聖書箇所;出エジプト記20章1節~4節
メッセージ題目;「偶像礼拝とは自分可愛さの罪」
先週から始まった十戒の学び、今日は第二戒である。
茨城は巨大な像があちこちに存在する。水戸常澄のダイダラボウ、水戸内原のハニワ、石岡の獅子頭、そして何といっても、牛久の仏像。いずれも、桁外れに大きい像である。これらの巨大な像は礼拝の対象であったり、なかったりする。しかし、いずれの像も極めて霊的な意味を持っているのはたしかで、そういう意味ではこの第二戒で戒められている、つくることも拝むことも神の民には禁じられている、偶像に分類できよう。そう考えると、茨城観光にやってくるようなお客さんのことは、あんまりお連れしたくないような場所である。
先週のメッセージで、ほかに神がいてはならないはずのイスラエル民族が、その律法が与えられてほとんど時間が経たないうちに、金の子牛の像をつくってそれをこぞって拝んだ、神の民にしてそうだったのである、という内容のことをお語りした。では、そんな私たちには、偶像はないのだろうか? 私たちはつい、偶像というと、神社仏閣や新興宗教の施設にお参りするイメージを思い浮かべ、いや、自分はそんなことなどしていないから大丈夫だ、などと思ったりしていないだろうか? そんな私たちは、偶像とは何か、そして、この第二戒で戒められている、自分のために偶像を造ってはならないとはどういうことかを知る必要がある。以下、見てまいりたい。
第一に、第二戒は、「いわゆる宗教行為としての偶像礼拝」のために偶像を造ってはならない、という意味である。
これはさきほども述べたとおり。現在私たちはマクチェイン式聖書通読で、列王記第一を読んでいるが、南北に分裂したイスラエルの、北イスラエル王国は、金の子牛を拝ませた。出エジプトの途上で起こった忌まわしいことをそっくりそのまま再現したわけである。さらに時代が下ると、アハブ王の時代になって、バアル、アシェラといった偶像神が礼拝される時代になる。
金の子牛にせよ、バアルやアシェラにせよ、唯一神なる神の民であるイスラエルにはありえない存在、あってはならない存在である。しかし、現実にイスラエルにそういうものが存在し、そういうものが礼拝の対象になっているということは、とかく神さまから離れたいと願う人間の罪の性質が、神さまから離れるという悪い行いを、偶像の神々をつくり、またそれを拝むということをもって表現する、ということであるといえるだろう。
しかし、当時のイスラエルの民にとってはどうだったか。金の子牛にせよ、バアルやアシェラにせよ、国の政策で民がこぞって礼拝するように仕向けられていた存在であった。その点ではそういう国策を敷いていた王にいちばんの責任があり、列王記を読み進めていくうちに登場する様々な王の紹介に、「彼は主の目の前に悪を行い」と書かれ、国を挙げての偶像礼拝の責任が王にあることを明らかにしているのだが、それなら民は仕方なかったと免罪されるのか。そうではない。民もまた、偶像礼拝をしたものとして神のお取り扱いを受けるべき存在となるわけである。
これはとても厳しいことかもしれない。しかし、アハブが政策としてバアルとアシェラを礼拝するようにさせていた暗黒時代、預言者エリヤのほかに主のしもべはいなかったようでも、神を恐れる侍従オバデヤのような人物はいたし、バアルにひざをかがめることをしない7000人の人が残されていた。民は、偶像礼拝は仕方がない、と言い訳する余地はなかったといえる。
これに酷似した歴史は日本や朝鮮半島もかつてたどっていた。日本はかつて、国家神道の国策が敷かれていて、それは太平洋戦争に敗れ、GHQの支配下に入るまで続いたが、その国家神道の政策は朝鮮半島でも強要された。朝鮮半島は当時、あらゆる政治結社が解散させられていた中で、キリスト教会をはじめ宗教団体は辛うじて存続していたが、やがて、国家神道に従うことはキリスト教会にも強要されることになった。
現代において、こうして守られて礼拝をささげている私たちからしたら信じられない話なのだが、礼拝の前に東方遥拝、すなわち皇居のほうを向いて拝礼し、それからようやく、まことの神さまを礼拝するのである。これが偶像礼拝でなくて何であろうか。そして、当然のように神社を参拝させられた。しかし、この国家的な流れを断固として拒否した牧師や長老がいた。彼らは投獄され、牧師と長老合わせ58人が殉教したと伝えられる。神を神とするとはそういうことである。
しかし、戦時中の日本の教会はほぼ例外なく、神棚を礼拝堂に飾り、それに拝礼することを常としていた。これを私たちはどう考えるべきだろうか? 生き残るために仕方がなかったから、と考えるべきだろうか?
それならそれで、何のために生き残ろうとしたのだろうか? 神の栄光のためだろうか? では、そうすることでなぜ神の栄光が現れるのか、と問われると、どう答えるべきだろうか? 所詮は、自分のために偶像を造り、生き残ることを画策したに過ぎなかったのではないだろうか?
しかし、自分のために偶像を造るという行為、それを拝むという行為は、当時の日本だけではない。現代の日本に生きる私たちにとっても大きな課題である。家々に仏壇や神棚が当たり前に存在するのがこの日本という国である。それを当たり前に拝み、家族の命日やお盆やお彼岸には墓参りをして、お線香をあげて手を合わせるのがこの日本という国の常識である。親族や知人が亡くなったら、お線香をあげに訪問するのが日本という国の常識である。そして……だれかが亡くなるという厳かなとき、仏式の葬儀ではお焼香をし、神道の葬儀では真榊をささげることもする。
こういうことを、クリスチャンでありながら行うということは、何を意味するだろうか? いや、自分はこういう行為をしているけれども、心の中では神さまにお祈りしているから大丈夫です、とでもいうのだろうか?
こういうケースで好んで引用されるみことばが、神を信じたアラムのナアマン将軍がエリシャに対し、自分の主君である王の偶像礼拝を手伝うことをお許しいただきたい、と申し出、エリシャがそれを許可した、という箇所である。エリシャが大いなるみわざのなされたナアマンにそれを許したのだから、私たちも偶像礼拝をせざるを得ないときは、しても許される、と。
しかし、これは主がその民に偶像を礼拝を許容されることもある、ということの根拠にはまったくならない。その時代にあってイスラエル民族以外に、それもイスラエルの敵に対してみわざが行われたということは限定的、例外的なことであり、神さまはなにも、ナアマン将軍をとおしてアラムにリバイバルを起こすことがみこころだったわけではない。アラムが神の民イスラエルの敵国でありつづけることは、神さまのみこころでさえあり、すなわちこの民をイスラエルにもまして祝福されるということは、少なくとも神さまのみこころではなかった。この日本における証し人として召されている私たちとナアマンとでは、状況が全く異なるのである。