかもしれません。実際、バプテスマを連想する記述が旧約聖書にありますが、ヨルダン川に浸かるとナアマン将軍の皮膚病、それも、宗教的けがれの象徴とさえ言えるツァラアトが治ったなどという箇所をうのみにしていると、余計そう思えてきそうです。 しかし、このペテロの手紙第一によれば、そうではない、「健全な良心が神に対して行う誓約」だというのです。 しかし、私たちは罪人である以上、心がけがれていない人などいません。しかし、イエスさまの十字架の血潮は、そのような私たちの心をきよめてくださり、それこそ、健全な良心と見なしていただけるにふさわしく変えていただきました。そのように私たちの心を変えてくださった神さまに対し、これからは自分のために生きるのではなく、神さまのために生きるようにしてください、私はこの人生を神さまにおささげします、と、誓約させていただくのです。 誓約、誓いということは、神さまの恵みの中で初めてできることです。結婚式のとき私たちは、病めるときも健やかなるときも配偶者を愛することを誓うわけですが、そのような誓いを立てても別れるときは別れます。ここ数年私は、そのようにして別れていったカップルの話をよく聞くようになって、つくづく、誓いというものは人間の意志でできることではなく、神さまの恵みがあって初めてできるものであることを思わされます。 神さまの恵みによって献身したい、そう願ってするものがバプテスマです。その願いも、これも神さまの恵みが臨んで初めてできることなわけです。バプテスマはどこまでも、神さまの恵みの中でなされるものです。 人はバプテスマによって、古い自分が水に葬られ、その水から引き上げられて、キリストにあって新しい人として生きる誓いをしたことを、人々の前に公(おおやけ)にします。もはや自分が生きているのではなく、キリストが自分のうちに生きていることを公にするのです。 その生き方を公にした人こそ、キリストのみからだと血潮にあずかる、すなわち、主の晩さんにおいてパンとぶどう汁の杯にあずかるのです。よく、日曜学校の子どもなど、そのパンとぶどう汁を見て、欲しがるのを私はよく見てきましたが、神さまへの献身をバプテスマという形で表せるほど、神さまと教会において従順の態度を示していないかぎり、やはりこれを口にすることはふさわしくないわけです。 ただ、このようなことを私たちクリスチャンが主張すると、差別だ、と言い出す人が現れないとも限りません。そのような意見を考えてでしょうか、教会の中には、バプテスマを受けていない人にも広く主の晩さんをオープンにする教会もあります。だれでもパンと杯を取れるわけです。しかし私は、どうしてもそのような立場を取ることができません。 それを口にすることは、礼拝に参加したということ以上の意味があります。私はキリストのからだを食べ、キリストの血を飲み、キリストとひとつにしていただいている、つまり、キリストとともに十字架につけられている、自分に死に、キリストに生きる、その誓いをさせていただいている、私はキリストに一生ついていきます、という覚悟がなければ、それを口にすることなど到底できないはずです。主の晩さんとは、そういうものです。 そうだとすると、主の晩さんがクリスチャンにだけ開かれていることは、差別ではないことをご理解いただけると思います。 こんな話もあります。先週お話しした私の友人のことですが、はじめてソウル日本人教会に連れていった日が、なんと、たまたま主の晩さん、聖餐式の日でした。あっちゃー、こういうことで心を閉ざさないかな、私はちょっと心配になり、隣の席に座った友達に、ごめん、洗礼を受けていないと食べられないんだよね、と言いました。すると友達はこう言ったのでした。「あ、食べなくていいのね。」 私はこのことばに、とてもほっとしました。また一方で、友達が主の晩さんの本質をよく理解していたとも思いました。これを食べるということは、神さまに献身していることを表明することである、と。 そう考えると、毎回主の晩さんのたびにお読みしている第一コリント11章27節から29節のみことばの意味がわかってくるのではないかと思います。 ……したがって、もし、ふさわしくない仕方でパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分自身を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。 みからだをわきまえないで食べ、また飲む者は、自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになるのです。 ここでいう「ふさわしくない仕方で」とは何か、ということを考える必要があります。 キリストに従うことも誓えないのに、いかにもクリスチャンとして、何か立派な人であるかのように周りに認められようと振る舞う。それは、いけないことであり、それこそ「ふさわしくない仕方」ということです。