牧会コラム週報版 194 2024.7.28
「賛美 その5」
賛美には「特別賛美」と呼ばれるジャンルがあります。会衆がともに歌うのではなく、会衆の前に立った歌い手が会衆を代表して歌う、そのような賛美です。
私にバプテスマを授けてくださった小田彰牧師は、そのような歌手としても活動され、一般のホールにて時折開催するコンサートには、実に多くの聴衆を集めていたものでした。そのような歌手の存在はむかしから、特別伝道集会のような場には欠かせなく、会衆はその歌声に耳を傾け、歌手の人生に働かれる主のご存在とみわざに心を留めるものです。
しかし、彼らは確かに素晴らしい働き人ですが、世間一般でいうところの「スター」ではありません。なぜならば、彼らはその歌声をもって神の栄光をあらわすことがその働きであって、彼ら自身を現すことはそのすべきことではないからです。
そんな彼らに対し、私たちは一般的なスターを見るように見たりしてはいないでしょうか。ある宣教師が、自身もメッセンジャーとして参加したある大きな伝道集会を評して、こんなことをおっしゃっていました。「会衆賛美を導いたソングリーダーは全く無名だったが、そのときこそ主のご臨在が強く現れた。しかし、ソロの特別賛美のとき、そのアーティストたちは確かに有名だったが、会衆賛美のときの霊性の高まりにはかなわなかった。」その理由をこの宣教師は、痛烈な一言で総括しました。「霊界には二人のスーパースターは必要ない。」
思えば私も、かつては賛美の働き手をその「属性」(特に、一般的な音楽業界で業績を残した人だったかどうか)で評価する、悪い癖がありました。そういう名ミュージシャンたちが賛美の働きに関わっていたのは事実で、そういう方々がその働きに献身するお姿は麗しいにはちがいありませんが、そのことと、賛美そのものをとおして主の栄光が現れることとの間には、実はそれほどの相関関係はありません。歌唱、演奏するにあたっての献身、それが賛美の本質ではないでしょうか。その献身に共感するゆえに感動する、今後特別賛美がささげられるならば、これでまいりたいものです。
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