仕え合う弟子の共同体、教会

聖書箇所;ヨハネの福音書13:1~15 メッセージ題目;仕え合う弟子の共同体、教会 今日お読みいただいたみことばは、このようなことばから始まっています。「さて、過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。」神は愛なり、とみことばが語り、イエスさまが父なる神さまとひとつなる神さまでいらっしゃる以上、イエスさまのお示しになるものは、愛そのものです。私たちはイエスさまの愛を、どのようにして体験するのでしょうか? それは、特に十二弟子に愛情を注がれた、その愛に、みことばを通して触れることによってです。特に、このヨハネの福音書の13章から17章までは、弟子たちに対して最後のメッセージをなさる箇所であり、イエスさまが究極的にお示しになった愛にふれる上で、特に大事なみことばです。  イエスさまがこの世を去られるにあたってなさったことは、この世のものに愛を残るところなく示されることでした。イエスさまの十二弟子は、そのイエスさまの愛を受け取った、すべての人類、すべての被造物の代表選手といえる存在です。だから、イエスさまが弟子たちをどのように愛されたかを学ぶならば、イエスさまが私たちのことをどんなに愛しておられるかを知ることができます。  キーワードになりますのは、愛です。イエスさまは単に、御国を拡大する働きの担える後継者をビジネスライクに育てていたわけではありません。弟子たちと苦楽をともにし、主にあって愛するとはどういうことかを弟子たちに教えるため、つまり、弟子たちもイエスさまの愛をもって教会のひとりひとりを愛する者となるため、自ら愛することを実践されたのでした。  イエスさまと弟子たちは、これから過越の食事をともにされます。イエスさまがこの過越の食事を弟子たちとともにすることを「どんなに待ち望んでいたことか」と表現なさったように、切に待ち望んでいたということが、ルカの福音書に記されています。これが、ご自身が十字架の上で窮極の過越、最後の過越を成し遂げられるその前ぶれとして、ご自身が執り行われた過越の食事であったわけです。そういうわけで、この場にともに連ならせてもらった十二弟子は、もっとも幸いな存在でした。  しかし、こんにち私たちが主の晩さんにあずかるということは、私たちもまたイエスさまに愛されている主の弟子たちであることを確かめる、だいじな時間をお持ちしているということになります。私たちも弟子たちと同じ立場で、イエスさまの晩さんに招かれていて、その晩さんにあずかることができるのです。  しかし、この晩さんの席上、弟子たちは何をしていたのでしょうか? この期に及んで、自分たちの中でだれがいちばん偉いかということを議論していました。イエスさまが御国につくなら、その次の座にはいったいだれが座るのか、それは自分だ、などとでも言い合っていたのでしょうか。そのような議論したことをかつてイエスさまに戒められたというのにです。しかし、そんな弟子たちの姿をご覧になったイエスさまは、その食事の席から立ち上がり、たらいに水を入れ、弟子たちひとりひとりの足を洗いはじめられました。  足を洗うのはしもべの仕事、奴隷の仕事です。つまりイエスさまは、この弟子たちのしもべとして振る舞われたのです。弟子たちはどれほどうろたえたことでしょうか。イエスさまをしもべにしてしまったなんて、なんと申し訳ない! イエスさまに洗っていただくなんて、なんともったいない! 恥ずかしい! でもありがたい! いろいろな思いが弟子たちの間に錯綜したにちがいありません。 さて、このような中にあって、ひとこと多いのはペテロです。ペテロは、弟子のリーダーとしてのプライドを見せようとしたのでしょうか。「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか。」このようなことを言ってうろたえるペテロに、イエスさまはおっしゃいました。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」  ペテロはのちに、イエスさまの十字架を目の前にして激しい挫折を体験しましたが、のちには立ち上がり、イエスさまのしもべとしての生涯を全うしました。ペテロはイエスさまにならう生き方を歩むことで、イエスさまがなぜあのとき、自分のようなもののしもべになってくださったのか、分かったはずです。ペテロもまた、初代教会の羊たちのしもべとして歩むことを選択したのでした。  だが、このときのペテロに、そのような将来の歩みなどわかりませんでした。決して私の足をお洗いにならないでください。ペテロはかつて、ことばで失敗したことがあります。イエスさまが、宗教指導者たちに迫害されて殺されるであろうと予告されたとき、ペテロは、そんなことがあってはなりませんとイエスさまを諌めました。しかしイエスさまはそんなペテロの姿に、十字架を拒むサタンの動きを認められ、下がれ、サタン、と、主の弟子としてはとても聞くに堪えないようなおことばをもってペテロをお叱りになりました。 そしてペテロはここでも、決して私の足をお洗いにならないでください、と、イエスさまのお働きに異議を唱え、それをやめさせようとしました。しかしイエスさまはおっしゃいました。「わたしがあなたを洗わなければ、あなたはわたしと関係ないことになります。」 イエスさまが足を洗わない人はイエスさまとは関係がない。どういうことでしょうか。イエスさまが仕えてくださっている人でなければ、イエスさまとは関係がない、ということです。 それではイエスさまは、どのようにして人に仕えてくださったのでしょうか? 十字架です。まさしく十字架とは、神が人に仕えることでありました。神が人に仕える! そんなことがあっていいものでしょうか? しかし、神の子キリストが十字架につかれたとは、そういうことです。 いったい、天地万物の創造主であり全能者であられる方が、ちっぽけな被造物、それも罪を犯して創造主に反抗した者の罪を赦し、永遠のいのちを与えるために、むごたらしくも十字架の上でいのちをお捨てになる必要があったでしょうか? 仕えることはそういうことです。しかし、イエスさまはあえてそのような人間に仕える者の姿をとられ、実に十字架の死をもって、人の罪を洗いきよめてくださいました。汚れた足を水できれいに洗うように、イエスさまの十字架の血潮は、罪に汚れた人のすべてを洗いきよめます。実に十字架とは、仕えることです。 さてペテロは、イエスさまがペテロを洗わなければイエスさまと自分が何の関係もないとおっしゃったことに心を痛めたのでしょう。ペテロはイエスさまを愛する人であったからです。ペテロは一転して、もし洗ってくださるのなら、足だけではなく、手も、頭も洗ってほしいと、イエスさまに訴えました。 しかしイエスさまは、このようにお答えになりました。10節です。……イエスさまに完全に立ち帰った者は、もはや罪に定められることがありません。しかしそれでも、私たちは日々罪を犯します。罪に汚れてしまうのです。だから私たちは、イエスさまに洗っていただく必要があるのです。それはあたかも、この時代のパレスチナのユダヤ人がそうだったように、サンダル履きで道を歩いて、足がどうしても汚れてしまうから、家に入ったら足を洗う必要があったようなものです。 罪に汚れるのは、いかにもキリスト者としてふさわしくありません。家の中を汚い足で歩き回ってはいけないのと同じです。私たちは日々、主の御前に心を注ぎ出し、悔い改めをなしてゆく必要があります。 しかし私たちは、もともと、どんなに自分の罪を悔い改めたとしても、決して赦されるような者ではありませんでした。ただ、イエスさまが私たちの身代わりに十字架にかかってくださった、その愛を受け入れるとき、私たちは御父への道、永遠へのいのちの道が開かれ、イエスさまとの絶えることのない交わりの中で、日々の歩みの中で犯してしまう罪さえも赦していただける者となるのです。 イエスさまが足を洗ってくださった弟子たちの中には、イスカリオテのユダがいました。ユダは、イエスさまに足を洗っていただいても、心底神さまに立ち帰っていたわけではありませんでした。宗教指導者たちにイエスさまを売り渡したのは、見ようによっては宗教的にとても模範的なことをしたようでも、イエスさまの父なる神さまの御目から見れば、どれほど呪わしいことをしたことでしょうか。そのように、形だけクリスチャンのように振る舞いながら、そのじつ心の中では、イエスさまになど従いたくない、機会があれば教会をこの世の権勢に売り渡そうが知ったことではない、という恐ろしい存在は、残念ながら存在します。 しかし、そういう者の存在を意識させられるとき、「まさか私ではないでしょう?」と心を痛めてイエスさまに立ち帰り、責められる罪があるならば悔い改めることのできる人は幸いです。イエスさまはユダにも、最後まで悔い改めの機会を与えてくださいました。しかし、ひとたびサタンにたましいを売り渡した者に対しては、イエスさまはもはやなすがままにして、十字架への道を歩まれるのみでした。 それでも私たちは、ユダではありません。イエスさまにお従いする弟子たちです。イエスさまは弟子たちに対して、何を求めていらっしゃるのでしょうか。12節から15節をお読みします。……イエスさまがいのちを差し出して私たちに仕えてくださったように、私たちもまた、互いのためにいのちを差し出して仕え合う必要がある、ということです。 ヨハネの手紙第一、3章16節をお読みしましょう。福音書ではなく、手紙のほうです。そう、互いのためにいのちを捨てなさい、と命じられています。続く17節、18節をお読みすれば、16節のみことばの言わんとしていることが明らかになります。 心のこもった行いというものは、自分を差し出す犠牲の伴ったものです。言ってみれば、私たちのいのちをすり減らして愛を実践していることになります。私たちは自分のことしか考えないような自己中心の罪人でした。そのような私たちでしたが、イエスさまの十字架の愛を知りました。イエスさまの十字架の愛を知った今、わが主でいらっしゃるイエスさまの愛の実践にならって、私たちも互いのためにいのちを投げ出す者となれるし、また、いのちを投げ出す者となるべきである……みことばはそう語ります。 まことに、私たちの愛の実践は、イエスさまの十字架を日々どれほど黙想しているかにかかっています。イエスさまの十字架の愛を知れば知るほど、私たちの行いに互いへの愛が実を結んでまいります。イエスさまがどれほど私たちを愛してくださり、仕えてくださったか、その愛にいつでも立ち帰る者となりたいものです。 さて、現在の状況に今日の教えを適用してみますと、どのようになりますでしょうか? 私たちはこのような、互いに会うこともままならないような中にあっては、愛し合うことを実践するのも難しいことのように思えるかもしれません。それならば私たちは、何によって自分たちは結ばれているか、何によって同じキリストのからだなる教会を形づくっているか、あらためて考えてみましょう。 私たちを一つにしているのは、イエスさまへの信仰です。同じイエスさまへの、同じ信仰をいだく者として、私たちはひとつになっています。私たちの好き嫌いでひとつになったりならなかったり、という問題ではありません。私たちを一つにしてくださった、イエスさまのみこころをしっかり考えてまいりたいものです。 イエスさまはどのようにして私たちを愛してくださったか、その愛を深く知るには、イエスさまがひとつからだにしてくださったお互いを愛すること以上のことはありません。愛することとは、仕えることです。 さて、聖徒を愛するには、「愛される」謙遜さも同時に必要になります。仕える人が仕えることを全うするには、「仕えられる」人の存在を必要とします。イエスさまに足を差し出すように、祈ってほしいこと、仕えてほしいことを、ほかの信徒に語ることです。もちろん、その必要を私たちが知るならば、いっしょうけんめい祈り、いっしょうけんめい仕えることです。 今はこのように、礼拝に来ることさえもままならず、そのぶん、とりなしの祈りや、奉仕の機会は多くないことになります。実践の機会そのものがあまりないわけです。しかしここは、ひとつ、へりくだって、私たちの祈ってほしいこと、ほかの兄弟姉妹の奉仕を必要とすることを、この機会に明らかにしてみてはいかがでしょうか。

