「イエスさまの『追っかけ』は報われる」

聖書朗読;マルコの福音書6:53~56/メッセージ題目;「イエスさまの『追っかけ』は報われる」/讃美;聖歌617「したいまつる主の」/献金;聖歌569「主よこの身いままたくし」/頌栄;讃美歌541/祝福の祈り;「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、私たちすべてとともにありますように。アーメン。」 今は何というのか知らないが、歌手であれ俳優であれ、特定のスターのファンが昂じると「追っかけ」となる。谷村新司の歌に「スーパースター」という、「追っかけ」の若い女性の気持ちを歌った曲があるが、その出だしはこうである。「テレビからほほえみかける 貴方を追いかけて街から街へ 誰よりも近くにいたい そんな毎日だったわ」だれよりもそのスターの近くにいたい毎日、それが追っかけで、この歌は、雨の日も暗くなるまで事務所の外で立ちつくしてた、誰よりも早く知ったわ、貴方のスケジュール表……という歌詞につづく。 結局、この歌の主人公の女性は、母親を支えなければと決意して、会社に就職して「追っかけ」であることをやめる。なんとも切ない歌だが、それなら「イエスさまの追っかけ」ならどうだろうか? 悲しい結末を迎えるだろうか? 今日の本文にいこう。これは「イエスさまの追っかけ」の記録である。今日の箇所は1節ずつ、3つの面から「イエスさまの追っかけ」たる群衆の姿、信仰の表れを見ることができる。それではともに見ていこう。 ①イエスさまに気づく信仰 「彼らが舟から上がると、人々はすぐにイエスだと気がついた。」(54節) 彼らがすぐに、そこに来た人がイエスさまだと気づいたのは、普段から彼らの関心がイエスさまに向かっていたから。ラッキーFMが聴きたい! となっていたら、なにがなんでも、チューニングをFMの94.6MHzに合わせておくだろう。チューニングが合っていたら、あとは受信すれば聴きたい番組が聴ける。そのように、関心がイエスさまにつねに向かっているからこそ、いざイエスさまが現れたら、それとわかるのである。 彼ら群衆には、イエスさまのみことば、イエスさまのみわざへの飢え渇きがあった。それ以上に、イエスさまのご存在に対する飢え渇きがあった。イエスさまでなければその飢え渇きを満たすことはできないことを、彼らのたましいはよく知っていた。彼らはパリサイ人のような宗教指導者のところに行かなかった。イエスさまのもとに行った。 私たちがこうして、礼拝をおささげするのも、毎日聖書を読んでお祈りするのも、私たちには、イエスさまでなければ満たせない飢え渇きがあるからである。しかし、この世は情報の洪水で、いろいろなものが私たちに、魅力的な姿をして近づいてくる。しかし、そのようなものによっては、私たちのほんとうの飢え渇きを満たすことはできない。それはどんなに素晴らしくても、この世に属するものでしかない。 もし私たちが、いつでもイエスさまのご存在とみことばに飢え渇いているならば、私たちはすぐにでも満たしていただける。私たちはみことばを読みたくてたまらなくなるし、そうして手を伸ばしたみことばによって、たましいが潤され、生きる、という体験をする。 私たちはイエスさまによって飢え渇きが満たされることに期待しているだろうか? そうでなければ私たちは世のもので満たそうとし、それではけっして飢え渇きは満たせない。渇いているならわたしのもとに来なさい、このイエスさまの呼びかけに、いまお応えしよう。 ②イエスさまへと走り回る信仰「そしてその地方の中を走り回り、どこでもイエスがおられると聞いた場所へ、病人を床に載せて運び始めた。」(55節) 「追っかけ」たるゆえんである。しかし、これは単なる「追っかけ」ではない。彼ら群衆は、イエスさまでなければ自分たちのいのちを生かすことができないことを知っていた。霊がいのちを得るために、彼らは必死だった。 彼らは、イエスさまがそこにいるという情報に敏感だった。いや、そればかりではない。イエスさまが来られたと知るや、とにかくそこに駆けつけることを最優先にした。