「頑なな弟子、それは私たち」

聖書箇所;マルコの福音書6:45~52/メッセージ;「頑なな弟子、それは私たち」/讃美;聖歌433「なやめるひとびと」/献金;聖歌569「主よこの身いままたくし」/頌栄;讃美歌541/祝福の祈り;「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、私たちすべてとともにありますように。アーメン。」 今回、主の弟子訓練コンベンションに参加して、気づかされたこと、悔い改めに導かれたことがいろいろあった。特に、弟子訓練の牧会をすることは、主のご命令ゆえに従順にお従いするもの、という信念が徹底していなかった自分自身の姿に気づかされた。今後、すべてにおいて、弟子訓練という土台の上に教会形成のわざを行うものとならせていただきたいと願う所存である。 今回のコンベンションの講義では導き方とか、教材の使い方とか、方法論としての訓練のノウハウを説いたわけではない。むしろ主題講義は、聖書を解き明かしたメッセージであり、その中ではもちろん、イエスさまの十二弟子のことも語られた。十二弟子は幸いな人たちである。何が幸いといって、主イエスさまに弟子入りできた人たちだった、ということである。いったい、イエスさまほど最高の師匠がおられるだろうか? しかし、そんな、史上最高の師匠についたならば、さぞかし彼ら十二弟子は素晴らしい「高弟」たちかと思いきや、彼らはその訓練のもとにいたとき、整えられていないこと甚だしかった。 彼らはもちろん、のちには素晴らしい働き人になったが、十二弟子の共同体としてイエスさまのもとに身を寄せていた時分には、ずいぶんしくじった。福音書に記録されているペテロなんて、のちの姿がとても想像できない。例えるなら、名人の落語家も前座修行のときはしくじりが多かったようなものである。人間国宝になった柳家小三治は、前座時代、師匠の柳家小さんの家で修行の一環として床を雑巾がけしていたとき、横着して、なんと足でやって、小さん夫人に見つかって怒られたそうだ。「こら! そんな真似をするのは小ゑんぐらいだ!」小ゑんは、のちの立川談志。小三治も談志も、そんなところから大名人になった。しくじってばかりのイエスさまの弟子たちも、いわば前座修行のような段階。 今日の箇所でも十二弟子のことが出てくる。先週の箇所では、イエスさまのみわざのお手伝いをする、いわば「脇役」のような立場だったが、今日の箇所で、十二弟子は主人公のようである。今日の箇所を読むと、イエスさまが十二弟子をどのように訓練されたかが見えてくる。それでは本文を見てまいりたい。 イエスさまはガリラヤ湖畔で群衆を教え、5つのパンと2匹の魚で彼らを満腹させられた働きをなさったら、すぐに、弟子たちを無理矢理船に乗せた。イエスさまがそうなさった理由は2つある。ひとつは、イエスさまご自身がお祈りに集中されるため。バプテスマのヨハネが殉教したというたいへんな知らせをお聞きになり、イエスさまは御父との真剣な交わりに御力を得ることを必要とされていた。そしてもうひとつの理由は、弟子たちどうしの共同体の中で、彼らを訓練されるためである。今日のメッセージでは、この2つ目の理由を中心に扱いたい。 弟子たちはガリラヤ湖の向こう岸に向かって、12人で協力して船を漕ぐわけだが、折りしも彼らは向かい風に悩まされた。主イエスさまは、この時間のガリラヤ湖に、船も漕ぎあぐねるような風が吹くことをご存じなかったか? いや、ご存じだった。そればかりか、イエスさまが万物を司られる全能の主である以上、この風はイエスさまが備えられたものだったといえる。風ばかりではない。湖には大波まで起こった。そのような厳しさ、いのちさえ危うくなるような中に、イエスさまはあえて弟子たちを送りこまれたのである。 弟子たちはつまり、風や波を鎮められる大きなみわざを行われるイエスさま、全能の神の子がともにおられない中、困難に直面するという訓練にほうりこまれたわけである。イエスさまはこのように、人をあえて冒険の中に突き放されることがある。人は困難に出会うとき、まず、ありったけの力で努力し、困難を解決しようとするもの。このときの弟子たちがそうだった。 それはどれほどの困難だったか? 弟子たちは湖の真ん中にいた、とある。これは、円の中心のようなまん真ん中という意味ではなく、岸辺から遠く離れ、見渡すかぎり海ばかり、ということ。じっさい、ヨハネの福音書の並行箇所によれば、彼らは岸辺から25ないし30スタディオン離れたところにいた、とあるが、これは4キロから5キロメートル、ということ。ただし、湖は強風で荒れ狂っていた。夕方に出発した彼らは、夜明け近くになっても、まだ岸から4,5キロしか漕ぎ出せていなかったのである。しかし、引き返すこともできない。それほど、風と波は厳しく、十二弟子は目の前の状況を解決するのに手一杯だった。 彼らは頑張った。しかし、努力ではどうにもならないときがある。そのようなとき、イエスさまは近づいてくださり、助けてくださる。 困難の中におられる方は信じていただきたい。困難の中にいるとき、イエスさまは私たち主の弟子を愛してくださっているから、私たちが苦しみ果てることのないように、近づいてきてくださる。 しかし、ここでイエスさまは、嵐に悩む彼らを助けるためにやってこられたのに、そこを通り過ぎようとされた、とある。これいかに? とお思いだろうか? これは、イエスさまは彼ら弟子たちの信仰を試され、訓練されたから、というべきだろう。彼らはイエスさまのことを、全能なるお方であると信じ告白すべき、イエスさまの弟子である。実際彼らは、ガリラヤ湖の波に船もろとも沈みそうになったとき、イエスさまがその波と嵐を鎮めてくださったのを体験している。しかもそのとき彼らは、イエスさまに、「信仰の薄い者よ」と一喝されている。十二弟子は信仰の訓練を、極限においてすでに味わっていたのである。 だから、そういう体験のある彼らは、そのとき「イエスさま、助けてください!」と祈るべきであった。そうすれば、イエスさまはたちどころに彼らのもとに駆け寄り、彼らのことを荒波の困難から救ってくださったはずである。イエスさまが彼らに近づかれてもそのまま通り過ぎようとされるのは、そんな彼らの信仰のあるなしを、お試しになっていらっしゃるようである。わが弟子たちよ、お前たちがもし、わたしに心が向かっていたら、そばを通るわたしに必ず気づくはずだ。さあ、ここにいるよ……。 だが彼らは、近づいてこられるイエスさまが、イエスさまだとわからなかった。失礼というべきか、幽霊とさえ思ったのであった。幽霊の正体見たり枯れ尾花、ならぬ、幽霊の正体見たらイエスさま。しかしこれは笑いごとではない。いつもイエスさまの御顔を見ていたはずの彼らに、イエスさまがわからなかったわけである。このお方がイエスさまだとわからなくしたものは何か。彼らを覆っていた現実的な恐れである。 そのとき、彼らは強風と高波を目の当たりにしていた。彼らはイエスさまではなく、目の前に繰り広げられる現実、現象そのものに目が留まっていたわけである。彼らに死のシンボルである幽霊が見えたように思えたのは、強風と高波ゆえの死にそうな現実に引きずられて、イエスさまよりも死の世界が近しくなってしまったためではなかっただろうか。 私たちは何を優先して見るべきかが問われている。たとえばコロナ。これは大きな波にも似たものではなかったか。自分や家族がコロナにかかったらどうしよう。教会にクラスター感染が起きたらどうしよう。教会の駐車場にたくさん車がとまっているのを人が見たら、自分たちはどう思われるだろうか。しかしこのとき、コロナやそれに付随するそんなさまざまな現象に振り回されず、ただイエスさまだけを見ることができたならば、その信仰はほめられよう。 感謝なことに、牧師家庭にコロナ感染者が出た週、その一日の主日を除いて、コロナ下になって約3年、私たちは一週も欠かさずに礼拝をささげつづけた。恐れにとらえられず、ともに主のみこころに忠実であるようにと、うちの教会が信仰を働かせることができたのは感謝だった。 さて、この箇所は、弟子たちは頑なで悟らなかった、と総括している。しかし聖書は、だから悪い、とも、それは仕方ない、とも評価していない。ただ、彼らが非常に驚いたのは、頑なだったから、悟らなかったから、と、理由を述べている。 ここでわかることは、イエスさまは頑なな弟子たちに驚きを与えてでも、悟りを持てるように導いてくださるお方、ということである。人間は頑ななもの。頑なな人間は悟れない。神さまに教えられることよりも、自分の悟りに頼るからである。 神さまは悟らせてくださるお方。悟りというものは霊的な領域に属する。弟子たちはパンと魚の奇跡を見たばかりか、その奇跡が人々に行き渡るように、ほとんど重労働とさえいえる働きをした。つまり、弟子たちにとって、イエスさまが創造主であることを証しする奇跡は、体験そのものだった。その前には、風と波をみことばひとつで鎮められるのを体験しているし、墓場の男から悪霊を追い出される奇跡も見ている。そのほかにも数々の奇跡を見ている。 それでもわからないものはわからない。悟りは霊的なもの。人にとって体験はたしかに大事だが、体験がいかに大事であっても、聖霊さまが悟らせてくださらないかぎり、体験はほんとうの信仰に導けない。 人は御霊に逆らう肉がたえず生き、隙あらばその人を征服しつくそうとしてしまうような存在である。主の弟子になること、主の弟子でありつづけることも、肉に属する頑張りで取り組もうとしてしまうこともよくある。つまり、肉の思いゆえに御霊に逆らうわけだから、御霊が与えてくださる、神さま、イエスさまとの生きた交わりの中で、主の弟子として振る舞わないのである。 怖いことに、肉的な頑張りでも、人の目にはそれなりに立派なクリスチャン生活をしているように見えてしまうものである。しかし、その人に、果たしてほんとうの主との交わりはあるだろうか? 信仰は働いているだろうか? 私たちは、頑なで悟れない弟子たちを笑うことはできない。イエスさまを前にしても悟れなかったのが弟子たちならば、いわんやイエスさまと共同生活を送っているわけでもない私たちが悟れるものだろうか? 私たちこそ頑ななのではないだろうか? しかし、そんな私たちがもし悟れたとしたならば、もはやそれは人間業とは言えないのではないだろうか? それを恵みという。 そう、信仰は人間業ではない。神さま、聖霊さまの領域に属するものである。聖霊さまが私たちに信仰を与えてくださるのであって、私たちが頑張った結果、信仰を持つというものではない。しかし、イエスさまは、私たちの中にふさわしく信仰が育つまで、ときに「信仰の薄い者よ」と叱咤激励されながら、何度でも私たちのことを導いてくださる。 私たちはわかっているだろう。自分に信仰がないことに折りあるごとに気づかされる。それで落ち込まないだろうか? もっと信仰があればいいのに、などと思わないだろうか? しかし、それが私たちなのをご存じの上で、イエスさまは私たちのことを、信仰が弱いからとお見捨てになることはない。 私たちがこの人生の中で自分の不信仰に気づかせていただくことは数知れないが、主はけっして、私たちが不信仰だからという理由で私たちのことを見捨てず、ご自身の弟子とされた以上、私たちの生きるかぎり、私たちの信仰を増し加えてくださる。この恵み、信仰が与えられているゆえに、今日もイエスさまについていけることに感謝するお祈りをおささげしよう。

