「イエスの母、十字架の前に立つ」

聖書箇所;ヨハネの福音書19:25~27/メッセージ題目;「イエスの母、十字架の前に立つ」 今日お配りした月報のほうに詳しく書きましたが、むかし同じ教会でともに働いた韓国人の婦人宣教師の先生が、おととい、天に召されました。私よりも20歳ほど年上の独身の方で、まだ働き人としての経験に乏しかった私のことを、いつも励ましてくださった方でした。しかし、何がいちばんお世話になったかといえば、妻を紹介してくださったことでした。 ともに働いていた頃のことで、忘れられないエピソードをお話しします。当時その韓国人教会には、日本人の大学生の男の子が来ていました。心痛むことですが、彼は幼いころ、お母さまを亡くしていました。ある日教会で、私が彼とその宣教師先生と3人で一緒に立ち話をしていたところ、別の韓国人の婦人がその話の輪に近づいてきて、彼に話しかけて言いました。「お母さんですか?」なるほど、年齢的にはちょうどそんな感じです。宣教師先生も男の子も、ちがいます、といいながら、まんざらでもない表情を浮かべていたのを、私は今でも覚えています。 あのとき私は、その韓国人の姉妹のことばに、勘違い以上の深い意味を見出したものでした。まことに教会という共同体は、新しいお母さんができる場所です。また、新しくお母さんと呼んでもらえる場所です。 今日はこの「母」ということを考えてみたいと思います。今日のみことばに登場するおもな人物は、イエスさまのほかに、マリアと、イエスさまの弟子です。イエスさまの弟子は、このヨハネの福音書の最後で明かされますが、福音書を記したヨハネのことです。 イエスさまの母となった人物は、歴史上ただ一人、マリアだけです。そういうこともあって、歴史的にキリスト教会はマリアという人物を特別視してきました。しかし、宗教改革の伝統を引き継ぐ私たちは、マリアを特別視することから脱し、マリアもまた、神の前にひとりの人であると見なしています。 それでもマリアは、私たちにとって学ぶべき模範であることに変わりはありません。最大の学ぶべきこと、それを知る鍵は、マルコの福音書3章31節から35節をお読みすれば見えてきます。おひらきいただきたいと思います。 みなさん、この箇所を読んで、どうしても引っかからないでしょうか? このみことばの締めくくりにイエスさまがおっしゃった、だれでも神のみこころを行う人、その人がわたしの兄弟、姉妹、母、とおっしゃっています。 要するにイエスさまは、霊の家族は肉の家族に優先することを説いていらっしゃるわけですが、それにしても「だれでもイエスさまの母」という表現は、何のことだろうと思わないでしょうか? イエスさまの兄弟、ですとか、姉妹、ならまだわかるでしょう。 しかし、母、となるとどうでしょうか? 私たちがイエスさまの親になるとでもいうのでしょうか? 特に女性の方は、イエスさまを産むのだろうか、なんと畏れ多い! とお思いになりませんでしょうか? とんでもないことです。しかしイエスさまは、はっきりそうおっしゃったのでした。 もちろんこれは、イエスさまの霊的なお働きを肉の家族の論理でやめさせようとするマリアの間違いを正そうとされたという意図も含まれています。わたしの母ならば、神さまのみこころを行なってください、つまり、神の国を宣べ伝えるわたしの働きをやめさせようとしないでください、ということです。しかし、それ以上に私たちは「『だれでも』わたしの母です」とおっしゃっているこのみことばに注目する必要があります。 神のみこころを行う以上、「私たちが」イエスさまの母と見なしていただける、ということです。とは言いましても、いかにイエスさまにそう言っていただけるからと、「はい、私は神さまのみこころを行なっているから、イエスさまの母です」などと堂々と言える人など、まともな神経のクリスチャンならば恐らくひとりもいないと思います。 この難しいみことばを知るには、唯一、イエスさまの母であったマリアがどういう人であったかを、みことばから知る必要があります。イエスさまを産んだマリアのような特別な人からは何も学べない、ではないのです。神のみこころを行う者をイエスさまはご自身の母と呼んでくださるからには、私たちは母マリアから学ぶべきである、のです。 今日のメッセージは、十字架の前に立つマリアの姿と、いくつかのみことばを関連させながら語ってまいりたいと思います。 第一に、マリアは十字架の前に立つすべての人の代表選手です。 イエスさまにつき従っていた人たちの中で、十字架の前に立っていたことがはっきりみことばに記されている人は、多くはありません。弟子たちは逃げ去り、どうにか、ヨハネは十字架のそばにいた模様でした。しかし、この十字架の前にいた人たちの中で、女性たちのことがみことばに特記されています。イエスの母とその姉妹、そしてクロパの妻マリアとマグダラのマリア。 ある牧師先生がこの場面のことを語られたとき、こんなことをおっしゃっていました。男は弱い! みんな逃げた! それに引き換え女性は強い! ほんとうにそうだと思います。教会の多くの部分を姉妹方に支えていただいているという事実を見るにつけ、しみじみそう思います。 婦人たちはイエスさまの十字架を見届けました。しかしその中でも、マリアはどうでしょうか? 彼女はイエスさまをみごもり、お腹を痛めて産んだ人です。それも、人口調査の旅の果てに、どこにも宿屋がなくて、馬小屋で産むという大きな苦しみを伴ってです。それから30年近く、育て、そしておそらくはヨセフが亡くなってからは、大工の家庭の大黒柱としてイエスさまに頼って生活しました。単なる関係ではないのです。親子です。 そんなマリアが、息子の傷つき果て、のろいを受けて死んでいく姿を、じっと見つめつづけたのです。私たちにそんなことが起こったならば、果たして耐えられるでしょうか? ルカの福音書2章34節と35節をご覧ください。マリアはこの預言を受けたとき、まちがいなく、まるで剣が心を刺し貫かれるようなショックを受けたはずです。この男の子によってあなたの家族は祝福されます、と言われたのではなく、人々の反対にあうしるしとして定められています、あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります……何ということを言われたのでしょうか。 シメオンのことばは続きました。「それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」人々は十字架を前にして、まるで心が剣で切り刻まれるようになって、自分の罪が明らかにされ、痛みとともに悔い改めに導かれます。 マリアは、息子を十字架に送り出すことで、果てしない痛みを心に負いました。しかしそのことによって、人々はまことの悔い改めを体験し、神さまの民として回復されるという、みこころが成就したのでした。 マリアは、十字架を前にして、心は千々に切り裂かれていました。しかしそれは、母親として死にゆく息子の前に立つということ以上の意味がありました。自分もまた、神の前に立つ罪人として、心が切り刻まれ、罪が悔い改めに導かれるという、何にもまして貴い体験をしていたのでした。 映画『ジーザス』や『パッション』などを見ると、イエスさまの十字架の残酷さに、思わず私たちは目をそむけたくなります。しかし、私たちはイエスさまの十字架の残酷さそのものに関心を持つのではありません。イエスさまがかわいそうだから心が動かされるのではありません。 そのように十字架でイエスさまをずたずたにするほど私たちの罪はひどいもの、しかし、その罪をすべて赦してくださったことを、私たちはイエスさまの十字架を思い、感謝するのです。 私たちはマリアのごとく、イエスさまの十字架の前に立ちつづけることができますでしょうか? 今週の受難週、私たちはいつにもまして、イエスさまの十字架を思うものとなりたいものです。 第二のポイントです。マリアは、十字架によって新しい家族をつくっていただくクリスチャンの象徴です。 26節、27節をお読みしましょう。……イエスさまは、十字架に死なれるという御父のみこころを成し遂げられるという大きな使命がありました。しかし、家族を残していかなければなりませんでした。特に、寡婦のマリアをどうしなければならないか、という、大きな問題がありました。 イエスさまはこのマリアを、愛する弟子のヨハネに託されました。