病人を床に載せたという難儀な状態でもかまわず、イエスさまのもとに駆けつけることに必死だった。 こんにち、キリスト教会に足りないのは、この、イエスさまの御顔を求める熱心さではないだろうか。礼拝堂がそこに建っていて、牧師がいつでもそこにいる、手許にはいつも聖書がある、YouTubeにつなげばいつでも好きなだけメッセージが聴ける……。 みなが飢えているなら、白いお米のご飯もごちそうになる。しかし、飽食の時代に、ご飯はありがたいものと思えなくなる。神さまの恵みが無視されている。やがて食糧難が訪れることが警告されていても、みな知らん顔である。 聖書は、食べ物の飢饉ならぬ、みことばに対する飢饉の時代が来ることを警告している(アモス8:11)。それは、聖書が禁書になるような時代が来ることを、私たちクリスチャンが許すからかもしれない(実際、韓国ではかつて、聖書を18歳未満に読ませないようにする運動が起こったことがある)。しかし、もっと根本的なことを言えば、私たちクリスチャンがこの世の快楽にうつつを抜かし、聖書なんていらない、となるからではないだろうか。そうなったら、神さまは、そんなにおまえたちがわたしのことばを必要ないというなら、やらない、とおっしゃらないだろうか。 自分が救われたい、愛する人に救われてほしい、と願うなら、千里の道も遠くなかった。私たちに求められているのは、この行動である。 神さまはもちろん、私たちとともにおられる。しかし、私たちの側から積極的に近づくということを、果たして私たちはしているだろうか? 今日こうして私たちが礼拝の場に集っているのは、霊の飢え渇きを主にあって満たす行動である。集えたことに感謝しよう。そして、自分も、ほかの人も、とても救いを必要としているという現実を、さらにしっかりと認識し、それに見合った行動をしよう。礼拝しよう。祈ろう。みことばを読もう。交わろう。伝道しよう。 ③イエスさまに触れる信仰「村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、人々は病人たちを広場に寝かせ、せめて、衣の房にでもさわらせてやってくださいと懇願した。そして、さわった人たちはみな癒やされた。」(56節) 彼らはイエスさまに近づいただけではない。さわったのである。 本日は大相撲九州場所の千秋楽。いまはコロナ下だからしないが、大相撲で勝って取組を終えたお相撲さんの体を、観客が花道に向かって手を伸ばし、ペタペタ触るのをご覧になったことがあるだろう。あれは「勝利にあやかりたい」という、相撲ファンならではの信仰にも似たものだと思う。アイドル歌手の握手会の人気もそのたぐいのものだろう。 イエスさまにさわるのは、イエスさまにあやかる、ということ。さわったらその瞬間、相手と一体化する。イエスさまを前にして、平静を装うのは、一体化したいところまでイエスさまのことを求めていない、ということではないか? 思うに、日本のクリスチャンはみんな静かすぎる。イエスさまに触れることにガツガツしていない。 それが日本人の国民性だ、美徳だ、とおっしゃるかもしれないが、お酒を飲んだり、お祭りになったりしたら大はしゃぎするという面も、日本人は持ち合わせているではないか。放蕩に酔うことをするのに、なぜ御霊に満たされ、御霊に酔うことをしないのか? 御霊とは人を「酔わせる」お方である。 酔うと狂うが、狂うことを恐れてはならない。なぜなら、正しく狂えば、人に対しては正気になるからだ(Ⅱコリント5:13)。また、人が主に狂うことをむやみに批判するのもよくない。その人は主との関係で狂っているのである。ダビデを見よ。王さまであろうとも構わず狂ったが、その狂う姿ゆえに、へりくだった者はかえって尊敬した(Ⅱサムエル6:21〜22)。 私たちも狂ったようにイエスさまに近づき、恥も外聞もなくベタベタさわることを恐れてはならない。あの人、あんなにのめり込んでいる、という人もいようが、私たちは悪いことをしているわけではない。むしろ、それで笑われるならば名誉ではないか。 イエスさまの追っかけ、イエスさまに狂って触る人は、癒される、という、最高の報いをいただく。