みこころにかなう計画
聖書箇所;ヤコブの手紙4章13節~17節 メッセージ題目;「みこころにかなう計画」 今日は、メッセージの内容をもとに、あとで交わりの時間にともに分かち合いのときをお持ちしたいと思う。週報の、いつもなら牧会コラムを掲載しているページに、交わりの時間に考えていただくための質問を掲載させていただいた。今日のメッセージは、ここに掲載したことを具体的に考えながら聴いていただきたい。そして、今日、みことばをとおして示されたことがあるなら、どうかあとでともに分かち合い、せめて今日から次の主日の一週間の間だけでもまず、祈り合ってまいりたい。 今日のテーマは、「みこころにかなう計画」である。 みなさまは「計画」ということばを聞くと、どんなお気持ちになるだろうか?「さあ、何かの取り組みの前には必ず、しっかりした計画を立てるぞ! 計画大好き!」と、わくわくしてくるだろうか?「いや、計画を立てるなんて苦手だ、実行するのはもっと苦手だ!」となるだろうか? 私は残念ながら、苦手な方。むかしから計画を立てるのも、実行するのも得意ではなかった。それだけに計画を立て、それを実行することに成功したときのうれしさといったらない。でも、この教会を牧会するようになって11年になるが、計画を立てたり実行したりするのが苦手、などと言っている場合ではない。 さて、今日のみことばを読むと、のっけからかなり衝撃的なみことばとなっている。13節、14節。 13節のようなことばは、この世界に住む人は普通に口にしていることではないだろうか? 商売という経済活動で口に糊することの何がいけないというのだろうか? しかし14節を読むと、そのような計画を立てる人間がどんなにむなしい存在かということを説いている。それはそうかもしれないが、それを言っちゃあおしめえよ、とならないだろうか? 私たちはいつかこの地上からいなくなるのですから。 現にこの時代のクリスチャンたちは、迫害に絶えず囲まれていて、明日をも知れぬ状態であった。いつ殺されるかわからない。のんきに商売のことを考えている場合ではない。そしてこんにちの私たちも、ついこのあいだ、南海トラフ騒ぎがあったばかりである。いつか死ぬとは分かっているけれども、いつ死ぬかわからない。しかし、そんなことを意識していたら、明日の計画を立てることさえためらってしまう。みことばは、人はすべからく計画を立てるのをやめるべきである、と言っているとでもいうのだろうか? 計画を立てることがそんなにいけないことなのだろうか? しかし、みことばには続きがある。15節。大前提が書かれている。「主のみこころであれば、私たちは生きていて」。この告白がつねに伴うのが、私たちクリスチャンである。主のみこころによって生かされていることを謙遜に認め、そう告白することが、私たちにとっての大前提である。 このみことばと深い関連を持ったことがらを、イエスさまはお話しになっていらっしゃる。ルカの福音書12章13節から21節。 遺産相続で取り分を多くするためにイエスさまを利用しようという者がいたが、イエスさまはその人の心の中を見抜き、それは神の前に富む態度ではないと喝破された。このみことばは、経済的な祝福を求めることが真理とばかりに駆り立てることの愚かさを語っている。もし、人が大いに富んだとしても、それは富ませてくださった神さまの恵みなのであり、それを自分の快楽のために用いることなど言語道断である。その者のいのちは神さまの御手のうちにある以上、神を認め、神の栄光をあらわすことを、富や財産の用い方においても実践すべきであった。 こういう計画を立ててはならないわけである。しかし聖書を見ると、計画を立てることが聖徒の模範として示されている箇所がたくさんあらわれている。エジプトの総理大臣に抜擢されたヨセフは、世界が飢饉に陥らないように食糧計画を立てた。ヨシュアはカナンに進攻する際作戦を立てたが、これも「計画」のひとつといえるだろう。ダビデはソロモンに神殿建築の計画を授けている。みな、計画である。 しかし、これらの計画が聖書的に見て模範であるのはなぜかはもうお分かりだろう。そう、これらはみな、「主のみこころ」が成し遂げられるための計画だからである。 もうひとつみことばを見てみたい。ピリピ人への手紙2章13節。クリスチャンにとってみこころにかなった志(こころざし)を立てること、その志にしたがってことを行うことは、祝福のわざであることをこのみことばは語る。しかし、志というものは、人の側で主体的に立てるものでもある。行ってみればクリスチャンにとっての志とは、神さまと人との「合作」であるといえるだろう。