しかし私たちは思わないでしょうか? たしかイエスさまには、弟たちがいるはずではないか? その中でもヤコブとユダは、初代教会の指導者にもなったし、聖書のみことばも書いているではないか? 彼らがマリアのケアをすればよかったのではないか? しかし、ヨハネがマリアのケアをするということは、2つの理由から必要なことでした。 まず、主の兄弟たちは、イエスさまを信じていない人たちでした。彼らがイエスさまを信じていなかったことは、ヨハネの福音書の7章にはっきり書いてあります。 また、イエスさまから「わたしの兄弟姉妹、わたしの母」というおことばを引き出すきっかけになったのは、マリアと彼ら兄弟たちがともにイエスさまを連れ戻しに来たことからでしたが、ある牧師先生によれば、主の兄弟たちがマリアをそそのかして連れ戻しにやって来たと解釈できる、いけなかったのは兄弟たちだった、ということでした。 一方でマリアは、こうしてイエスさまの十字架の前に立つほどの信仰を持っていました。十字架の前にいたということは、私はイエスの母です、と言っていることであり、それは、私はイエスを信じています、と表明しているのと同じことです。 ここでマリアは、ほんとうの意味でイエスさまがおっしゃるところの「わたしの母」となることができたのでした。イエスさまはここでマリアに向かって「女の方」と言っていますが、この呼びかけのことばは、カナの婚礼の時にぶどう酒が切れて困ったことになったとき、イエスさまに助けてもらおうとしたマリアに向かい、イエスさまが呼びかけたおことばでもありました。「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。」 特に日本語の聖書でこの箇所をお読みすると、イエスさま、実(じつ)のお母さんに向かってなんてつれない言い方をなさるのか、という印象を受けるかもしれません。しかし、この「女の方」というおことばは聖書によっては「お母さん」と訳してもいて、まったく突き放した言い方をなさっているとはかぎらないとも言えます。 それでも、女性に対する尊称のようなこの呼びかけを用いておられても「お母さん」とはっきり呼びかけておられないのはたしかなことで、ここにマリアは、イエスさまとは肉親としてではなく、霊の家族として結びつけられる必要があったことが垣間見えます。 そして、イエスさまは十字架にかかられ、あのときマリアに語った「わたしの時」が、ついに実現しました。あのときの呼びかけと同じ呼びかけで、イエスさまはマリアに「女の方」と呼びかけました。イエスさまの時が実現した今、あなたは霊の家族に迎え入れられるのです……。 そうです。マリアはそういうわけで、イエスさまを信じない肉の家族ではなく、霊の家族に属して生活する必要があったのでした。その、迎え入れる家族に、イエスさまはヨハネを指名されました。自分自身が告白するとおり、ヨハネはイエスさまに愛された弟子です。イエスさまの愛を受けて、イエスさまの母親をケアするのに、ヨハネほど適切な人はいませんでした。肉の家族であるイエスさまの弟たちではなく、ヨハネがケアすることで、マリアは名実ともに神の家族、キリストのからだの一員となったのでした。 そして、ヨハネがマリアのケアをした、もっと大きな理由……それは、神さまご自身がそう願われた、ということです。 のちに主の兄弟たちは、イエスさまを信じて神の家族に加わり、長じて初代教会の指導者にまでなりました。しかし、そんな彼らが、だからということでマリアを改めて家族として受け入れたという記述は、聖書にありません。あるのは、ヨハネがマリアを母親のように受け入れて生活した、という記述だけです。 この記述はヨハネの福音書に書かれているわけですが、記述がほかならぬヨハネによる福音書に残されていることは、初代教会の人間関係を知る手掛かりとなります。それは、マリアをケアする責任をイエスさまから託されたヨハネ自身の偽らざる告白が、そこになされているということ、そして、福音書というものが初代教会の産物である以上、マリアをケアすることが、主の兄弟たちを含む初代教会の指導者たちに広く認められていたということ……というより、彼ら指導者たちも、ヨハネがマリアのケアをすることはイエスさまのみこころだと認めていたこと……そういうことがこの26節、27節のみことばから見えてきます。 十字架は私たちを、愛し合う家族にします。それが天のお父さまの願っていらっしゃることです。十字架によって私たちは天のお父さまを、お父さんと呼ばせていただく、同じ家族になります。マリアが肉の家族を超えて、霊の家族に入れられたように、私たちも霊の家族に入れられ、ともに成長するのです。 うちの教会も親子でクリスチャンという方が何家族かいらっしゃいますが、肉の家族であることで終わるのではなく、霊の家族が肉の家族にしていただいた存在として、ともに生活するものとなりたいものです。私たちクリスチャンの大前提は、霊の家族です。 イエスさまは、だれでも神のみこころを行うならその人はわたしの兄弟、わたしの姉妹、わたしの母とおっしゃいました。唯一イエスさまの母であったマリアは、イエスさまの十字架の前にひとりの人として立ち、心が剣で刺し貫かれました。私たちもイエスさまの十字架の前に立つならば、心が刺し貫かれます。この受難週、特にイエスさまの十字架を思い、心からの悔い改めに導かれますようにお祈りします。 また、この悔い改めは一人で完結するものではありません。ともに神の家族とされている私たちが、ともに行うことです。私たちは、同じ神さまを父としてともに悔い改め、ともに罪赦されます。 そのようにして罪赦されたどうしが、愛し合い、仕え合い、神の国をこの地に宣べ伝えるのです。それがイエスさまの願っていらっしゃる、神のみこころを行うことであり、イエスさまはそのような私たちのことを喜んで、ご自身の家族と呼んでくださいます。 この受難週、十字架の前にともに進み出て、ともに主の家族とされていることを感謝してまいりたいと思います。では、お祈りします。

ピラトとは私たちである

聖書箇所;ヨハネの福音書19:1~22/メッセージ題目;ピラトとは私たちである 「茨城世の光伝道協力会」、今週金曜日に総会がうちの教会の礼拝堂を会場に開かれますが、この協力会の機関紙の名前は「茨の城を花園に」といいます。茨城県がまだまだ福音宣教が大いになされるべき荒野のような場所、というイメージをかきたてられます。まさに茨城は「茨の城」、茨の地です。 茨、というものは、アダムの罪以来、土地がのろわれたゆえに地が生えさせたのろいの象徴です。そう考えますと、茨城とは、なんと重い名前だろうか、と思わざるを得ません。うちの教会の所在地なんてどうでしょうか? 茨城県東茨城郡茨城町、「茨」がこれでもかと出てきます。それだけに、冗談ではなく、茨の冠をかぶられたイエスさまをより深く思い、茨の地、茨城を覚えてとりなして祈る私たちとなりたいと、切に思います。 さきほどお読みしたみことばの中に、茨の冠をかぶせられたイエスさまのお姿が登場します。この冠をかぶせたのは、総督ピラトです。 私たちが礼拝ごとに告白する「信徒信条」の中に、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」というくだりがあります。この告白には、ローマ総督として実在したポンテオ・ピラトの下でイエスさまは確実な苦しみを受けられた、ということ、また、ポンテオ・ピラトとはイエスさまを苦しめた張本人であった、ということが明らかにされています。 しかし、私たちがいつも礼拝のたびに、ポンテオ・ピラトの名前を口にして、ああ、彼は悪い人だ、という理解にとどまっているだけならば、私たちの信仰はまだ幼い段階にあります。私たちにもし、自分こそがイエスさまを十字架につけた罪人だ、という意識があるならば、この「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」という告白には、心が痛むのではないでしょうか? ああ、ポンテオ・ピラトとは私のことだ。 今日はポンテオ・ピラトの姿から学びましょう。もちろん、反面教師としてのピラトですが、この姿は私たちの姿でもあります。私たちがイエスさまとの正しい関係を保つため、悔い改めるべき罪を悔い改めるため、ピラトの姿から学びたいと思います。 第一にピラトは、残忍な者でした。 ピラトは、イエスさまには十字架刑に当たる罪がないことを知っていました。