いつもの主の晩さんにおいては、この29節につづく30節のみことばはお読みしていませんが、30節には、ふさわしくない仕方でパンと杯にあずかる者がいるせいで、コリント教会には、弱い者や病人、死んだ者が数多く現れたのだ、という、かなりぞっとすることばが続きます。 もしかすると実際コリント教会には、そのような目に見える怖ろしいことが起こっていたのかもしれません。しかし、このみことばをこんにちの教会に当てはめてみると、主への従順を誓えない一方で、教会の中で勝手気ままに振る舞う、宗教儀式を行なってさえいれば何をしてもいいなどと考える……そういう教会、クリスチャンは、病みますし、霊的に死にます。私たちが主の晩さんというものを、単なる宗教儀式のように守りさえすればそれでいいのではないことが、このことからもわかります。 しかしその一方で、ある人はこうおっしゃるかもしれません。自分はバプテスマを受けたとき、実は信仰のことがよくわかっていなかった、ということが、あとになってわかった。いま自分には確信がないことがわかった。そんな自分は主の晩さんを受けて信仰生活を送るにふさわしくないのではないか。 そういうことはよくあるものではないかと思います。私のよく知っているクリスチャンの中にも、バプテスマを受けたときに教会から発行してもらった「証書」を、教会に返しにいこうとした人がいるくらいです。要するに、クリスチャンをやめようとしたわけです。 そこまで極端でなくても、主の晩さんのパンと杯が回ってくるときに、何やら後ろめたい思いに駆られるということもあるわけです。自分はこれをいただいていいのか? 自分はこれをいただけるほど、立派なクリスチャンではないよ? しかし、問われるということは、実は私たちがそれだけ、神さまに拠り頼む道が開けているということで、むしろ歓迎すべきことです。むしろ、なにも考えないでパンと杯を取り、平気な顔をして口にする方がよほど問題です。 私たちは、この目の前にあるパンと杯が、主イエスさまのみからだであり、血潮であると考えたら、平気で口になどできるものでしょうか? むしろ、やめてください、私はふさわしくありません! と、叫び出したくなりはしないでしょうか? しかし、そんな私に、取りて食らえ、とおっしゃるのは、イエスさまご自身です。イエスさまは私たちのことを、十字架の血潮で洗いきよめてくださいました。神がきよめたものをきよくないなどと言う権利はだれにもありません。自分自身にさえありません。自分はけがれているから救われないよ、こんなことを言うべきではありません。自分はけがれているから神さまに救っていただくしかないよ、こう言うべきです。 わたしが十字架の血潮で洗ってあげたあなたこそ、わたしのからだと血潮を口にするにふさわしい、イエスさまご自身がそう言ってくださるのです。私たちはこの恵みに拠り頼んで、今日も主の晩さんにあずかりたいものです。 最後に、今日の箇所で、会堂という大きな集まりを持つ一方の、家という小さな集まりの中でパンを裂いた、すなわち、主の晩さんを持った、ということに注目して、メッセージを締めくくりたいと思います。 イエスさまはかつて、男だけで5000人のような大規模な集会で、彼らを満腹させられるほどのパンと魚を用意されたものでした。しかし、イエスさまが記念せよとおっしゃったのは、そのような大規模な食事会ではありませんでした。あるいは、復活のあとでイエスさまが湖の岸辺でペテロたち、漁から帰ってきた弟子たちをパンと魚の朝ごはんでお迎えになったという、感動的な食事の場面も福音書には記録されていますが、これもイエスさまが記念しなさいとおっしゃったわけではありません。 つまり、イエスさまが記念しなさいとおっしゃったのは、大集会の食事でもなければ、屋外のいわば仕事場の食事でもなかったのです。イエスさまが記念しなさいとおっしゃった食事は、人の家の2階の大広間での食事でした。 そう、家です。家で記念して行いなさい、という意味にならないでしょうか? のちに、主の晩さん、聖餐式は、教会の礼拝堂で行うのがつねになりましたが、本来は、家で行うものであったわけです。 そして、その記念の食事は、初代教会においては、毎日会堂で集まるのとは別の、家々での集まりでなされたわけでした。初代教会における主の晩さんはまさに、教会が家である、家が教会であるという精神の中で行われたわけです。 本来、主の晩さんとは家で行われたものだということを、ここで私たちは考える必要があります。いま私たちは、集まる人数もとても少なく、また、ソーシャル・ディスタンスを意識するので、離ればなれになっているとお思いでしょうか? でも、ここはひとつ、この』とんがり屋根の礼拝堂を、ひとつの大きな家と考えていただきたいのです。 この大きな家において、私たちはキリストのみからだと血潮にあずかっていることを記念して、バプテスマをもって神と人との前に誓約した、イエスさまへの献身の思いを新たにするのです。 私たちの献身の歩みは、一人ひとりでするものではありません。この、水戸第一聖書バプテスト教会の家族にならせていただいているどうし、ともに歩むものです。その誓約にともに連ならせていただいている証しとして、本日の主の晩さんを大切に守りたいものです。