私たちはみな、罪に病んだ存在である。そんな私たちも、イエスさま、十字架にかかられて復活してくださったお方に触れるならば、いやしていただける。罪の病を深刻に受け止めるならば、癒されたいと死に物狂いになり、とにかくイエスさまにすがるはずではないか。そこまで一生懸命になれるのは、イエスさまに触れれば癒されるという信仰があるからである。 私たちはイエスさまに触れれば癒やされる、という信仰を持っているだろう。その信仰を働かせていこう。折あるごとに呼び掛け、応えていただく、そのみわざを体験しよう。 そして私たちは、イエスさまにはどのように触るのかを人々に示そう。キリスト教とはひとことで言って、神との交わりである。この交わりを自分も体験するだけでなく、ひとも体験できるようにお仕えしていこう。

「頑なな弟子、それは私たち」

聖書箇所;マルコの福音書6:45~52/メッセージ;「頑なな弟子、それは私たち」/讃美;聖歌433「なやめるひとびと」/献金;聖歌569「主よこの身いままたくし」/頌栄;讃美歌541/祝福の祈り;「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、私たちすべてとともにありますように。アーメン。」 今回、主の弟子訓練コンベンションに参加して、気づかされたこと、悔い改めに導かれたことがいろいろあった。特に、弟子訓練の牧会をすることは、主のご命令ゆえに従順にお従いするもの、という信念が徹底していなかった自分自身の姿に気づかされた。今後、すべてにおいて、弟子訓練という土台の上に教会形成のわざを行うものとならせていただきたいと願う所存である。 今回のコンベンションの講義では導き方とか、教材の使い方とか、方法論としての訓練のノウハウを説いたわけではない。むしろ主題講義は、聖書を解き明かしたメッセージであり、その中ではもちろん、イエスさまの十二弟子のことも語られた。十二弟子は幸いな人たちである。何が幸いといって、主イエスさまに弟子入りできた人たちだった、ということである。いったい、イエスさまほど最高の師匠がおられるだろうか? しかし、そんな、史上最高の師匠についたならば、さぞかし彼ら十二弟子は素晴らしい「高弟」たちかと思いきや、彼らはその訓練のもとにいたとき、整えられていないこと甚だしかった。 彼らはもちろん、のちには素晴らしい働き人になったが、十二弟子の共同体としてイエスさまのもとに身を寄せていた時分には、ずいぶんしくじった。福音書に記録されているペテロなんて、のちの姿がとても想像できない。例えるなら、名人の落語家も前座修行のときはしくじりが多かったようなものである。人間国宝になった柳家小三治は、前座時代、師匠の柳家小さんの家で修行の一環として床を雑巾がけしていたとき、横着して、なんと足でやって、小さん夫人に見つかって怒られたそうだ。「こら! そんな真似をするのは小ゑんぐらいだ!」小ゑんは、のちの立川談志。小三治も談志も、そんなところから大名人になった。しくじってばかりのイエスさまの弟子たちも、いわば前座修行のような段階。 今日の箇所でも十二弟子のことが出てくる。先週の箇所では、イエスさまのみわざのお手伝いをする、いわば「脇役」のような立場だったが、今日の箇所で、十二弟子は主人公のようである。今日の箇所を読むと、イエスさまが十二弟子をどのように訓練されたかが見えてくる。それでは本文を見てまいりたい。 イエスさまはガリラヤ湖畔で群衆を教え、5つのパンと2匹の魚で彼らを満腹させられた働きをなさったら、すぐに、弟子たちを無理矢理船に乗せた。イエスさまがそうなさった理由は2つある。ひとつは、イエスさまご自身がお祈りに集中されるため。バプテスマのヨハネが殉教したというたいへんな知らせをお聞きになり、イエスさまは御父との真剣な交わりに御力を得ることを必要とされていた。そしてもうひとつの理由は、弟子たちどうしの共同体の中で、彼らを訓練されるためである。今日のメッセージでは、この2つ目の理由を中心に扱いたい。 弟子たちはガリラヤ湖の向こう岸に向かって、12人で協力して船を漕ぐわけだが、折りしも彼らは向かい風に悩まされた。