聖書;列王記第二5章15節~19節/メッセージ;「いやしの目的は神の栄光 その3」
私は韓国での生活が長かったこともあり、韓国とはよく飛行機で往復しました。飛行機は格好いいですし、早く旅行できるので便利ですが、いやなこと、それは、気流の悪いところを飛ぶとき、変なふうに揺れる、ということです。理屈では、安全、落ちない、ということを知ってはいても、かなり怖いです。
そういうとき私はつい、お祈りします。神さま、どうか助けてください。ひたすら祈ります。しかしやがて霧生は安定し、飛行機は揺れなくなります。やがて目的地に着き、空港の中を歩き、入国審査、手荷物受取、と続くと、もうお祈りしたことなど忘れて、平然としています。
日本には「困った時の神頼み」ということわざがありますが、それは裏を返せば、困っていなければ別に神に頼む必要はない、ということです。多くの日本人にとって、神という存在はその程度のポジションでしかないのではないでしょうか。
ナアマンの場合はどうでしょうか? 彼はツァラアトに冒されていたために、大変な悩みの中にありました。アラムの将軍という高い地位にあることなど、ツァラアトを病んでいることの前には何ものでもありません。彼はいやしを求めて、自分の家で妻に仕えていたイスラエルの若い娘の捕虜のことばを信じて、藁にもすがる思いでエリシャに会いたいと、アラムの王の親書まで携えてイスラエルに赴きました。
そんなナアマンを待っていた待遇は、エリシャが出ても来ないで、単に、ヨルダン川に7回身を浸せばきよくなる、という伝言を受けただけでした。ナアマンは憤慨しました。せっかく会いに来たのに、この扱いは何だ、というわけです。しかしナアマンの従者のとりなしにより、ナアマンはヨルダン川に身を浸すことに気持ちを切り替え、果たしてそのとおりにすると、ナアマンのからだは、元どおりになって、幼子のからだのようにきよくなりました。
ここまでが前回までの内容です。ここから今日の聖書本文の内容に入りますが、まず。15節をご覧ください。ナアマンは一行をみな引き連れて、神の人エリシャのもとに行きました。お気づきでしょうか? 今度はエリシャに会うことができました。エリシャのことばを信じていやしをもって救われたナアマンは、そのいやしを報告し、感謝を述べたわけですが、それにはエリシャが直接対応したのでした。
エリシャが直接対応したことには、どんな意味があるのでしょうか? それはまず、ナアマンがエリシャに何と言って、それにエリシャがどう対応したかを見れば明らかになってまいります。まずナアマンはこう言っています。「私は今、イスラエルのほか、全世界のどこにも神はおられないことを知りました。」
このことばを、異邦人であるナアマンが言ったと考えると、たしかに画期的ではあります。よくぞこれだけの告白ができた! いやし主なる主の栄光が顕れた! と思えるでしょう。しかしそれでは、このことばに続くことばはどうでしょうか?「どうぞ今、あなたのしもべからの贈り物を受け取ってください。」これも、感謝の表現としては至極当たり前と思えるでしょう。また、携えてきた金銀財宝は一国の将軍が深い悩みの種であった持病をいやしてくれた人への感謝の表現としても、充分と言えたでしょう。
しかし、これは、見方を変えるとどうなるでしょうか? イスラエルという国はそもそもが、創造主なるまことの神のほかに神はいないと告白する国と民族であり、ナアマンがこう告白したことは、そのような唯一神に対する信仰を旨とするイスラエルの預言者に対する敬意にとどまりかねなかった、とも言えます。
これは意地悪な見方ではありません。といいますのも、日本では戦前も戦後も、多くの大規模な殿堂集会が開かれ、そこで多くの人が、まことの神さまだけが信じるべきお方であると信じ告白し、イエスさまを信じる祈りへと導かれました。ところが彼らはその後どうなったでしょうか? あれだけ多くの人が信仰告白に導かれたならば、今頃日本の教会は、こんなにクリスチャンがマイノリティにとどまってなどいなかったはずではないでしょうか? こういうことを見てみましても、唯一神に対する信仰告白をしただけでは充分ではないことが分かります。問題はそのあとなのです。
ナアマンが金銀財宝を送ろうとしたことが感謝の表現なのは確かであり、それはすばらしいことなのですが、もしナアマンがエリシャに財物を送り、エリシャがそれを受け取ってナアマンが帰ったならば、それで終わりであり、ナアマンのいやしはエリシャに財宝が送られて片がついた、言い換えれば、ナアマンのいやしには銀10タラント、金6000シェケル、晴れ着10着の値段が支払われて手に入れられた、ということに過ぎなかったことになります。