生きることはキリスト

このご時世……人々は前にもましてますます、新聞やテレビやインターネットから情報を得ようとしたりする一方で、その情報の真偽、良し悪しを、自分の頭で確かめる必要がますます生じています。  私たちは何を信じ従うのでしょうか? 変わらないお方である主とそのみことばを信じお従いします。それでは私たちがみことばに従うことを、このようなご時世にあって、どのように実践することができるでしょうか? 聖書はいろいろなところで、私たちにその生き方をする上での指針を示していますが、今日は特に、ピリピ人への手紙のみことばから学んでまいりたいと思います。  今お読みしたみことばの中で、特に強調したいのは、21節の箇所です。私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。聖書を読みはじめて間もない人がもし、この箇所を読んだとしたら、ちょっと難しさを覚えるかもしれません。しかし、この箇所は、私たちクリスチャンの人生にとって、またとない指針となるみことばです。  まずは、「死ぬことは益です」というみことばの意味を考えてみましょう。パウロはこの手紙を書いたとき、獄中にありました。多くの聖書学者の見解では、ローマの監獄にいたということで、それはそのまま、もはや釈放されることなく、処刑に向かって進むのみということを意味していました。パウロはもちろん、釈放されてピリピ教会の信徒たちに再会することを希望し、またそうなるようにと信徒たちに告白しています。  そのような中でパウロが、死ぬことが益であると語るのは、どのような意味があるでしょうか? 何よりもそれは、23節にあるとおり、世を去ることになるならば、キリストとともにいることになる、ということを意味します。  人がこの世を去るということは、悲しくも寂しいことです。その感情まで否定すべきであると言いたいのではありません。しかし、私たちにとって大事なのは、死ぬということは終わりを意味するのではない、ということです。そればかりではありません。あれほどお目にかかりたいと恋焦がれた、イエスさまにお会いできるということです。  私たちはこの世界を生きながら、実際は天の故郷にいずれ帰ることをたえず意識しながら生きる者です。だから、世の富や欲に執着しているならば、それを捨てることをしていく必要があります。私たちの日常を点検してみましょう。私たちは天国に行く準備ができていますでしょうか? 天国に行く前にやり残していることがあるから気がかりだ、ですとか、天国に行くことよりももっと関心のあることが目の前にある、などとなっていないでしょうか?  ただ、もちろん、このようなことを申しましても、この地上で好きなことを一切すべきではないというわけではありません。私が神学生の頃、私に、趣味を持つべきだとおっしゃった宣教師の先生がいらっしゃいました。もしかすると、教職者が趣味を持つことに対しては、厳しい視線を投げかける方もいらっしゃるかもしれません。しかし私は、教職者が長持ちして働きをするためには、徳を引き下げるものではないかぎり、ふさわしいかたちでの息抜き、休息は必要だと考えます。これは、パウロが教え子のテモテに言ったところの、「少量のぶどう酒」に当たるものだと考えます。 それでも、「少量のぶどう酒」は、どこまでも、主の宮なるからだを立て上げるものであり、そういう意味では、天国と関係あるものであるべきでしょう。私たちにとっての趣味のような快いこと、コーヒーを飲んだりドライブをしたりおいしいお店に行ったりすることも、天の御国を見上げる私たちをこの地上で支えるために必要なことであるのみで、それ以上のものであってはいけません。すなわち、そのような快楽そのものを生きる目的とすることは、私たちクリスチャンにとってふさわしいことではありません。 それでは私たちは、この世に対する執着を一切捨てて、死ぬことを究極の目標とするしかないのでしょうか? いいえ、死ぬこと、すなわち天国に行くことは私たちが積極的に受け入れるべき「結果」でこそあれ、死ぬことそのものを「目的」として、生き急ぐような真似をしてはいけません。なぜでしょうか? それは、24節にあるとおりです。……パウロが「あなたがたのため」と言ったまさにそのこと、それは、キリストのからだなるピリピ教会とその信徒たちが保たれ、成長することです。 初代教会は、質量ともに大きく成長する希望にあふれていた一方で、ユダヤ主義者やローマ帝国といった敵の存在によって、つねに滅亡と隣り合わせという危機に瀕した状態で、宣教と教会形成を続けなければなりませんでした。その中で彼らが保たれるためには、彼らが主とそのみことばにしっかりとどまり、みことばの栄養を得て成長すること、愛においてひとつとなることは必須でした。しかし、何よりも、その群れの霊的責任を担える存在を、どうしても必要としていました。その霊的責任を負う者、それがパウロです。 霊的責任を負う人にその群れの霊的存在の存亡がかかっているということは、旧約聖書でもしばしば見ることができます。サムエル記第二に収録されているエピソードです。イスラエルの統一王国時代、ダビデは息子アブサロムとの戦争に巻き込まれました。そのとき、ダビデ王は自ら戦場に赴こうとしました。しかしダビデ王は兵士たちから、あなたはわたしたちの一万人にあたります、と、必死に引き止められました。いざというときに出て行って責任を取ろうという態度、素晴らしいリーダーシップですが、同時に、そのようなリーダーが守られるように、従うべきことを従い、自分たちも責任を分かち合おうとする態度、これは従う立場の者たちの、いわば「フォロワーシップ」というべきものです。 そのフォロワーシップが充分に育つまで、牧会者は充分に群れに気を配り、その群れの霊的な監督としての責任を果たすために、必要なみことばを語り伝え、とりなして祈る必要があります。もちろん、信徒ひとりひとりが究極的につながるべきはイエスさまであり、それは決して牧会者であってはならないのですが、だからといって、牧会者の責任が免除されるのではありません。むしろ、だからこそ、信徒がイエスさまとしっかりつながり、イエスさまに従うものとなるために、牧会者はますますその責任を全うする必要があることになります。 パウロが、なお生きることを願ったのは、いつか生きてピリピ教会に戻り、再び群れを指導できるようになることを祈ったゆえで、25節、26節を見てみますと、パウロが生きてピリピ教会の信徒に再会することで、ピリピの信徒にとってそれが信仰の前進と喜びとなることが語られています。しかし、結局のところそれはかないませんでした。ならばパウロは、根拠のないことを言って空元気(からげんき)をつけさせようとしたのでしょうか? そうではありません。パウロは、ピリピの信徒たちがパウロに再会するその希望よりさらに高い次元にある、パウロが来ようと来なかろうとピリピ教会の信仰が前進し、喜びが増し加わることを祈っていたと見るべきです。 それでもパウロが、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です、と言ったことは、いろいろな意味を含んでいます。まずそれは、パウロこそが、ピリピ教会に格別の重荷を覚えて祈る人であるゆえ、たとえあなたたちに会えなかろうと、まだまだ死ぬわけにはいかない、ということでもありました。 しかし、それ以上のことがあります。パウロはまだ、のちに新約聖書を完成させる書簡となる、たとえばテモテやテトスへの牧会書簡をまだ書き送っていませんでした。つまり、聖書が完成された形でのちの2000年の教会を霊的に養うためには、パウロはここで死ぬわけにはいかなかったのでした。パウロは、ピリピ教会も含めたすべての教会を霊的に生かすために、いのちが取り去られて天国に行くことを願う一方で、生きつづけることを主に祈り求めたのでした。まことに、パウロがまだ天国に行かないで生きつづけたことは、その後歴史上、世界中に存在した、すべてのキリストのからだなる教会のためでした。パウロの祈りはすべての教会を生かすことにつながりました。 私たちはなぜ生きるのでしょうか? パウロは、はっきりわれわれの生きる理由を語っています。「生きることはキリスト」なのです。キリストが生きるように生きる。私の生きていることは、キリストが生きていることそのものである。みなさん、ここまで言い切れるでしょうか。いや、私は罪人ですから……こんな言い訳は、このことばの前には一切通用しません。 私たちはもちろん、ときには肉の弱さのゆえに罪を犯すものです。しかし私たちは、その罪を犯す自分をほんとうの自分、変わることのない自分だと考えてはなりません。私たちにとってのほんとうの自分自身とは、将来天国にて、キリストに似た者として完全に栄光の姿に変えられる姿であり、その完成された姿に向けて私たちは日々変えられます。ほんとうの自分に、日々近づくのです。間違っても、きよめられていない自分、罪人の自分を、ほんとうの自分だと考えてはなりません。 しかし、私たちがキリストの似姿として日々きよめられるには、条件があります。キリストをわが心のうちに救い主、人生の主として迎え入れ、心の王座に座っていただいてそのご支配をいただくことです。私たちクリスチャンはときに、心の中にキリストを受け入れていることは確実でも、その心の中心にキリストが座ってはおらず、相変わらず心の中心を罪深い自分自身が占めつづける、ということがあるものです。私たちがこうして週に一度礼拝をおささげするのは、そういう自分であることに気づかせていただき、イエスさまのはじめの愛から、どこからどのように離れたか思い出させていただき、悔い改めて初めの行い、すなわち、自分を捨ててイエスさまを信じる信仰に立ち帰らせていただくためです。 悔い改めというと、「悔い」ということばの否定的なイメージに引きずられて、何やらよくないこと、などと誤解したりしてはいないでしょうか? でも悔い改めとは、自分の罪の醜さをまじまじと見つめて、ああ、私ってなんて汚いの、愚か者なの、と、うじうじ落ち込むことでは、ありません。それは「悔い」です。悔い改めはむしろその反対で、そんなうじうじさせる自分の醜さ、汚さから、まことのきよい光そのもののイエスさまへと完全に目を向け、目を離さなくすることです。イエスさまに向けて視線を固定するのです。いざイエスさまに向けて視線を固定してしまえば、もう自分の醜さのようなものを見ることはできなくなります。 まことに、ふさわしい聖徒の生き方とは、悔い改めに次ぐ悔い改めを通して、どんどんキリストの似姿に変えられていくことです。その生き方をともに目指し、キリストが歩まれたように、教会に対して、この世に対して愛と真実の歩みをなす、こうして私たちは、生きることはキリスト、となるのです。 しかしまた、死ぬことも益です。パウロの死は、殉教でした。その死によって、キリストというお方はいのちをかけてまでお従いすべきお方だということが、堂々と証しされたのでした。そして聖徒たちは、自分のためにいのちを捨ててくださったキリストのその十字架を、パウロの殉教を通してどれほど如実に実感したでしょうか。パウロの死は、神の栄光となり、聖徒たちはいよいよ迷わずに教会を立て上げました。そしてその歩みが、こんにちの私たちの歩みへとつながっているのです。 私たちもいつかは天国に行きます。しかしどうか、消極的な理由から天国を希望する者にならないでいただきたいのです。こんな、ウイルスと放射能に冒された世界、愛のない世界に生きていても、何にもならない、生きていても死んだほうがましだ、そんなことを考えて、それで天国行きを望むのでしょうか? しかし、そういう人は、肉体が死ぬことを夢想しようと、益になどなりません。同じ死ぬにしても、肉体が死ぬのではなく、そんな変な価値観を抱えてさまよう自我がキリストとともに十字架につけられて死ぬべきです。そうすれば、復活のキリストがその人のうちに生き、もはやつまらない聖書解釈で生きるのではなく、ほんとうに生き生きと喜びにあふれた、それこそキリストがともに歩まれる信仰生活を送れるようになります。もうそういう人は、けっして、消極的な理由から「死にたい」などと口にすることはなくなるはずです。 私たちが宣べ伝えるキリストは、この世界から人を取り去って天国に入れてくださるお方だといえばそうなのでしょうか、それはキリストというお方のあまりに表面的な領域でしかありません。いま現実に苦しむ人たち、そうです、いま日本はコロナウイルスで苦しんでいますし、震災や台風などの災害からまだ完全に復旧したわけではなく、それで苦しむ人もたくさんいます。経済的に困窮する人もたくさんいます。社会はあちこちがほころんでいます。世界に目を向けたら、さらに悲惨な生活をしている人が大勢います。そのような人々を救い、人々とともに歩み、この世界に神の子なるキリストが愛をもって統べ治めてくださる神の国を立て上げる、キリストはそういうお方ではなかったでしょうか。 そう考えるならば私たちのうちには、自分たちさえ救われればいい、天国に行ければいい、何をしても許される、という考えは生まれてこないはずです。世の光、地の塩として、主がおつくりになった世界に対して、キリストが歩まれた愛の歩みを、いのちあるかぎり力いっぱいなし、いのち果てる日に喜びあふれて天国に凱旋する、そういう歩みに献身したいものです。その歩みにより神の栄光を豊かに現す、そのような私たちとなりますように、主の御名によってお祈りいたします。

つまずかせない教会形成を目指して

聖書箇所;コリント人への手紙第一10:31~33 メッセージ題目;つまずかせない教会形成を目指して 本日のメッセージは、結論から先に申し上げたいと思います。「人のつまずきになってはいけません」、これだけです。それは未信者に対してもですし、私たち教会内部においてもです。 本日の礼拝は、集まれる方で集まりましょう、主の晩さんも執り行わないことにしましょう、と、昨日、一斉メールでお伝えしました。このようなとき、クリスチャンの意見もいろいろだと思います。礼拝そのものを開催すべきでない、実際に日本ではカトリックも含め、そのような教会がいくつも現れているので、現実的に過ぎる判断とはいえません。一方で、このような時こそ信仰を働かせて、ヘブル人への手紙10章25節のみことばを実践して、ともに集まろう、ですとか。それぞれに聖書的な根拠があるので、どれが正解、どれが間違い、とは言い切れません。おそらく、どんな決断を下したとしても、全員を納得させられるだけのことはできないと覚悟すべきなのかもしれません。 しかし、これだけは言えます。何をするにしても、つまずきを与えてはなりません、ということです。もちろん、つまずきが起こるのは避けられません。イエスさまもおっしゃっているとおりです。しかしイエスさまは続けて、このようにもおっしゃいました。つまずきを与える者はわざわいです。自分は信仰があるから何をやっても許される、とばかりに、厚かましく振る舞う人に対して、イエスさまのまなざしはとてもきびしいです。私の今しているこの振る舞いは、もしかすると自己中心的で、だれかをつまずかせるかもしれない、と、慎重になるくらいでちょうどいいのでしょう。 信仰者の特権を人のつまずきの材料としてはなりません。コリント人への手紙第一10章27節から30節をお読みしたいと思います。……私たちは食べたり飲んだりするもので宗教的にけがれて、神さまから、おまえは汚れた、とみなされ、見捨てられることはありません。しかし、この特権を理解しない人というのは、実際は少なくないものです。そういう人がそういう様子を見て、えっ、クリスチャンなのに飲むの? ありえなーい、そんなことを思ったとしたら、どうでしょうか? 悪いのは、特権を理解しない人でしょうか? そうではありません。つまずかせる方です。人をつまずかせることは、宗教的にけがれるのとは違った理由で、神さまのみこころにとてもかなわないことになります。 しかし、そうだとすると、私たちはたとえば食べ物や飲み物のような、自分に許されている自由というものを、どのように理解すべきか、ということになるでしょう。これは、実際に私が見聞きしたケースをお分かち合いするのがいいと思います。ある、お酒が好きな婦人の信徒がいました。彼女の所属する教会はいわゆる福音派で、お酒のことを話題にするのもはばかられる雰囲気でした。教会では言いにくいので、ある日彼女は、個人的に知り合いになった外国人の宣教師に質問しました。「先生、お酒は、飲んでもいいのですか、飲んではいけないのですか?」その先生はこう答えました。「世の中のお酒飲みの人は、飲まない自由というものを持っていません。飲むしかなく、自由がないのです。私たちクリスチャンは、飲む自由もあれば、飲まない自由もあります。」その婦人は目が開かれたようで、その後、あれだけ好きだったお酒を飲まなくなりました。 私たちはお酒を飲んでもいいのです。牛肉や豚肉を食べたってかまいません。しかし私たちは、お肉はともかく、お酒を飲むことは少なくとも「奨励」しません。なぜかといいますと、それは未信者や信仰の弱い人たちに対して、つまずきを生むからです。人によっては私たちクリスチャンに対し、一般の人がなかなか持たないような潔癖さを求めたりします。そういう人たちの前では、私たちは罪人です、赦されていますが罪人です、という言い訳は通用しません。 お酒というものは成人になるまでは口にしてはいけない取り決めの嗜好品であり、そういうものをクリスチャンともあろう者が、後ろめたくもなく楽しむことを、許せない。私たちはそう考える人たちに対し、いやいや、大目に見てくださいよ、などということは絶対にできません。そのように、私たちに宗教的な潔癖さを求める人たちは、私たちの行動を逸脱させない人たちであり、とてもありがたい存在、愛すべき隣人といえます。 教会内においてはどうでしょうか。そういう、人につまずきを与えるか否かというセンスを発揮できる人は、必要です。そのセンスは、このような事態における私たちの行動において、特に必要になります。教会の集まりもそのような次元で、開催の可否や開催方法の判断を迫られます。ヘブル人への手紙10章25節を前提としても、集まることが励ましにならないばかりか、つまずきを生んでは何にもなりません。 大前提として、私たちは信仰を働かせることが求められています。しかし、信仰を働かせるとは、無批判に何でもしてもいい、ということではありません。韓国教会をご覧ください。大型の教会はその多くが、今月の日曜礼拝の開催を見送り、インターネット中継によって家庭礼拝をするようにと促しています。あれほど、日曜礼拝をともに守ることにいのちを懸けていた韓国教会が、そのような決断をしたことは、戒律を守るがごとき宗教行為から自由なクリスチャンの姿の現れだったわけです。 うちの教会もどうすべきか、信徒のみなさまと連絡を取りつつ、本日の礼拝について、祈りつつ考えを巡らしておりましたが、結局のところ、開催し、参加は各自の判断にゆだねる、という結論になりました。それは、つまずきを及ぼすか否か、ということが、最も大きな判断の基準となりました。 もし、信徒たちすべてに出席を促したら促したで、つまずきのもとになるでしょうし、逆にもし、一切集会しないという方針を打ち出したとしても、それはそれでつまずきのもとになったにちがいありません。疫病という非常事態と、ともに集まり礼拝をささげるというその勧めを両方考えるとなると、それは頭の痛い問題です。なぜそれが頭の痛い問題となるかというと、何を選択するにしても、どこかでつまずきのもとが起こりうる、ということだからです。 コロナウイルスが、たとえばインフルエンザほどには正体がわかっていないことが、人々の不安に拍車をかけています。マスクどころか、トイレットペーパーやティッシュペーパーのような紙製品までが売り切れになる事態が、それを物語っています。こういう人たちに囲まれている私たちは、それでも私たちのことを絶対的に守ってくださる神さまに信頼するその信仰を、このときこそ増し加えていただく必要があるものですが、それは無防備であってもよい、ということではありません。 本日は月のはじめの日曜日ですが、主の晩さんは執り行いません。これは一見すると、「わたしを覚えてこれを行いなさい」というイエスさまのご命令に、不従順であるかのように見えるかもしれません。しかし、月のはじめに必ず執り行うというこの教会の取り決めは、いわばこの教会の「文化」であって、そのとおりに守り行うことこそがふさわしいという「聖書的な絶対の根拠」によるものではありません。キリストのからだなる教会には、それこそ韓国教会の大きな教会のように、日曜日の礼拝そのものに集まらないという選択さえも許されているわけで、その根拠が「神さまによって許されていると信じるか」にかかっているわけです。 韓国の大教会は何を恐れたのか、といいますと、感染源になってはならない、自分たちが感染源となることで、社会から糾弾されて証しにならないことをしてはならない、ということです。信仰によってこの疫病を乗り切れるだとか、まるで軍隊やむかしの体育会系のような精神論と信仰を履き違えたような判断をしなかったわけです。 ただし、日曜礼拝を含め、集まりを持つことそのものの可否ということは、ケース・バイ・ケースでしょう。礼拝に集う人数や密度、教会に行く場合の交通手段、教会の所在地やその地域の取り組みによっても、判断が異なります。茨城県はまだ、感染が確認された患者は現れていませんし、この教会のある茨城町の教育委員会も、学校の授業は今週金曜日まで行うことを発表しています。そういうことからもうちの教会は、本日は礼拝そのものの開催はするという判断となりました。 それでも、主の晩さんは執り行いません。仮にの話です。仮に、だれかが感染したとします。それはもしかすると、主の晩さんではなく、別の理由からだったとしましょう。実際、主の晩さんで感染するリスクは高くない、もしそれで感染者が教会に現れたとすれば別の理由でだろう、とおっしゃる牧師先生もおられます。 しかし、主の晩さんは自分で用意するものではない、口に入るものです。愛さんを用意しないならば、主の晩さんも用意すべきではないということになります。もし、それでも規則だからと、主の晩さんを行うならば、それを教会が提供するとは、このご時世に何事か、とお思いになる方は、もちろんいらっしゃるわけです。すでにいくつもの教会が、礼拝はささげても主の晩さんは当分の間執り行わない、という方針を打ち出しています。 それはおそらく、感染のリスクそのものよりも、信徒たちが不安な中でわざわざ主の晩さんを形式的に執り行うことに意味はない、ということを考えてのことだと思います。ほんの少しでも不安を覚える中で、果たして、主の晩さんの恵みを味わえるものでしょうか。 それでは、なぜ私たちは人をつまずかせてはいけないのか、「なぜ」を問いましょう。神さまのみこころははっきりしている、そのみこころに従えない人の方が悪い、つまずいたなどと、教会や牧師や信徒のせいにされても困る、そんな意見をなぜ言ってはいけないのでしょうか? これは、ローマ人への手紙14章、13節から23節をお読みしましょう。……特に注目すべきは、15節のみことばです。人とは何者でしょう? キリストが身代わりに死んでくださったほど、尊い存在です。それほどに尊い存在なのに、私たちはいとも簡単に、弱いなどといってさばいたり、罪に定めたりするのです。 主の兄弟ヤコブはその手紙、4章12節にて言います。隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか。私たちもまた、キリストが身代わりに死んでくださらなければならなかったほどの、あまりにひどい罪人でした。その立場を考えもせず、人をさばき、人をつまずかせて平気な、自己中心的な存在です。私たちはその、自分の罪に気づかせていただかなければなりません。 ともかくも、人はキリストが身代わりに死んでくださったほど尊い存在です。しかし、人のためにキリストが身代わりに死んでくださったということを、だれが伝えるのでしょうか? 教会とそこに連なるクリスチャンしか伝えられません。 それなのに、教会ならびにクリスチャンが、その救われているという特権意識にあぐらをかいて、平気で人をつまずかせているならば、しかもそんな自分を正当化するならば、それは世の中から糾弾されるどころではありません、キリストの贖いをむだにすることになります。神さまはそんな私たちのことをどうご覧になるでしょうか? どれほど恐ろしいことでしょうか。 つまずきが起こるのは避けられなくても、つまずきを起こす者はわざわいであるというイエスさまのみことばに、あらためて耳を傾けましょう。私たちは何をしても守られるという信仰を働かせるのはまことに結構なのですが、それがだれかのつまずきとなってはなりません。そうなってしまうならば、一見すると信仰から出ているように思える行動も、信仰から出ているとは言えなくなります。私たちのうちのだれかがこれ以上信仰を働かせられない、つまりはつまずいてしまっていることを放っておくならば、それは信仰によって進むべき教会という共同体のあり方として、とてもふさわしくないということになります。 このときこそ私たちは信仰を働かせる必要がありますが、その信仰は、ふさわしいかたちで働かせるべきものです。最後に、コリント人への手紙第一10章に戻り、31節のみことばをお読みしましょう。……何によって神の栄光が顕れるのでしょうか? 人々をつまずかせる行動が正当化されず、みなが平安の中でキリストに従うことを通してです。人をつまずかせない歩みを心がけ、神の栄光を豊かに現す、そのような教会形成に献身する私たちとなりますように、主の御名によって祝福してお祈りいたします。