ユダヤの宗教指導者たちは、自分たちの権威が失われるから、イエスさまをなき者にしよう……十字架につけて神にのろわれた者としてしまい、イエスさまの権威を一切葬り去ろう ……このようなユダヤの宗教指導者の言い分をそのまま認めるということは、ローマの権威を託された政治家の沽券にかかわることでした。 しかし、ピラトはここで自分に与えられた権威を、あらぬ方向に用いました。イエスさまを痛めつけたのでした。 みなさま、むちで打つといいますと、どんなイメージを受けますでしょうか? むかしの欧米などでの子どもの躾でしょうか? しかし、イエスさまに当てられたむちは、あんな細いものではありません。もっと太くて堅牢なものです。 東京の寄席に、落語の合間に手品を披露する、伊藤夢葉(いとうむよう)という手品師がいます。この人は舞台に登場すると、自己紹介のあいさつ代わりに、ブル・ホイップという、かなり長くて太いむちを取り出して、それを一振りします。バン! という、凄まじい音が客席に響きます。新宿末廣亭(しんじゅくすえひろてい)のような建物がめちゃくちゃ古い寄席でそれをやると、舞台が壊れるんじゃないかとひやひやしますが、夢葉さんによると、この大きな音は空気を切る音で、床には一切当たっていないとのことです。 ……でも、それだけの芸で、手品でもなんでもない、観客は拍子抜けして笑いだす仕掛けなのですが、私などはそれを見て、なんか勉強になったような気がしたものでした。ブル・ホイップ……イエスさまやパウロもあのようなむちでたたかれたのかな……あんなのでたたかれたらひとたまりもありません。 しかも、イエスさまの当時のむち打ち刑といえば、そのようなブル・ホイップのようなむちに、あちこち、石や鉄の破片を埋め込んでおき、それでたたくわけです。からだがずたずたに……すみません、前の席にはそういう話が大嫌いなお嬢さんが座っているので、詳しくは話しませんが、これで何度も叩かれたら、血まみれ、こぶだらけ、骨折、脱臼……。 それに飽き足らず兵士たちは、茨の冠をかぶせました。私たちがよく見かけるバラのとげのようなものではありません。もっとずっと太く、鋭いものです。これで頭を締めつけるなら、顔も血まみれになりますし、痛いでは済まないことです。 そして、「ユダヤ人の王さま、万歳」と嘲りながら、顔をたたきました。畏れ多くも神の子に対して、なんという侮辱でしょうか。ピラトたちはイエスさまのことを、肉体的に痛めつけるに飽き足らず、精神的に痛めつけることに快楽を見出していた、ということです。 注解書を読むと、このようにイエスさまを痛めつけた上でユダヤ人の前に引き出したのは、この哀れな姿を見るがいい、この姿に免じて、おまえたちの言うところの「罪」を許してやれ、と、ピラトがユダヤ人たちにあわれみを乞うたからだ、と説明するものもあります。 たしかに、そのような要素はあったでしょう。しかし、そうまでしてユダヤ人のあわれみに訴えようとしたのならば、なぜこのむち打ちをユダヤ人の面前でではなく、総督官邸の中という、ユダヤ人の見ていないところで行なったのでしょうか。百歩譲って、激しいむちうちのあとが残る形でイエスさまをユダヤ人の前に出したとしても、そのような形が残るわけでもないあざけり、ユダヤ人の王さまがどうたらこうたら、とか、証拠も残らないことを兵士たちがすることを、なぜピラトは許したのでしょうか。 それは、それだけ残忍だったからとしか説明のしようがありません。さすがはピラト、ガリラヤ人を虐殺し、彼らが神さまにささげるいけにえに彼らの血を混ぜるようなことをしただけのことはあります。 しかし、ピラトだけが特別な罪人なのでしょうか? 私たちはどうなのでしょうか? 詩篇1篇1節にはこのようにあります。幸いなことよ、悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、嘲る者の座に着かない人……このことばから詩篇が始まっているのは象徴的です。それは私たち人間がみな罪人であり、悪しき者にふさわしいはかりごとをする者であり、人を嘲る者だからである、ということではないでしょうか? それなら私たちは、みなピラトのようであり、詩篇1篇1節の語る「幸いな人」の反対に当たる人ということではないでしょうか? そう考えると、私たちは残忍なのです。いや、私はそんな残忍ではありません、それが証拠に、イエスさまのことを迫害していません、私はピラトとちがいます、と言いますでしょうか? しかしほんとうのところ、私たちは人をのろい、神をのろうような罪人です。行動に移さないだけで、私たちは残忍なのです。 ヤコブの手紙によれば、人をのろうということは、神にかたどって造られた存在をのろうということです。それはとどのつまり、神をのろうということ、神の子イエスさまを迫害することにならないでしょうか? 私たちは正義の味方になったつもりで人をさばきますが、問題なのは人を憎むこと、人を見下げることそのものです。 それは実のところ畏れ多いこと、神をも恐れぬことをしていることを、私たちはもっと意識する必要があります。繰り返します。私たちは残忍なのです。 私たちがだれかのことをあざけったり、こきおろしたりすることなら、それはイエスさまに対し、むちをふるうことです。神さまがご自身のかたちに創造された存在をのろうことを私たちがしているかぎり、私たちはその責めを負うことになります。私たちがこの責めからのがしていただくためには、まず私たちはそのような罪人、神の子にむちを振るう罪人であることを認める必要があります。このことを認めることはとてもつらく、直視に耐えないことですが、するしかありません。そこから私たちは、血まみれの罪からのがしていただく道が開けます。 第二にポイントにまいります。ピラトは、保身の者でした。 ピラトは、血まみれになり、さらにはあわれな王の格好をさせられたイエスさまを宗教指導者たちの前に連れてきました。どうだ、見たか、これで気が済んだだろう……しかし、ピラトの目論見は失敗に終わりました。彼らはこんなになったイエスさまを見てもなお、十字架につけろ、十字架につけろ、と叫びつづけました。 この叫びに対し、ピラトは言います。おまえたちがこの人を引き取り、十字架につけるがよい。私はこの人に罪を見出せない。 要するにピラトは、イエスさまを十字架につける責任者という立場から逃げようとしたのです。責任者はおまえたちだ。私は知らない。ピラトの保身が読み取れます。 しかし、ユダヤ人たちは容赦しませんでした。私たちには律法があります。その律法によれば、この人は死に当たります。自分を神の子としたのですから。 律法は何と言っていますでしょうか? 彼ら宗教指導者たちは、レビ記24章16節を適用した模様です。神の御名を汚した者は死刑に処せられる。ご自身を神の子であると告白したイエスさまは、宗教指導者たちにしてみれば、神の御名を汚した者ということになります。 だが、彼らにとって律法がそれほど大事なものの割に、彼らはきわめて重要なことを、意図して捻じ曲げています。まず、ご自身が神の子であるとイエスさまが告白されたことを神への冒瀆と判断したことは、ユダヤの宗教指導者という人間しての判断でこそあれ、神さまご自身によるご判断ではありませんでした。彼ら宗教指導者たちがねたみゆえにそのような判断を下したとわかる余地があり、ピラトもそのことに気づいていました。 また、よしんばそれが神への冒瀆だったとしても、彼らにとってそれほど神さまとそのみことばが大事な割には、処刑の方法が間違っていました。 神への冒瀆をした者は石打ちで処刑されるべきでした。ステパノの殉教もそのようにして石打ちで殺されたものでした。それが十字架だというのです。石打ちで死ねば英雄の殉教と見なされるでしょうが、十字架で死んでは何をどうしても、のろわれた極悪人にしかなりません。ユダヤ人がイエスさまに手を下すには、十字架以外に方法がなかったのでした。 しかし彼らユダヤ人は、勝手に人を十字架で処刑することなど許されていませんでした。もしそれをしてしまったら、それは宗主国ローマに対する越権行為であり、十字架刑を施したほうが重罪に問われます。したがってユダヤ人がイエスさまを十字架につけるには、ローマの権威を用いるしかなく、ローマの全権を帯びた総督ピラトを動かすしかなかったのでした。 しかし、当のピラトにしてみれば、せいぜいそれはユダヤ民族の内輪のもめごとに過ぎません。いかにピラトが残忍でも、無実の者をよりにもよって十字架刑に処するわけにはいきません。 