しかし、それでは、ナアマンがわざわざエリシャに会いに来た意味はありません。もし、いやしで終わりだったら、ナアマンがエリシャのことを、格下の国の人間として利用しただけだったという図式から逃れることができなくなります。エリシャが願ったのは、「ナアマンをしてイスラエルに預言者がいると認めさせること」でした。ナアマンはこのいやしをとおして、神の栄光を見る必要がありました。
私は医療伝道から始まった教会、北本福音キリスト教会で信仰を持った者なので、医療をとおしてイエスさまを伝える情熱に満ちた先生方の努力を、間近で見る機会の多かったものです。しかし残念なのは、患者さんたちの多くは先生方を尊敬はしていますし、それもクリスチャンのドクターとして尊敬しているわけで、先生方の敬虔な信仰のなせるわざで自分がいやされていることを信じているはずなのに、その先生に召命をくださっているイエスさまを信じ受け入れるまでには至りません。これはあるクリスチャンドクターの未信者の患者さんから直接聞いた話ですが、高齢のご婦人でいらっしゃるその方はせっせと遠方からその先生のもとに通い、先生が開かれる伝道目的のセミナーにも顔を出すほど先生のことを尊敬していらしたので、あるとき私は、その方にとって先生がどんな方か尋ねてみました。すると、こうお答えになったのでした。「いやあ、先生はほんとうに、生き神様です!」先生がもしこのおことばを聞かれたら、使徒の働きで神々の扱いを受けそうになったパウロやバルナバのように悲しまれるのではないだろうかと思いますが、事程左様に。単にいやされただけでは、いやしてくれる存在を間違って受け止める可能性があるわけで、ナアマンもそのような罠に陥らないように、エリシャは賢く導く必要がありました。
果たして、エリシャは財物を受け取ることを固辞しました。そのとき、エリシャはこう言っています。「私が仕えている主は生きておられます。」つまり、神のわざはお金でやり取りする性質のものではないことを語っているわけです。エリシャがナアマンをいやしたのは、ナアマンにいやし主なる神さま、すなわち、まことの神さまを信じてもらうためであり、お金をもらうためでは決してありませんでした。
エリシャがここまで強い態度に出たのは、それだけナアマンに対する神さまの選びというものを強く確信していたからでした。何せこのいやしのわざは、イエスさまがナザレでの説教に引用されたほどインパクトのあるもので、神の民イスラエルを差し置いても異邦人であるナアマンをお選びになったことは、イエスさまさえもお認めになるほどのできごとでした。
私たちにとっても、特にいやしのわざをとおして、神さまに出会うという経験はよくあることでしょう。そのとき私たちは何をすべきでしょうか? 単にいやされたことで満足するのではそれでおしまいです。自分をとおしていやし主なる神さまがいやし主としての栄光を顕してくださった、そのために自分のことを選んでくださったと。感謝すること、これが大事なことです。
ナアマンはどうでしょうか? 贈り物を送る代わりに、イスラエルの土を持ち帰らせてほしいと言いました。もう、ほかの神々にいけにえをささげない、と。つまりナアマンは、その持ち帰ったイスラエルの土で、イスラエルの神にいけにえをささげる、すなわち礼拝することを決心したのでした。そのために、アラムの土地にイスラエルの土を盛り、そこをイスラエルの一部とすることさえしようとしたのでした。
このように。異邦のアラムにありながら自分のもとに礼拝の場所を築くナアマンから、学ぶことがあるとすれば、それは、主によっていやされた者がさらに主に近づくために、礼拝の場所を身近なところに備え、つねに主を礼拝できる環境に自分を置く、という姿勢ではないでしょうか。特にナアマンのこの態度は、アラム同様、基本的にはまことの神さまを礼拝しない、偶像、異教ばかりの日本という環境に身を置く私たちには必要なことです。私たちの身近には何があるでしょうか? 私たちは仏壇や神棚を拝む生活こそしていないかもしれませんが、テレビをつけっぱなしにして、だらだらと惰性で眺めているようでは、この世の環境から抜け出せていないことになってしまっているわけです。そこで私たちは、意を決して聖書のみことばに向かう環境を身近に作ることが必要となるわけです。この点でも、あえて異国の地、異教の地で、イスラエルの土を用いて祭壇を築くナアマンの姿勢に見習うところがあります。
さて、そんな日本の霊的風土に生きる私たちにとって、やや気になるみことばと言えるのが、18節と19節ではないでしょうか? リンモンという偶像の神殿で礼拝することをエリシャが認めている、これいかに?