「みことばに生き、みことばに死ぬ」

聖書箇所;マルコの福音書6:14~29/メッセージ;「みことばに生き、みことばに死ぬ」 今日の箇所は先々週のマルコの福音書の箇所の続きだが、期せずして、というか、今日は主の晩さんを執り行う。今日の箇所は、主の晩さんの主題である、主イエスさまの死を告げ知らせることときわめて関係が深い。今日の箇所の扱う主題は、ひとことで言って「殉教」である。大きく2つに分けると、殉教に至る背景、そして、殉教の場面、となる。 まず、殉教に至る背景から見てみよう。14節から16節によると、バプテスマのヨハネのことは、ヘロデが死刑に処したことがわかる。しかし、いま人々の間では、ことばとわざに力あるお方、イエスさまが活動していて、このお方は、死んだヨハネがよみがえったのだとも、旧約の預言者エリヤが現れたのだとも、いにしえの預言者がよみがえったのだとも言われていた。この人々のうわさはヘロデの耳にも届いた。しかし、ヨハネの首をはねて死刑に処したのは当のヘロデであったので、どれほど当惑したことだろうか。 ここでわかることは、イエスさまというお方は、生きながらにしてすでによみがえりのいのちを生きておられたと見なされていた、ということである。イエスさまはのちに、友であるラザロが死んだ折、「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きる」とおっしゃった。ラザロのきょうだいであるマルタがそれを聴いて、きょうだいを亡くした悲しみの中にありながらもすんなり受け入れることができたのは、イエスさまがよみがえりである、ということを、イエスさまに対する人々のうわさからも感覚的に知っていたからだろう。事実そのとおり、イエスさまはよみがえりであり、いのちであられた。 ともかく、イエスさまが働かれたことは、否が応でもヨハネのことを連想させずにはいられなかったわけだが、17節から20節までは、ヨハネとヘロデの関係を語っている。ヘロデは腹違いの兄弟ピリポの妻ヘロデヤを奪い、自分の妻にした。このことはもちろん、律法が禁止していることである。レビ記18章16節、同じくレビ記20章21節で戒められているとおりで、これらのみことばによれば、これは単なる不法行為ではなく、姦淫の罪に該当するものである。 このようなヘロデのことを、ヨハネは糾弾した。ヨハネの糾弾はまったく正当なものだったが、この糾弾は、ガリラヤという宗教的法治国家の長たるヘロデの名声を地に落とすには充分だった。ヘロデはヨハネを逮捕した。聖書の傍証資料として価値がある、ヨセフォスという歴史家の書いた『ユダヤ古代史』という書物によれば、ヨハネの罪名は「国家反逆罪」であった。 しかし、このヨセフという人物は、俗っぽい言い方をすれば「転んでもただでは起きない」人だった。獄中でもなお語りつづけ、ヘロデの面前でも語りつづけた。ヘロデは、喜んでその語ることばに耳を傾けたとみことばは語る。そしてヘロデは、非常に当惑したともある。そう、彼の名声を地に落とした人物は、これ以上ないほどのメッセージをもってヘロデに語りつづけ、それはヘロデの心を動かした。ヘロデは、このような正しい人を囚われの身にしたなんて、と、さぞ戸惑い、また、問われたことだろう。 私たちも、みことばにより問われるという経験をする。ときにはそのようなことばを、人の口をとおして聞くことがある。私たちはそんなとき、その人に対して激しい反発を覚えるかもしれない。しかし、その人がもし、さばくためではなく、愛する思いで語ってくれたのならば、私たちはそのように反発心を覚えたことを、あとで悔い改めるべきであろう。それが神の前に生きる人の態度である。 しかし、ヘロデがそうであっても、収まらない人がいた。妻のへロディアだった。ヨハネのヘロデに対する糾弾は、そっくりそのまま、ヘロデヤにも向かうものだった。ヘロデヤはヨハネのことを殺したいほど憎んだ。 人を悔い改めに導くみことばは、ありがたく受け取るべきものである。しかし、もし人が傲慢で、心がかたくなならば、そのみことばは受け取れず、そのみことばを伝えてくれるありがたい人への激しい反発を覚えるしかない。私たちは、みことばを語ってくれる人に対して柔和な心でいるか、よくよく自分自身を点検する必要があろう。 21節から、ヨハネの殉教の記録は後半に入る。まず、「良い機会が訪れた」とあるが、これは言うまでもなく、ヨハネを殺したいへロディアの願いを遂げる上での絶好の機会、という意味である。 イエスさまは十字架にかかられる前の晩、ゲツセマネの園にやってきた、ご自身を逮捕しようとする者たちに対し、「今はあなたがたの時、暗闇の力です」とおっしゃった。それは、十字架という、人が神に至る唯一の道を開かれるため、神さまがあえて悪魔とその群れに動く時を許された、ということであったが、この、ヨハネの殉教という「時」も、悪魔が主導権を取って動いた時というわけではなく、全知全能なる神さまの主権のもとに許されたできごとであった。 しかし、その瞬間は、鮮やかなほど皮肉なものだった。へロディアはおそらく、自分が前の夫との間に設けた娘サロメが宴席で舞を舞えば、ヘロデが上機嫌、太っ腹になることを見越していたのだろう。実際、ヘロデは上機嫌になり、求めるものは何でもやろう、などと言っている。 また、サロメはへロディアの罪の性質を受け継いで残忍だった。自分のほうびにバプテスマのヨハネの首を求めなさいと母親にそそのかされても、それを断ることをせず、ヘロデの戸惑い、心の痛みをよそに「今ここで、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、いただきとうございます」と堂々と言ってのけた。ヘロデの誕生を祝う、すなわち、いのちの主のなる神によっていのちが与えられたことを祝う場を、「女より生まれた者の中で最もすぐれた人物」とイエスさまが最高の評価をなさったヨハネが、むごたらしく殺される場としたのであった。 ヨハネは、神のことばに生きた。そして、神のことばに死んだ。この姿は、預言者の生き方であり、イエスさまはその生き方を最もはっきりと実践されたお方だった。 イエスさまは肉体を取られた神のみことばとして、語ることばは神のことばであり、その語ることばによって聴く人にいのちを得させ、ご自身をさばく者には神のさばきを宣言された。まさにみことばによって生きられたお方である。 そしてイエスさまは、みことばに死なれた。宗教指導者たちがイエスさまを十字架につける決断をしたのは、イエスさまのみことばを聞いたからだった。大祭司カヤパが「私は生ける神によっておまえに命じる。おまえは神の子神の子キリストなのか、答えよ」とイエスさまを詰問すると、イエスさまは「あなたが言ったとおりです」とお答えになり、さらに、ご自身が、預言の書に書かれているとおりのやがて来られるメシアであると語られた。しかし、それは彼らには冒瀆とみなされ、そのまったく正しいみことばゆえに、イエスさまは十字架につけられることになったのだった。まさにイエスさまは、みことばに死なれたのだった。 私たちはヨハネのようには、そしてイエスさまのようには、みことばに生きることも、ましてや死ぬこともできないような者ではないだろうか。ゲツセマネの園で眠りこけてしまったような弟子たち、鶏が鳴く前に3度イエスさまを知らないと言ってしまったようなペテロにシンパシーを覚えるのが当然の、弟子に召されていながら弟子になりきれない存在、それが私たちである。 そんな罪深い私たち、弱い私たちだからこそ、イエスさまは私たちが果たせなかった神への従順、律法の完成を成就するため、十字架にかかってくださった。私たちはイエスさまを信じる信仰によって、みことばに生き、そしてみことばに死ぬ栄光へと導かれる。これは一朝一夕にできることではない。日々の神との交わり、聖徒たちの神にある交わりを通し、つねに十字架と復活を体験してこそ、それは可能となる。 今日執り行われる主の晩さんは、みことばに生き、みことばに死なれたイエスさま、そして、みことばのとおりによみがえられたイエスさまの、そのみからだと血潮にあずかる時間である。私たちはみことばに生き、みことばに死ぬ力を、自分の努力で持ち合わせることはできない。ただ、イエスさまとの交わりによって、そのような神の栄光を顕す実を結ぶのである。その交わりを体験する時間として、主が今日の主の晩さんを祝福してくださるようにお祈りする。