だがここで宗教指導者たちは、イエスはわれらの律法によれば死刑だ、とピラトに迫りました。その一方ですでにユダヤ人たちは、私たちはだれも死刑にすることが許されていません、とも言っています。つまり、私たちユダヤ人が死刑と決めた者は、ピラトよ、あなたが死刑にしなければならないのです、ということです。 ピラトは震え上がりました。今度はピラトは、あらためてイエスさまに尋問することにしました。あなたはどこから来たのか、と問いますが、その問いに黙秘を貫かれるイエスさまに対し、ピラトは、私に話さないのか、私にはあなたを釈放する権威があり、十字架につける権威もあることを、知らないのか、と迫りました。 だが、ピラトはここで重大な勘違いをしていました。ピラトには実際のところ、イエスさまを釈放する権威も十字架につける権威もありませんでした。 ピラトのその権威は、ローマ帝国という後ろ盾があってはじめて存在するものでした。いえ、もっと言えば、そのローマ帝国の権威すら、全地の王であられる神さまの権威があって初めて成り立っているものでした。 イエスさまはそんなピラトの尊大な勘違いを指摘され、おっしゃいました。上から与えられていなければ、あなたはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに引き渡した者に、もっと大きな罪があるのです。 ピラトとちがって、イエスさまをローマの権威に引き渡したカヤパたち宗教指導者は、そもそも権威とは何かということをよくわかっていましたし、またわかっていなければならない立場にありました。彼らにとっての権威は、神さましかないはずです。だが彼らは、神さまよりもピラトの権威を上だと見なし、畏れ多くもそのこの世の権威にイエスさまを引き渡すということをしたのでした。 ピラトも残忍、また尊大、それでいて卑怯という点において大いなる罪人でしたが、イエスさまはそれ以上にカヤパたちの罪が大きいとおっしゃいました。その姿は、ついには「カエサルのほかに、私たちに王はありません」と告白した姿に明白に現れました。かつて彼ら宗教指導者たちは、カエサルに税金を納めることは律法にかなっていますか、かなっていませんか、とイエスさまに迫りました。あのことばとなんとも矛盾していますが、イエスさまをなき者にしようという点で、宗教指導者たちのことばは一致していたと言えます。 だからといって、ピラトの罪が減じられるかというと、そんなことはありません。やはり使徒信条が告白するとおり、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」なのです。いかなる理由であれ、ピラトが判断を下したからこそ、イエスさまは十字架につけられたのです。 暴動が起こったらその責任を問われ、ローマ総督の座を追われるかもしれない……マタイの福音書によれば、ピラトは水を持ってこさせてそれで手を洗ってみせ、自分の責任を逃れるパフォーマンスをしました。 だがやはり、ピラトは残忍な男でした。ヨハネの福音書には書いてありませんが、ほかの福音書を読むと、ピラトは判決を下してイエスさまのことを十字架につけるにあたり、ただでさえむち打ちで血まみれ、傷だらけになっていた主のみからだを、まるでだめ押しのようにむち打ちにしました。自分には責任がないなんて大嘘です。責任は大ありなのです。 エデンの園で、善悪の知識の木の実を食べたことを神さまにとがめられたとき、アダムは言いました。「あなたが私のそばに置いた女が食べろと言ったので、私は食べたのです。」エバは言いました。「蛇が私をだましたのです。」人の罪とは、自分が罪を犯したことを、神さまのせい、他人のせい、悪魔のせいにして、けっして自分で責任を取らないことです。しかしはっきりしていることは、何をどうあがこうとも、その罪の責任は必ず自分が取らなければならないことです。 保身に走って罪の責任から逃れようとするピラトの姿は、私たちの姿です。自分が罪を犯したことを神と人の前に認めることは、とても難しいことです。 しかし、しなければならないことです。だからこそ私たちは、神さまのあわれみにすがる必要があります。イエスさまは、罪を認めて悔い改めることも簡単にはしないような、そんな私たちであることをご存じで、そんな私たちの身代わりに十字架にかかってくださいました。私たちは、自分の中には罪を認めて悔い改める力はありません。日々十字架の前に自分を引き出し、ひざまずくのみです。 第三のポイントにまいります。ピラトは、はからずも主のみこころを成し遂げた者でした。 ピラトは言ってみれば、負けたのでした。それも、自分が支配しているはずのユダヤの宗教指導者たちに負けたとは、たいへんな屈辱というべきことでした。ピラトはイエスさまの十字架に掲げる罪状書きに「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」と書きました。それも、ヘブル語、ラテン語、ギリシア語なので、エルサレムに過越の巡礼に来ていた人は、みんなそれを読んで理解できる仕掛けになっていました。 もちろん、宗教指導者たちはピラトのこの措置に不満をいだきました。われわれが十字架につけたのはユダヤ人の王ではない、ユダヤ人の王を自称した者だ。 しかし、ピラトはここで最後の抵抗をしました。「私が書いたものは、書いたままにしておけ。」これはもともとのことばを直訳すると、「私が書いたものは、私が書いたのだ」となります。これは要するにこういうことです。ユダヤ人どもよ、おまえたちがイエスを十字架につけたのは、私ピラトの権威によってではないか、ならば、イエスを十字架につけるだけの罪状を定める権威は私ピラトにあると認めよ、おまえたちユダヤ人は、この件について一切発言することを許さぬ……。 もし罪状書きに、ユダヤ人の王を自称したと書いたならば、それこそピラトはユダヤ人の言い分に屈服したという証拠になり、ピラトの面目は丸つぶれです。ではなぜ、ピラトは罪状書きを「ユダヤ人の王」にしたのでしょうか? それは、ピラトがイエスさまを尋問してきた中で、「ユダヤ人の王」ほどふさわしい「罪状書き」はなかったと確信したからではないでしょうか? とは言いましても、なぜ、ピラトがその確信に至ったかは、ピラトの心理分析のようなことを行なっても、恐らく正解は出てきません。確実に言えることは、ピラトはイエスさまのみことばを聞いて、イエスさまのおっしゃっている「ユダヤ」とは、自分が支配している「ユダヤ」のこと、という意味以上に、イエスさまのみことばをお聴きしてお従いするすべての人のこと、という、それまで考えてもみなかった真理を教えられたことです。…

「十字架を巡る反面教師」

聖書箇所;ヨハネの福音書18:28~40/メッセージ題目;「十字架を巡る反面教師」  東京の永田町には、国立国会図書館という施設があります。日本で唯一の国立図書館で、国会と名乗りますが、一般人も未成年でなければ利用できます。私も何度となく利用してきました。これまで日本で出版されて一般に出回った本ならたいてい閲覧できて、とても便利です。難しい本から、マンガも雑誌もなんでも読めます。コロナが収まったら、何かの機会にぜひ行ってみられることをお勧めします。  その貸出・返却カウンターの上のコンクリートの壁に、聖書のみことばがギリシャ語で刻まれているのをご存じでしょうか? その左側には日本語も書いてあります。「真理がわれらを自由にする」、はい、そうです、イエスさまがおっしゃったみことばで、ヨハネの福音書8章32節、「真理はあなたがたを自由にします」、このみことばの一節です。  この「真理がわれらを自由にする」ということばは、1948年に起案された国立国会図書館法という法律の前文に明記されています。「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和に寄与することを使命として、ここに設立される。」このように書かれたのは、当時の参議院図書館運営委員長であった歴史家の羽仁五郎が、留学先のドイツのフライブルク大学図書館で目にしたこの銘文を盛り込んだからだそうです。  イエスさまはおっしゃいました。わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。人はイエスさまという真理によって自由を与えられるから意味があります。 