主イエスさまは、この時間のガリラヤ湖に、船も漕ぎあぐねるような風が吹くことをご存じなかったか? いや、ご存じだった。そればかりか、イエスさまが万物を司られる全能の主である以上、この風はイエスさまが備えられたものだったといえる。風ばかりではない。湖には大波まで起こった。そのような厳しさ、いのちさえ危うくなるような中に、イエスさまはあえて弟子たちを送りこまれたのである。 弟子たちはつまり、風や波を鎮められる大きなみわざを行われるイエスさま、全能の神の子がともにおられない中、困難に直面するという訓練にほうりこまれたわけである。イエスさまはこのように、人をあえて冒険の中に突き放されることがある。人は困難に出会うとき、まず、ありったけの力で努力し、困難を解決しようとするもの。このときの弟子たちがそうだった。 それはどれほどの困難だったか? 弟子たちは湖の真ん中にいた、とある。これは、円の中心のようなまん真ん中という意味ではなく、岸辺から遠く離れ、見渡すかぎり海ばかり、ということ。じっさい、ヨハネの福音書の並行箇所によれば、彼らは岸辺から25ないし30スタディオン離れたところにいた、とあるが、これは4キロから5キロメートル、ということ。ただし、湖は強風で荒れ狂っていた。夕方に出発した彼らは、夜明け近くになっても、まだ岸から4,5キロしか漕ぎ出せていなかったのである。しかし、引き返すこともできない。それほど、風と波は厳しく、十二弟子は目の前の状況を解決するのに手一杯だった。 彼らは頑張った。しかし、努力ではどうにもならないときがある。そのようなとき、イエスさまは近づいてくださり、助けてくださる。 困難の中におられる方は信じていただきたい。困難の中にいるとき、イエスさまは私たち主の弟子を愛してくださっているから、私たちが苦しみ果てることのないように、近づいてきてくださる。 しかし、ここでイエスさまは、嵐に悩む彼らを助けるためにやってこられたのに、そこを通り過ぎようとされた、とある。これいかに? とお思いだろうか? これは、イエスさまは彼ら弟子たちの信仰を試され、訓練されたから、というべきだろう。彼らはイエスさまのことを、全能なるお方であると信じ告白すべき、イエスさまの弟子である。実際彼らは、ガリラヤ湖の波に船もろとも沈みそうになったとき、イエスさまがその波と嵐を鎮めてくださったのを体験している。しかもそのとき彼らは、イエスさまに、「信仰の薄い者よ」と一喝されている。十二弟子は信仰の訓練を、極限においてすでに味わっていたのである。 だから、そういう体験のある彼らは、そのとき「イエスさま、助けてください!」と祈るべきであった。そうすれば、イエスさまはたちどころに彼らのもとに駆け寄り、彼らのことを荒波の困難から救ってくださったはずである。イエスさまが彼らに近づかれてもそのまま通り過ぎようとされるのは、そんな彼らの信仰のあるなしを、お試しになっていらっしゃるようである。わが弟子たちよ、お前たちがもし、わたしに心が向かっていたら、そばを通るわたしに必ず気づくはずだ。さあ、ここにいるよ……。 だが彼らは、近づいてこられるイエスさまが、イエスさまだとわからなかった。失礼というべきか、幽霊とさえ思ったのであった。幽霊の正体見たり枯れ尾花、ならぬ、幽霊の正体見たらイエスさま。しかしこれは笑いごとではない。いつもイエスさまの御顔を見ていたはずの彼らに、イエスさまがわからなかったわけである。このお方がイエスさまだとわからなくしたものは何か。彼らを覆っていた現実的な恐れである。 そのとき、彼らは強風と高波を目の当たりにしていた。彼らはイエスさまではなく、目の前に繰り広げられる現実、現象そのものに目が留まっていたわけである。彼らに死のシンボルである幽霊が見えたように思えたのは、強風と高波ゆえの死にそうな現実に引きずられて、イエスさまよりも死の世界が近しくなってしまったためではなかっただろうか。 私たちは何を優先して見るべきかが問われている。たとえばコロナ。これは大きな波にも似たものではなかったか。自分や家族がコロナにかかったらどうしよう。教会にクラスター感染が起きたらどうしよう。