ハガルの回復

聖書箇所;創世記16:1~16 メッセージ題目;ハガルの回復  今日の箇所は、ハガルという人物が主人公の役割をしています。今日は、ハガルという人物を中心に、私たちの持つべき信仰のあり方を学んでまいりたいと思います。  ハガルとはどのような人物だったのでしょうか? エジプト人の女性の奴隷でした。アブラムがエジプトに下ったとき、ファラオにサライを召し入れさせたことがきっかけになって、多くの財産とともに奴隷たちも手にすることができたのですが、ハガルはそのときにアブラム一家の手に渡った人物と推定されます。生まれつき奴隷の家系に生まれたうえ、エジプトを離れて、流浪の生活をするアブラムの一家と生活をともにしました。  ハガルは、サライのもとで身を低くして仕えていました。サライはハガルに対し、絶大な権限を持っていました。そんなサライはある日、このようなことを夫のアブラムに言いました。2節です。  ……サライのこのことばは、いろいろな意味で問題を含んでいました。まずサライは、アブラムに与えられた主のご計画、子どもを星のように生まれさせてくださるという約束を聞いていて、その約束を信じ受け入れてはいたようです。しかし、その約束がいかにしてかなうかということに対し、全能なる神さまがそのみわざにより事を行なってくださるということを信じ、忍耐することができませんでした。サライは、全能なる主のみこころよりも、事実、子どもが産めないでいるという現実のほうを大事に思いました。  そして、自分のしもべをアブラムに与えました。それは、主の約束されたとおりの子孫を残すためという大義名分がありましたが、ハガルはもちろん断ることができません。主人と奴隷という地位を利用して、人に対してふさわしくない行動をしたのでした。  そして何よりも、アブラムにやはりふさわしくない形での性的関係を持たせたことです。 たしかに、自分の女奴隷に主人の子どもを産ませれば、それは主人の子どもとして認知させることになりますし、妻としても生まれた子どもを自分の子どもともすることができます。のちにヤコブもそのようにして子どもをもうけたケースが聖書に記録されており、この時代にはしばしば見られた風習だったようです。しかしそれでも、アブラムに与えたのは、明らかに子どもをもうけられそうな、若くて健康な女性です。サライの心中は穏やかではなかったはずです。  こういうことが起こる背景には、神さまから与えられたビジョンというものを信仰によって受け取る以前に、人間的な意識で受け止め、人間的なプロセスでかなえようという誘惑にさらされる、プレッシャーが存在したであろうことが推測されます。アブラムは神さまの臨在にふれ、いよいよ子孫が生まれることが明らかになった。しかしそうなると、サライがこの年齢になって子どもが産めていないという現実とのせめぎ合いになります。そうなると、神さまのビジョンをかなえるために、人間的な方法に頼るという、あってはならないことが起こるようになります。  ここに、私たち人間に知恵が要求されます。私たちはいかにして、神さまのビジョンがかなうように用いていただくのでしょうか? そのために必要なことは、「神さまの時を待つ」ことです。もし、教会やその指導者に与えられたというビジョンがほんとうに神さまのみこころにかなうものであるならば、神さまは必ず、そのビジョンをかなえてくださいます。しかし、そのビジョンはみこころだから必ずかなわなければいけないとばかりに、教会を人間的に努力させるならば、必ず破綻します。  ともかく、サライはこのように、神さまのビジョンがかなうために現実的な方法を選択してしまいましたが、それはアブラムも同じでした。アブラムがほんとうに信仰を貫徹させたならば、サライの申し出を断ることもできたはずです。しかしアブラムは、サライの言うなりになってしまいました。  ここで、ハガルの気持ちを考えてみましょう。ハガルにとってサライは、どこまでも服従すべき存在でした。それは奴隷という立場にあるからです。しかしハガルはみごもりました。これはどういうことを意味しているでしょうか? ハガルがサライになり代わり、アブラムの跡継ぎを産む、つまりは星のごとく増やされる約束の子どもたちの母となることを意味していました。少なくとも、この時点ではそう思われていました。  しかし、ハガルがそのような立場になれたのは、第一に、本来はその立場になかったのに、アブラムが召し入れてくれたため、そして第二に、そうなるようにサライがアブラムに召し入れさせてくれたためでした。それなのにハガルは、主人サライを軽く見るようになりました。もう、主人として接さなくなったということです。もしかするとハガルはサライに対し、アブラムの跡継ぎをみごもった以上、あなたではなく私こそが正妻であるというような態度さえ示したかもしれません。  耐えられなくなったのはサライです。それはそうでしょう。このようなことになったのは、もとはと言えば自分がけしかけたことに始まるからです。しかし、サライはこのようなことを言いました。5節です。……サライは、自分がこのように悲惨になったことを、アブラムのせいにしました。実際、新改訳聖書の以前の訳では、「あなたのせいです」と訳しています。まるで、アブラムがハガルをみごもらせたことが、本来アブラムの正妻として保障されるべき自分の立場を脅かしたかのように、サライは抗議しています。サライはまた、主が私とあなたの間をおさばきくださいますように、と言っていますが、これは一見すると主のご主権に委ねているようでも、実際には、怒りに駆られて発したことばです。神さまの御目から見ても、私は間違っていない、間違っているのはあなただ、と言っているわけです。  しかしアブラムは、ここでサライのことばに折れました。それは、アブラムにとって正妻なのは、ハガルではなくサライなのだということを、はっきりさせるためでした。それでサライは、ハガルを苦しめたとあります。これは、アブラムの権威の後ろ盾があった上での、サライによるパワー・ハラスメントです。  ハガルはこのとき、あらためて自分の立場が正妻ではなく、しもべの立場であることを思い知ったことでしょう。しかし、サライのパワハラは苛烈を極めました。ハガルはついにアブラムのもとを逃げ出しました。  しかし、ここで私たちは、このような状況の中でもなお逆転のみわざを行なってくださる、神さまのみこころにこそ目を留める必要があります。主の使いがハガルに現れ、声をかけました。「あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」ハガルは、どこから来たと答えましたか。「私の女主人サライのもとから逃げているのです。」サライはここで、自分にとって主人はやはりサライであることを告白しています。本来ならば自分はサライのもとにいるべきだが、訳(わけ)あってサライのもとから逃げ出さなければならなかったということもまた告白しています。  そんなハガルは、どこへ行くかと問われて、何と答えようとしたのでしょうか。その問いに「私の女主人サライのもとから逃げた」と語ったのは、やはり自分の行くべき場所は、サライのもとであることを、心のどこかでわかっていたからではないでしょうか。ハガルのその答えに、主の使いは語りかけました。9節です。……そのように、本来いるべき場所で身を低くして生きることにより、主への従順を実践しなさい、ということでした。  もしかすると、こんにちの人権という観点を一方的に適用すると、主の使いの語ったこのことばは、理不尽に思えるかもしれません。奴隷として身を低くして生きることを、神さまのみこころとして聖書は推奨しているのか! ですとか。しかし、そうではないのです。まず、ハガルは守られる必要がありました。それは同時に、ハガルの胎内にいるアブラムの子どもが守られるということでもありました。荒野に妊婦がひとりいるということは、どれほど大変なことでしょうか。そして、もしその過酷な状況のせいで流産でもしたら、その責任をアブラムも、サライも負うことになります。しかし神さまはそういうことのないように、ハガルをいちばん安全な場所、アブラムのもとに遣わされました。そのことによりアブラムの子どももまた守られることになりました。 そして、ハガルをみごもらせてくださった神さまには、失敗というものはありません。11節、12節をお読みしましょう。……イシュマエル、という名前は、神は聞く、という意味です。神さまは人間の意識や感情と関係なく、一方的にお語りになったり、みわざを行われたり、というお方ではありません。現実に苦しんでいる人、つらい思いをしている人のその嘆き、うめきを聞いてくださり、ふさわしくみわざを行なってくださるお方です。たしかに、ハガルとイシュマエルから生まれた子どもたちは、神の民として選ばれるというその約束を、受け取れない民であったかもしれません。 しかし、神さまはこのイシュマエルの子孫も数えきれないほど増し加えると約束してくださいました。神さまはこのようにして、アブラムの不信仰と不従順ゆえの失敗さえも益にしてくださいました。ハガルは、主の使いのこの語りかけに、力を得ました。13節をご覧ください。ハガルは神さまに向かって、あなたさまはエル・ロイです、ご覧になる神さまでいらっしゃいます、と呼びかけています。イシュマエルという名前をつけることで、主は聞かれると告白し、さらにエル・ロイと呼びかけることで、主はご覧になると告白する、ハガルはなんと、このような逆境の中にあって、祈りを聴かれ、自分の全存在をご覧になってくださる神さまを体験したのでした。それがどれほど彼女の人生に大きな影響を及ぼす体験だったかは、その出会いを体験した井戸に「べエル・ラハイ・ロイ」、生きて私を見てくださる方の井戸、と名づけたことからも明らかです。 これで、ハガルは恐れることはなくなりました。このようにお交わりを持ってくださった神さまのみこころが、サライのもとに戻って仕えることであると受け取ったハガルは、サライとアブラムのもとに戻りました。そして、ハガルは男の子を産み、アブラムはその子に、神さまがハガルに示されたとおりの名前、イシュマエルと名づけました。この時すでにアブラムは86歳、充分に奇蹟といえる出産でした。 ハガルは、主のビジョンを人間的な方法で実現させようとした人たちの中にあって、犠牲の羊のような役割を強いられた女性でした。人間的に見れば少なくともそうです。アブラムにとっては奇蹟のようだった、男の子を宿すという特権を得たにもかかわらず、妻として振る舞うことが一切許されず、挙句の果てに荒野へと逃げだすという……しかしハガルは、神さまが祈りを聞いてくださるお方であることを体験しました。神さまが自分の全存在を見てくださるお方であることを体験しました。何よりも、神さまご自身を体験しました。強い権力に任せて、「主がおさばきになりますように」と口走ったようなサライよりも、よほどよく神さまを体験していたのでした。 私たちは、祈りが聞かれていると信じていますでしょうか? 神さまが自分のことを見てくださっている、顧みてくださっていると信じていますでしょうか? そのような信仰は、もしかすると、生活が安定しているときにはなかなか生まれてこないものかもしれません。あるいは、仮に自分がよくない状況に陥っていたとして、それを神さまや周りのせいにしていたら、なかなか信じられないかもしれません。しかし、そのような私たちのことを、なお神さまは見つめてくださっていますし、私たちの祈りを待っていらっしゃいます。 一方で私たちは、祈りがかなえていただくまで、忍耐して待つことも時には必要になるでしょう。自分にはビジョンが与えられていると思っていても、そのビジョンがかなうことがほんとうに神さまのみこころであることを教会のみなが信仰によって受け止めるまで、時にはそれ相応の時間がかかることも有り得ます。 私たちは失敗もします。その失敗のせいで、私たちこそが、傷を受けた人となることも有り得ます。そのようなとき、私たちは神さまから逃げ出したくなるかもしれません。しかし、そのような私たちの祈りを聴いてくださり、私たちの全存在に目を留めてくださる神さまを、そのときこそ体験し、神さまとの交わりをそのような危機的な状況にあるときこそ結び直す私たちとなるように、祈ってまいりたいと思います。