その志はやみくもに行動することで成し遂げられるのではなく、人が祈りのうちに「計画」を立てることによって成し遂げられるのではないだろうか。ヨセフの食糧計画、ヨシュアのカナン進攻の計画、ダビデの神殿建築の計画、みな、神と人との「合作」といえるものだった。 そういうわけで私たちも計画を立てる。ところが、場合によっては、16節のみことばのような警告を受けるような計画を立てることにもなりかねない。これはどういうことか? 神さまがその能力を与えてもいらっしゃらないのに、「自分にはこんなことができるぞ」とばかりに公言する。このことは、同じヤコブの手紙で警告され、イエスさまも警告しておられることと同じである。5章12節。マタイの福音書5章34節から37節。 そう、「誓う」という行為。しかし、たとえば結婚式で、神と人の前に「病めるときも、健やかなるときも、この人を愛することを誓います」という行為もいけないことになるのか。そうではない。要は「主にあって『誓う』」ということであるかどうか。14節にあるとおり、明日のことがわからないのが私たち人間であり、そういう限定的な被造物にすぎない分際で、おいそれと「誓う」という行為などできないものである。 そういう行為をしてはならないのは、自分が、何もかもお見通しで、未来に至るまでみこころの計画を立てておられる神さまになり代わることだからである。そう、神さまは創造のはじめから世の終わりに至るまで、確固たる計画を立てておられることは、神のみことばである聖書を読めばわかることである。人間が勝手に計画を立てることは、その確固たる計画を立てておられる神さまに対する挑戦であり、越権行為である。神さまはそのようなものに怒りを発しておられる。 そのような流れで17節を読むと、なすべき正しいこととは何か、それを行わないとはどういうことかがわかる。そう、なすべき正しいこととは、「主のみこころであれば」という前提のもと、へりくだって、主のみこころを絶えず求め、計画を着実に立てていくことである。だから、その正しいことを行わない罪とは、主のみこころを求めもせずに自分勝手に計画を立て、それを行おうとすることである。 先週学んだみことばに、悪い動機で願うものは与えられない、というくだりがあった。しかし考えてみよう。悪い動機、すなわちみこころから外れた動機で求めたものが与えられないということは、むしろその人にとって祝福と言えることではないだろうか? むしろ、みこころから外れたものをその人が手に入れることが、その人にとってはわざわいと言えるだろう。 計画を立てることにおいても同じことが言える。神さまに祈りもしないで立てた計画が、あとでどんなに祈ってみたところでなることがなくても、不思議ではない。そのとき、その計画がならないことを、神さま、こんなに祈っているのになぜかなえていただけないんですか! と恨み言を言ってみたところで始まらない。最初からよく祈らずに、つまりみこころと確信するだけの確信も平安もなしに始めたことだからである。 今日はともに、少し立ち止まって祈ってみたい。私たちはおそらく、いろいろと求めるべきものがあるだろう。仕事の特定のスキルだろうか? 仕事のための新たな資格だろうか? はたまた、新たな職場だろうか? 配偶者だろうか? みな、すばらしいものにちがいない。しかし、それらのものがなぜ自分に必要なのだろうか? 神さまのみこころは、ほんとうにそういったものを私たちに与えてくださることなのだろうか? 実際、それらのものを求めることにおいて、平安があるだろうか? みことばに裏づけられた確信があるだろうか? そしてその祈りの課題は、私たち教会でともに共有して祈ってもらえているだろうか? その祈りは必ずかなえていただけるという、御霊による確信をいただいているだろうか? みこころにかなう計画というものは、まずなによりも、神さまが与えてくださっているという確信が伴ってくるものである。そういう人には平安がある。「それ、ほんとうにみこころですか?」と突っ込まれても、動揺せずに確信をもって、「はい、みこころです」と答えることができる。裏づけとなるみことばもあれば、キリストのからだなる教会、仲間のクリスチャンたちにも同様の確信、導きが与えられ、その計画がなるようにみんな積極的に祈ってくれる。 最後に、私がこの教会に導かれたことが、ほかならぬみこころを求めつつ立てた計画の実現だったことをお証しして、メッセージを締めくくりたい。 私がイエスさまを信じ、教会員になった母教会、北本福音キリスト教会は、特定の教派に所属しない、単立の教会だった。しかし同時に、幼児洗礼を施さず、また浸礼によるバプテスマをもって洗礼を施していた。また、役員会もあったが、事実上の最高意思決定機関は、年に1回行われる、全教会員が集まって合議する総会だった。