教会の駐車場にたくさん車がとまっているのを人が見たら、自分たちはどう思われるだろうか。しかしこのとき、コロナやそれに付随するそんなさまざまな現象に振り回されず、ただイエスさまだけを見ることができたならば、その信仰はほめられよう。 感謝なことに、牧師家庭にコロナ感染者が出た週、その一日の主日を除いて、コロナ下になって約3年、私たちは一週も欠かさずに礼拝をささげつづけた。恐れにとらえられず、ともに主のみこころに忠実であるようにと、うちの教会が信仰を働かせることができたのは感謝だった。 さて、この箇所は、弟子たちは頑なで悟らなかった、と総括している。しかし聖書は、だから悪い、とも、それは仕方ない、とも評価していない。ただ、彼らが非常に驚いたのは、頑なだったから、悟らなかったから、と、理由を述べている。 ここでわかることは、イエスさまは頑なな弟子たちに驚きを与えてでも、悟りを持てるように導いてくださるお方、ということである。人間は頑ななもの。頑なな人間は悟れない。神さまに教えられることよりも、自分の悟りに頼るからである。 神さまは悟らせてくださるお方。悟りというものは霊的な領域に属する。弟子たちはパンと魚の奇跡を見たばかりか、その奇跡が人々に行き渡るように、ほとんど重労働とさえいえる働きをした。つまり、弟子たちにとって、イエスさまが創造主であることを証しする奇跡は、体験そのものだった。その前には、風と波をみことばひとつで鎮められるのを体験しているし、墓場の男から悪霊を追い出される奇跡も見ている。そのほかにも数々の奇跡を見ている。 それでもわからないものはわからない。悟りは霊的なもの。人にとって体験はたしかに大事だが、体験がいかに大事であっても、聖霊さまが悟らせてくださらないかぎり、体験はほんとうの信仰に導けない。 人は御霊に逆らう肉がたえず生き、隙あらばその人を征服しつくそうとしてしまうような存在である。主の弟子になること、主の弟子でありつづけることも、肉に属する頑張りで取り組もうとしてしまうこともよくある。つまり、肉の思いゆえに御霊に逆らうわけだから、御霊が与えてくださる、神さま、イエスさまとの生きた交わりの中で、主の弟子として振る舞わないのである。 怖いことに、肉的な頑張りでも、人の目にはそれなりに立派なクリスチャン生活をしているように見えてしまうものである。しかし、その人に、果たしてほんとうの主との交わりはあるだろうか? 信仰は働いているだろうか? 私たちは、頑なで悟れない弟子たちを笑うことはできない。イエスさまを前にしても悟れなかったのが弟子たちならば、いわんやイエスさまと共同生活を送っているわけでもない私たちが悟れるものだろうか? 私たちこそ頑ななのではないだろうか? しかし、そんな私たちがもし悟れたとしたならば、もはやそれは人間業とは言えないのではないだろうか? それを恵みという。 そう、信仰は人間業ではない。神さま、聖霊さまの領域に属するものである。聖霊さまが私たちに信仰を与えてくださるのであって、私たちが頑張った結果、信仰を持つというものではない。しかし、イエスさまは、私たちの中にふさわしく信仰が育つまで、ときに「信仰の薄い者よ」と叱咤激励されながら、何度でも私たちのことを導いてくださる。 私たちはわかっているだろう。自分に信仰がないことに折りあるごとに気づかされる。それで落ち込まないだろうか? もっと信仰があればいいのに、などと思わないだろうか? しかし、それが私たちなのをご存じの上で、イエスさまは私たちのことを、信仰が弱いからとお見捨てになることはない。 私たちがこの人生の中で自分の不信仰に気づかせていただくことは数知れないが、主はけっして、私たちが不信仰だからという理由で私たちのことを見捨てず、ご自身の弟子とされた以上、私たちの生きるかぎり、私たちの信仰を増し加えてくださる。この恵み、信仰が与えられているゆえに、今日もイエスさまについていけることに感謝するお祈りをおささげしよう。

「みことばに生き、みことばに死ぬ」