主が結ばれた契約

聖書箇所;創世記15:1~21 メッセージ題目;主が結ばれた契約  信仰は私たちの目から見れば、からし種のように、あるかないかわからないほど小さなものかもしれません。けれども神さまの御目には、大きく育てようとのみこころが注がれているものです。私たちは自分の小ささではなく、神さまのみこころにこそ目を留めてまいりたいものです。   さて、今年に入ってから私たちは、アブラム、アブラハムをモデルにして、信仰というものについて学んでいます。信仰によって歩むことを志す私たちにとって、アブラハムは素晴らしいモデルです。本日の箇所は特に、神さまがアブラムと契約を結ばれるという、だいじな内容を扱っています。ともに見てまいりたいと思います。 アブラムは、戦争を通してロトを助け出したそのできごとのあと、神さまの御声を聞きます。――アブラムよ、恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたへの報いは非常に大きい。―― アブラムは、御声を聞く人でした。それは神さまが特別にアブラムをお選びになり、使命を与えられた証拠でもあります。この地上に普通に生きている人は、創造主の御声を聞かなかろうと、普通に生きています。しかし神の人、信仰の人は、御声によって生きるべく召されています。これが世の人とのちがいです。 しかし、2節をご覧ください。……アブラムはみことばに唯々諾々と従ってはいませんでした。現実がありました。もう、子どもをもうけることもできないほど高齢になった。そればかりか、自分自身がもう死にそうになっている。それでも神さまが跡継ぎを備えていらっしゃるというならば、それは子どもではない以上、家のしもべであるにちがいない。跡継ぎとなるのは、ダマスコのエリエゼルなのでしょうか、と、神さまに問うています。 しかし神さまはアブラムに、みことばをもって正確な導きをくださいました。4節です。……神さまのみこころはあくまで、アブラムから生まれる者が跡を継ぐ、ということです。より正確に言えば、アブラムがその妻であるサライとの間に男の子をもうけ、その子が跡を継ぐ、ということです。 しかしもう、ここまでになると、人間業ではどこまでも不可能です。アブラムはもう、子どもをもうけるどころか、死にそうな年齢になっていますし、サラももともと不妊の体質だったところに持ってきて、年齢まで行ってしまっています。さらに、もし万が一それで妊娠ができたとして、生まれてくる子どもが子孫をなせる男の子だということは、もはや神さまのご介入なしには決して可能なことではありません。 主はアブラムに、そのようなことをも信じ受け入れよと迫られ、さらにアブラムを天幕の外、いちめん星の埋めつくす夜空の下にアブラムを連れ出されました。5節です。……私は以前神学生のとき、奉仕教会だったサラン教会において、ホン・ジョンギ先生という副牧師の先生のもとで弟子訓練を受けておりました。そのコースの中でホン先生は、アブラハムの歩みについて、一言で総括していらっしゃり、それを折にふれておっしゃっていたものでした。それは、「アブラハムの歩みは、神さまに説得される歩みだった」ということです。 全能の創造主であるわたしがあなたを選んだのだよ。わたしにはできないことは何もないことを、信じてみなさい。この満天の星を創造したわたしに、できないことがあると思うか? このわたしがあなたを選び、あなたから、わたしの民族を生まれさせるのだよ――。 みなさんは、夜空を埋めつくす星をご覧になったことがあると思います。あれを見ていると、被造物である私たちのちっぽけさ、それでもそのようなものに特別に目を留めてくださっている神さまの偉大さを思うものです。星のひとつひとつよりもはるかに値打ちのあるひとりひとりを、この私を通して生まれさせてくださるのか……! 圧倒される思いだったことでしょう。 そしてついに、6節です。アブラムは主を信じました。そしてご覧ください。このように、主のみことばをみこころを信じ受け入れたことを、神さまは義としてくださったのです。すなわち、みこころにかなった正しいことと認めてくださったのです。私たちが神さまによって正しい者、みこころにかなった者と認めていただくのは、ただ信仰によることです。神さまへの献身とか、従順とかいったことは行いの領域であり、これらはすべて「信仰」のあとについてくることです。 アブラムもこのようにして、信仰をもって神さまの自分に対するみこころを受け入れました。けれどものちの日に、その信仰を働かせないで、妻のサライではなくハガルとの間にイシュマエルをもうけるという不従順へと走り、その結果たいへんに苦しむことになりました。しかし、それだからといって、神さまはアブラムのことを不信仰だとさばき、祝福の源としての権限を取り上げられたのでしょうか? 決してそんなことはありません。アブラムの側が不信仰、そして不従順に陥ろうとも、ひとたび神さまを信じたアブラムを、神さまは決してお忘れにならず、またお見捨てにならなかったのでした。 私たちにしてもそうです。不信仰、不従順になるときはあります。自分でもよくないとわかっていながら、そうなってしまうことのなんと多いものでしょう。しかしここは、神さまがそのような私たちの信仰を認めてくださり、それゆえに正しい者と認めてくださる、神さまのその真実さにこそ目を留めるべきではないでしょうか。私たちは不確かでも、神さまの真実は変わることがありません。 神さまはそのようにして、アブラムを義と認めてくださいました。そして神さまはアブラムに、何と語ってくださいましたでしょうか? 7節です。神さまはご自身のことを、なんと紹介していらっしゃいますでしょうか? アブラムを召したお方、アブラムを導かれたお方、そして、アブラムに約束の地を与えてくださるお方として、ご自身のことを紹介していらっしゃいます。神さまとは、そういうお方なのです。 しかしアブラムは、神さまご自身がそのように示してくださっても、なお充分に信じることができませんでした。8節です。アブラムは確かにみことばを信じてはいましたが、盲信するように、無批判に思考停止していたわけではありませんでした。まだこの時点で疑問がありました。しかし、充分に信じられなければ、何度でも神さまにお伺いしました。この姿勢はとても大事です。 さて、アブラムがそのように食い下がると、神さまはまたもアブラムを目に見える形で説得されました。9節です。家畜は真っ二つに切り裂かれました。契約が結ばれるために生けるものの血が流されたのです。神さまと御民の間に、いのちが仲立ちとなりました。また、このようにして真っ二つにいのちあるものが切り裂かれるということは、この契約を守らなかったならば、守らなかった者は真っ二つにされるという意味が込められています。神さまはご自身の真実さにかけて、このようにアブラム、そしてのちの子孫と契約を結ばれたのでした。アブラムにしても、このような形で神さまと契約を交わすことには、相当な覚悟が必要だったことでしょう。 しかし、天からの炎はまだ降りてきません。アブラムはその炎を今か今かと待ち望んでいました。しかし、そのとき降りてきたのは天からの炎ではなく、肉食の猛禽でした。神さまにささげるべきいけにえを狙って降りてくるわけです。アブラムは果敢に体を張って追い払いました。信仰の人のこの姿勢は、私たちも見習うべきでしょう。この世には、神さまに対して私たちがおささげするものを、当然のように狙う勢力が一定数存在します。私たちが献金としてとっておこうとするお金や、礼拝のために用いようとする時間を、当然のように奪い取ろうとする勢力、礼拝よりもこの世のことを優先させようと私たちに迫ってくる勢力……私たちがこのような勢力に勝つのは容易なことではありませんが、少なくともアブラムの、恐ろしい猛禽から必死に契約のいけにえを守る姿を思い、私たちも神さまの救いの恵みに少しでもお応えする者として、できるかぎりのことができるように、祈ってまいりたいものです。 しかし、心は燃えていても肉体は弱いものです。日が沈むにしたがって、とうとうアブラムは眠くなりました。そのとき、彼には大いなる暗闇の恐怖が襲いかかり、主の御声を聞きました。13節から16節です。 ……なんと、はるかあとの時代の預言が臨みました。イスラエルの民がはるかの地にエジプトの地で400年にわたって寄留者となり、奴隷として苦しむ。それはなんと受け入れがたい未来予測でしょうか。「しかし」、このことばが大事です、主がこの国エジプトをさばき、イスラエルに出エジプトを果たせられる、のちの日にはその民がこの地カナンに戻ってくる……このことも同時に語られました。 私たちはここで、神さまは愛する民に苦難を与えられる、そしてあえて沈黙を守られるお方である、ということを学ばせられます。神さまはもちろん、御自身の愛する民に祝福を与えられるお方ですが、その祝福はときに、人間の側で思い描いているような祝福と異なる場合があります。気持ちよさや平安、かっこよさといったものと対極な、できれば避けたいようなことが、神さまのお許しの中で行われることがあると、私たちは心に留める必要があります。 しかし、そのような厳しい思いを私たちにさせられようとも、神さまは変わらず、愛なるお方です。私たちがつらい思いをしていれば、その状況を許しておられる神さまは愛がないなどと、そんなことを考えてはなりません。ただ、そのような状況で神さまの愛を見いだすのは、とても難しいことです。苦しいことです。しかしそのことによって、人は自分の弱さを認め、神さまに拠り頼むようになり、世的な祝福に左右されない強靭な信仰を持つようになるのではないでしょうか。そうだとすると、これこそ祝福というべきです。 それでもその祝福に気づかせていただくまで、多くの苦しみを体験しますし、もしかしたらたくさんの涙を流すかもしれません。そんな私たちであると知るならば、ほかの兄弟姉妹に寄り添ってもらうことも必要になりますし、また、ほかの兄弟姉妹に寄り添えるように成長させてもらえるでしょう。こうして、私たちはキリストの愛をその身に備える者とならせていただくのです。 アブラムは、子孫の受ける苦難を見ました。しかしその末に、子孫が大きな祝福を受けるのを見ました。その苦難の長さが400年ということは、人の一生よりはるかに長いですし、何代にもわたって苦難を体験するということも意味します。私たちももしかすると、この世では信仰のために犠牲にした分の気持ちよさなど、満足のいく形で体験できないかもしれません。しかし、私たちのほんとうの満足は、この世の終わりのあとで用意されている天国にて永遠に味わうものです。この世においてはその永遠に備えて、種蒔きに労するのみであるかもしれませんが、神さまの待っておられる未来を思うならば、その労苦はきっと報われるという信仰が生まれ、日々の歩みに力を得られるのではないでしょうか。 そしてすっかり暗くなったとき、神さまがアブラムと契約を結ばれたしるしとして、煙の立つかまどと、燃えるたいまつが、切り裂かれたいけにえの間に通り過ぎました。神さまの臨在が火をもって現れることは旧新約問わず聖書によく登場しますが、ここでも神さまは火をもって臨在されたのでした。そして神さまはアブラムと、目下10の部族の住む広大な地を子孫に与えられることを約束してくださいました。 信仰というものは、人間的な積極的思考と似ているようで、その内容は大きく異なります。最大のちがいは、信仰によって実現することを願う神さまのみこころは、しばしば人間的な祝福、繁栄であったり、安楽であったり、そういったものがかなうこととはかぎらない、ということです。しかし、私たちはそれでがっかりする必要はありません。アブラムがこの地上で神さまの臨在にふれる、至上の祝福を手にすることができたように、私たちはみことばをお読みすることで、そしてイエスさまの御名によってお祈りすることで、神さまが私たちに与えてくださっているそのみこころを知ることができる、そういう者としていただいた祝福をいただいています。 この世のいかなる祝福や成功も色あせるほどの祝福です。この世の成功者のいったいどれだけの人が、そのまことの創造主である神さまと交わることができているでしょうか? その手にしている富が神さまからの祝福であることを受け止め、神さまに感謝の祈りをささげているでしょうか? しかるに私たちはそれができているということは、これはアブラハムにも匹敵する大いなる祝福です。 私たちは不信仰に陥ることもあるかもしれません。私たちは厳しい体験をするかもしれません。しかしそのようなとき、いけにえを切り裂いて血を流すように、イエスさまを十字架につけてくださり、十字架の上で血潮を流すことによって私たちと永遠の契約を結んでくださった、神さまのみこころ、私たちを神の民としてくださった事実に目を留める者となりたいものです。