「アテネ宣教から考える放送伝道」

聖書箇所;使徒の働き17:16~34/メッセージ題目;「アテネ宣教から考える放送伝道」 今日は「世の光のつどい水戸大会」が開催される。このつどいは本来、茨城放送、ラッキーFMで日曜日朝7時10分から25分まで放送される「世の光いきいきタイム」のリスナーのためのつどいであり、その主な対象は、まだ教会につながっていない人たちであった。つまり、このつどいは伝道集会であり、毎週日曜日のラジオによる放送伝道を、目で見て、体験できる形にしたものである。 放送伝道というものは、一般の放送局の電波に乗せて番組を流す分、制約も多い。聖書はある意味、しっかり説明しないと誤解を招くような表現がしばしば登場する書物であり、そのような、簡単には解き明かせない箇所、しかし、意味が分かると神さまの深い愛に感動するような箇所も、おいそれと公共の電波に乗せて流すことは難しい。また一方で、どことかだれとは言わないが、ほかの宗教団体の放送も流れ、きわめて個人的な趣向が凝らされたような番組も流れる中、そのいろいろな番組をかいくぐるようにして伝道目的の番組枠を毎週確保する。言ってみれば「ビジター」であり「アウェー」である。 そこで今日は、そのような困難な中で戦いを繰り広げる放送伝道というものを考える日として、パウロの時代の大伝道集会のことをひとつ取り上げてみたい。これはまさに「アウェー」の戦いであり、ここから私たちは学ぶことが多いはずである。なにせこの日本は神々の精神風土、われわれクリスチャンは、クリスチャンとして生きるだけで「アウェー」感満載で生きるしかないではないか。だが、「アウェー」でも勝利するときはするのである。あきらめてはいけない。 第一のポイント。パウロは信仰のゆえに、神々の存在に憤った。 アテネはギリシャ神話に由来する偶像の神々で満ちた町であり、それと同時に、快楽主義のエピクロス派、禁欲主義のストア派といった、精神世界を支配する哲学も盛んな土地柄だった。しかし、そのような風土は、宗教的にも、哲学的にも、神のみことばの教えからは遠く離れているものだった。 このような精神風土に対して、パウロは「憤った」のである。それゆえにパウロは、その怒りが一つの原動力となり、そのような偶像の神々や極端な哲学に捕らわれている人々を説得して回ろうと、一生懸命になった。 宣教というものを動かす力は、「パッション」、内的衝動であるべきである。パウロはかなりすごいことを言っている。 「私が福音を宣べ伝えても、私の誇りにはなりません。そうせずにはいられないのです。福音を宣べ伝えないなら、私はわざわいです。」(Ⅰコリント9:16)この心情は預言者エレミヤにも共通する。エレミヤ書20章7節から9節を見よ。みことばを語ることはやめたくてもやめられない。それは、神さまとの交わりがそれだけ深いからである。 この内的衝動がなければ、放送伝道のような働きは到底務まらない。あの、日曜日朝の15分の放送枠を奪取することは、大変な戦いである。この戦いは大変だが、やめることができないのは、なによりも、戦いに向かわせられる神さまからの内的衝動に満ちているからである。この世の放送に割って入る戦い、この世がほめたたえる偶像に打ち勝つ戦い。 偶像とは、宗教的な崇拝の対象とは限らない。むさぼりに類するものは、すべて偶像であり、人が何かをむさぼるならば、その人は偶像礼拝をしているのである(コロサイ3:5)。この世の人たちがこの世の快楽に耳を傾けて、むさぼりという名の偶像礼拝におぼれることに耐えられない、彼らにイエスさまの福音を聴かせたくてたまらない、それゆえの戦いを展開する。 私たちが福音を宣べ伝えるのは、まさに、イエスさまを伝えたくてたまらない内的衝動に由来するゆえであるべきである。私たちは燃えているだろうか? 地獄に落ちるべきだった私のことを救ってくださるために、いのちを投げ出してくださったイエスさまのことを思うとき、そのイエスさまと生ける交わりを毎日持ちつづけるとき、私たちは心が燃えずにいられるだろうか? 燃えない心、罪深い自分にばかり焦点を当ててしまう心は、キリストとともに十字架につけられた。もはや私が生きているのではない。キリストが私のうちに生きておられるのである。キリストの目をもってこの世を見るならば、私たちは憤りを禁じ得ないではないか。 ラジオは、この世の文化を発信するマスコミの重要なツールである。私たちがもし、この世の文化に憤りを覚えているならば、そのような文化に割って入り、福音を宣べ伝える放送伝道を、物心両面で支えようではないか。 第二のポイント。パウロは宣教のために、アテネの精神風土に合わせた福音提示をした。 パウロは、たしかにアテネの精神風土に憤りを覚えたが、22節を見よう、これはアテネの人が敬虔な人たちだと、その宗教的姿勢をほめていることばとも言える。 その点でパウロは下手(したて)に出ていて、上から目線の宣教をしていなかった。宣教で成功する秘訣は、啓蒙してあげようなどという上から目線で接することではない。相手は自分よりまさっているという前提で接する、へりくだった姿勢である。 23節を見てみよう。パウロは、アテネの霊的風土を象徴する偶像に注目し、それを例に挙げて宣教を展開する戦術を用いた。パウロはそれだけ、アテネの町を観察して回り、アテネの人々と語らいながら、彼らがどのような信仰的傾向を持っているかということを把握していたわけである。 また、28節を見よう。これはギリシャの詩人のことばであり、アテネの人々の人口に膾炙したことばであるが、パウロは、彼らの語ることばの中に聖書的な真理を見つけ、それを取っかかりに宣教を展開しようとした。ここから、宣教する相手の文化をよく理解することが大事なことがわかる。 「世の光」の番組のメッセージを聴いてみると、ラジオ牧師の先生方が受け入れられている理由がわかると思う。先生方は、この日本の一般の人たちが何に関心を持ち、そういう人たちはどんなことを聞いたら喜んでくれるか、よく研究しておられるのである。単に聖書の解き明かしだけで完結させしまっては、教会の内部の人は喜ぶかもしれないが、一般の人が喜んで視聴するのは難しかろう。 ただし、宣教の相手に対する取っかかりだけでメッセージが成り立つわけではない。パウロはしっかりと、彼らに創造主なる神を伝え、悔い改めを説いている。それまで後生大事に取っておいていた自分の宗教的な価値観から、まことの神さま、イエスさまの父なる神さま中心の信仰へと振り向けるために、そのメッセージを聴く人たちには悔い改めが必要だった。それはある意味、聴く者には耳の痛いことであり、語るほうも拒絶させる覚悟で語る必要のあることであるが、悔い改めを促さない伝道、宣教は、本物ではない。 私たちはラジオ牧師の先生方が、そのように日本人に合ったことを語りながらも、悔い改めに導くメッセージを的確に語れるように祈りたい。 第三のポイント。パウロは無関心の中で、確実な救霊の実が結ばれるのを見た。 まず、19節から21節にあるとおり、彼らは暇人だった。趣味人ともいえよう。知的好奇心を満たせればそれでいい、というタイプの人々で、日本にはそういうタイプの人が多いのではないだろうか。 そういう人を相手にしようとも、パウロは全身全霊で語った。しかし、反応ははかばかしくなかった。まず、18節からして、彼らはパウロの宣教に上から目線で接していた。そういう人たちにもパウロはへりくだって語っていたわけだが、そのようなおごった姿勢の人々は、パウロのことばに知的好奇心を刺激されることはあったかもしれないが、結果として、あざ笑うことをするか、また今度聴こう、今回はもういいや、と反応するかしかしなかった。 日本宣教というものも、このように、あざ笑われることと隣り合わせの厳しいものである。私たちは笑われても、無関心の反応を示されても、福音を隣人に語りつづけるのである。 しかし、34節を見ていただきたい。このみことばは、全体に失敗のトーンが強いような使徒の働き17章後半において、燦然と輝く箇所ではないだろうか。ディオヌシオ、ダマリス、そしてそのほかの複数の人々が、パウロの宣教のことばを聴いて救われたのである。大勢救われることも確かに素晴らしい御業である。しかし、ひとりでも救われるならば、それも素晴らしい御業ではないだろうか。人は本来、ひとり残らず滅ぼされても仕方のない罪人であった。そのような人間が、神さまのあわれみによって救われたのである。神さまの御名がほめたたえられることである。 ラッキーFMは、茨城を中心に多くの人に聴かれている。農作業をしながらラジオを鳴らす人もいる。長距離運転や朝の作業など、お仕事をしながら聴く方もおられるだろう。そんな方々は、この番組を聴いて何を思うだろうか?「また宗教かよ!」と馬鹿にするだろうか? 「今日はもういいや」と思うだろうか? しかし、放送伝道の素晴らしいことは、相手の反応を一切気にせずに、福音のメッセージを語りつづけることができることである。 33節のみことばは、新改訳2017と、従来の新改訳聖書の訳を比較すると、ややニュアンスが異なっている。従来の訳だったら、「今日はもういいから、聴かなくていいから!」という雰囲気があるが、新改訳2017のほうは、いずれまたしっかり聴いて、今度こそ福音を受け入れたい、という雰囲気がある。おそらく、どちらも正解だろう。 放送伝道はどうだろうか。毎週、同じ時間になったら番組が流れる。それはリスナーの「また福音に耳を傾けよう」という願いに応えている、ということである。 私たちはそのように、番組を聴く人が一人でも救われるように祈ろう。その前に、茨城の人がひとりでも日曜朝7時10分から、ラッキーFMに耳を傾けるように、私たちの周りの人々にこの番組の存在を伝えて回ろう。これは私たちのだいじな伝道のツールである。 <ともに祈りましょう> ・堕落したこの世の文化に割って入っている福音番組の放送が保たれるように。私たちも物心両面で支えられるように。 ・ラジオ牧師がリスナーに寄り添う豊富な例話を語りつつ、悔い改めをしっかり説けるように。 ・番組を聴く人が一人でも救われるように。その一人が救われるために、放送伝道の働きが継続するように。

