「キリストのほかには何も知るまい」
聖書箇所;コリント人への手紙第一2:1~5(新p328)/メッセージ題目;「キリストのほかには何も知るまい」 このメッセージの原稿に取りかかる朝、私は娘たちと、あのマンガの『ドラえもん』の話をしていました。私自身が『ドラえもん』を読んで育ってきたために、『ドラえもん』はわが家の食卓では共通の話題となっています。 大人になって私が気づかされたことですが、『ドラえもん』が人気なのは、ドラえもんの出してくれる道具が何でもかなえてくれることそのものよりも、その道具に頼ることではじめてなんとかやっていける、のび太の弱さに、物語を見る者がシンパシーを感じるせいではないかと思います。 あの、何をやらせてもダメ、勉強もスポーツもダメ、そのくせ愚かとさえ思えるような言動……それを見て、人はのび太のだめさ加減を笑いながら、どこか自分にもそういうところがあるのではないかと思い、そんな自分もドラえもんの秘密道具のようなものに助けてほしい、と思うから、あのマンガは人気なのではないかと思います。 実際、のび太のモデルになったのは、作者の藤子・F・不二雄自身だそうで、それはご本人がそう言っているから確かなことです。マンガを子ども雑誌に新しく連載することが決まり、その予告に何も思いつけなくて、「机から何かが飛び出した」というシーンだけを描いたはいいけれども、肝心の「何が飛び出した」ということはまったく考えていなくて、刻一刻と迫る締め切りにパニックになったそうです。 彼は両手を挙げ、「わしゃ破滅じゃー!」と叫びながら階段を駆け下りました。そのとき、そこにおいてあった娘の人形「ポロンちゃん」をうっかり蹴飛ばして、お嬢さんに叱られました。しかし、それがきっかけで、ポロンちゃんの形からドラえもんのキャラクターを思いつきました。そして、今こうして締め切りに追われてパニックになっている自分のような、ダメな子どもを助けてくれる未来のロボット、という物語へと、一挙につながったのだそうです。 そういうわけでのび太は、作者自身です。のび太が子どもにお大人にもあれだけ愛されているのは、作者自身のダメさ加減をさらすような素直さが作品に反映されているからではないか、それに読者が共感するからではないかと思います。 さて、導入はここまでにして、聖書の本文に入ってまいりたいと思います。今日の箇所は短いですが、パウロはこの箇所に至るまで、神さまがお選びになる人間の、弱さ、ですとか、愚かさ、ということを強調してきました。それがここに来るとどうでしょうか、弱く、愚かなのは、パウロ自身であると告白しています。 弱い、とか、愚か、というと、私たちはあたかも、それは『ドラえもん』ののび太のような人のことであり、碩学のパウロなどとても当てはまらない、と思うかもしれません。何をご謙遜を、と。しかし、ここはパウロの告白に耳を傾け、そのような告白をするパウロはいったいどういう人か、ということを、みことばから学んでみたいと思います。 今日の箇所を順番に見てまいりたいと思います。まずは1節からです。……パウロはコリントにおける宣教と教会形成においては、このように、ことばの巧みさや学問の深さを用いて行なってはいませんでした。 それはなぜでしょうか? まず言えることは、コリント教会の信徒のレベルに合わせた、ということです。コリント書第一・第二と読み進めていくとわかりますが、ローマ書の格式高く難解な表現とは、ずいぶん違っていることがわかります。コリント書は第一も第二も、全体にとにかく具体的、実際的で、わかりやすい表現に満ちています。 実際、コリント教会は、取り扱わなければならない問題だらけでした。それは現代日本で教会を形成する私たちから見れば、そんなこともわからないのか、と、あきれてしまうほどのレベルの問題さえ含まれています。しかし、異邦人の社会に宣教するということは、神の民にとっては常識として普通に通用することも、まるで通用しない、そういう非常識が常識となっている中にチャレンジしていくということです。 聖書の学問に深く精通したパウロとしては、あらためて異邦人のありさまにあきれることばかりだったかもしれません。しかしそれでも、パウロはこの群れが、宣教者である自分に対して神さまが割り当てられた群れであると信じ受け入れて、責任をもって牧会しました。こういう人たちには、難しいことばを用いても始まりません。どこまでも彼らの目の高さに降りて、それでも彼らの生活が変えられるように、語るべきことをやさしく実際的なことばで語る必要があります。 こういうメッセージをパウロから聴けたコリント教会は幸いだったと思います。群れをふさわしく束ねる倫理もないような中にあって、ほかならぬみことばの語る倫理を具体的に、みことばの最高の教師であるパウロから聴けたとは、この上なく素晴らしい恵みだったということができます。 