聖書箇所;マルコの福音書6:14~29/メッセージ;「みことばに生き、みことばに死ぬ」 今日の箇所は先々週のマルコの福音書の箇所の続きだが、期せずして、というか、今日は主の晩さんを執り行う。今日の箇所は、主の晩さんの主題である、主イエスさまの死を告げ知らせることときわめて関係が深い。今日の箇所の扱う主題は、ひとことで言って「殉教」である。大きく2つに分けると、殉教に至る背景、そして、殉教の場面、となる。 まず、殉教に至る背景から見てみよう。14節から16節によると、バプテスマのヨハネのことは、ヘロデが死刑に処したことがわかる。しかし、いま人々の間では、ことばとわざに力あるお方、イエスさまが活動していて、このお方は、死んだヨハネがよみがえったのだとも、旧約の預言者エリヤが現れたのだとも、いにしえの預言者がよみがえったのだとも言われていた。この人々のうわさはヘロデの耳にも届いた。しかし、ヨハネの首をはねて死刑に処したのは当のヘロデであったので、どれほど当惑したことだろうか。 ここでわかることは、イエスさまというお方は、生きながらにしてすでによみがえりのいのちを生きておられたと見なされていた、ということである。イエスさまはのちに、友であるラザロが死んだ折、「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きる」とおっしゃった。ラザロのきょうだいであるマルタがそれを聴いて、きょうだいを亡くした悲しみの中にありながらもすんなり受け入れることができたのは、イエスさまがよみがえりである、ということを、イエスさまに対する人々のうわさからも感覚的に知っていたからだろう。事実そのとおり、イエスさまはよみがえりであり、いのちであられた。 ともかく、イエスさまが働かれたことは、否が応でもヨハネのことを連想させずにはいられなかったわけだが、17節から20節までは、ヨハネとヘロデの関係を語っている。ヘロデは腹違いの兄弟ピリポの妻ヘロデヤを奪い、自分の妻にした。このことはもちろん、律法が禁止していることである。レビ記18章16節、同じくレビ記20章21節で戒められているとおりで、これらのみことばによれば、これは単なる不法行為ではなく、姦淫の罪に該当するものである。 このようなヘロデのことを、ヨハネは糾弾した。ヨハネの糾弾はまったく正当なものだったが、この糾弾は、ガリラヤという宗教的法治国家の長たるヘロデの名声を地に落とすには充分だった。ヘロデはヨハネを逮捕した。聖書の傍証資料として価値がある、ヨセフォスという歴史家の書いた『ユダヤ古代史』という書物によれば、ヨハネの罪名は「国家反逆罪」であった。 しかし、このヨセフという人物は、俗っぽい言い方をすれば「転んでもただでは起きない」人だった。獄中でもなお語りつづけ、ヘロデの面前でも語りつづけた。ヘロデは、喜んでその語ることばに耳を傾けたとみことばは語る。そしてヘロデは、非常に当惑したともある。そう、彼の名声を地に落とした人物は、これ以上ないほどのメッセージをもってヘロデに語りつづけ、それはヘロデの心を動かした。ヘロデは、このような正しい人を囚われの身にしたなんて、と、さぞ戸惑い、また、問われたことだろう。 私たちも、みことばにより問われるという経験をする。ときにはそのようなことばを、人の口をとおして聞くことがある。私たちはそんなとき、その人に対して激しい反発を覚えるかもしれない。しかし、その人がもし、さばくためではなく、愛する思いで語ってくれたのならば、私たちはそのように反発心を覚えたことを、あとで悔い改めるべきであろう。それが神の前に生きる人の態度である。 しかし、ヘロデがそうであっても、収まらない人がいた。妻のへロディアだった。ヨハネのヘロデに対する糾弾は、そっくりそのまま、ヘロデヤにも向かうものだった。ヘロデヤはヨハネのことを殺したいほど憎んだ。 人を悔い改めに導くみことばは、ありがたく受け取るべきものである。しかし、もし人が傲慢で、心がかたくなならば、そのみことばは受け取れず、そのみことばを伝えてくれるありがたい人への激しい反発を覚えるしかない。私たちは、みことばを語ってくれる人に対して柔和な心でいるか、よくよく自分自身を点検する必要があろう。 