主イエスの弟子のすること」

聖書箇所;マルコの福音書6:7~13/メッセージ;「主イエスの弟子のすること」  今日の箇所は、弟子たちの実地訓練の場面である。この時点ではまだ、弟子たちは聖霊の派遣によって満天下に福音を伝える段階にはない。あくまで訓練である。とはいっても、訓練をとおしてでも人が救われるときは救われるから、たかが訓練だと侮ってはならない。 私はキャンパス・クルセードという宣教団体のメンバーだったが、年に数回行われる「アウトリーチ」、これは早稲田大学のキャンパスなど、実際に人のいるところに出ていって、普段の生活の中で宣教をするその訓練をするわけだが、ときに訓練以上の収穫を得ることがある。度胸がつくだけではない。救霊に燃える心が備えられるだけではない。人が救われるのである。だからこの訓練に臨む学生たちは、訓練だからと軽く見ることをせず、救霊に用いられるように祈り求めて「アウトリーチ」に出ていく。 そういうわけでこのイエスさまに派遣されての「実地訓練」は、「訓練」でありながら「救霊の現場」であると理解すればいい。この箇所は3つのパートに分かれている。第一に、旅行への出発の準備をさせる場面、第二に、旅行中の心得を宣べられる場面、そして第三に、旅行そのものの場面である。この順番で、ひとつひとつ見ていき、「主イエスさまの弟子のすること」とは何かを見て、私たちも主イエスさまの弟子として何をすべきか、学んでまいりたい。 まず、第一に、イエスさまは「旅行への出発の準備」をさせることをとおして何をお教えになったか、それは、「イエスさまがなさるように宣教すること」であった。 7節、まずイエスさまは、2人ずつ遣わしていらっしゃる。12人弟子がいれば、ひとりずつ遣わせば12通りの場所に行けて効率的ではないか、というのは、素人の考えである。イエスさまはあえて、2人ずつ遣わされた。これは、宣教はひとりで取り組むものではなく、複数で取り組むものである、ということをお教えになったわけである。 福音書に記されたイエスさまの公生涯の記録を見てみると、イエスさまがみわざを行われたとき、多くは弟子たちの前で行なっていらっしゃる。それは、あえて弟子たちの前でみわざを行われることによって、イエスさまのように働くとはどういうことかを弟子たちに具体的にお示しになった、という意味もある。しかしそれだけではなく、イエスさまの働きはチームで行うものであることを示された、という意味もあった。 そのように、ペア、またはチームでの働きをするということは、「使徒の働き」(使徒行伝)の記録にも記録されているとおりで、パウロもバルナバとともに、また、バルナバとのチームを解消してからも、シラスとともに活動している。やはりこの働き方はイエスさまのみこころであり、聖書的、みこころにかなっていることである。私もたまに、この地域にトラクトを配りにいっているが、妻と二人で行くときと、ひとりで行くときでは、大胆さその他において、まったくちがうことを実感する。 そして、イエスさまは彼らにけがれた霊を制する権威をお授けになった。イエスさまの弟子には、けがれた霊を制する権威が与えられている。イエスさまとの関係が大事である。これなくして悪霊に立ち向かったら、人は悪霊に打ち倒される。反対に、イエスさまから権威が与えられている限り、私たちは悪霊に勝利できる。悪霊を制することによって、私たちは、宣教のわざを妨げる悪霊に勝ち、堂々とみことばを伝えることができる。 8節、9節を見よう。これは旅の心得である。杖一本のほかは何も持たない、マタイの福音書の並行箇所では、杖を持つな、とあるが、これは、もともと持っている杖を持ち歩くようにしなさい、新しく杖を手に入れるな、ということ、食べ物も、荷物を入れる袋も、お金も持っていかない。これに対して履物を履くのは、長距離の旅、荒れ地を歩くような旅にも耐えられるようにということ、下着を二枚着ないのは、それだけ簡素に、ということ。 ここからわかることは、第一に、宣教とは急を要するものである、ということ、もうひとつ、宣教とはどこまでも、神さまの恵みに拠り頼んで行うものである、ということである。私たちは、イエスさまが再び来られることを意識するならば、福音を宣べ伝えるにあたって、のんびりしてはいられないだろう。しかし、だからといって、人間的にあせることをしてはいけない。人間関係であれ、お金であれ、福音を宣べ伝えるために必要な環境はすべて神さまが備えてくださると信じて、一歩踏み出していく必要がある。 そこで第二、旅行中の心得だが、10節、11節を読もう。福音を宣べ伝えるために必要な環境は備えられることはいま述べたとおりだが、具体的には、それは家庭というものを通じて与えられる。福音を宣べ伝えるにあたって、その福音を宣べ伝える働き人を受け入れてくれる家庭というものは存在するのであると、イエスさまは約束してくださっている。 もっとも、それはやみくもに探しても見つかるという性質のものではない。並行箇所であるマタイの福音書10章11節から12節によれば、その家庭を探し出すためには、町や村に入ってよく調査する必要があることが教えられている。リサーチというものは必要なのである。 そのような家庭には、主からの平安が与えられるという祝福がある(マタイ10:13)。この家庭を宣教学の用語では「平安の子」という。こういう人が宣教地に備えられるということも祝福だが、注意しなければならないのは、そういう「平安の子」に満足をおぼえられなくて、もっと自分に仕えてくれる人、とか、もっと自分が祝福できそうな人、を求めて、別の家へと渡り歩くことはしてはいけない、ということである(ルカ10:7)。そういうことをするならば、せっかく、主のしもべと見込んでもてなしてくれていたその家庭との信頼関係を、いたく傷つけることになる。それは主のしもべとしてふさわしくない。 もっとも、そのように福音を受け入れることを一切しないという反応が返ってくる場合もあることを、私たちは心に留めなければならない。その場合にすることは、「足のちりを払い落としなさい」。この、福音を拒絶する土地を歩いて足にまとわりついたほこりを、払い落としてみせることで、私はもはやこの土地とは一切関係がない、と宣言するわけである。これはまた、福音を受け入れない彼らのたましいを神さまの御手にお委ねする、という意味もある。神さまが、いざこうして宣べ伝えた者に、これ以上のこの地のたましいに対する責任を負わせられることはない、ということである。 何度も言うことであるが、伝道における成功とは、伝道した相手がイエスさまを受け入れることではない。「伝道における成功とは、ただ単に聖霊の力によってキリストを伝え、結果は神にお委ねすることである。」イエスさまを伝えさえすれば成功である。逆に言えば、イエスさまをまだ伝えられていないならば、それは成功という段階に達していないことになる。しかし、いざ伝えたならば、そのあとのことは神さまが責任を負ってくださる。 さあ、こうして手ほどきを受けた彼らは、出ていくことになる。第三、旅行そのものの場面を見てみよう。12節、13節。彼らは3つのことを実践している。第一に、悔い改めを宣べ伝えている、第二に、悪霊を追い出している、そして第三に、病人をいやしている。 まず、語ることばは「悔い改め」である。罪に目を留めたままの状態の人を、神さまへと向ける、この方向転換が「悔い改め」である。私たちが語ることばは、そのように人を「悔い改め」へと導くことばであるべきで、けっして、聖書の豆知識にとどまるものだったり、ましてや教会のゴシップの類だったりしてはならない。そういうものを語ってお茶を濁すことならだれでもできる。そういうものを「伝道」とは呼ばない。 それに対して、ひとに「悔い改め」を迫ることばを語ることは並大抵のエネルギーや謙遜さでは務まらず、それだけ祈って備えている必要がある。彼ら十二弟子は普段からイエスさまのみことばを聴いてきたから務まっていたが、私たちはどうなのか? いざ遣わされたとき、それに耐えることができるように、普段から祈って備える必要がある。 それだけではない。彼らは悪霊を追い出し、病気の人に油を塗って癒やした。私たちはだまされてはならない、こういうことはイエスさまの弟子である以上、私たちにはできるのである。できるからこそ、こうして聖書に記録されて、私たちに命じられていることを、私たちはもっとおごそかに受け入れる必要がある。 これは、病気を治す働きをするお医者さんや薬剤師さんに頼るな、という意味ではない。かく言う私自身、目をわずらっていて眼科にかかっている身である。しかし、もしこの者の目のために祈ってくださるという方がいらっしゃるならば、私は喜んでその方のお祈りを受けるものである。同じように私は、病気の人がいるならば祈る。油を塗って、とあるが、これはヤコブの手紙5章14節でも命じられていることで、私も実際、牧師という立場で、何人かの方に油を塗ってお祈りしたことがある。みなさんも祈っていただきたい。 悪霊に関しては、たいていの場合ひるむかもしれない。しかしここはどうか、主が私たち主の弟子に悪霊を制する権威をお授けになったという、この聖書の語る事実に目を留めて、この働きに用いられるよう祈って備えていただきたい。もちろん、並の祈りでは悪魔と悪霊どもに太刀打ちできない。しかし、ここは祈って備えるものとならせていただこうではないか。 さて、以上述べてきた中で、特に私たちにとっての「平安の子」は何か、ということを考えよう。それは、私たちの所属するこの教会、水戸第一聖書バプテスト教会である。私たちは遠くに宣教旅行に行くものではないが、この水戸地域、茨城県央に生きている以上、この地域は私たちにとって宣教の場所である。そこにおいて私たちは単独ではなく、チームを組んで宣教するのである。また、急を要する働き、しかしその一方で、主の恵みに満たされた働きをするのである。 私たちはこの共同体に属しながら、悔い改めの福音を宣言し、悪霊を追い出し、病人をいやす働きに用いられるように祈って取り組む。そして、この地が福音を受け入れる下地がある以上、足のちりなど払い落とさないで、じっくり腰を据えて宣教する。それが主の弟子である私たちのすること。主はそのような私たちのことを、大いに祝福してくださる。