それでも彼らが聴かされることばは、「すぐれたことばや知恵を用いた神の奥義」ではありませんでした。パウロにはわかっていました。自分の極めた学問のレベルの高さに合わせて彼らに語ると、彼らにはわからない。彼らには奥義など語れない。 なぜ、彼らにはそのようなすぐれたことばや奥義に満ちたことを語るまいと、パウロは決めたのでしょうか? それは、そのようなことは、彼らの実生活から、あまりにも距離がありすぎることだったからです。パウロは巡回しながらメッセージを語り、教会をほうぼうに立てる人です。コリントにもそう長い間いたわけではありません。そんな中で、コリントの人が聞いてもわからなかったり、彼らの生活に何の影響も及ぼさない、いわゆる「ありがたい」メッセージを語ったりしても、時間が無駄になるだけでした。 それなら、コリントの信徒にとって、実際に何がいちばん必要なメッセージだったのでしょうか? 2節のみことばです。……イエス・キリスト、しかも十字架につけられた方……パウロは何を語るにしても、このことしか語らなかったということです。 イエス・キリスト、つまり、神のひとり子なる救い主イエスさまを、パウロは徹底して語りました。しかし、イエスさまのこと自体を語るのは、ありていに言ってしまえば、だれにでもできることです。パウロはただ単に、イエスさまを語ったのではありません。「しかも十字架につけられた方」と語っています。十字架の死をもって私たち人類を罪と死から贖い、御父なる神さまと和解させてくださり、死からよみがえって私たちを罪と死に永遠に勝利させてくださったイエス・キリストのことしか、私はあなたがたの間で知らないことにした、と語っているのです。 猥雑な港町コリントの庶民を惹きつけるには、新興宗教のような有難そうなメッセージを語るのでしょうか? 自己啓発めいた生き方のヒントを語ったりして、彼らの知的好奇心を満たすのでしょうか? しかし、それでは彼らを表面的には喜ばせられても、永遠のいのちを与えることなどできません。それをキリスト教会と呼ぶことなどできません。むしろ彼らはこの世の知恵や有難さではなく、イエス・キリストの十字架の福音こそ聴くべきだったのです。 一般的に私たち保守バプテストを含む、キリスト教会におけるひとつの陣営を「福音派」と呼ぶのはご存知でしょう。うちの教会のように新改訳聖書を用いる教会は、ほぼ例外なく「福音派」に分類されます。しかしこの「福音派」という呼び方には、なんとなく、その陣営に属する人たちのことを見下すような響きを感じないでしょうか? いわく、アメリカの前の大統領に象徴される、保守陣営における反知性主義を形づくっているのは福音派である、とか、福音派の用いる新改訳聖書は護教的で学問的ではない、とか、まるで私たちのことを何も考えていない人のように扱うわけです。 護教的、とは、教えを護る、と書きますが、作品がみな福音を伝えるものである三浦綾子の文学は護教的である、という言い方をします。普通、護教的という言い方は、批判的に使われる表現です。そういうわけで、福音派は護教的な、愚かな人たちだというわけです。 しかし、あえて主張させていただきますと、福音派とは、イエスさまの十字架のみに救いがあることを高らかに謳う、誇り高き教会の群れです。この第一コリント2章2節のパウロの告白は、新約聖書のうち13にもなる書をしたためたほどの指導者パウロの、最も欠かしてはならない告白です。 パウロがそうだったならば、私たちもパウロにならって、イエス・キリスト、しかも十字架につけられた方のほかは何も知らない、と言うべきです。私たちがクリスチャンであるというならば、このこだわりを捨ててはなりません。私たちのことを指して、あの人たちは学問的ではない福音派、と陰口をたたく人には、たたかせておけばいいのです。彼らは何をどう頑張っても、パウロのことも、イエスさまの十字架も否定できないのです。 本文に戻りますが、ともかく、十字架につけられたイエス・キリストに徹底してこだわったのは、コリント教会のレベルに合わせることもさることながら、もうひとつ理由がありました。3節のみことばです。……パウロはコリントに足を踏み入れたとき、弱さを感じていました。 パウロがどういう印象を与える人だったかは、このコリント書や、ほかにもガラテヤ書などをあわせて考えると、威厳に満ちた教師のような印象を与えることのない、弱々しい印象の人だったということが見えてきます。ガラテヤ書の表現から類推するに、パウロは眼病を患っていたように見えます。学者によっては、それはトラコーマだと主張する人もいますが、いずれにせよ目を患っていたようです。むかしは現代のように眼鏡などかけませんから、目の力のなさは見る人に対し、いかにも弱々しいという第一印象を与えたのではないでしょうか。 それだけではありません。使徒の働きを見ると、パウロがコリントに入ったのは、18章に記録されているできごとです。