図書館は知の結晶ともいうべき場所で、それはそれで素晴らしいにはちがいありませんが、本の数だけある真理など、果たして真理と呼ぶにふさわしいでしょうか。そのようなあいまいな真理が人を自由になどしてくれるでしょうか。だから「何が真理か」「だれが真理か」ということが、とても大事な問題になってくるわけです。 きょうの箇所でも、イエスさまを尋問するポンテオ・ピラトが、イエスさまに向かって「真理とは何なのか」という場面が出てきます。真理とは何かを問う。それは、意識ある人間ならだれでも取り組むべきことでしょう。だからこそ、ほんとうの真理に出会う必要があります。 本日のみことばにおいて、ポンテオ・ピラトの前で真実な告白をなさったイエスさまは、ご自身が宣べ伝えてこられた神の国について語りつつ、真理を明かされました。私たちはこのみことばから、何を学ぶことができるでしょうか? ともに見てまいりたいと思います。 この箇所には、真理なるイエスさまを巡って、三者三様の立場が登場します。イエスさまをローマの権威に引き渡した宗教指導者、それをあおってイエスさまを極刑に付そうとしたユダヤ人の群衆、そして、イエスさまをさばく立場にあったピラトです。それぞれの言動はイエスさまの御前に、その実態があぶり出されました。この三者三様の姿は、私たちにとって反面教師となります。以下、見てまいります。 まずは、宗教指導者たちです。彼ら宗教指導者たちは、イエスさまを死刑にする判決を、自分たちの最高議会、サンヘドリンで下しました。 彼らは、イエスさまを死刑にしようと躍起になっていました。彼らはこれまでも、イエスさまに石を投げつけて処刑しようとしてきましたが、果たせずにいました。しかし彼らはここで、もっと残忍な方法でイエスさまをなき者にしようと企み、ついにその企ては実行に移されたのでした。それが、十字架でした。 十字架という処刑の方法が、イスラエル、ユダヤという神の民の間で執り行われるとしたら、それはよほどのことでした。律法書を見ると人を木にかけて死刑にするという記述は申命記21章22節、23節に出てきて、木にかけられる者はのろわれた者であるとわざわざ語られていますが、実際にイスラエル、ユダヤの社会において、人を木にかけて処刑したという記録は、旧約の中にもいくつか見られます。 ヨシュア記を見てみますと、主がアイを聖絶せよと命じられたとき、イスラエルはアイの王を木にかけて処刑しました。聖絶の手段としての処刑です。 時代は下り、サウル王朝が終焉を迎えようとしていた頃のことですが、イシュ・ボシェテ王が殺されました。レカブとバアナによることです。レカブとバアナは手柄を認めよとダビデ王のもとにまいりましたが、主に油注がれた無実の人を殺すなど、よくもこんな大それた罪を犯したものだとダビデになじられ、木にかけて処刑されました。 さらに時代は下り、エステル記の時代となりましたが、ペルシャのスサにおいてユダヤ人は皆殺しにされようとしました。ところが事態は逆転し、この皆殺しをたくらんだハマンは、息子たちともども、木の柱にかけられて処刑されました。いずれも、木にかけられて殺されるとは、ただの処刑とはわけが異なり、よほどのケースです。 宗教指導者たちは、明らかにこの聖書的な背景をわかっていました。わかった上で、イエスさまをのろわれた者にしようという演出をしたわけです。彼らにとって幸いというべきか、ローマの残酷な処刑の方法である十字架刑は、ここユダヤでも実行されており、これまた彼らにとって具合のよいことに、この日の午前9時より実行されることになっていました。この十字架刑によってイエスも処刑してしまえ……のろわれた者としてしまえ……彼らのどす黒い野望が見えてくるようです。 しかし、このようなことをたくらむ彼ら宗教指導者たちは、この期に及んで宗教的であろうとしました。過越の時、宗教的なけがれを受けまいと、異邦人であるピラトの官邸に入らず、彼を外に出させました。何のことはない、宗教指導者たちは、自分たちにとってけがれていると見なす存在を実は有り難がり、彼らに手を下させてイエスさまを葬り去ろうとしたのでした。それも、のろわれた者に仕立て上げてです。どこまでも彼らは卑怯でした。 そんな彼らの宗教的な一貫性とは、いったい何でしょうか。神の前に誠実であることでしょうか? もしそうならば、彼らはイエスさまを信じたはずです。イエスさまを王としなかったことに、深い悔い改めを表明したはずです。しかし彼らのしたことは、高い地位の保障されているわが身を守ることでしかありませんでした。 みなさまにわかっていただきたいことですが、牧師のような献身者になると、自動的に神さまとの交わりを持つようになり、したがって普通の人よりも何倍もきよくなるわけではありません。むしろ神さまは、そのような者たちに対し何倍も重い責任を負わせられます。ヤコブの手紙3章1節に書かれているとおりです。 考えてみてください。イエスさまは宗教指導者たちを指して、人々に、「彼らの言うことは聞きなさい。しかし、彼らの行いをまねてはなりません」とおっしゃいました。いったい、言うことが正しくても行いが正しくない人など、果たして神の御前に正しい人と言えるでしょうか? イエスさまは、そのように「モーセの座を占め、天国の鍵を持っていながら」、人々を間違った方向に導く者たちのことを、それでも愛しておられました。 彼らが神の国に不必要ならば、イエスさまはたちどころに彼らをさばかれ、地獄に落とされたことでしょう。しかし彼らはイエスさまを前にして、いのちを長らえました。イエスさまを十字架につける大それたことをしても、なお生きていました。それは、生かされたということです。 しかし、このような立場にある人は、私のような教職者にかぎりません。イエスさまの愛をもって人々に関わっている人ならば、私たちだれしも、この宗教指導者たちと同じ立場にあると言えます。私たちはみな、さばきの前に立っています。 しかし、私たちがみなこのように、神さまのさばきの前に立っているということは、何を意味するのでしょうか。それは、神さまが私たちのことを嫌っておられ、いつでもさばきの前にさらしておられるということではありません。 わたしの愛する羊たちを、責任をもって飼いなさい、わたしはペテロを愛したように、あなたのことを愛しているよ、と、イエスさまに言っていただいているということです。私も愛されている者として、イエスさまの愛でみなさまを愛します。みなさまもその愛で、互いに愛し合う人となっていただきたいのです。宗教指導者たちのように、イエスさまなど関係ない、形だけの宗教人になっていただきたくないのです。それはとても不幸な生き方です。ともにイエスさまの愛の中にとどまれるように、私たちにとっての教会形成がふさわしい方向に行きつづけるように、お祈りいただければ感謝でございます。 二番目に、ユダヤの民衆を見てみましょう。彼らはつい何日も前ではなく、イエスさまを歓喜に満ちてエルサレムにお迎えした人々でした。彼らはイエスさまに何を期待したのでしょうか? イエスさまこそ、ローマの支配からわれら神の民を解放してくれる王さまだと期待して、イエスさまを迎えたのでした。しかし、イエスさまのなさったことといえば、エルサレム神殿に巣食う商売人たちを追い出したり、姿をくらましたり、人々の前に王として堂々と君臨する姿とは、かなり異なっていました。 その間に宗教指導者たちは、イエスさまは王ではない、大胆不敵にも自分を神とする不逞の輩だと、民を抱き込みました。民は宗教指導者たちに扇動され、ピラトの総督官邸に押し寄せました。イエスを十字架につけろと迫りました。 ユダヤの民衆は、もちろん、自分たちが創造主なる神さまの民であるという自覚を持っていました。そんな彼らはどれほど、自分たちに圧力を加えてくるローマを憎悪したことでしょうか。しかしここでは、イエスさまを葬り去るためなら、ローマの国家権力におもねることさえしたのでした。 そんな彼らは、イエスさまを決して許そうとしませんでした。暴動のかどで処刑されることになっていたバラバを釈放せよとさえ迫りました。 バラバのしたことは、それこそ十字架につけられるにふさわしい重罪です。それを釈放したら、自分たちの安全はどうなるというのでしょうか。自分たちの安全や社会の秩序と引き換えにしても、イエスさまのことを十字架につけようというのでしょうか。 怖ろしいのは群集心理です。イエスさまが自分たちにとっていちばん大事なお方、王さまだったのは、ついこのあいだのことだったというのに、同じ民が同じお方を極悪人に仕立て上げました。