「信仰に堅く立とう」

聖書箇所;マルコの福音書6:1~6/メッセージ;「信仰に堅く立とう」 むかしのことをよく知っている人がそばにいると、やりづらいことこの上ない。お父さんが牧会していた教会の跡継ぎの牧師となった先生など、古株の婦人の信徒から、「あたしはね、○○先生のおむつを取り替えてあげてたのよ~」などと言われたりして、威厳も何もあったものではない。その婦人に悪気はないのだろうが、牧師先生としては閉口させられる話だろう。 しかし、事がイエスさまだとするとどうだろうか。教会の牧師先生のような人だって形無しのことを言われてはたまらないのに、イエスさまは神さまである。イエスさまのことを何か言って論評するのは、行ってみれば神さまを論評することであり、傲慢のそしりを免れないことである。 イエスさまの幼い頃を知っているから、イエスさまが大工をしていたことを知っているから、信じようにも信じられない。一見するともっともなようだが、彼らナザレの人は実際どんな人たちだったのか。6節を見よう。それは、イエスさまも驚くレベルの不信仰だったのだと総括されている。 ナザレの人たちは、イエスさまのことをよく知っていたと自分で思っていただろう。しかし、彼らは人としてのイエスさま、マリアの子としてのイエスさまのことは知っていたかもしれないが、神の子としてのイエスさまのことはまったく理解していなかった。そのような彼らに対して、イエスさまは、何人かの病人に手を置いていやされることはなさったものの、この5節のみことばの記述にしたがえば、「何も力あるわざを行うことができなかった」。 イエスさまは全能なるお方、神の子でいらっしゃるが、だからといってイエスさまは、ご自身が神の子であることを示すために、のべつ幕なしにみわざを行われたわけではなかった。特に、この故郷において、自分に対して思い込みで見る人たちに、評価を下す人たちに、それでも彼らを説得しようとして、みわざを行われはしなかった。 むしろイエスさまは、彼らに対してみわざを行うことをお控えになったのである。それでは、イエスさまはどのような人に対し、みわざを行われるのだろうか? 4節のみことばを見ればわかるが、「預言者が敬われないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです」とあるように、幼い頃からあなたのことを知っているぞ、とばかりの上から目線の態度で接するような、尊敬のかけらもないような者には、みわざを行われない、つまり、逆に言えば、イエスさまのみわざを受け取るには、イエスさまを敬う心、イエスさまの前にへりくだる心が必要になってくる。 地域の人たち、親戚たちが、イエスさまのことを知りすぎるほど知っているのは、これはどうしようもない。神さまのみこころが、イエスさまを人としてこの地に生まれさせることであった以上、地上のどこかが、イエスさまが人として育たれるための環境を提供する必要があったわけで、それがたまたま、ナザレだったというわけである。しかし、幼い頃からイエスさまを知りすぎるほど知ってきた、ということは、イエスさまを神の子として受け入れないことの言い訳にはならない。 3節のみことばを見ると、彼らは確かにイエスさまに関する「情報」は持っていた。しかし、それはイエスさまのことを神の御子として信じるための「知識」とはならなかった。学者であれ一般の人たちであれ、イエスさまというお方に対する「情報」はいろいろ持っているだろう。中には、処女懐胎はほんとうだ、とか、復活はほんとうだ、と信じ受け入れている人もいるかもしれない。しかし、そういったことが「情報」にとどまり、私たちの人生をイエスさまへの献身へと導く「知識」になっていないならば、それは「不信仰」であり、イエスさまはそのような者たちに、ご自身のみわざをお見せになることはない。 それなら、なぜ、イエスさまは故郷の会堂でお教えになったのだろうか? 彼らが2節のごとく、不信仰の反応をお示しになることを、イエスさまはご存じなかったというのだろうか? そうではない。彼らがそのような不信仰の者であることは、イエスさまは見抜いていらっしゃった。しかし、あえてこの場にイエスさまは神の国を宣べ伝えに来られたのだった。 そればかりではない。1節のみことばを見ればわかるとおり、イエスさまはおひとりで故郷に赴かれたのではない。弟子たちまで引き連れていかれたのである。その結果弟子たちは、イエスさまがあえてみわざを行われなかったお姿まで見るに至った。弟子たちはここからも、不信仰の者たちに対してはあえてみわざを行われることのない、イエスさまのみこころを知るに至ったのであった。 しかし、こうしてイエスさまが故郷にいらっしゃったことは、無駄なことだったのだろうか? 決してそうではない。この、一見すると無駄に見えた訪問は、実はとても意味があることだった。 この種蒔きが無駄にならなかった証拠は、のちにこのイエスさまの弟たちが、初代教会の指導者として立てられたことからも明らかである。彼ら主の兄弟たちにとっては、大工としてのイエスさま、家族としてのイエスさまではなく、神の国を宣べ伝える預言者としてのイエスさま、すなわち、神の子としてのイエスさまの、そのお姿とおことばにふれる機会がどこかで必要だった。それがのちに、世界中のあらゆる人が読むことになる、聖書のみことばとして記録されることになったことを考えると、イエスさまのこの故郷での宣教は、どうしても必要だった。 そういったことから、今日のこの聖書箇所からは、以下の3つのキーワードが導き出される。 ①不信仰の人にはみわざが控えられる。 イエスさまのことをあれこれ論評しているうちは、イエスさまは働かれない。ときにその不信仰は驚くほどのものだが、情報でイエスさまを知ることに終始し、イエスさまを主と告白して結びつくことをしないうちは、信仰も存在しないし、したがってそこにイエスさまのみわざを期待することもできない。要するに信仰の問題である。 ②私はイエスさまをなんと告白するか。 私たちはイエスさまを、神の子として告白し、へりくだってそのみわざを受けようとしているか? イエスさまが郷里ナザレにおいて、それでもみわざを行われたのは、それでもイエスさまの前に出ていった人々には、イエスさまに対する信仰があったからではないか。これも信仰の問題である。 ③それでも種を蒔きつづけよう。 イエスさまを信じているならば、イエスさまは必ず、この不信仰の世界を信仰の世界に変えてくださる。「預言者を尊敬しない家族」から、神の国への献身者を出してくださったイエスさまは、私たちのこの町からも、必ず献身者を出してくださると信じよう。目の前の収穫がないからと、諦めてはいけない。はるか先の大収穫のビジョンを見る者となろう。これも信仰の問題である。 以上のキーワード、それは「信仰」。 世はこぞって、イエスさまを神さまと認めない不信仰に傾いている。それが世の中というものである。私たちはそれを見て、嘆きたくもなるだろう。私たちがもし嘆くならば、それはイエスさまの心が私たちのうちにあるということである。イエスさまの心をもって、この世のためにとりなしていこう。 そして、イエスさまを主と告白しているならば、その告白のとおりに、イエスさまは私のすべての領域で働いてくださると、信仰を働かせよう。私たちは、毎日みことばを読み、お祈りをするたびに、イエスさまが私の人生に働いてくださると、期待しているだろうか? 信じているだろうか? 信仰を働かせよう。 そして、私たちの周りの人々が、いま不信仰だからと、諦めてはいけない。私たちはこれからもこの地に住む。ということは、主が私たちをとおして彼らのことを救われる可能性が、まだ残されているということではないだろうか。私たちは信仰を働かせて、彼ら私たちの周りにいる人たちが救われるように、祈って取り組もう。