「神への従順」対「世への従順

聖書箇所;創世記14:1~24 メッセージ題目;「神への従順」対「世への従順」  私が韓国で神学の勉強を始めるまでの間、献金というものについてそれほどちゃんとした考えを持っていませんでした。そのような中、神学校の寄宿舎で同じ部屋になった関西出身の方と、ある日話題がたまたま献金のことになったとき、その方が「什一献金はささげなあかんもんや。什一献金は、いのちや」とおっしゃったことに、びくっ、としたものでした。それ以来、どの韓国教会においても普通に行なっている「什一献金」というものを、自分も実践することにしたのでした。  みなさんは以前から、月定献金という形で収入の一部を定期的にささげることを実践してこられたわけですから、今日のメッセージは献金の奨励として行うわけではありません。今日のメッセージのタイトルは、「『神への従順』対『世への従順』」とつけさせていただきました。アブラムにとっての神との関係、そしてそれに対照的な世との関係がいかなるものであったかを見ることにより、私たちの働かせるべき信仰のあり方を考えてまいりたいと思います。  先々週も学びましたとおり、ロトは一見すると得をする選択をして、ヨルダンの低地、ソドムへと引っ越しました。しかし聖書の評価に従うと、ソドムの人々は邪悪で、主に対してはなはだしく罪深い者たちであった、ということでした。ソドムは、都市そのものがひとつの王国をなすものであり、その都市全体、国全体が極めてひどい状態にあったというわけです。それゆえ神さまは、このソドムをことごとく、天の火をもって滅ぼされました。  このソドムの王ベラはもともと、エラムという国のケドルラオメル王に仕えていました。ケドルラオメルは勢力があり、ソドムの王のほかにも、やはり天の火によって滅ぼされたゴモラの王、アデマの王、ツェボイムの王、ベラの王を12年にわたって支配下に置いていました。しかし彼らは翌年、ケドルラオメル王に謀反を起こし、その支配から脱することを企てました。  これに対しケドルラオメル王は、シンアル(シュメール)、エラサル、ゴイムのそれぞれの王と連合軍を組織し、彼ら5人の王の連合軍との戦争を始めました。この連合軍は彼らと戦闘を繰り広げることになる戦場に至るまで、レファイム人、ズジム人、エミム人、フリ人、アマレク人、アモリ人と、片っ端から諸民族を打ち破りながら進んできました。非常に強い軍隊だったことが窺い知れます。  そして、シディムの谷で戦争が繰り広げられたとき、ケドルラオメルの軍のほうが優勢になり、ソドムの王とゴモラの王はアスファルトの穴に落ちて出られなくなりました。その間にケドルラオメルの連合軍は、ソドムとゴモラから財産や食料を略奪しました。それだけではありません。ソドムにはロトが住んでいましたが、ロトは拉致され、その豊かな財産もろとも奪われました。自分のために豊かな土地を選んだ近視眼的な選択が、このような悲惨な結果を生んでしまったのでした。  さて、この知らせはアブラムに届きました。アブラムはかつて、配下の者たちがロトの群れと争いを起こしたことに対し、それはよくないので別々の道を行こうと提案したわけで、もはやロトとともに歩まず、カナンの地を切り開く立場にありました。そんなアブラムは、甥の窮乏を見ても黙っていられたでしょうか? そんなことはなかったのです。あの愚かな選択の責任をロトに取らせて自分は知らん顔とはならず、自分のところで育てた318人の屈強な者たちを伴って、ケドルラオメルの連合軍に戦いを挑んだのでした。  これは、私たちのモデルと言うことができるでしょう。私たちの信仰生活というものは、自分だけが祝福されて終わり、というものであってはならないはずです。兄弟姉妹の窮乏を見て、私たちは心が動かないでいるでしょうか? ヤコブの手紙2章14節から17節には、このようなことばがあります。――私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。  私たちはもちろん、よい行いを積み重ねることで天国行きの切符を手にするわけではありません。そんなことは不可能なことです。しかしそれなら、よい行いは必要ないかというと、決してそんなことはありません。私たちは「救われるために」よい行いをするのではなく、「救われているから」よい行いをするのです。この違いは、ご理解いただけると思います。私たちのことを救ってくださったイエスさまのそのみこころに従おうと、少しでも隣人、兄弟に愛を施そうとなってしかるべきではないでしょうか? もちろん、なかなか難しいことではありますが、ここはひとつ、ロトのために一肌脱いだアブラムを模範としてまいりたいと思います。  結局、アブラムはケドルラオメルの連合軍を打ち破りました。そして拉致されていたロトをはじめ、奪われた人々や財産を取り戻しました。しかし、この戦争は侵略のための戦争ではありません。ロトを救いたい、ただそれが強い動機となって行なったものでした。ロトのたましいが救われるために、多くの血が流されたのでした。  ロトの姿を考えてみましょう。これはもしかすると、私たちの姿ではなかったでしょうか? 私たちは神さまのみこころを知りながら、それに知らんふりをして自分勝手な道を行きます。そのために迷います。わざわいにも遭います。損害も被ります。しかし、そのような私たちであることを主はすべてご存知で、そんな私たちであっても決して見捨てず、助けてくださいます。あの自分勝手なロトが救われるために多くの血が流されたように、私たちが救われるために、なによりも尊い、イエスさまの血潮が流されたのです。このことを私たちはどれほど感謝しているでしょうか? 感謝することにも鈍感なのが私たちです。しかし、それにもかかわらず、主はなおも私たちを愛してくださいます。わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりとし、国民をあなたのいのちの代わりとする。……イザヤ書43章4節のみことばにあるとおりです。私たちはどれほど愛されているか? 神の子なるイエスさまのいのちが代わりとなるほどです。この罪人をそれほどまでに愛してくださった神さまの愛を思う者となりたいものです。  さて、今日特にお話ししたい内容は、ここからです。アブラハムが戦争という一大イベントを終えてから、「神との関係」また「世との関係」をいかに持ったか、ともに見ることによって、私たちはどのように信仰を働かせる必要があるかを見てみたいと思います。  戦争を終えたアブラムを、2人の王が出迎えました。ひとりはソドムの王ベラです。彼は戦いの中で戦場に点在するアスファルトの穴に落ち込み、その間に人々や財産が敵に奪われるという踏んだり蹴ったりの状態に陥りましたが、そこから救われ、自分のいのちも助かり、財産も回復しました。そんな彼がアブラハムにどんな態度を取ったかは、のちほど見てみましょう。  もうひとりはサレムの王メルキゼデクです。メルキゼデクはパンとぶどう酒でアブラムを迎え、アブラムはすべてのものの十分の一を彼に与えました。アブラムがこのようにメルキゼデクに祝福され、アブラムがメルキゼデクに十分の一を与えたことは、聖書を貫くメシアなるイエスさまの到来を語るメッセージに鑑みると、きわめて重要な意味を持っています。このメルキゼデクについては聖書は多くを語りませんが、その存在は詩篇110篇、そしてヘブル人への手紙の5章と7章に語られています。 詩篇110篇は、ダビデ王に向けた主のみこころを語る詩です。その中の4節のみことばに、このようにあります。――主は誓われた。思い直されることはない。「あなたは メルキゼデクの例に倣い とこしえに祭司である。」つまり、ダビデが王であるのと同時に祭司であることを、神さまご自身が変わらない誓いをもって定められたということです。 この事実は、ダビデの子孫としてこの地にイエスさまが来られたことによって成就しました。ヘブル人への手紙7章は、この詩篇110篇4節のみことばがイエスさまにおいて成就したことを語っています。おうちに帰ったら、ぜひヘブル人への手紙7章をお読みいただけたらと思いますが、このみことばをお読みすると、律法によって立てられた祭司よりも、朽ちることのないいのちの力によって立てられた祭司が優先することが語られています。 律法において祭司としてレビ族が立てられるはるか以前、そのレビの先祖にあたるアブラム、アブラハムが、信仰をもってメルキゼデクを祭司として認め、その信仰告白として十分の一を与えている以上、レビ族を祭司として立てた律法を守り行うことによって人は義と認められるのではなく、アブラハムの信仰に倣い、人は信仰によって義と認められることが明らかになっているわけです。そのようなことを踏まえると、アブラムがメルキゼデクに十分の一を与えたことは、信仰によって義と認められるという観点からも、きわめて重要なことであると言えます。 そうです。十分の一はそういうわけで、信仰によって義と認められたことと深い関係があります。どことは申しませんが、牧師の権限の強い教会では、十分の一献金をささげなければ地獄に落ちるかのようにおどかす教会もあったようですが、それは非常に問題があります。それでは、天国とは信仰によって入る場所ではなく、お金で買う場所であると言っているのと同じことです。十分の一をささげることは信仰の告白以上のものであってはなりません。多く献金するのは結構なことなのでしょうが、それは絶対に誇りとすべきことではありません。私たちの誇りとすべきはキリストの十字架のみです。 メルキゼデクがキリストの予表であったことはヘブル書7章も証ししているとおりですが、この創世記14章をお読みしても、いろいろわかります。メルキゼデクという名前は「私の王は義である」または「義は私の王である」という意味で、すなわち「義の王」となります。義の王とはまさしくイエスさまのことです。また、彼はサレムの王でしたが、サレムとは平和という意味で、平和の君なるイエスさまの予表です。そしてサレムとは、のちのエルサレムと推測され、イスラエル建国以前のエルサレムにおいてすでに王であった、ダビデに優先する存在であったことがわかります。イエスさまはメルキゼデクに言及された同じ詩篇110篇の1節を解き明かされ、ダビデがキリストを主と呼んでいるならば、どうしてキリストがダビデの子孫なのか、と語られましたが、メルキゼデクとはダビデのすえにして先在する祭司なる王であったことを考えると、これもキリストの予表と言えます。 何よりも、メルキゼデクはアブラムのことを、パンとぶどう酒で迎えました。イエスさまが定められた主の晩さんへとつながる形で祝福しています。まさしく、アブラハムを父とするすべての主の民は、イエスさまのみからだなるパンと、血潮なるぶどう酒で、まことのいのちの祝福をいただきます。私たちはこれこそ祝福であることを、信仰によって受け取らせていただくのです。 こうして見るとアブラムは、メルキゼデクにはるかキリストを仰ぎ見ていたことがわかります。アブラムは信仰の父と唱えられますが、単なる信仰ではありません。イエス・キリストへの信仰を持っていたのです。いわんや私たちは、聖書によってはっきり、信仰の対象がイエス・キリストであることが明らかになっているわけですから、どれほどイエスさまから目を離さずに生きていく必要があることでしょうか。 パンとぶどう酒にあずかること、ささげものをすること、どちらも信仰告白です。やることで神さまに認められようとする宗教行為では決してありません。神さまはもうすでに、救いというかたちで、私たちにしてくださいました。あとはそれに対し、私たちが応答するかどうかにかかっています。パンとぶどう酒を受け取るのも、おささげするのも、私たちの信仰の応答として行うことです。 さて、これに対するソドムのベラ王の態度をご覧ください。ベラはアブラムにこんなことを言っています。21節を見てみましょう。……一見するとベラはもっともなことを言っているようです。まるで戦勝をもたらしてくれたアブラムに感謝するしるしとして、こう言っているように見えないでしょうか? しかしアブラムは、きわめてよこしまなソドムを代表するこの人物の心を見透かしていました。神さまに誓って、このベラからは何ももらうまい。 アブラムはその理由として、こう語っています。――それは、「アブラムを富ませたのは、この私だ」とあなたが言わないようにするためだ。もちろん、戦争に必要な兵士の糧食の分、アブラムの一族ではないが行動をともにしてくれたアネル、エシュコル、マムレの分は、アブラムは正当に要求しました。しかし、自分の財産としては、ソドムからは何一つ要求しない潔癖さを貫きました。 もし、ソドムの王に「アブラムを富ませたのはこの私だ」と言わせたとしたら、どうなるでしょうか。アブラムとアブラムにつく者、すなわち神の民の守護者が、ソドムということになります。神さまではないのです。あの忌まわしいソドムが、神の民の守護者となる。こんなことはあってはならないことです。アブラムはそういう点からも、とても賢明な選択をしました。 私たちのことを考えてみたいと思います。私たちにとっての守護者はだれでしょうか? あるいは、何でしょうか? もし、何者かが、私たちのことを神さまに従わせないことを当然のことと見なし、私たちのことを支配しているならば、私たちはそこから脱し、ただ神さまにだけ従えるように祈っていく必要があります。 私たちがもし、この世と調子を合わせて生きたとして、この世は私たちに感謝するでしょうか? 私たちが譲歩したからと、今度は自分たちが譲歩して、教会に来てくれたり、イエスさまを信じてくれたりするでしょうか? そもそもこの世というものは、私たちが厚かましくないのをいいことに、私たちに対し、当然のようにどんどん支配を強めてきます。神に敵対する自分たちの行いを達成するために、私たちから神への従順を抜き取り、自分たちに従わせる、手足のように用いる、これが私たちの生きている世の中というものです。 しかし、私たちが世の中に屈従して不自由に生きることは、果たして世というものの責任なのでしょうか? ローマ人への手紙12章2節をおひらきください。これはみなさんでお読みしましょう。 ……神さまに変えていただくこと、これは世に調子を合わせずに生きることが要求されている私たちへの「命令」です。私たちはですから、みことばをお読みすることでみこころを学び、お祈りすることで聖霊さまに人生に介入していただくことが必要になります。世に調子を合わせないのは、神さまとの関係にあって、私たちの責任です。 私たちがキリストの似姿として変えていただくこと、そのことで私たちは世に勝利できます。世への従順は神への従順へと変えられていきます。神への従順の歩みをともにする者たちへと、私たちは変えられてまいりましょう。私たちにとってはだれが事実上の主人でしょうか? ソドムが主人になることを拒否し、主にお従いしたアブラムの模範に倣いましょう。