信仰を捨てるだけではありません。自分からイエスさまを積極的に十字架につける迫害者になるわけです。宗教指導者たちに扇動されたとか、自分たちの勝手な期待が裏切られたように感じたとか、理由はいろいろあるでしょうが、いかなる理由であれ、彼らがイエスさまを見捨て、裏切ったという事実に変わりはありません。 しかし、そんな彼らも、のちにはペテロの説教で悔い改めに導かれ、イエスさまを受け入れました。彼らのひどい罪は赦されたのでした。 かつて日本のキリスト教会は、国家権力による宗教政策に懐柔され、イエスさま以上に天皇を神として優先させる生き方をしました。信徒たちは、それが当たり前のことと教えられながら生きました。あたかもイエスさまの時代のユダヤ人が、イエスさまを十字架につけることこそ神に奉仕することだと思わされていたようにです。 日本の教会がその歴史を背負っていることを、私たちは今に至る同じ歴史を共有する者として、決して忘れてはなりません。私たちは日本に大いなる信仰の復興が起こることを願っていると思いますが、そのためには、自分もまた先祖たちと同じようにイエスさまを裏切り、十字架につけた罪人であるという自覚を持ち、悔い改める必要があります。 彼らのことを安全な場所から見下ろしてさばいてみても何も始まりません。私たちがすることは、彼らをさばくことではなく、彼らの罪を自分の罪として悔い改めることです。 私たち教会もいわば「集団」ですが、私たちひとりひとりの悔い改めが充分ではないならば、教会というその「集団」を支配する論理は、罪人の論理、すなわち、イエスさまを十字架につけるほどの罪の論理となってしまいます。少なくとも主のからだなる教会においては、そのようなことがあってはなりません。ともに自分たちの罪を認め、徹底した悔い改めを行いつづける私たちとなりますようにお祈りいたします。 第三の立場、それはピラトです。ピラトは、イエスさまを十字架につける権威も、釈放する権威もありました。ということは、ピラトは畏れ多くも、神の子をさばくということをしていたのでした。 ただしピラトは、神の民に属する者ではありませんでした。神の民に属さない者が、神の子をさばく構図です。言ってみれば、クリスチャンではない人がイエス・キリストというお方をうんぬんするのに似ています。 イエスさまは本来、このような立場の者にご自身をお委ねになる筋合いはないはずです。しかしイエスさまはこのようにして、この世の法廷に引き出され、ご自身を委ねられました。この世のさばき主としてイエスさまの前に立つピラトは、イエスさまに問います。「あなたはユダヤ人の王なのか。」これに対してイエスさまは問われます。「あなたは、そのことを自分で言っているのですか。それともわたしのことを、ほかの人々があなたに話したのですか。」 イエスさまが問われたこの問いはきわめて重要です。それはピラトにとっての「ユダヤ」が、単に自分がローマの権威によって治めている一地方か、それとも神の国かという、天と地ほどのちがいをもたらすからです。 私たちは新聞やニュース番組などで「イスラエル」ですとか「ユダヤ」などといった固有名詞を見聞きしますが、それそのものが聖書の語る「イスラエル」や「ユダヤ」を指しているわけではありません。つまりそれそのものが「神の国」を意味しているわけではありません。でも私たちは聖書を読むときに「イスラエル」ですとか「ユダヤ」という固有名詞が出てくるなら、それを「神の国」という意味に読み替えます。もちろん、すべてがすべて読み替えられるわけではなく、文脈にしたがって読み替えるわけです。 私たちはこのように、この固有名詞の持つ二重性を理解して用いていますが、一般的にはそうではありません。ピラトもユダヤの宗教共同体に属していない以上、この世の一般人です。イエスさまのご質問は、あなたはわたしのことを神の国の王と認めているのですか、それとも、あなたの治める地域の指導者たちが言うからあなたはそう言っているだけですか、と、ピラトの心の中を探るおことばでした。 しかしピラトは、私はユダヤ人なのか、そうではない、と答えます。ユダヤ人としてあなたのことが王かどうか知りたいわけではない、ということです。ピラトはユダヤの総督でしたが、ユダヤの、わけても信仰共同体とは、はっきり一線を引きました。 これにつづいてピラトは、あなたの同胞と祭司長たちがあなたを私に引き渡した、と答えました。あなたがほんとうにユダヤ人の王ならば同胞や宗教指導者たちがあなたを私に引き渡すなど、おかしいじゃないか、というわけです。 しかし、イエスさまは、わたしの国はこの世のものではありません、もしこの世のものであったならば、わたしのことをユダヤ人たちに引き渡さないようにわたしのしもべたちが戦ったはずだ、とお答えになりました。 イエスさまのこのおことばからは、2つのことが見えてきます。第一に、イエスさまはこの宗教国家としてのユダヤの王ではない、ということです。ユダヤ人たちや宗教指導者たちがイエスさまを自分に委ねるとはどういうことだ、と、ピラトが首をひねりましたが、イエスさまの国がイエスさまを迫害するユダヤと同じではないという前提に立てば、それで納得できます。 しかしそれ以上に大事なのは、イエスさまの国はこの世の国ではない、ということです。この世の国は安寧秩序を保つために、軍隊という暴力装置を備えるものです。しかし、平和の王であるイエスさまが治める神の国は、そのような暴力は存在させないことが大前提です。だからペテロが剣を取って兵士に襲いかかったとき、イエスさまがそれを戒められ、ペテロの暴力で兵士が負った傷をその場でいやされたのでした。 このお答えに、ピラトはもう一度尋ねます。「それでは、あなたは王なのか。」ピラトはどのような思いでそう訊ねたのでしょうか。興味本位ででしょうか。怖れに駆られてでしょうか。自分もこのお方を王と認めようという思いが生まれたからでしょうか。それとも、王を名乗るこのお方を傲然と見下ろす態度ででしょうか。それは、聖書が語っていない以上、わかりません。 わかっているのは、ピラトが「あなたは王なのか」と問うたことだけです。しかし、これに対し、イエスさまのお答えになったおことばははっきりしています。「わたしが王であることは、あなたの言うとおりです。わたしは、真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」 このおことばからわかることは、イエスさまは真理を証しする王さまであること、イエスさまを王としてお従いするとは、イエスさまのみことばに聴き従うことであり、その人が真理に属する人である、ということです。 ここで、イエスさまが弟子たちにおっしゃった、わたしが道であり、真理であり、いのちなのです、というみことばが真実であることがはっきりしました。イエスさまはこのように、畏れ多くも神の子をさばく異邦人の総督ピラトに、真理に属せよといういのちの道をお示しになりました。 ピラトはそれに対してひとこと言いました。「真理とは何なのか。」これまた聖書は、ピラトがどのような感情を込めてこう言ったのかについて沈黙しています。イエスさまのおことばに心を刺され、動揺してそう言ったのでしょうか。あまりにも自分には理解を絶することをおっしゃるイエスさまに対して、そんなことわかるものかと、吐き捨てるように言ったのでしょうか。わかりません。 しかし、はっきりしていることがあります。ピラトはこのおことばを聞いてすぐ、イエスさまを死刑にしない、過越の祭りの恩赦で釈放してやろう、と心を決め、群衆の前に出ていったということです。 しかし、ピラトのこの決心は水泡に帰しました。群衆は、イエスを十字架につけるためならあの札付きのバラバを釈放してくれていい、とすら言い放ったのでした。ローマ総督という権威を帯びた人間、かつてはガリラヤ人を虐殺したような暴力的な政治家としての実績、そんなことも吹き飛んでしまうほど、いまピラトはとても弱い立場にいました。 ピラトは、真理とは何かを知るべきでした。真理とは何なのか、その問いを口から出したならば、まことの真理であるイエスさまに食い下がり、いのちを得るべきでした。真理とは何か。国立国会図書館のカウンターの文字を見た人は、その膨大な蔵書を秘めた図書館に来ている安心感から、いかにも真理がそこにあるかのように思うかもしれませんが、真理は十人十色の人間の中になどありません。…

神の弱さは人よりも強いから