「疑わずに信じるということ」

聖書箇所;マルコの福音書5:35~43/メッセージ題目;「疑わずに信じるということ」 私たちにとって、信仰が大事であることは常に意識している。しかし、その信仰を、いざというときに発揮できるか、それが私たちに問われている。いざというときに「恐れないで、ただ信じている」信仰を働かせることができるならば、その人は幸いである。 今日の箇所、会堂司ヤイロとイエスさまの箇所だが、ヤイロが何としてでも急いでイエスさまに、娘のために来ていただきたいとせかしても、群衆が押し寄せてなかなか先に進めなかったうえに、長血をわずらっていた女性をそのまま去らせず、わざわざケアすることさえイエスさまはなさった。そうこうしているうちにどんどん時間は過ぎ、ついに、ほんとうに娘は死んでしまったという知らせを聞くに至った。 こうなったらもう、イエスさまにいらしていただくには及ばないと思うだろうか。しかしイエスさまはおっしゃる。「恐れないで、ただ信じていなさい。」この話は、マタイの福音書、ルカの福音書にも記録されているが、マタイの福音書を読むと、「恐れないで、ただ信じていなさい」とイエスさまがおっしゃった後で、「そうすれば、娘は救われます」と続けていらっしゃる。 イエスさまは、単に娘を生き返らせようとなさったのではない。いや、「生き返らせる」ということ自体、「単に」では済まないくらいすごいことなのだが、もし仮に生き返ったとしても、その魂がイエスさまによって「救われる」ことなく、ついにはほんとうに死んでしまったとするならば、何にもならない。事は娘の「救い」にかかわることだった。「あなたが最後まで信じるならば、あなたの娘は永遠の死から救われて、永遠のいのちに至る救いに導かれる」、これをイエスさまはおっしゃりたかったのである。 つまり、ここでイエスさまに信仰が問われていたヤイロは、2つの点で信仰を働かせる必要があった。ひとつは、娘が生き返るという信仰、そしてもうひとつは、娘が救われるという信仰である。しかし、イエスさまにあっては、この2つの信仰は、本質的にはまったく同じものであった。イエスさまによって復活するということは、イエスさまから永遠のいのちをいただくということである。また、その復活を起こされるというイエスさまのみわざは、旧約以来預言されてきたとおり、時至って、神の国がこの地に来たらされたという、終末を告げるみわざであった。 私たちはよく、自然災害や戦争、経済的不安といった世相を見て、いよいよこの世界は終末かなどとうろたえがちなものだが、終末というものは、2000年前にイエス・キリストが力ある身わざを持って神の国をこの世に来たらせられて以来、この世界は終末にすでに突入していることを、忘れてはならない。要するに、いま現実に終末を生きている、それが私たちなのである。 そういうわけで、このヤイロの娘がよみがえることは、人を救って神の御国に導き入れるという主の御業がなされることにおいて重大な意味を持っていた。また、イエスさまによって神の国がこの世に実現していることを示すことにおいて、重大な意味を持っていた。きわめておごそかなことだった。 このことは、イエスさまが十字架と復活をもって、完全に満天下に主のみこころ、イエスさまが統べ治める神の国を実現されるまでは、まだ秘密、奥義の段階だった。それでイエスさまは、娘の両親であるヤイロとその妻、そして十二弟子の選抜メンバーであるペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを伴われて、娘のいるところに行かれたのだった。 しかし、そこで待ち構えていた者たちは、すでに葬式をおっぱじめていた。騒いだりする者、さめざめと泣いたりする者、いろいろである。しかし彼らに共通していえることは、それこそ「喪主」になるべきヤイロがなぜここにいないで、イエスさまのところまで向かって行ったか、そのヤイロの信仰を理解していなかったことである。果たして、彼らはイエスさまのことも理解していなかった。イエスさまに対して信仰を働かせるなど、望むべくもなかった。 彼らの反応はどうだったか? イエスさまが、この娘は「死んだのではなく、眠っている」のだとおっしゃったとき、イエスさまのことを「あざ笑った」のである。あざ笑った理由はいろいろ考えられるだろう。娘が生きているうちに来ることもしないで、何を言っているのか、という思いもあったかもしれない。しかしはっきりしていることは、イエスさまのみことばよりも、目の前に存在するヤイロの娘の「死」というものが、よほど彼らにとってリアルな現実だった、ということである。 イエスさまのみことば、特に復活に関するみことばを信じることは、私たちクリスチャンにとって必須の信仰である。毎週、礼拝のたびに唱和している「使徒信条」、その締めくくりのことばは、「とこしえのいのちを信ず」である。しかし、私たちはこの「使徒信条」で告白しているそのままに、世においてはだれもが死ぬ、私たちの知っているかぎり、生き返った人はだれ一人いない、という現実を前にしてもなお、人の「死」より、「復活」のほうがリアルな現実であることを、なお信じていられるだろうか? 残念なことに、キリスト教会を標榜するグループに属する人たちの中に、復活を信じられない人がいる。復活を信じられない人はむなしいと、第一コリント15章にはっきり書かれていることを考えると、彼らの信仰はとてもむなしいもので、さらに言えば、神のことばである聖書をまともに信じていない信仰でもある。これはさらに突き詰めると、イエスさまの復活さえも信じないということになってしまう。しかし、ご自身復活されない、そして人も復活させられないイエスさまは、ほんとうにイエスさまなのだろうか? 私たち、水戸第一聖書バプテスト教会は、「保守バプテスト同盟」という群れに属している。何に対する保守なのかといえば、かつてアメリカを席巻し、福音主義に対して大いなる脅威となっていた自由主義神学、それこそ、聖書を人間的な自由で解釈するあまり、聖書を批判的に読むのも自由、したがってイエスさまのこのよみがえりに関する記述も、あり得ない、神話だ、と読もう、とするような聖書の読み方をする、そんな自由主義神学に対する、本来の「聖書は神のことばである」という前提で聖書を読んで学ぶべきという意味での「保守」である。私たちはそのように、信仰の戦いを繰り広げた信仰の先祖につながる群れの一員として、疑わずに聖書を読む、疑わずにイエスさまのみことばを信じる者となりたいものである。 ただし、疑わずに聖書のみことばをお読みするのは、簡単なことではない。なぜならば、私たちはどこに行っても「常識」というものに囲まれて生活しているからである。そもそも、うちの教会は、「進化論」という「常識」を、聖書を前提にして批判するところから形成されてきた群れであり、私たちはこの世が金科玉条のように大事にしている「常識」というものが、聖書の光に照らせばいかにあてにならないか、ものによっては受け入れるべきではないかを知りながら生活している存在である。 それでも、イエスさまのみことばを受け入れることに困難をおぼえる場合がある。世の人は言うまでもない。イエスさまが実際になさった復活のみわざについても、信じない、でたらめだと言ってはばからない。私たちがすることは、そんな彼らのレベルに合わせて信じてもらおうと、自由主義神学のような妥協をすることだろうか。そうではないはずである。あのときイエスさまは、「娘は眠っているのです」というその「真意」を、説明して、彼らを説得して、そのまま葬式を進めるに任せただろうか? そうではない、復活させるという、実際のみわざをなわったわけである。神の国はことばにはなく、力にある、それをイエスさまは実際になさったのである。私たちが信じるべきは、ことば遊びのつじつま合わせではない、実際にイエスさまが御力をもって行われたそのみわざを、そのまま信じることである。 イエスさまはそのように、どのような現実の中にあろうとも、恐れずに信じる者に、みわざを示してくださり、みこころの奥義を示してくださって、ますます、キリストに似た者へと変えてくださる。私たちはそのような中で、予想をはるかに超えるみわざを見せられて、そのようなみこころを示されて、驚くばかり。 イエスさまがそのような場に私たちを招いてくださっていることを感謝しよう。いまこの場、礼拝の場は、復活のイエスさまが、私たちのことを復活のいのちへと招き、導いてくださっているという、奇跡が実現している場である。わかる人にはわかる。私たちもわかる者にしていただこう。わかる者にしていただいているなら、心から感謝しよう。 さて、イエスさまはこの復活のわざを行われたとき、人々には黙っておくようにと、釘を刺された。イエスさまをあざ笑うような者たちが、このわざを見れば、あるいは態度を変えるかもしれない。しかし、それはしょせん、世にいうところの「手のひら返し」のレベルであって、本質的にイエスさまのことを理解するようになるわけではない。彼らが興奮して、「この方こそユダヤの王だ!」とイエスさまのことを祭り上げたならば、イエスさまが十字架と復活をもってユダヤ人の王、いな、すべての王の王となられるという神のご計画は、崩壊しかねなくなる。 イエスさまのこの戒めは、私たち、特にクリスチャンが少ない日本の者たちにとって、教訓とならないだろうか。何か大きなみわざが行われないものか。そうすれば多くにひとが救われて、イエスさまの名は世間にとどろくのに。私も以前は、リバイバルを祈り求めていた大学生のころなどは特に、そのムーブメントを導いていた先生方の意図されていたところに反して、そのような一発逆転のような考えでリバイバルを祈らなくもなかった。 しかし、イエスさまが神の国を成し遂げられることは、人の考えや期待に応じてのものではない。神のみこころと時はしばしば人間のそれとは一致しないが、すべてを超えて働かれる神さまのみこころと時は、人間のすべての考えにまさって働く。 とはいっても、娘が生き返ったのは事実で、その日以来、娘が元気な姿で人々の前に姿を現したならば、それがイエスさまのみわざによることを、イエスさまのことをあざ笑った人たちもさすがに認めるしかなかった。マタイの福音書によれば、この話は一帯に広がったとある。イエスさまは確かに奇蹟を秘密のうちに行われたが、そのうわさが一帯に広がることまで計算に入れないでみわざを行われたわけではない。これは、神の奥義を顕す奇跡の記述に満ちている聖書が、クリスチャンにとどまらず、一般にも普及して、彼ら一般人もイエスさまの奇跡そのものを知ることができるのと同じである。 その中から、イエスさまのみわざに、イエスさまが神の御子であると認め、イエスさまを信じる人が起こされもするし、そのみわざはでたらめだ、神話だという人もいる。イエスさまを信じない人がいようとも、私たちが聖書を教会だけの内輪の財産にしないで、人々に伝えて回るのも、そのように救われる人が現れる可能性があるからである。 しかし、忘れてはならないのは、このにぎやかし、野次馬のごとき群衆は、イエスさまが実際にみわざを行われる場面に立ち会える栄光にあずかれなかった。しかし、弟子ならばイエスさまのみわざに立ち会える。そして人々にイエスさまの復活を宣言し、人々を永遠のいのちへと導く働きに用いていただける。群衆と弟子を分けるのは、この信仰があるかないかである。私たちは群衆でかまわないと思っていてはならない。私たちはすべからく、弟子を目指し、弟子として生きるべきである。