これは、ある日本人の巡回伝道で名の知れた牧師先生のメッセージで聞いたことですが、神さまを信じたナアマンにエリシャがこういうことを言ったわけだから、クリスチャンのみなさんは仏壇に手を合わせてもいい、お葬式でお焼香をしてもいい、とおっしゃっていました。これに、わが意を得たり、となっていたクリスチャンもいましたが。私はどうしても違和感がぬぐえないまま、今に至っています。
まず、大前提として、私たちがすべきことは、「宗教的に戒律を守ること」以前の問題として、「神と人を愛すること」です。だからこの問題は、「エリシャがこう言っているくらいだから、未信者の家族の手前、仏壇や神棚を拝んだりお葬式で宗教行為をしたりすることは、十戒で戒めている『偶像を拝むな』に当たらないから大丈夫だ」というように、宗教的に可か不可かという判断を下すべきことではなく、「私のする行為はほんとうに神を愛し、人を愛するという動機から出ているか?」ということが最優先に問われるべきです。
このことをかなり具体的に説明した聖書箇所として、コリント人への手紙第一8章と10章を挙げることができます。コリント教会には、そもそもが偶像にささげられたものである肉を食べていいのかどうかという議論があった模様ですが、パウロは、食べていい、と言っています。それが偶像にささげられたものであっても、ということです。しかし、その肉が偶像にささげられたものであることを公言する人の前では、食べてはならないとも言っています。それは、信仰の弱い人がつまずくからだ、ということです。なんだ、クリスチャンでも肉を食べるのか、それは偶像礼拝の行為じゃないか、だったら、偶像を拝むくらいいいじゃん、などと曲解し、信仰をなくしでもしたら大変なことです。クリスチャンが仏壇を拝むことやお焼香をすることはこの延長線上で考えるべきことで、たとえ真似事でも偶像を拝むという行為をみなに見せるならば、なんだ、クリスチャンもいざとなれば神仏に膝をかがめるのか、所詮キリスト信仰なんて大したことないもんだな、と受け取られ、彼らはますます、神さまを信じる必要性を感じなくならないでしょうか。
キリスト信仰よりも神仏の信仰のほうがまさるかのような行動をすることは、果たして彼ら未信者を愛する愛が動機と言えるのでしょうか。そういうことが私たち日本のクリスチャンには問われています。
ナアマンの場合は、私たちの置かれた状況とは分けて考えるべきです。ナアマンはそもそもが、偶像礼拝を行う主君に仕える立場にありました。主君の立場は絶対であり、私はもはやあなたさまの偶像礼拝のお手伝いはできません、と宣言するならば、その責任を取って処刑されかねないポジションです。そんな自分が王の偶像礼拝を助ける立場に甘んじることを、どうか主が許してくださるように、とナアマンは恐れながら言いましたが、エリシャは容認しました。これは、ナアマンが基本的にはイスラエル人ではない、異邦人という限界の中にいたこと、その社会において、まことの神さまを愛し、その神さまの愛をもって、主君をはじめとした人々を愛するにはどうすべきか、あるいはもっと大きな視点、イスラエルとアラムの力関係といったことにエリシャが配慮し、その結果、ナアマンの願いを聞き入れたと考えるべきでしょう。これは、イエスさまが昇天されて聖霊がお下りになり、世界宣教の門が開かれて以降の価値観をそのまま当てはめて、ナアマンを難じたり、エリシャが矛盾していると責めたり、果手はこのようなことを書く聖書は矛盾しているというような性質のものではないわけです。
このことを私たちに当てはめるならば、もっとちがう適用をする必要があります。それは、異教の社会に住む私たちが、いかにその社会において仕えるか、知恵を用いるべきである、ということです。たとえば私たちだったら、いかに純粋な信仰を持っているからといって、たまたま就職した職場に大きな神棚が飾ってあるから、もうやめた、となるのでしょうか。それでは仕事をすることもできません。一般の学校では進化論を教えているから、いっさい学校に送ることを拒否するのでしょうか。それでは将来の進路がかなり狭まりますし、特にお医者さんのような仕事には就けなくなります。そういう環境に身をおいても、それに心とたましいを売らないで、忠実に励む道はいくらでもあります。ナアマンも、自分のためにわざわざ親書まで書いてイスラエルまで送り出してくれたほどの主君にさらなる忠誠を果たすことが神の愛の表現であると信じたからこそ、葛藤しながらもエリシャに許しを願い出たわけです。だから、ナアマンに対するエリシャの答えはクリスチャンに偶像礼拝の容認ではなく、異教社会にあって愛をもって堂々と振る舞え、という励ましであったと見るべきです。
あらためて見てみますと、エリシャはナアマンに会う必要があったことがわかります。それはエリシャがナアマンと直接話して、ほんとうの礼拝者としてナアマンを立て上げるためでした。イエスさまが来られるはるかむかしであったこの時代、まだ異邦人に神の国が広く及ぶご計画ではなかった以上、ナアマンに大々的な宣教の働き、弟子づくりの働きが託されていたわけではありませんでしたが、それでも神さまがナアマンを選んでおられたのは確かなことで、ナアマンのいやしは後世になってイエスさまが例としてお語りになるほど、異邦人の救いということにおいて極めて象徴的なことでした。それほど、いやしをもって臨まれる神さまの選びのみわざはナアマンにとって確かなものでした。
私たちもこのような、選びを実感できるだけの体験があったはずです。しばらく祈りのうちに思い起こしましょう。特にそれがいやしの御業であったならば、いやし主なる神さまに感謝し、このいやし主なる神さまのいやしがほかの兄弟姉妹に起こされるように祈りましょう。