聖書箇所;ヨハネの福音書18:1~27/メッセージ題目;神の弱さは人よりも強いから  今月1か月間は、イエスさまの受難について、ヨハネの福音書18章、19章から学びます。この箇所、イエスさまの受難にまつわる学びは、もうみなさまの長いクリスチャン生活で、何度となく学んでこられたことと思います。そこで本日は、主題を決めてのメッセージとまいりたいと思います。題して「神の弱さは人よりも強いから」。  言うまでもないことですが、神さまはこの世のどんな存在よりも強いお方です。世界のすべてを創造され、世界のすべてを司っておられ、最後にはこの世界をすべておさばきになります。およそ神さまほど、「弱い」という形容詞が似合わない方はおられません。  また、神さまはすべての知恵の根源でいらっしゃいます。神さまは知恵と英知をもってこの世界を造られ、この世界を動かしていらっしゃいます。およそ神さまほど「愚か」という形容詞が似合わない方はおられません。  そのように神さまのことを理解している私たちですから、コリント人への手紙第一1章25節のみことばを読むと、なんというか、違和感を覚えないでしょうか?「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」。神さまが愚かとはどういうことでしょうか? また、神さまが弱いとはどういうことでしょうか?  この第一コリント1章の語ることは、十字架とは人の目には愚かに見える神の知恵である、ということです。また、神の弱さ、ということに関しては、第二コリント13章4節をお読みすると出てまいります。ここには、キリストは弱さのゆえに十字架につけられた、とあります。この地上を生きられた主は、人と同じ姿になられ、弱さを身にまとわれました。しかしそれは、まさしく、十字架という最高の強さ、力を、信じる人々に与えてくださるためでした。 このように、十字架を神の最高の知恵、最高の力と受け入れた者だけが、神さまのもとに行き、永遠のいのちをいただくことができるのです。私たちは、自分の暮らし向きを誇るべきではありません。誇るべきはイエスさまの十字架です。また私たちが知っているべきことは、イエスさま、すなわち、十字架につけられたお方のことだけです。十字架が神の力、神の知恵であるということは、十字架が私たちの力、私たちの知恵であるということです。 この前提で本日の箇所を読み解いていこうと思います。イエスさまは、十字架という神の力、神の知恵を成就されるにあたって、お祈りをされました。並行箇所を読んでみますと、それはただのお祈りではりません。 それは苦しみの果ての、汗が血のしずくのように流れ落ちた祈りです。イエスさまはできることならば、この杯が自分から過ぎ去るように、と祈られました。それは、責めと恥を受けることだからでしょうか? 極限の苦しみにさらされることだからでしょうか? それもあったでしょう。しかし、最大の理由は、御父から捨てられることだったのでした。 本来ならば私たちこそが捨てられるべきでした。捨てられるにふさわしい罪人だからです。しかし、そのすべての罪をイエスさまに背負わせられ、きよい御前からお捨てになることが、神の知恵でした。神の力でした。その力を前にして、イエスさまは無力だったと見るべきでしょうか? いいえ、十字架を背負うというまことの力を得られるように、祈りにおいて勝利するように、御使いが現れてイエスさまを力づけました。 さて、この祈りの場に伴われたペテロは、イエスさまのお別れのことばを聞いたとき、いいえ、私はあなたさまにお従いします、死ぬことも覚悟しています、と言いました。それははずみで言ったのではなく、本心にちがいありません。しかしイエスさまは、鶏が鳴く前にあなたは三度わたしのことを知らないと言います、と予告されました。三度言う、完全に知らない、と、人々の前で宣言するということです。 そんなペテロはどんな思いでイエスさまの祈る姿を見ていたことでしょうか。これまで見たこともなかった弱い姿、慟哭する姿、みこころにお従いしようと激しく葛藤する姿……ペテロはあまりに悲しくなりました。涙さえ流れてならなかったことでしょう。しかし、涙が流れつづけるなら、それはまぶたが重くなることを意味していました。心はイエスさまのために燃えようとも、肉体は弱かったのです。人の弱さが現れました。しかしイエスさまの十字架は、そのような弱さから人を贖い出す、神の力であったのでした。 しかしペテロは、いざイエスさまが逮捕されそうになったとき、蛮勇を振るって、その兵士の耳を切り落としにかかりました。言わば人の強さです。しかしイエスさまはペテロを戒められ、十字架を負われることを堂々と宣言されました。 人の強さはイエスさまに十字架を負わせなくさせるかのようでした。しかし、そうなったら、人が救われる道は永遠に閉ざされます。イエスさまは十字架を負わなければならなかったのでした。 かつてペテロは、イエスさまが十字架におかかりになると予告されたとき、そんなことがあってはなりませんとイエスさまを諌めました。しかしイエスさまは、ペテロに向かって、なんと、下がれ、サタン、と一喝されたのでした。 サタンは、人の強さを利用します。屈強な漁師だったペテロは、自分は強いと思っていたことでしょう。そんな強いペテロから見れば、自分の師匠であるイエスさまが人々から捨てられるなど、耐えられないことだったことでしょう。ペテロは、自分の強さでイエスさまを守ろうとでも考えたのでしょうか。しかしそれは、神さまのみこころを成り立たなくさせようという、悪魔の導きというもので、イエスさまはそれに対して、断固として「ノー」を突きつけられました。 イエスさまはこのようにペテロを一喝されてから、おっしゃいました。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。」そうです、イエスさまがペテロをはじめ、弟子たちにお求めになった姿勢は、強くなることではありません。キリストのあとを従うために、弱くなることでした。 そんなペテロは、結局は鶏の声を聞くことになったのですが、その声を聞くに至るまで、3つの弱さを突きつけられました。 まず、ペテロは、嘘も方便とはいえ、嘘をつくことでしかイエスさまに近づけなかったという弱さを突きつけられました。 ペテロは、イエスさまについていきました。しかし、大祭司の中庭の門の外に立っていました。それを見かねた弟子が門番の女性に頼み、ペテロを中に入れさせました。しかし、門番の女性はペテロに尋ねました。「あなたも、あの人の弟子ではないでしょうね。」そのときペテロは、ちがう、と言って、中に入りました。 ここで注目すべきことは、ペテロがイエスさまに近づこうとして、嘘をついた、ということです。いったい、イエスさまにお近づきするとはどうすることなのでしょうか。イエスさまのことを知らないという者のことを、イエスさまも知らないとおっしゃると、厳重に警告されていました。ペテロは一見すると、イエスさまのそばに近づいているようでしたが、イエスさまのことを知らないなどと嘘をついて近づいている時点で、もう、イエスさまが遠ざかるような行いをしていたのでした。 これがペテロの弱さであり、人の弱さです。いざというときに人は、妥協します。イエスさまにお従いします、裏切りません、と誓ったペテロのことばは本心からものでしょう。しかしペテロはいざとなると、イエスさまを知らないと言い、単なる興味本位を装って近づくという行動に出たのでした。 私たちもまた、いざというとき、いや、私は単なる教養のため、お勉強のためにキリスト教を学んでいるのだ、などとしらを切り、イエスさまにお従いしていることを否定したりはしないでしょうか? いや、自分はそうはならない、とおっしゃいますか?  しかし、イエスさまにならって多くのわざを行なったペテロが、イエスさまを見つめて水の上を歩くことさえしたペテロが、いえ、「あなたは生ける神の御子キリストです」という、百点満点の信仰告白をしたペテロが、嘘をついてイエスさまを否定したことの意味を、私たちはもっと自分のこととして考える必要があります。 いえ、私はキリストについていっていました、私は礼拝をきっちり守っていました、こんなことばをイエスさまの前で言おうとも、いざというときの言動で否定してしまう弱さ、それが私たちの中にあることを、私たちは素直に認めたいと思います。 