「一人に注目されるイエスさま」

聖書箇所;マルコの福音書5:21~34/メッセージ題目;「一人に注目されるイエスさま」 今日の箇所は、先週からの流れで行けば、ひとりの人を大切にされるイエスさまのお姿にどうしても目が留まる。イエスさまは押し寄せる群衆をあとにして、ゲラサ人の地に行って墓場に住む狂人を癒されたが、わざわざこの人の救いのために嵐吹くガリラヤ湖を渡っていかれたかのようである。そして今日の箇所。イエスさまは一行とともに戻ってこられ、引きつづき大勢の群衆がつき従っていったが、会堂司ヤイロ(あるいはその娘)、そしてひとりの女性と、イエスさまのご関心はどこまでも、ひとりの人にあったことがわかる。 21節。イエスさまはゲラサ人の地から立ち去るように言われ、再びガリラヤに戻られた。イエスさまはデカポリスにいられなくなったわけだが、先週お話ししたとおり、これは宣教の失敗ではない。神の国の宣教ということならば、イエスさまが悪霊レギオンを追い出されたその男の人が担ったわけである。イエスさまが再びガリラヤに戻られたということは、神の民の住むこの地においてはまだイエスさまのお働きが残されていた、ということである。 ガリラヤの人は物分かりが悪かった。イエスさまがたとえで神の国について話されても、その場の雰囲気で、いい話、と思ったかもしれないが、そのほんとうに意味するところを食い下がってイエスさまにお尋ねする「弟子」になれたのは、ほんのごく一部の人でしかなかった。しかし、イエスさまが彼らのことをお見捨てにならなかったのはなぜだろうか? そこに、まことの信仰をもってイエスさまに近づく人がいたからである。 22節、23節。会堂司ならば、普段当たり前のようにして、パリサイ人のメッセージを聴きつづけていた人である。もし、パリサイ人にあおられていたならば、むしろイエスさまを排除する側に回ったことだろう。しかしヤイロは、会堂にてイエスさまが病気を癒されたり、悪霊を追い出されたりするようなみわざを行なっておられたのを目撃し、それを見て、この方こそまことの癒し主、救い主だ、と信じ受け入れていた。 折しも、彼の娘が死ぬような病気にかかっていた。12歳。ちょうどうちの娘たちくらいの歳である。私はもし、うちの娘たちが重い病気にかかったならば、主よみもとに近づかん、ああ、これで娘も天国行きですね、なんて平静な気持ちではとてもいられなかろう。死に物狂いでお祈りするはずである。現に、上の娘が予定日までまだ3か月のタイミングで、切迫早産になり、このままでは危険、となったとき、おそらく今振り返ってみても、人生であのときほどお祈りしたことはなかったと思う。いわんや、ここまで育ち、さらにどんな将来が待っていることかと期待しながら育てているときにそんなことになったなら、と、考えるだけで、神さま、それだけは! と思ってしまう。 しかしヤイロにとっては、大きなリスクと隣り合わせだった。もし、会堂司ともあろう者が、イエスさまのことをそれほど信頼し、イエスさまに神の子としての力が働いていることを認めるような信仰があることが、ただでさえイエスさまのことを目の敵にしている、メインラインの宗教指導者たち、パリサイ人たちにわかったりしたら、彼らからどんな制裁が待っているか……しかし、そのような人を恐れる思いは、ほんとうの意味で神さまを恐れ、神さまにすがる信仰に呑み込まれた。   ヤイロには、イエスさまが来てくださったならば、そして、人々から悪霊を追い出され、病を癒されたその御手を娘の頭に置いてくださるならば、娘は必ず癒される、その信仰があった。その信仰は、パリサイ人の「空気」だけではなく、「イエスさまは俺たちのものだ。邪魔をするな。勝手にどこかに連れて行くな」というような、群衆が醸し出していたその「空気」をも突破した。だれから何と思われようと、イエスさまにいらしていただかなければならない、彼には強い信仰の行動があった。そして、イエスさまにみわざをかなえていただくために、急ぐ、急がせるという行動もまた伴っていた。 イエスさまはヤイロとともに出発された。しかし、24節。群衆は行く手を阻むがごとく押し迫った。イエスさまがヤイロのところに行かれるのがみこころですから、どうぞ、行ってください、と、お譲りすることはしなかった。むしろ、これ幸いと我も我もとイエスさまに押し迫る、それが彼ら群衆の取った行動だった。 この群衆の行動を、私たちはどう評価するだろうか? イエスさまの邪魔をしてけしからん、と思うだろうか? しかし、ここはどうか、私たちがこの群衆の中にもしもいたならば、どうしただろうか、と考えてみよう。やめようよ、イエスさまの行くところに行かせてあげようよ、となるならば、何のためにイエスさまのもとに来たのだろうか? むしろ、厚かましいくらいに、祝福を求めるくらいでちょうどよくはないだろうか? こんなことでイエスさまは怒らない。それが証拠に、もし、こうして群衆が行く手を阻むことがイエスさまのみこころにかなわないことならば、イエスさまは奥の手を用いて、群衆の間を不思議なようにすり抜けて先へ行かれるだろう。これは実際なさっていることである。 しかし、群衆がこうして押し迫るままにされたのには、もうひとつ意味があった。それは、そうでもしないとイエスさまのみもとに行けない人がいたからであった。25節。長血、すなわち、血の漏出を伴った婦人病を患った女性がいた。このような漏出を病むことはからだが衰え果てることももちろん問題だが、ユダヤの宗教社会では避けられる人という扱いを受け、共同体から除け者になる運命であった。二重の苦しみを負っている。 彼女は治りたかった。だから治るためなら何でもした。しかし26節。元気になりたい、ユダヤの宗教共同体に属したい、という思いから彼女は足元を見られ、医者たちに金品を巻き上げられた。そして彼女は無一文になり、病気はもっと悪くなった。踏んだり蹴ったりとはこのことである。 しかし、この世の方法で一切絶望に追い込まれたとき、私たちには最後に頼るべきお方がおられる。イエスさまである。彼女はイエスさまのことを聞いていた。27節、28節。このお方に触れさえすれば、たとえお衣の裾にでも触れさえすれば、きっと治る。彼女には、イエスさまというお方が、救い主、癒し主、全能の創造主であるという信仰があった。 それでも、彼女はヤイロのように、堂々と出られるような勇気はなかった。なにせ人々から除け者にされるような病気持ちである。人目を避けて生きてきた者である。だから、彼女の取った行動は、イエスさまに声をかけていただいて、という、能動的なイエスさまのみわざを期待してのものではなかった。いわば「どさくさにまぎれて」イエスさまの力を頂戴した信仰であった。 しかし、彼女はどうなっただろうか。29節。癒されたのである。彼女の切なる思いを、神さまはみこころに留めてくださった。これで、彼女はもう、こそこそ生きる必要はなくなった。 だが、彼女がそのまま去ることを、イエスさまはお許しにならなかった。30節。これは、イエスさまに対するふさわしい信仰を持った人がそこにいた、その人と話をしなければならない、と、イエスさまが心から願われた、ということである。イエスさまが求めていらっしゃるのは、このように、ご自身に対する信仰をもっている人、その「ひとり」に注目されるのである。 しかし、弟子の当面の関心はそこにはなかった。まずはイエスさまのことを、ヤイロの娘のところに急いで行かせなければならない。イエスさまのおこころよりも、状況のほうが気になる。これは、教会や教職者によくあること、陳腐な言い方になるが、「教会あるある」「牧師あるある」である。しかし、イエスさまはここであくまで、だれが触ったかにこだわりをお見せになった。私たちはつい、イエスさまのおこころを考えずに突っ走ることの多い者だが、時には立ち止まって、イエスさまが何を願っていらっしゃるかを知る勇気も必要である。 ついに、彼女は名乗り出た。恐れおののきつつであった。イエスさまの歩みを止めてしまって、イエスさまにも、ヤイロにも申し訳ない、という恐れもあったかもしれない。しかしそれ以上に、彼女には、何もかもお見通しのイエスさまへの恐れ、これほどまでの病を一瞬にして癒されたイエスさまへの恐れ、そして、こんな私ひとりに注目してくださっているイエスさまへの恐れがあったと見るべきであろう。あらゆる恐れがないまぜになって、彼女はイエスさまの前に出ていった。 しかし、イエスさまは彼女になんとおっしゃっただろうか。34節。イエスさまは、まことの癒しを宣言された。それと同時に、まことの救いを宣言された。イエスさまが、救われたと宣言なさった以上、彼女は救われたのである。 私たちにも、イエスさまとのこのような出会いがあったはずである。救われたくて、ただやみくもにイエスさまのところに行った。すると、イエスさまが私のことを見つけてくださり、私はイエスさまの御前に、包み隠さず自分のことをお話しした。すると、イエスさまはそんな私のことを救ってくださった。 この女の人は、どうしようもない病気で、自分のことをけがらわしい罪人と認めるしかなかった。自分もそう認め、人からもそう思われていた。そこから立ち直りたいともがく努力さえ、悪い人間たちは利用するだけ利用し、彼女にはもはや何も残されていなかった。しかしイエスさまは彼女を癒され、苦しみから解放され、健康を与えてくださった。 よく、苦しみの中で神の恵みを知ったと人は言う。それは素晴らしいことなのだが、人はいつまでも病気でいることを神の恵みと思い込み、そこから抜け出さないことを当然のように思ってはいけない。癒されたいと願って、まずはイエスさまの御前に出るべきである。 それにしても、ヤイロのように、あるいはこの婦人のように、もはやいのちさえおびやかされるような苦しみにでも遭わなければ、人はイエスさまを求めないものなのだろうか? ほんとうに人間は、自分の力で何とかできると考えてしまうような、うぬぼれた、愚かな存在だが、主はそのように人を砕かれることをとおして、かえってその人を主へと向けさせてくださる。そのように主に向かう「ひとり」のことを、主は愛してくださる。この恵みを私たちは知っているだろうか? 私たちは群衆のひしめく中、どさくさにまぎれてイエスさまにふれて事を済ますような者ではない。イエスさまに声をかけていただく者である。いまもなお、私たちは苦しんでいる。健やかではない。「苦しむことなく、健やかでいなさい」というイエスさまの御声を必要としていないだろうか? その御声を聴くために、信仰をもってイエスさまに近づこう。イエスさまはあなたという「ひとり」に目をとめてくださるお方である。