そう考えると、北本福音キリスト教会の教会形成は、バプテスト教会のそれだった。ただ、バプテストを標榜していなかっただけであり、実質バプテストだった。 のちに私は韓国教会から学ぶことで日本の教会を元気にしたい思いで、韓国の長老派の神学校に学んだ。神学生としての奉仕教会も同じ教派の教会である。その長老派の環境で私は、ひとことでまとめると「神の御前で徹底して生きる」ことをモットーとした長老派の根幹をなすカルヴァン主義に共鳴し、これが生涯目指すべきものという確信に至った。 しかし、私はいずれ日本に戻らなければならない。だが、母教会は主任牧師が立てられて間もなかった時期で、私の帰る場所はなかった。私はどこの教会、あるいは教団教派に行くべきか、『キリスト教年鑑』を購入して韓国の神学校に持ち込み、それをしょっちゅう眺めては祈っていた。 その結果、あることをきっかけに実に理想的な教会につながった。もともと、保守バプテスト同盟の重鎮だった宣教師の開拓した教会で、カルヴァン主義をもってバプテストの教会を形成する群れだった。その群れは、私が大学生の頃に取り組んでいた子ども伝道、弟子訓練の働きにも先鋭的に取り組むことで、当時日本中の教会から見学に訪れてくるような教会で、私は行ってみてたちまちとりこになり、その教会に所属しながら、神学校の残りの後半を過ごすことになった。その教会の縁で、当時韓国で押しも押されもせぬモデル教会だったサラン教会で学ばせていただくという恵みにもあずかった。 しかし、神学校を卒業して実際にその教会で働きを始めてみると、私は実は牧会者になるには向いてないのではないか、と思わされることばかりが起こり、やがて私は召命観を失ったまま、失意のうちに鬱々として何年間も過ごすこととなった。そんな中、私のことを心配した父が大芝居を打ち、自分は重い病気にかかったから帰って来い、と言い、帰っていかざるを得なくなって実家に戻り、地元の教会に厄介になることになったが、そこでも召命が回復することはなかった。 そんな私はしかし、韓国の神学校に推薦してくださった宣教師の開拓教会を、伝道師という肩書で手伝うことになった。妻ともその開拓教会の働きを通じて出会い、結婚したり、試験を受けて牧師の資格もいただいたりと、働き人として大きく前進することになったが、私はほんらい、韓国で学んだのは、日本の教会を元気にするため、すなわち日本宣教がおおもとのビジョンとして与えられていた人間である。そして妻もまた、日本宣教のビジョンをいだいて訓練を受け、来日したわけである。だがその開拓教会は韓国語で礼拝を行い、お昼には韓国料理を食べ、したがって韓国人ばかりが集まる群れであって、私は韓国語ができる日本人であったためにある程度の働きはできたものの、所詮は「小間使い」のようなものであった。 そのような下働きのような働きをしていたころ、私にはいちどでいいからやってみたいことがあった。それは「韓国での日本語礼拝の牧会」であった。 私は下の娘が生まれたタイミングで、妻と相談し、足かけ7年にわたる韓国人教会の働きを辞めることになったが、なんと渡りに船で、ちょうどそのとき、日本語礼拝部の牧師を募集している教会がソウルにあって、私どもは韓国に引っ越した。 しかし、この働きは長くできるものではないことはわかっていた。やはり私どもにとっての召命は、日本宣教であることを確信していたからである。私は神学生時代の頃のように、またいろいろな教会のことを調べながら祈りはじめた。その中でも、神学生時代に共鳴したカルヴァン主義バプテストの群れである「保守バプテスト同盟」など特に自分の召命に照らして向いているのではないか、と考えるようになった。 そのような中でお話しをいただいたのが、この水戸第一聖書バプテスト教会だった。保守バプテスト同盟の教会。ここに、神学生時代以来の長年の祈りがついにかなうことになった。そして10年以上にわたってここでお働きすることが許されていることに、主の立てさせてくださった計画を思わずにいられない。また一方で、人間的に立てた計画がならなかったことも、これまでの人生を振り返ってみるとどんなに多かったかを思う。しかし、その人間的な計画がならなかったのは、神さまの恵みであった。それがそのとおりになっていたら、少なくとも今、茨城でみなさまとともに味わっている目海にあずかることはできなかった。 あらためて、ピリピ人への手紙2章13節のみことばをお読みしよう。みなさまが主にあって確信しているみこころの計画はどうだろうか? 祈って考えていただきたい。それがみこころにかなう以上、成し遂げられるように、自分のために、そして、お互いのために祈っていこう。