ペテロの第二の弱さ、それは、わが師、わが主が、目の前で法廷に引き出され、なぶりものにされているという事実です。 ペテロの見ている前で、イエスさまは大祭司の尋問を受けていました。イエスさまのお答えに、嘘偽りがあろうはずがありません。しかし、大祭司の下役は、何の権限があってそんなことをするのか、答え方が悪い、と、縛られたままのイエスさまのお顔をぶちました。 そのような光景を見ていたペテロは、いのちを懸けてついて行っていたわが主、わが師匠が、ほかならぬ宗教指導者たちによって完膚なきまでに否定されるという、その有様を見つめつづけるしかありませんでした。 ペテロはもしかすると、ここでイエスさまが神の子としての権威を大いなる御業によって示され、このような目にあわせる宗教指導者どもをたちどころに滅ぼされることを夢見たかもしれません。しかし、何も起こりませんでした。イエスさまはただ、ほふられる羊がほふり場に連れて行かれるかのように、この者たちの暴力やあざけりに身をお委ねになるばかりの御姿を見るのみでした。 これは、神の弱さです。あたかもそれは、宗教指導者という人の強さ、というよりも、罪人という人の強さが、神の弱さを凌駕しているかのようです。ペテロはその姿を見て、その弱いお方を主と告白し、師としてお従いしていたという事実に、あらためて愕然としたのでした。 ペテロは少し前に、イエスさまをこのような目に合わせる者の耳を切り落とす刃傷沙汰に及ぶほど、イエスさまを守ろうという思いでいっぱいでした。まるでそれは、神の弱さを人の強さで守ろうとするようなものでした。 しかし、その剣をイエスさまに取り上げられ、なすすべもなくなったペテロは、今や、神の弱さの前に人の弱さをさらけ出している、きわめて無防備な状態にありました。不遜にも神の弱さに襲いかかる宗教指導者という罪人の強さは、いまや自分という罪人の弱さを呑み込もうとしていることを思い、ペテロは言いようもない恐怖に取りつかれていました。 しかしこの神の弱さは、罪人をさばきます。神に勝ったと豪語するような罪人は、最終的にイエスさまの十字架によって完膚なきまでに滅ぼされます。この宗教指導者どもも、イエスさまをさばいて有頂天になっていたかもしれませんが、彼らこそが究極のさばきにふさわしいものとされていたことに、彼らは気づいていませんでした。 ペテロも、いまここで目の前に繰り広げられるイエスさまの凄惨なお姿、すなわち神の弱さに、実は自分が弱くされるのではなく、この上なく強くされていることに気づくべきでした。しかしこのとき、ペテロはそれを知るにはあまりにも弱すぎました。イエスさまの弱さを受け入れられないほど、ペテロは弱かったのでした。イエスさまのみあとを従って自分の十字架を背負ってついていくなど、今のペテロにはとんでもないことでした。 私たちも、イエスさまが十字架を背負われるこの場面を見て、目をそむけたくなるかもしれません。自分もそうなってしまったらどうしよう、そう思いませんか? でも、その一方で、そんなことを思う弱い自分は救われないかもしれない、そんなことも思いませんか?  しかし、神さまは、十字架を背負う備えにまだ至っていないクリスチャンが、そのように十字架を背負う自己犠牲の生き方ができなかったとして、そのことでその人をおさばきになるようなお方ではありません。イエスさまは、人がそのように弱いことをご存じです。なぜならイエスさまご自身が、弱い人間としてこの世界を生きられたからです。弱い私たちに同情することがおできになる方です。 いま私たちは、イエスさまのみあとをお従いするなどとてもとても、と思うかもしれません。でも、そんな自分を正当化しないで、それでもイエスさまのみあとを従っていける人になれますように、と、ともにお祈りするなら、それでいいのです。 イエスさまが十字架を背負われるために人のさばきを受けられたように、私たちも人のさばきを受けるがごとき迫害に引き出されることを恐れているでしょうか?  いえ、恐れていいですし、恐れるのが当然です。しかし、その恐れる私たちのその罪を十字架で引き受けるために、あえてイエスさまが人々の前で弱い姿を取られたことを、私たちは忘れないでまいりたいものです。 まさしく、神の弱さゆえに、私たちは神さまにお従いする強さをいただくのです。私たちのために弱くなられたイエスさまは、復活してこの上なく強いお姿で、いま私たちとともに歩んでくださっています。イエスさまから力をいただきましょう。 ペテロの第三の弱さ、それは、鶏が鳴くことを知っていたのに、それに備えられなかったことです。 イエスさまははっきり、鶏が鳴く前に3度あなたはわたしを知らないと言います、と予告されました。ペテロはこの警告に、相当なショックを受けたのではないでしょうか。しかしその一方で、鶏が鳴くとはどういう意味だろうか、と思ったかもしれません。 果たしてペテロは、3度にわたってイエスさまを知らないと言いました。3度目のことばに至っては、ほかの福音書の並行箇所を読むと、嘘ならのろわれてもよいと誓って「知らない」と言った、とあります。 ペテロは、これまでのイエスさまとの3年間の生活を、すべて「嘘」と片づけんばかりの勢いだったのでした。このイエスさまとの生活が嘘ではなかったならば、私は呪われたってかまわない。このときペテロは、まさかその直後に鶏が鳴くなどと、考えてもいなかったのでした。ということは、イエスさまの警告を信じてはいなかったということです。 実は、鶏が鳴くとイエスさまが警告されたことには、意味がありました。マルコの福音書13章35節と36節をお読みしましょう。 ここに、何と書いてあるでしょうか。鶏が鳴く、と、はっきり書いてあります。これは、世の終わりにイエスさまが再臨されるという文脈で、イエスさまがお語りになったことです。だから、目を覚ましていなさい。あなたがただけではなく、すべての人が。 こうして見ると、イエスさまが「鶏が鳴く」とおっしゃったことばのとおりになったのは、もちろん、単なる偶然という問題ではありません。でも、だからといって超自然的な預言をされたということにとどまる問題でもありません。 イエスさまのお語りになったことばのとおりになる世の終わりに際して、ペテロが霊的に眠っていたように、主の弟子として歩んできたつもりの者たちも、霊的に眠ってしまい、眠っているところを再臨のイエスさまに見られてしまうという、厳しい警告の込められたできごとでした。 霊的に眠るとは、みことばがよもやそのとおりになるまいと多寡を括る不信仰を意味します。イエスさまが再臨されると語られる以上、私たちのすることは、イエスさまが再臨されると信じることです。イエスさまが再び来られることに備えての準備を、日々怠らずに行うことです。それがみことばを信じるということです。 しかし私たちは、心が燃えていても肉体が弱い者です。イエスさまの再臨に備えなければ! と心が燃えても、その燃える心はなんと一時的なものでしょうか。たいてい私たちは眠ってしまっているものです。 そのように霊的に眠る不信仰に、私たちは絶えず置かれていることを素直に、謙遜に認める必要があります。みことばをそのとおりに信じる信仰は、神さまの恵みによってはじめて与えられるものです。 いえ、私は創世記1章1節から黙示録22章21節まで、聖書全体を信じています、とおっしゃいますでしょうか? それは結構なことですが、みことばを信じているということは、行いがそのとおりになっているということで証明されるものです。残念ながら私たちは多くの場合、信じていると口で言うほどには行いが伴っていないものです。 私たちが、すぐにでもキリストが来られるというみことばを読んでいながら、そのみことばを意識することのあまりに少ない生活を見ると、やはり本心では信じていないという事実を突きつけられます。 私たちは、このような不信仰の者であることをまず認める必要があります。私たちは自分が思っているほど、信仰のある者ではありません。いざというときに眠ってしまう弱さを身にまとっています。だからこそ、いつも目を覚ましていさせてくださいと、主に祈りつづける必要があります。私たちにその信仰がいつも保たれ、いつも祈りつづける者となりますように、主の御名によって祝福してお祈りいたします。 ペテロの弱さは、私たちの弱さです。人前でイエスさまを知らないと言いながらイエスさまについて行こうとしてしまう弱さ、イエスさまのあとをついて迫害を受けることを避けてしまう弱さ、再臨に結実するみことばを信じきれない弱さ……。…