牧会コラム週報版 168 2024.1.7
「主の晩餐」
主の晩餐への陪餐はバプテスマを受けた聖徒に限定されているという性格もあり、特に未信者の方が主の晩餐の執り行われる礼拝に出席されたとき、キリスト教会の閉鎖性を感じさせてしまうように思われるかもしれませんが、これは主の家族、キリストのからだのわざとしてとても重要なものです。
私たちは主の晩餐のパンとぶどう汁がすなわちキリストのからだと血潮そのものとなるという、ローマカトリックのような化体説を取るものではありません。しかし、手に取り、目で見て、香りをかぎ、口で味わう(より正確に言えば口で味わうときにその咀嚼し、飲み込む音を聞く)実際的なキリストのからだの象徴として、主が「取りて食らえ」と備えてくださったものです。すなわち主の晩餐をいただくこととは、いわばキリストの贖いにおけるご臨在を五感で体験することです。
それゆえ、その条件としてのバプテスマがとても大事になります。自分はキリストとともに葬られ、キリストともに生きるものとされていることをその身をもって告白することがバプテスマであり、そのようにバプテスマを経ていまは主のみからだ(なる教会)のひと枝として生かされていることを告白することが主の晩餐であるわけです。この主の晩餐は、世界の全てのキリストのからだなる教会にてともに持たれ、私たちは今日、主の晩餐にあずかるとき、水戸第一聖書バプテスト教会のひと枝であることとともに、世界の全ての教会のひと枝であることを告白し、確認することになります。
考えてみましょう。いったい私たち罪人は、きよい神の御子キリストのみからだと血潮をわがものとしていただくなど、とんでもないことではないでしょうか? ところが私たちはイエスさまの十字架と復活を信じる信仰によって、そのようなもったいない恵みにあずかっているわけです。それを体験させていただくことが主の晩餐にあずかることであり、主の晩餐を体験するとき、私たちはこのありえない恵み、もったいない恵みをいただいて、救われていること、永遠のいのちに定められていることを感謝したいものです。
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