赦しの確信はまことの礼拝へ

聖書箇所;ルカの福音書7:36~50 メッセージ題目;赦しの確信はまことの礼拝へ  世界の歴史には、光があるところに影があるものです。もちろん、あえて言うまでもないことですが、職業に貴賎なしというのは建前で、実際には、手を染めるべきではないと見なされる仕事というものが存在します。それが何であるかということは、具体的に私が申し上げるまでもなく、私たちは共通理解として持っていると思います。いろいろイメージできると思います。  イエスさまの周りにいた人には、そのような、悪い、と周りに認識されていた仕事に就いていた人が結構いたものでした。そもそも、最初にイエスさまを礼拝するために神さまに呼ばれたのは、野の羊飼いでした。天使の歌声を聞いた羊飼いなどというとロマンチックに聞こえますが、実際は、社会からのけ者にされて安息日を守ることもままならない者たちでした。ロマンチックとは程遠い、ならず者の集団、それが羊飼いです。しかしそんな彼らが最初にイエスさまを礼拝する栄誉にあずかったのでした。  今日お読みいただいた箇所でも、イエスさまのそばにやってきた人がどのような人か、はっきり記しています。世の中の人は、そのような人を罪人扱いして、それ相応の接し方をするかもしれません。しかし、イエスさまはどのように接していらっしゃったでしょうか? 今日の箇所からともに学び、私たちに向けられたイエスさまのみこころを、ともに見てまいりたいと思います。  ひとりのパリサイ人が、イエスさまを食事に招きました。このパリサイ人の名前はシモンといいました。パリサイ人といえば、宗教指導者として律法を文字どおり守ること、守らせることにいのちを懸けた人であり、ストレートに神さまのみこころを語るイエスさまに敵対し、排除しようという思いでいっぱいの存在でした。ただ、パリサイ人はみんながみんなそうだったというわけではなかったようで、たとえばパリサイ人のニコデモという人物は、夜中にイエスさまのところを訪問して、教えを乞うています。  このパリサイ人シモンも、聖書で断罪される意味での反キリストの象徴としてのパリサイ人、というのとはややちがったようでした。もしかするとシモンは、パリサイ人にとって宿敵ともいえるイエスさまを食事に招くようなことをして、度量の広さを見せようとしたのかもしれません。ともかくシモンは、イエスさまを食事に招きました。  時にその町には、罪深いことで名の知れた女性が暮らしていました。遊女、つまり売春婦でしょうか? それとも、多くの男をたぶらかす、妖婦、でしょうか? はたまた、男を毒牙にかけて破滅させる、毒婦、でしょうか? ユダヤの社会には存在してはならないことになっている、口寄せや占いをする人でしょうか? 聖書はそこまで、この名もなき女性について詳しくは語りません。 しかし、ただでさえ女性の地位が低かった時代にもってきて、罪深いことで名が知れていたとは、この女性は、社会からどれほど低められていたことでしょうか。  そんな彼女は、この町にイエスさまがやってこられたといううわさを聞きました。イエスさまが入っていかれた先は、宗教指導者シモンの家です。わが身を思うと、とても入っていけない……しかし、そこにイエスさまがおられると知るや、彼女は恥も外聞も捨ててシモンの家に入りました。  それも、彼女は何も持たずに入ったわけではありません。香油を携えました。芳香を放つ油です。この香油は、このような女性でも人並みの結婚を夢見て、嫁入り道具として大事にしまっておいていたものかもしれません。とにかく、とても高価なものです。聖書を読みますと、イエスさまが十字架にかかられる直前に、そのような高価な香油をイエスさまのみからだに注いだ女性の話が出てまいります。この女性は、けっして安いとはいえない香油の壺を携えて、イエスさまのもとにやってきたのでした。  果たして、シモンの家で食卓に着いておられるイエスさまの姿を見るや、彼女は泣き崩れました。とうとうイエスさまにお会いできた! その感激はどれほどのものでしょうか! むかし、宣教団体のスタッフをしていらっしゃる方のメッセージを聴いたとき、その方がこんなことをおっしゃったのがとても印象に残ったものですが、こんなことをおっしゃっていました。「毎日のディボーション……ある日、この毎日お会いするイエスさまというお方は、総理大臣より偉い、天皇陛下より偉いお方だと気づかされました。そこから、私のディボーションは変わりました。」私たちが心にお迎えし、毎日お目にかかるイエスさまというお方は、それほど偉大なお方なのです。礼拝の導入讃美でも歌いました、「主の御前に立ち 驚き仰ぎ見る」……この「驚く」ほどすばらしいお方という気持ちをもって、私たちはいつも主の御前に出ていますでしょうか?  この女性には少なくとも、その感覚がありました。さて、私たちが食卓というと、テーブルについて椅子に座って食事をする、という感じでしょう。あのダ・ヴィンチの「最後の晩餐」も、そのように描かれているので、あたかも当時のユダヤではテーブルに椅子というスタイルだったように思えますが、あれは西洋的な創作です。イエスさまの伝記映画「ジーザス」を見てみますと、最後の晩さんでは、イエスさまと十二弟子が床の上に座って車座になっていますが、実はあれも正確ではないらしいです。当時のユダヤでは、床に横になって食事をしていた、というのが正解だそうです。実際、ヨハネの福音書を見てみますと、著者である使徒ヨハネがイエスさまの胸のところに寄りかかっていたという記述が出てきますが、それも彼らが横になって食事をしていたということを示しています。  この女性は、横になっておられたイエスさまの足もとに、後ろから近づきました。そして、涙を流してさめざめと泣きました。イエスさまの御足が彼女の涙でぬれたとありますが、彼女はイエスさまの御足を抱いて、その御足で涙にぬれた目をぬぐったのでしょうか。それとも、御足に顔がついてしまうほどにひれ伏したのでしょうか。 これほどまでにイエスさまの御足に近づいた彼女は、その御足に口づけしました。とても高価な香油の壺を割って、その香油をイエスさまの御足に塗りました。  彼女は、自分が何者かということを、世間から思い知らされながら生きていました。しかし、そんな彼女は、すべてをささげてもいいお方にはじめて出会うことができました。それはこの世的な男女の愛とはまったく次元の違う、神の愛により結びつく関係です。恥も外聞も捨てて御足を涙で濡らし、御足に口づけし、御足に自分にとって宝物である香油を塗る……私たちも、イエスさまを礼拝してはいるでしょう。しかし、もし目の前にイエスさまが現れたとして、ここまでの礼拝をすることができるでしょうか? できないとしたら、それはなぜなのでしょうか?  聖書を読み進めてまいりたいと思います。面白くないのはパリサイ人のシモンです。招いたのは自分ではないか。ところが、ここにやってきたこの女は何者だ。罪深いことで有名な女ではないか。その女のなすがままにさせているとは、イエスさまは何をお考えなのか。  私たちは、たとえば元暴力団員の宣教活動である「ミッション・バラバ」の話など、むかしいろいろと悪いことをしていたところからイエスさまを信じて救われたという人の証しを聞くのは好きでしょう。なにしろ面白いものです。しかし、そういう人が実際にそばにいて、一緒に礼拝をささげるとなると、私たちは大丈夫でしょうか? どんな過去があろうとも、イエスさまがその人を受け入れてくださっているから大丈夫、となれる方は幸いです。しかし人はときに、シモンのような反応を示してしまわないでしょうか? この人は罪人だ、の一点張りで拒絶するのです。  イエスさまは否定的な反応をするシモンに、必要な処方箋を施されました。イエスさまはたとえ話を語られました。41節と42節です。とても分かりやすい話です。1デナリが1日分の賃金だから、仮に1万円とすると、50万円と500万円のちがいになります。それは、500万円帳消しにしてもらった方が、50万円のほうよりも多く愛するに決まっています。早い話が、10倍愛します。  イエスさまは、当然の答えをしたシモンに対し、語られました。44節から47節です。  イエスさまはここで、何を問題にされたのでしょうか? イエスさまに対するシモンの態度です。特にこの聖書の記述では、シモンがパリサイ人であることをわざわざ断っているので、イエスさま、そして聖書は、パリサイ人という立場にある者全般の姿勢を問題になさっているとも言えます。  まず、シモンはイエスさまを迎えるにあたり、足を洗う水を出しませんでした。足を洗うのは、外から来た人を迎え入れるためにすべきことで、それは本来は奴隷の仕事でしたが、ともかく、シモンはイエスさまを家の中に招き入れた以上、イエスさまの足を洗ってさしあげてしかるべきでした。それをしなかったということは、イエスさまに対してその程度にしか接しなかった、ということです。口づけですが、これは現代日本のようなところにいるとなかなか理解できませんが、イエスさまの時代のユダヤでは親しさを表現する挨拶のしぐさでした。実際、聖書の中には口づけに関する描写があちこちに登場します。 しかし、相手の顔に実際に唇をつけるわけですから、相当親密な仲だからこそできる挨拶です。それだけに、アマサ将軍を暗殺するために口づけしようとしたヨアブや、兵士たちにイエスさまを逮捕させるために口づけを用いたイスカリオテのユダなどは、ほんとうに、してはならないことをした例であるわけです。しかしこれなどは、愛憎、ということばがあるように、憎しみや怒りの裏返しとしての口づけといえましょう。  それに比べるとこのシモンの場合は、口づけさえしなかったのです。彼はイエスさまのことを預言者と認めてはいたようですが、さしたる重要な関係を持つべき相手と思っていなかったと見受けられます。また、頭に油を塗るというのは、ユダヤのもてなしの習慣で、乾燥する気候の中を歩いて痛む髪の毛を潤してあげるという意味がありました。シモンがイエスさまにそれをしてあげなかったというのは、食事は振る舞ったかもしれなくても、ほんとうの意味でイエスさまをもてなそうとしていたのではなかったことを示しています。  つまりこのシモンの姿勢は、一見するとイエスさまに接しているようでも、実のところほんとうの意味で接しているわけではないわけです。この姿勢は、私たちにとっての反面教師とならないでしょうか? 形式的に礼拝すればそれでよしとする、形式的にお祈りすればそれでよしとする、形式的に献金すればそれでよしとする、形式的にディボーションや聖書通読すればそれでよしとする……そのような表面的なことで満足してしまうのが、私たちというものです。神々しいイエスさまを前にしているのだから、宗教的に振る舞えばそれでいいはずだ……私たちにとってのイエスさまとの交わりは、いつの間にかそのようなものになったりしてはいないでしょうか?  しかし、この女はちがいました。本来ならば水で洗いきよめるべきイエスさまの足は、シモンが洗ってくれなかったので、街道のほこりに汚れていました。それにもかかわらずこの女は、そのままのイエスさまの足に近づき、涙で濡らし、髪の毛でぬぐい、口づけして、オリーブ油どころではない、はるかに高価な香油を塗りました。  イエスさまの足……それは神の国をこの世界に宣べ伝えるために、直接この地の上を歩き回られた御足です。神の国を私たちこの地の者たちに実現してくださるために、イエスさまは神であられたのにその栄光を捨て、人として世俗のちりにまみれて歩まれました。そしてこの御足をイエスさまは、十字架に釘づけにされて血潮を流され、人の罪を完全に赦してくださいました。  この女性はたしかに、罪深いわが身を思ってイエスさまの御足のもとにひれふしました。しかしイエスさまは彼女のしたその行為を、それ以上の本質的な意味を持つものとして評価してくださいました。それは、やがてご自身が十字架によって人を完全に罪から救ってくださるという、そのことを彼女がおぼえて心からの礼拝をささげていることであるということです。ゆえにイエスさまは彼女に宣言されたのでした。あなたは多く愛したのですから、多く赦されています。あなたの罪は赦されました。あなたの信仰があなたを救ったのです。  私たちはイエスさまを愛したい思いでいっぱいでしょう。それはクリスチャンであれば、だれしも同じであろうと思います。 しかし、イエスさまの御目から見れば、シモンとこの女性の愛に違いがあったように、人それぞれの愛にも違いがあることを認めるべきです。  その違いはどこから生まれるのでしょうか? まずそれは、自らをどこまで罪人と自覚しているかです。シモンはパリサイ人であり、厳格にみことばを守る自分を正しいとする人でしたから、自分の罪深さなどとても目が留まらない人でした。これに対してこの女性は、人からそう見られる以上に、自らの罪深さをよく悟っていました。彼女はそれでも、イエスさまを愛したい、イエスさまに赦していただきたい、その思いだけで、傍目から見れば過激にすら思える礼拝行為に踏み切ったのでした。そんな礼拝をすることなどは、パリサイ人シモンには及びもつかないことでした。  そしてイエスさまはこの女性に、「あなたの信仰があなたを救ったのです」とおっしゃって送り出されました。ここで問題にされているのは信仰です。過激な行為をしたことそのものでイエスさまが評価なさったのではありません。行為さえよければ、というのでは、律法を厳格に守り行うパリサイ人でもよいということになります。イエスさまが問題にされたのはどこまでも、彼女の信仰でした。  彼女には、イエスさまならこの罪深い私の罪を赦してくださる、という信仰がまずありました。そこからイエスさまへの愛に満ちた礼拝が生まれました。信仰が愛の行いを生んだのです。  愛の行いに直結しない信仰は、ほんとうの意味での信仰ということはできません。愛の行いにつながっていかないならば、厳しい言い方になりますが、「信じているふり」または「信じているつもり」にすぎません。「ふり」や「つもり」にとどまるキリスト信仰に力がないのは当然のことです。  でも、この女性はちがいました。自分の罪のけがれをどこまでも悟るゆえ、その罪を赦してくださる唯一のお方と信じる、イエスさまに一心に駆け寄り、一心にささげる愛の行いができたのでした。私たちは、社会的地位のある立派な人と、下賤な罪人のどちらになりたいかと聞かれたら、百人が百人、社会的地位のある立派な人と答えるでしょう。しかしイエスさまにかかれば、信仰があるかないかをご覧になり、下賤とされている罪人を社会的地位のある人に勝利させてあまりあるのです。その勝利と敗北はどれほど違うのか? 永遠のいのちがあるかないかです。罪の赦しがあるかないかです。天国があるかないかです。  要は私たちが、イエスさまがいなければとても生きていけない最悪の罪人であるという自覚を持ち、イエスさまにすがることです。この女性のような、イエスさまの御足にすがり、泣いてくずおれるがごとき礼拝をささげることです。もちろん、これはたとえであって、実際に泣いてくずおれてみてください、と言っているわけではありません。この女性は泣いてくずおれてイエスさまに礼拝をささげましたが、私たちの愛の応答もそういう形でなければならないということではありません。 御霊の与えてくださる、ほんとうの感激に満ちた礼拝は、人の演技や見せかけで何とかなるものではありません。形だけ感激して満足するのでは律法主義と同じです。盛り上がった感情に満たされようと礼拝に過剰な演出をするのも同じことでしょう。そういうことをする必要はありません。  ただし私たちは、礼拝をささげるにあたりましては、ただ一つ必要なものがあります。それは「小羊なるイエスさまの血」です。神さまがエジプトに下された死の怒りを過ぎ越された条件は、それぞれの家の門に塗られた羊の血でした。私たちも罪人のゆえに受けるべき、神さまの怒りを過ぎ越していただくために、まことの小羊イエスさまがどんなに苦しんで、私のために十字架の上で血潮を流してくださったか、そのことを覚えて礼拝をささげるのです。人間的な宗教心を満足させる、などという次元で礼拝をささげるのではないのです。必要なのは罪の自覚と、そのためにイエスさまが地塩を流してくださったことを信じ受け入れる信仰です。  その信仰は、私たちの間に愛のわざを生みます。イエスさまを愛するゆえに、兄弟姉妹を愛するのです。この愛し合う姿はこの世に証しとなり、人々は私たちのこの姿を見て、主を礼拝することの素晴らしさを知るようになります。  祈りましょう。神を愛し、人を愛する価値すらない私たちのことを、イエスさまが愛し、かぎりなく赦してくださったと信じる信仰をもって、主のみもとにまいりましょう。