21節から、ヨハネの殉教の記録は後半に入る。まず、「良い機会が訪れた」とあるが、これは言うまでもなく、ヨハネを殺したいへロディアの願いを遂げる上での絶好の機会、という意味である。 イエスさまは十字架にかかられる前の晩、ゲツセマネの園にやってきた、ご自身を逮捕しようとする者たちに対し、「今はあなたがたの時、暗闇の力です」とおっしゃった。それは、十字架という、人が神に至る唯一の道を開かれるため、神さまがあえて悪魔とその群れに動く時を許された、ということであったが、この、ヨハネの殉教という「時」も、悪魔が主導権を取って動いた時というわけではなく、全知全能なる神さまの主権のもとに許されたできごとであった。 しかし、その瞬間は、鮮やかなほど皮肉なものだった。へロディアはおそらく、自分が前の夫との間に設けた娘サロメが宴席で舞を舞えば、ヘロデが上機嫌、太っ腹になることを見越していたのだろう。実際、ヘロデは上機嫌になり、求めるものは何でもやろう、などと言っている。 また、サロメはへロディアの罪の性質を受け継いで残忍だった。自分のほうびにバプテスマのヨハネの首を求めなさいと母親にそそのかされても、それを断ることをせず、ヘロデの戸惑い、心の痛みをよそに「今ここで、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、いただきとうございます」と堂々と言ってのけた。ヘロデの誕生を祝う、すなわち、いのちの主のなる神によっていのちが与えられたことを祝う場を、「女より生まれた者の中で最もすぐれた人物」とイエスさまが最高の評価をなさったヨハネが、むごたらしく殺される場としたのであった。 ヨハネは、神のことばに生きた。そして、神のことばに死んだ。この姿は、預言者の生き方であり、イエスさまはその生き方を最もはっきりと実践されたお方だった。 イエスさまは肉体を取られた神のみことばとして、語ることばは神のことばであり、その語ることばによって聴く人にいのちを得させ、ご自身をさばく者には神のさばきを宣言された。まさにみことばによって生きられたお方である。 そしてイエスさまは、みことばに死なれた。宗教指導者たちがイエスさまを十字架につける決断をしたのは、イエスさまのみことばを聞いたからだった。大祭司カヤパが「私は生ける神によっておまえに命じる。おまえは神の子神の子キリストなのか、答えよ」とイエスさまを詰問すると、イエスさまは「あなたが言ったとおりです」とお答えになり、さらに、ご自身が、預言の書に書かれているとおりのやがて来られるメシアであると語られた。しかし、それは彼らには冒瀆とみなされ、そのまったく正しいみことばゆえに、イエスさまは十字架につけられることになったのだった。まさにイエスさまは、みことばに死なれたのだった。 私たちはヨハネのようには、そしてイエスさまのようには、みことばに生きることも、ましてや死ぬこともできないような者ではないだろうか。ゲツセマネの園で眠りこけてしまったような弟子たち、鶏が鳴く前に3度イエスさまを知らないと言ってしまったようなペテロにシンパシーを覚えるのが当然の、弟子に召されていながら弟子になりきれない存在、それが私たちである。 そんな罪深い私たち、弱い私たちだからこそ、イエスさまは私たちが果たせなかった神への従順、律法の完成を成就するため、十字架にかかってくださった。私たちはイエスさまを信じる信仰によって、みことばに生き、そしてみことばに死ぬ栄光へと導かれる。これは一朝一夕にできることではない。日々の神との交わり、聖徒たちの神にある交わりを通し、つねに十字架と復活を体験してこそ、それは可能となる。 今日執り行われる主の晩さんは、みことばに生き、みことばに死なれたイエスさま、そして、みことばのとおりによみがえられたイエスさまの、そのみからだと血潮にあずかる時間である。私たちはみことばに生き、みことばに死ぬ力を、自分の努力で持ち合わせることはできない。ただ、イエスさまとの交わりによって、そのような神の栄光を顕す実を結ぶのである。その交わりを体験する時間として、主が今日の主の晩さんを祝福してくださるようにお祈りする。