このときパウロの身には何があったのでしょうか? 直前の17章を見ると、ギリシアの宗教や哲学の総本山ともいえるアテネにたまたま滞在し、アレオパゴスで大伝道集会を開くというチャンスが与えられましたが、成果らしい成果といえば、わずか数人の人がイエスさまを受け入れただけ、というものでした。 パウロがコリントに赴いたのは、そんな身体上の弱さと、アテネ宣教の失敗の体験という背景があったわけです。パウロは、律法学者として研鑽するかぎり未知の世界だった、異国の港湾都市に赴いたわけです。荒くれ者たち、律法も創造主も知らない者たちのなかに飛び込むパウロの心情を考えてみましょう。そんな彼らには何を語るべきなのでしょう? 十字架のイエスさましかなかったのでした。 4節のみことばをお読みします。……彼らコリントの人たちが福音に触れるには、頭での理解以上に、御霊ご自身が力をもってお働きになることが必要でした。この第一コリントを読み進めると、コリント教会にはさまざまな霊的現象が起きていたようですが、そういうさまざまな現象も、イエスさまが証しされ、そうして彼らがイエスさまを受け入れるためには必要なことでした。 しかし、パウロの宣教はもっとよく考えれば、超常現象が起こる、起こらない以前に、御霊の力ある働きそのものだったということができます。パウロは見るからに弱々しい、貧相なユダヤ人の学者です。それがギリシアの港湾都市、大都市コリントに飛び込んだわけですから、たいへんな冒険をしたことになります。 どれほど緊張したことでしょうか。この町で宣教しなさい、という御霊の働きに従順になることに、大いなる葛藤を覚えたはずです。しかしいざ宣教してみると、プリスキラとアキラ夫婦という同労者を得て、彼らの仕事を手伝うことでコリントへの定着を果たし、宣教が展開できるようになりました。これぞ御霊の力です。 御霊の働きは不思議です。弱い人が用いられ、主の証し人となるのです。私が何度も語っていますが、ダウン症のあっこちゃんは、聖書に対して深い学問的探究をしたわけではありません。聖書を語る裏づけとなる社会的な経験をたっぷりしたわけでもありません。しかし、あっこちゃんのひとこと、「私は神さまが好きだから」ということばは、私にとって、一万人の牧師の説教をはるかに凌ぐメッセージとなったのでした。これこそが、弱さのうちに働かれる御霊の力です。 そのような御霊の力の現れる信仰は、働き人のものにとどまりません。5節をお読みしましょう。……そうです。この御霊の働きによる宣教は、宣教の対象となる教会と兄弟姉妹の信仰において、神の力、すなわち御霊の力をあらわします。 パウロは、弱さのうちに宣教しました。また、十字架につけられたイエス・キリストのほかは何も知らないとは、あえて愚か者になることを選択したとさえ言えます。しかし、そのように弱く、また愚かな中でなされる宣教は、大いなる御力であり知恵であられる御霊の働きの介在を可能にします。 私たちは宣教とか、伝道というと、何か難しいことをしなければならないのではないかとか、考えてはいないでしょうか? しかし私たちがすることは、キリスト「教」にまつわるいろいろなことを伝えることではありません。ありていに言ってしまえば、私たちは弱くてもいいのです。愚かでもいいのです。ただ、十字架につけられたイエス・キリストを知ってさえいればいいのです。御霊の力が現れていさえいればいいのです。 何度も申し上げていることです。伝道における成功とは何ですか? もう一度言いましょう。「伝道における成功とは、ただ単に聖霊の力によってキリストを伝え、結果は神におゆだねすることである。」その力と知恵が現れるためには、自分の愚かさ、無力さを認めることです。パウロにはそれができていました。それはもちろん、パウロがコリント宣教の現場で感じさせられた弱さ、選択した愚かさでしたが、そうさせたのはコリントの環境である以上に、神さまご自身の前に自分を差し出す態度でした。 そのようにおのれをむなしくしたパウロが神の力を体験したように、パウロの宣べ伝える十字架の福音は、聴く人に神の力、神の知恵を体験させます。まことに、聖霊なる神さまの力によって宣べ伝える福音は、人を神の力に満たします。私たちもそうして力に満たしていただいた存在です。今度は私たちが、人が神の力と知恵に満たされるように働く番です。 私たちは弱く、愚かだということを、主の御前にて徹底して認め、愚かは愚かでもイエスさまの十字架のことしか知らない愚か者になり、弱いことは弱くても、御霊の力によって強くされる者となることを願いますでしょうか? もし、そのように愚かさ、弱さの中でも、十字架の力、御霊の力をいただくならば、私たちは必ず、主の栄光を現す器として用いていただけます。そのような生き方を心からめざし、今日も祈りつつ励んでまいりましょう。