信仰による選択

聖書箇所;創世記13章1~18節 メッセージ題目;信仰による選択 私たちは一日のうちでも、数多くの選択をし、また、その数多くの選択の、その結果の数多くの責任を負いながら生きていくことになります。私たちはいま、どのような選択をしているでしょうか。今日の本文のアブラム、アブラハムのモデルから学び、みこころにかなった選択をする者とならせていただこうと思います。  1節、2節を見てみましょう。アブラムは富んでいました。多くの家畜、そして銀も金も、それこそ「非常に豊かに」持っていました。もともと富んでいたところに、エジプトでさらに富が増し加わったわけです。そういう意味ではアブラムは祝福を受けていました。ただしこの祝福をいかに用いるかという問題にも、アブラムは直面していました。 新約聖書・第一テモテ6章10節で、使徒パウロは「金銭を愛することがあらゆる悪の根である」と喝破しています。アブラムは確かに、この世的にはたいへんに富んでいました。しかし、その富は神さまとの関係を深める助けにはなりませんでした。かえってその富に目がくらんだために、サライをエジプトのファラオに売ろうとするなど、不従順にもほどがあるような行為をしてしまったのでした。 しかし、アブラムは悔い改めました。アブラムは、エジプトを追放されてカナンの地に帰ってきたとき、そこにかつて築いた祭壇において、主の御名を呼び求めました。まるでエジプトの地で妻をファラオに売った自分の大きな失敗を悔い改め、神さまとの交わりを改めて求めるかのようです。このカナンはついこのあいだひどい飢饉に襲われたばかりの場所で、普通に考えるならば帰ることをためらう者でしょうが、アブラムはここで、信仰の原点に立ち帰る決断をしました。自分が初めて築いた祭壇の場所で、改めて主の御名を呼び求めることをする、そうです、肥沃な地に家族や群れを導くことよりも、まず、主の召しに立ち帰ることを選びました。困難が待ち受けていると予想されようと、主のもとに行く。言い方によっては、主のもとに逃げ込むことをしたわけです。  もし人が、この世の価値観や基準にどっぷりと漬かっているならば、信仰によって困難な選択をすることは極めてむずかしいことです。しかし、困難な中でも信仰による選択をする人は、揺るがされることはありません。 イエスさまという岩の上に根ざして生きる人は、どんな困難が押し寄せても揺らぐことはありません。しかし、この世という不確かな、いわば砂地のようなものに根ざして生きる人は、困難が押し寄せると崩れてしまいます。 アブラムの場合も、拠り頼むべきが多くの富ではなく、神さまご自身であることに気づかされるようになっていました。しかし神さまはときに、ご自身の愛される人の人生に介在され、拠り頼むべき対象をこの世的なものから神さまご自身へと導かれることがあるものです。 6節を見てみましょう。アブラムは、神さまの祝福と見なすべきこの富を持てあましていました。おそらく、エジプトのような肥沃な地ではこの富は相当役に立ったことでしょうが、カナンのように痩せて貧しい土地では水や牧草にも事欠き、群れの中に葛藤が起こるのは必然でした。 特にその葛藤は、牧者どうしの人間関係の葛藤という形で顕著に現れました。アブラムとロトの関係は決して悪くなかったはずですが、その群れどうしとなると、どうしても人間関係に問題が生じます。それはもちろん、アブラムにしてもロトにしても、彼らどうしが仲良くすることを望んでいたでしょうが、牧草や水が不足しているという現実を前にしては、理想ばかり言っていられなくなっていました。 約束の地は、ただ入ればいいということではありません。その地で増え広がるのがみこころである以上、それが貧しい土地であったとしても、石にかじりついてでもとどまる必要がありました。カナンから一族もろとも去るという選択肢はありませんでした。とどまるしかなかったのですが、アブラムの群れとロトの群れとの深刻な対立は、もう限界に達していて、どうしようもなくなっていました。 しかしアブラムは、ここでロトに一つの提案をします。8節、9節です。……選択の余地をロトに与えたのです。全地はあなたの前にあるではないか。このどこまでも広い土地の、どこに行ってもいい。ただし、私の群れは一緒に行かない。あなたの群れがまずどこに行くか決めたら、私の群れは反対の方に行く。ロトに選択させました。 アブラムは実はこのとき、信仰の父としての危機に瀕していたということにお気づきでしょうか? もし仮に、ロトがカナンの地に残ると言ったら、アブラムはカナンをあとにしなければならなくなりました。主の民となると約束されたのはアブラムから生まれる者であって、ロトからではありません。ロトの民がカナンで増え広がるわけにはいかなかったのです。また、アブラムがカナンをあとにしたら、もうアブラムには、カナンで主の民の父となる道は残されていません。神さまのみこころは成らないことになります。 しかし、神さまの摂理というべきことですが、ロトはここで、ヨルダンの低地、とても肥沃な土地を選びました。神さまはロトの選択に介入されました。このことによってアブラムは、神さまの約束どおり、カナンの地で神の民の父となる道を残されたのでした。ロトの一行が向かったヨルダンの低地はもはやカナンの地には含まれません。ロトはカナンをあとにしたのでした。 ロトがヨルダンの低地を選んだ理由は、11節に記されています。「自分のために」とあります。神さまのためにではなかったのです。自分さえ栄えればアブラムなどどうでもよい、というよこしまな思いがあったわけです。しかし、ヨルダンの低地の町、ソドムとゴモラの地でロトを待ち受けていたのは、主に対してはなはだ邪悪な者たちでした。その地の豊かさ、この世的な栄えを享受するあまり、彼らは凄まじいまでに堕落したのでしょうか。ともかく、そのような者たちが待ち受けているような地であろうとも、ロトは一時(いっとき)の栄えに目がくらみ、アブラムを痩せた土地に残して自分はさっさとヨルダンの低地に行ってしまいました。 もしかするとアブラムは、ロトのこの性格を知った上で、あえてロトに行き先を選択させたのかもしれません。それはロトの自主性を尊重することでもありますが、ともかくもこれでアブラムは、ロトのこの選択により、カナンに残ることができました。 こうしてアブラムは、ロトとその群れ、そして財産を切り離しました。それは、いかにかわいい甥っ子を独り立ちさせる、ほんとうならば喜ばしいことであったといっても、それなりの悲しさ、むなしさはあったはずです。何よりも、この世の富を自分から選択するロトのなすがままにせざるを得なかったことは、アブラムをどんな気持ちにさせたことでしょうか。しかしそのようなとき、神さまご自身がアブラムに現れてくださいました。神さまは何とおっしゃったでしょうか? 14節から17節です。 神さまはアブラムに、どのような約束をくださったのでしょうか? アブラムに、この地、すなわちアブラムが見渡すかぎりの、そして実際に東西南北に歩き回るカナンの地を、永久に、子孫をちりのように増やすことにより、与えるとおっしゃいました。 では、なぜこれが確実にアブラムに与えられるのでしょうか? それはほかならぬ、神さまご自身の約束であるからです。カナンの土地をアブラムとその子孫に与えること、それが神さまの約束でした。アブラムのすることは、神さまのこの約束を、ただ、信仰によって受け取ることだけでした。 人は、よいものを得ようという思いをつねに持っています。そのために、あらゆる努力をします。しかし、神さまのくださるもの以上によいものはありません。アブラムの目の前に広がる土地は、痩せていたかもしれません。けれどもそれが神さまのくださる土地です。アブラムのすることは、その目の前に人がる土地、自分が縦横無尽に踏みしめる土地が、神さまのくださった土地であると受け入れて感謝することでした。それが、アブラムにできる選択、アブラムのなすべき選択でした。 信仰によって歩む者にとっての選択は、その何よりの基準は、「神さま」にあります。神さまが主権によって私の人生に働いてくださる。私はその御手によって、いま生きている生活の現場で神さまの栄光を現すべく用いられる、これが私たちの信仰の歩みです。 この、選択の人生の最大のモデル、それは、イエスさまです。罪なきイエスさまのなさった選択は、すべて神さまのみこころにかなう正しいものでしたが、イエスさまの選択は、すべて、御父に従順であるという、絶対の基準がありました。みことばをお語りになることも、奇蹟を行われることも、すべては御父のみこころに従順に従うという選択をなさった上でのことでした。そして最大の選択、それは十字架でした。ゲツセマネの園での血の汗を流しての祈り、それは、御父のみこころを選択するための最大の闘いで、イエスさまはついにその戦いに勝利され、十字架にかかられたのでした。 アブラムの選択も、御父に従順であるようにと願っての選択でした。時にそれは、アブラムが、エジプトの豊かさを捨てて痩せたカナンに行って神さまを礼拝することを選んだとか、富をロトに分け与えて遠く離し、カナンにとどまることを選んだとか、人間的に見れば厳しいことを選択することも有り得ます。要は、それが神さまのみこころであると受け入れることです。 逆に、ロトの場合はどうでしょうか。彼の選択は神さまのみこころを考えない、それこそ自分のためのもので、また、この世的な祝福を求めるものでした。しかしその結果は、実に悲惨なものになりました。祝福の源であるアブラムと人生をともにしていても、アブラムからいったい何を学んできたというのか、というものです。しかし私たちは、このロトを笑うことはできないでしょう。私たちもまた、この世に生きていると、ときに神さまのみこころを選択することよりも、自分中心の選択、この世的な選択に走ってしまうものです。ロトはそんな私たちにとっての反面教師です。 私たちはいま、どんな選択をしようとしていますでしょうか。アブラムの選択でしょうか? それとも、ロトの選択でしょうか? いえ、究極的に言ってしまえば、イエスさまにならう選択をしようとしていますでしょうか? すなわち、イエスさまが御父に従順であられたように、御父のみこころに従順になる選択です。 人間的に見ればもしかしたら私たちはいま、厳しい選択を迫られているかもしれません。しかしそのときこそ、私たちの信仰を生かすチャンスです。私たちの肉的な頑張りで、難しい選択をして、その選択をやり遂げるのではありません。そんな頑張りは限界があり、やがて破綻します。そうではなく、その選択をすることがみこころだと示されているならば、神さまが必ず最後までやり遂げさせてくださるという信仰をもって、困難な選択へと踏み出すのです。

不信仰は覆われる

聖書箇所;創世記12:5~20 メッセージ題目;不信仰は覆われる  私たちはだれもが、失敗をします。失敗は成功のもと、などと言いますが、私などは、過去を思い出すと、あんな失敗はしなければよかった、と思えるようなことだらけで、思い出すたびに顔が赤くなったり、青くなったりするのを覚えるものです。みなさんはいかがでしょうか?  信仰の父アブラハム物語も今日で2回目になりますが、今日の箇所で彼は、大きな失敗をします。それも、これは致命的ではないかとさえ思える失敗です。本日メインに学びます失敗の記事の前に、アブラムがカナンの地に入った記事が出てまいります。アブラムはその地に至り、シェケムのモレの樫の木のところで、主からの啓示を受けます。「わたしは、あなたの子孫にこの地を与える。」先週学びました、ハランの地にて神さまがアブラムに与えてくださった啓示の地、約束の地が、このカナンであったことがはっきりしたわけです。アブラムは、そこに祭壇を築いて主を礼拝しました。そこから彼はベテルの東の山の方へと移動して、天幕を張りました。そして、彼はネゲブへと進みました。  しかし、ネゲブには飢饉が襲っていました。とても住むことができません。アブラムはここで、ひとつの選択をします。それは、エジプトに行くということでした。アブラムには守るべきものがありました。さすらいの旅に伴っていたのは家族だけではありません。家畜やその牧者たちも一緒でした。彼らのことも充分に養わなければなりません。このことが、アブラムが約束の地を離れ、エジプトに行くという選択へと導きました。  多くの家畜や牧者たちを所有するなど、アブラムが富んでいたということは、いわば主からの祝福というべきことです。しかし、この群れを養うことがエジプト行きを決意させたことを考えると、主の民の父として、果たしてこれを祝福だとばかり言うことができたでしょうか、という問題があります。  私たちにとっての祝福とはどのようなものでしょうか? 金銭や持ち物が増えることでしょうか? 名誉が増し加わることでしょうか? そのようなものは増し加われば増し加わるほど、私たちを苦しめるものです。詩篇の詩人、アサフの告白に耳を傾けましょう。「しかし、私にとって 神のみそばにいることが 幸せです。」ここには、状況に左右されない平安があります。いついかなるときも主がそばにいてくださるゆえに揺るぐことがない、これぞ、私たちが目指すべき境地です。  しかし、アブラムの信仰の旅路は、これから続く彼の人生を考えると、まだ始まったばかりです。彼は地のすべての民を祝福する権限が与えられた者として、カナンの地に雨を呼び起こす祈りをささげるのではなく、エジプトで生き延びるという決断をしました。彼の信仰には限界があったことを認める必要があります。  私たちも信仰を働かせるべく導かれていますが、それでも、この世と伍して生きていくかぎり、どうしても、この世の価値観に自分を合わせている領域が出てきます。私たちも信仰を働かせるよりも、この世的な選択に走ってしまうことがあるものです。そのような私たちであることを受け入れた上で、私たちのなすべきことを主に祈りつつ、尋ね求めてまいりたいものです。  さて、アブラムはエジプトに近づくにつれ、ひとつの不安に襲われだしました。それは、自分が殺される、ということです。ファラオが妻サライを奪い、自分を殺す、あってはならないことです。そうならないために、サライは自分の妻ではなく、妹だと言ってほしい、と頼みました。  創世記20章を読めばわかりますが、サライがアブラムの妹というのは、たしかにほんとうのことです。父テラの娘であるからです。ただし、母親は同じではありませんでした。腹違いの兄妹、というわけです。この時代神さまは、神の民がそのような間柄で結婚することを、まだ問題にしてはいらっしゃいませんでした。そういうわけで兄妹であったのは確かですが、アブラムとサライはそれ以前に、夫婦という立場にあったことを優先する必要がありました。  夫婦は、もといた家族に優先する関係です。ここから、神の民が生まれるということを神さまは約束しておられたのです。つまり、アブラムがサライのことを、妻ではなく、妹だと言わせたということは、この神さまの秩序に逆らったということであり、また、神の民を生まれさせてくださるという神さまの約束に逆らった、ということになるわけです。アブラムは、二重の意味で不信仰、また不従順の罪を犯したことになります。  アブラムがこうなってしまったのも、もとはと言えばわが身を、この世的な方法で護ろうとしたためでした。エジプトで生き延びようと発想したことは、ついにこのような不信仰、不従順へとつながってしまったのでした。  アブラムは何を期待して、サライにこのようなことをさせたのでしょうか? 13節にあるように、「事がうまく運ぶ」ことを期待してのことでした。事がうまく運ぶ、とは、具体的に言えばどういうことでしょうか?  そう、16節にあるとおりに、羊の群れ、牛の群れ、ろば、男奴隷と女奴隷、雌ろば、らくだ……たいへんな財産を手にすることができたのでした。こういう贈り物をファラオから手に入れることが「事がうまく運ぶ」ことであったとするならば、アブラムがサライにあのようなことを言わせたのは、サライを離縁し、ファラオの宮廷に召し入れさせることが目的だったということになります。もはやここには、信仰の父として立っていこうとの姿勢は、欠けらも見ることもできません。  しかし私たちは、このアブラムを笑ったり、非難したりすることができるでしょうか? このアブラムの姿は、私たちの姿そのものではないでしょうか? 主からなすべきことが示されていても、それに対する不従順の罪を犯し、なおそのような自分であることを正当化する、それが私たちなのです。その不従順によって、結果的にこの世の祝福を得ることができれば、それで安心してしまう、それが私たちなのです。  しかし、ここで私たちが忘れてはならないことがあります。神さまが干渉してくださる、ということです。17節を見てみましょう。……どんなわざわいだったかは書かれていません。疫病でしょうか? 恐ろしい悪夢でも見たのでしょうか? いずれにせよ、それが創造主なる神さまからのもので、しかもそのわざわいがもたらされたのは、ほかならぬサライを召し入れたせいだったということが、ファラオたちにはわかったのでした。  18節、19節を見てみましょう。……ファラオのこのことばをみてみると、アブラムは最初からサライのことを、自分の妻である、と正直に言うべきだったことがわかります。ファラオがサライを召し入れたことで、ひどい災害によって宮廷を痛めつけられるのが神さまのみわざだったならば、いわんや、アブラムを殺そうとしたならば、どれほどのわざわいをもって神さまはエジプトをおさばきになったことでしょうか!  「わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。」アブラムは確かに、ハランを旅立つとき神さまにそう言われましたが、そのみことばが実際に臨むことまでは信じていなかったと言うべきでしょう。ここでアブラムは、ひとつ、エジプトの宮廷のわざわいという犠牲を経て、信仰が成長したのでした。  これは何を意味するでしょうか。アブラムがいかに不従順でも、不信仰でも、神さまの側では依然として、アブラムのことを信仰の父として立ててくださっている、ということです。ほかのだれでもない、あなたのことをわたしが選んだ以上、あなたが信仰の父となるのだよ、ということです。  イエスさまも私たちに言ってくださっています。あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。  私たちも不信仰になるでしょう。その結果、してはならない選択をしてしまい、失敗したということがあるかもしれません。しかし、究極的に言ってしまえば、私たちにとって失敗というものはないのです。あるのはただ、主がみわざを行なってくださり、導いてくださる、これだけです。  ひとたびイエスさまを受け入れたならば、その人は天国に行けます。それは、私たちの状態がどうあれ、イエスさまの側で私たちのことを離れないでいてくださるからです。わたしは決してあなたを見放さず、あなたを捨てない、と言ってくださっている以上、イエスさまが私たちから離れることなど決してありません。 しかし、私たちはイエスさまのこのみことばにも関わらず、なんと不信仰になってしまうものでしょうか。イエスさまの約束よりも、自分の思いを優先してしまう、何ということでしょうか。それでも、そんな私たちでも、イエスさまがお見捨てになるということは決してありません。こんな私たちであるということをすべてご存知の上で、なおも忍耐をもって、導いていてくださるのです。 もし、アブラムのこの不従順、妻サライをエジプトに売り渡すという、あまりのことを神さまが見とがめ、さばきを下されたとしたらどうなったでしょうか。神の民は生まれるまでもなく、私たちも神の民に連なることはありませんでした。それ以前に、アブラムにあのように約束された神さまのみことばは、うそ、ということになってしまいます。しかし神さまは真実なお方です。神さまは、たとえアブラムが偽りの心で偽りの行いをしようとも、ご自身の真実さにかけて、アブラムとサライを救ってくださり、ご自分の約束が真実であることを証しされました。 そうです。私たちは偽ります。私たちはいかに主のものとされていても、依然として罪を犯すものです。しかし、それにもかかわらず神さまは、イエスさまにあってこのような私たちのことを選んでくださり、私たちのことを用いてくださるのです。私たちに真実なものは何一つありません。あるのはただ罪ばかりです。しかし、たったひとつ真実なことがあるとするならば、この私たちのことをその十字架の死によって贖ってくださり、私たちのことを、主に用いられる尊い器としてくださったイエスさまが、私たちのうちにおられ、私たちを今もなお導いてくださっている、ということです。私たちの偽る心は、どこまでも真実なイエスさまによって、かぎりなくきよめられていきます。 アブラムの信仰の旅程には、このような、普通に考えれば致命的とさえ言える失敗がありました。私たちももしかすると、もはや思い出したくもない失敗があって、そのために人生に大きな損害を被ったように思えてならない、そんな悪い経験があるかもしれません。しかし、私たちがどうあろうと、神さまは真実です。私たちがもし、その失敗のために苦しむことがあったとするならば、それは「さばき」と見るべきではありません。 ひとたび神さまのものとされている私たちのことを、神さまがおさばきになるはずがあるでしょうか? 私たちはさばかれることなどありません。では、私たちが現実に苦しんでいるならば、この苦しみは、何だというべきでしょうか? それは「懲らしめ」というべきです。「懲らしめ」と「さばき」は、苦しいという点では共通していますが、その持つ意味は天と地ほどにもちがいます。 私たちは苦しみます。しかしそのとき、私たちは全能なる神さまに拠り頼む信仰が育てられます。神さまはそのとき、私たちの生活の現場に臨み、みわざを行なってくださるのです。主の弟子らしくしっかり立つことを神さまが私たちに望んでいらっしゃる以上、主はときに私たちのことを厳しい目に合わせなさいます。私たちがその状況に対してとことんまで無力であることを認め、神さまに全面的に降伏し、神さまが自分の人生に完全に働いてくださるように、明け渡すためです。 アブラムも、この恥辱的な失敗さえも覆ってくださる神さまの御手を体験し、信仰が成長しました。私たちもまた、生活のただ中で主の御手を体験するように召されています。主が私たちに関心を持ってくださり、私たちのうちでみわざを行いたいと願っていらっしゃるのです。それほど、私たちは特別なのです。 だからこそ私たちは、神さまがわが人生の現場でみわざを行なってくださる、そのことを期待しつつ、日々導いてくださる主に従順にお従いするのみです。そこで私たちのことを考えてみたいと思います。私たちが主にお従いしたいと願いながら、その妨げとなっている重大なものとは何でしょうか? それぞれにとって異なると思います。アブラムにとっては、まずは家族だけにとどまらず、家畜たちやしもべたちを養わなければならなかったこと、そして、ファラオによって殺されるかもしれないと恐れたことです。それでも神さまはアブラムを守り、大きなみわざを行なってくださいました。 みなさんもきっと、信仰によって踏み出すうえでの弱さを抱えていらっしゃることと思います。今日はその弱さを具体的に書きとめてみましょう。そして、その弱さは必ず主が乗り越えさせてくださると、信仰をもって一歩を踏み出す祈りをささげましょう。

信じる者には、どんなことでもできるのです

聖書本文;マルコの福音書9:14~29 メッセージ題目;信じる者には、どんなことでもできるのです  改めましてみなさま、今年もよろしくお願いします。   2020年。今年のみなさんのお祈りの課題は何でしょうか。取り組まなければ。あるいは、これが必要だ。それを手に入れること、そうなることはみこころにかなっている。しかし、努力だけではどうにもならない、そこで、私たちは信仰を働かせるのです。 本日の本文に登場する父親も、まさにその「信仰」という問題を抱えていました。このときイエスさまは、十二弟子のトップ・スリー、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて山に登っていらっしゃいました。そのときイエスさまは栄光に御姿が変わり、モーセとエリヤが現れてイエスさまのご最期について会話を交わすという、驚くべき、またおごそかな時間となりました。このできごとは、人の子の復活まで秘めておきなさい、と、イエスさまは弟子たちを戒められました。 一方で、残された弟子たちは、ひとつの問題に直面していました。口をきけなくする霊に取りつかれた息子から悪霊を追い出してほしい、弟子たちは父親からそのように懇願されましたが、できませんでした。そこにイエスさまがやってこられ、子どもから悪霊を追い出されて一件落着、すばらしいことが起こされたわけでした。 しかし私たちは、このできごとの背後にあった、信仰と不信仰についての問題、また祈りの問題について、特にイエスさまのみことばから学ぶ必要があります。 まず、19節、最初のイエスさまのみことばを見てみましょう。イエスさまは何とおっしゃいましたでしょうか。…… イエスさまはついその直前に、もはや歴史上の人物ですらあったモーセとエリヤが現れ、ご自身のご最期について話し合われるということを経験されたばかりでした。イエスさまは、十字架の死に向かって備えをするのみで、また、その備えをなすべく、弟子たちをよりいっそう整えるという段階にあられました。 ところが、弟子たちは何をしていたのでしょうか。イエスさまがご不在ならば、イエスさまのわざを代わりに行うべく霊的な権威が委ねられていたというのに、弟子たちには悪霊を追い出すことができなかったのです。それで、この悪霊追い出しをイエスさまがなさらなければならなくなったわけです。 イエスさまは嘆かれました。まことに不信仰な時代だ! 問題は、不信仰にありました。人の不信仰は、十字架の贖いの死に向かって進むべきイエスさまの歩みをとどめるかのようでした。イエスさまにとっては十字架という、もっと大事なことがあるのに、この程度のこともあなたがたは信仰によって解決できないのか! イエスさまが問題にされたのは、だれの不信仰だったのでしょうか? それは弟子たちであり、また、この少年の父親の不信仰でもありました。そして、この記事を読む私たちひとりひとりの不信仰も、同時に問題にされるのです。問題は、不信仰にあります。 しかし、イエスさまは彼らが不信仰だからと、見捨てるようなことはなさいませんでした。「その子をわたしのところに連れて来なさい」、そのように言ってくださり、子どもにみわざを行うことを宣言されたのでした。 この父親には、イエスさまならばなんとかしてくださる、という、わらにもすがる思いのような、わずかな信仰がありました。イエスさまが戻ってくるや、つかまえました。からし種ほどの信仰があれば、その人の信仰は、空の鳥が巣をかけるほどに大きくなるように、成長させていただける、そのようにイエスさまはおっしゃいましたが、この父親の信仰も、大きいとは言えず、からし種のような大きさ、けし粒にも満たないほどの小ささだったかもしれませんが、イエスさまが大きくしてくださり、その信仰に応えて、イエスさまはみわざを行なってくださったのでした。 その子の状態はひどいものでした。20節に語られているとおりです。子どもがこのようならば、親の気持ちはどれほどつらいことでしょうか。しかしこの父親は、イエスさまの話を聞きました。イエスさまならば、必ず助けてくださる! イエスさまが来られたと聞いた父親は、矢も楯もたまらず、子どもを連れて駆けつけました。 イエスさまは、いつから子どもがそのようなのかと父親に尋ねられました。父親は、それが幼いときからで、子どもに取りついた悪霊は彼のことを殺そうと、何度でも火の中や水の中に彼を投げ込んだ、と語りました。もちろん、イエスさまは全能なるお方ですから、子どもにそういう過去があったことはすべてご存知です。それでもイエスさまが、父親にそのいきさつを尋ねられたのは、それが悪霊の働きであり、したがって神の御手によってのみ解決されるべき問題であることを、父親にあらためて認識させ、受け入れさせるという目的があったからだと言えます。 私たちもやみくもに祈ればいいわけではありません。何を祈っているのかもわからないで、どうやってお祈りを聞いていただけるのでしょうか。私たちの願っていることを具体的に聞いていただくこと、そのことが必要になります。みなさんそれぞれのお祈りの課題を具体的にノートに記録されることをお勧めします。そして、それを毎日読んでお祈りすることをお勧めします。 ともかく、この父親はイエスさまに、子どもの様子を伝えました。しかし、このことをイエスさまに伝えるにあたり、父親の態度がイエスさまに取り扱われることになりました。「しかし、おできになるなら、私たちをあわれんでお助けください。」父親はこう言いましたが、イエスさまはそのことばと態度を問題にされました。 そうです。これは不信仰だったのです。いったい、子どもが悪霊につかれている状態、精神的に病気の状態であることが、みこころにかなったことでしょうか。それは神の子イエスさまによって、いやされてしかるべき状態でした。イエスさまは、そんな悪い状態を放っておくようなお方では決してありません。父親は、みこころに反する病や悪霊憑きを放っておかれるかもしれないなどと考えて、イエスさまに対して十分な信仰を働かせてはいませんでした。それをイエスさまは問題にされました。 信じる者には、どんなことでもできるのです。イエスさまは父親に、そう語られました。それは、私がこの子に愛を注いで、いやす神であることを、あなたは信じなさい、そうおっしゃっているということです。 私たちがイエスさまに対して信仰を働かせるということ、これが、イエスさまの愛と直結していることを、お分かりになったと思います。あなたのことを愛しているよ! あなたにわたしは、わざを行うよ! それによって、わたしがあなたを愛していることを、はっきり教えてあげるよ! さあ、わたしの愛を体験して! 信じてほしい! 果たして父親は、イエスさまのこの威厳に満ちたことばに、心が動かされ、悔い改めました。信じます。不信仰な私をお助けください! 父親は、自分が不信仰であることを叫びつつ認めました。そして、イエスさまにすがりました。 私たちも、信仰が形ばかりで、ほんとうのところはイエスさまを信じていない、そんな者であることを、ときに認めざるを得なくなるときがあります。そんなとき、私たちのすることは、自分が不信仰であることを認め、悔い改めてイエスさまにすがることです。そうするとき、イエスさまは私たちの生きる現場に、実際に働いてくださいます。それは、私たちを愛してくださり、私たちのことを心配していてくださるからです。イエスさまは、不信仰から信仰に立ち帰る私たちに、必ずみわざを行なってくださいます。 かくして、イエスさまはこの子にみわざを行われました。悪霊を追い出されました。悪霊は最後の悪あがきをしました。暴れるだけ暴れて、この子から出ていくと、この子は死んだようになりました。この子の存在すべてが悪霊に支配されていたことの証拠とも言えましょう。悪霊が出ると、文字どおり彼は空っぽになりました。 しかし、イエスさまがその子の手を取って起こされると、その子は立ち上がりました。イエスさまの御手によって、その子はもはや悪霊とは関係のない、神の人となったのです。そうです、人は悪に支配されていたならば、その悪と縁を切ったとき、まるで死んだようになるでしょう。しかし、その人の生きがいは、悪に戻ることではなく、イエスさまという新しい主人に従うことです。そうするならば、その人は生きるのです。こんにちを生きる私たちは、まさにそのように人々から悪の縁(えにし)を断ち切り、イエスさまというまことの神さまに立ち帰らせ、その人を永遠に生かすことです。 しかし、弟子たちには解決すべき問題がありました。イエスさまにできることが、自分たちにできなかった。それでは、イエスさまの弟子としてふさわしくないことになります。もっとストレートに言ってしまえば、無能、ということになります。この問題を解決しなければなりません。彼らはイエスさまに、自分たちには霊を追い出せなかったのはなぜでしたか、と尋ねました。 すろと、イエスさまはお答えになりました。この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出すことができません。 イエスさまは弟子たちの、何を問題にされたのでしょうか? 祈らなかったことです。もし、弟子たちがちゃんと祈っていれば、この悪霊は彼らにも追い出せていた、ということを語っておられるわけです。 ここでも、信仰ということが問題にされたわけでした。弟子たちは、自分たちの力で悪霊追い出しをしようとしていました。実際、弟子たちには経験がありました。彼らが命じると、悪霊どもも言うことを聞く、ということを、実際に体験していたので、今度もきっとできるはずだ、と、彼らが過信していた可能性もあります。しかし、主のみわざに用いられるということは、経験があればだれでもどんなことでも可能である、ということではありません。イエスさまは、祈りが必要だ、とおっしゃったのです。 それでは、なぜこの働きをする上で「祈る」必要があったのでしょうか? それは、まず、自分たちの力ではできないことを認識し、しかしそれでも、この悪霊追い出しは神さまのみこころであるから、イエスさまの弟子として必ずできるという信仰に立ち、神さまの力を求める必要があったからです。 ただし、この働きは、何を差し置いても、この子どもに対する愛が必要でした。愛なきミニストリーは、たんなる「人間的な作業」にすぎません。自分も神さまの愛をいただいている者として、その愛をもって熱く子どもを愛する、ここに、信仰を働かせる余地が出てまいります。私たちにとっても、だれかのために祝福を祈ったり、いやしを祈ったりすることにおいても、このように相手を熱く愛する愛が必要で、しかし愛を十分かつ具体的に施しきれない自分であることを認め、神さまに祈る、しかし、みこころにかなうことだから必ずくださると信じて祈る、その祈りが必要となるわけです。私たちの信仰が、愛とともに問われることになります。 ある聖書の写本では、この部分に、「祈りと断食」と書かれています。それを見ると、断食の祈りというものの効果を見ることができます。しかし、注意が必要です。私たちの祈りが聞かれ、主がみわざを行われるのは、どこまでも、私たちの信仰が応えられるゆえです。一生懸命の祈りとか、断食しての祈りとか、そういうことを「行い」として実践することで、祈りを聴いていただけると思ってはなりません。それは、私たちの行いを正当化することです。 私たちには経験があると思いますが、長い時間をかけてお祈りすることは簡単なことではありません。とても体力がいります。大声で祈るとなるとなおさらです。断食ともなりますと、どれほどの体力を消耗するかわかりません。しかし、そうやって一定の時間をかけて努力して祈ったとき、罠となるのは、それだけいっしょうけんめい祈ったということに対し、自分なりに満足を覚えてしまう、ということです。それは信仰による祈りではなく、自分の正しさによる祈りということにならないでしょうか。 しかし、それならば、「祈りによって」、あるいは「祈りと断食によって」とイエスさまがおっしゃったことばは、矛盾しているのでしょうか。そういうことではありません。私たちは信仰を働かせるならば、何を差し置いても祈らなければという思いが生まれます。そして、祈るのです。祈るという行為を積み重ねて神の心を動かす、ではなく、神さまのみこころに動かされて祈るようになる、というわけです。これは、体験した人ならわかります。 時にその祈りは、断食の祈りに促されることがあります。私は断食というものについて、このように考えています。祈らなければ、という御霊の思いに支配されるあまり、食べ物ものどに通らない、祈るしかない、祈ろう、となって、結果として断食の祈りとなると考えます。そういうわけで断食の祈りは、したからといって偉いわけではありません。。 イエスさまは人を救うという目的を掲げて、時には断食もものともせずに、つねに父なる神さまと交わる祈りをささげていらっしゃいました。その祈りの対象が、たとえばこの子どもでありました。そしてイエスさまの祈る対象は、私たちひとりひとりでもあるわけです。イエスさまは今もなお、父なる神さまの右の座で私たちひとりひとりのためにとりなして祈ってくださっています。 このイエスさまと交わりを欠かさぬとき、私たちもまた、イエスさまが祈られたように、祈りに一生懸命になるように導かれます。時にそれは、食べ物ものどを通らないような祈りになるかもしれません。それでも、祈れるならば、私たちはしあわせではないでしょうか? それだけ、私たちが信仰を働かせる領域が拡大することになり、私たちを愛してくださっている主は、私たちの信仰の祈りに応えてくださいます。