「神の国、異邦人の地に臨む」

聖書箇所;マルコの福音書5:1~20/メッセージ題目;「神の国、異邦人の地に臨む」 妻とまだ結婚する前、交際中の頃のこと。妻は当時、関西地方で宣教師になるための訓練を受けていたが、ときどき私の携帯電話に電話をよこしてくれた。ある日、働いていた教会から駅に帰る道で、妻から電話がかかってきた。うれしいことだが、気持ちは複雑。なぜならば、そのとき通っていた駅への近道が、谷中霊園という墓地の中だったからである。15代将軍徳川慶喜のお墓、ステテコを流行らせた三遊亭圓遊のお墓、高橋お伝のお墓、その他もろもろの数えきれないお墓に囲まれて、電話でデートをする羽目になったわけである。それも、すっかり暗くなった夜。何とも言えない気分になった。 お墓という場所は、死者のお骨がたくさん埋まっている場所。好んで近寄りたいとは思えない場所である。しかし、このお墓を棲み処(すみか)とし、真っ裸で凶暴ななりをしているような男がいるとしたらどうだろうか? 怖いなんてものではない。さきほどお読みしたみことばは、そのような男がイエスさまによって変えられる場面である。 1節のみことば。イエスさまは群衆をあとにして、嵐吹くガリラヤ湖を渡って、向こう岸のデカポリス、異邦人の地に赴かれた。そのとき、ひとりの男の人をめぐって起きた一連のできごとは、神の国が異邦人の地にいかにして臨んだかを、雄弁に物語っている。特にこの男の人にスポットを当てながら、男の人に起きた変化を観察しつつ、神の国の臨む前(過去)、神の国の臨むとき(現在)、神の国の臨んだのち(未来)の、3つのポイントから語ってまいりたい。 まずは、神の国の臨む前。2節のみことば。……神の国の臨む前は、人は悪しき霊に支配された状態である。墓場とは死んだ者のいる場所である。墓場にいるということは、生きてはいてもほとんど死んだ者として振る舞っている、ということである。神の国の臨む前の人は、永遠のいのち、神さまにあるまことのいのちがとどまっていないかぎり、どんなに生きているように見えても、神さまの目には死んだ人である。 3節から5節。悪霊に取りつかれた人のこの恐ろしさを見よ。あまりに狂暴なので、人々は彼に足かせをはめ、鎖につないだ。しかし、いったいどんな力が働いているのか、彼はその鎖を引きちぎり、足かせを壊して暴れる。夜となく昼となく墓場で大声を上げて叫びつづける。 注目すべきは、彼が自分のからだを傷つけていた、ということである。自ら進んでからだに傷をつけることは、精神がむしばまれている証拠である。なんという苦しみの中に彼はおかれていたことであろう。 人間はこんなにも悲惨になるのである。デカポリスの人々は、彼のことをこうして隔離し、のけ者にし、鎖と足かせで縛りつけて、なんとかことを収めようとした。しかし、それも甲斐なく、どうしたってこの恐ろしさそのものの彼のことを見ないわけにはいかなかった。彼の存在は、デカポリスの大いなる悩みの種だった。 悪魔と悪霊どもは、まことの神さまを知らない者たちのことを翻弄する。偶像礼拝をもって共同体を霊的に混迷させたりもするが、この場合は、悪魔に魅入られたような者を用いて共同体に不幸をもたらしている。日本もそうだったが、明らかに悪霊の支配を受けている人間の存在によって共同体が混乱させられるということは、古今東西存在してきたことである。いずれにせよ、そこには主が統べ治める「神の国」は臨んでいるとは到底言えない、悲惨な状態になっている。 しかしここに、悪霊を追い出すことのおできになるお方が登場された。イエスさまである。それでは、神の国の臨んでいる状態、「現在」を見てみよう。 6節。悪霊に取りつかれたこの男の人はイエスさまを礼拝した。これは、悪霊がイエスさまのことを礼拝しているということである。駆け寄ってきて礼拝したということは、イエスさまこそが礼拝すべきお方だということを、悪霊どもは知りすぎるほど知っていたということである。 イエスさまは、ユダヤ人の地域でだけの神さまではない。ユダヤの外に出ても、異邦人の地域においても、神さまである。悪霊がユダヤでだけ悪霊ではないのと同じことである。ガリラヤをあとにされ、異邦人の地域においても、神さまとして存在された。 それを念頭に置いて7節、8節を見ていただきたい。何の関係がありますか、というのは、マタイの福音書8章29節の、ほぼ同じような内容の箇所から、なぜ悪霊がそのように言ったのかが類推できる(地名や悪霊につかれた人の人数など、若干のちがいはあるが、ほぼ同じ話である)。「まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来たのですか」と言っているが、「その時」とは、イエスさまが十字架と復活を経て、天に昇られ、聖霊が注がれ、使徒たちが神の国の福音を携えて、ユダヤを越えて異邦人の地、世界にまで出ていくそのとき、ということを指している。 悪霊は、そのような神さまのご計画を知っていた。だから、まだまだ大丈夫だ、とばかりに、デカポリスを霊的に支配し、特にこの男の人のことを苦しめるだけ苦しめていた。ところがそこに、イエスさまがやってきたからさあ大変、である。 嘘だ! まだ使徒たちが異邦人の地に派遣されていないばかりか、イエスさまは十字架にすらかかっておられないではないか。やめてくれ! 話がちがうぞ! お願いだから滅ぼさないでくれ! 面白いのは、悪霊が「神によってお願いします」とイエスさまに懇願していることである。私たちが神さまのことをよく知らないで済ませているうちにも、悪霊はよっぽど神さまのことがわかっているし、神さまの権威を認めている。 ヤコブの手紙に、行いによって信仰のあることを示すことをしないようなクリスチャンに対して苦言を呈すメッセージの中に、こんなことばが挿入されています。「あなたは、神は唯一だと信じています。立派なことです。ですが、悪霊どもも信じて、身震いしています。」(2章19節)神さまのこと、イエスさまのことを知識で知っている程度ならば、悪霊だって同じである。神さまに従順であるかどうかが問われている。 9節。イエスさまは悪霊に名前を問われた。レギオン、とは、ローマの6000人からなる部隊であり、それだけたくさんの悪霊がその人に取りついていた、ということである。名前をつかむ、ということは、とても大事なことである。聖書にはとても多くの人物が登場するが、名前が登場する場合と、名前が登場しない場合とでは、イメージを具体的に思い浮かべるうえで差が出てくる、ということは経験しているだろう。 だれかのために祈るとき、やはりせめて名前は知っておいた方がいい。その人がどんな人か、ということをまた聞きするとき、結構、その情報を提供してくれた人のバイアスがかかるものである。しかし、名前はバイアスのかかりようがない。名前を挙げて祈ろう。 10節。この地方から追い出さないように、という彼ら悪霊どもの祈りは、この地方はまだ俺たちの天下だ、余計なことをするな、という驕りが透けて見える。否が応でもイエスさまに支配させない姿勢である。イエスさまの神の国が宣べ伝えられるところには、その共同体における悪霊の支配が終焉を迎えるという、素晴らしいみわざが起こされてしかるべきである。 11節。ちょうどそこにはおびただしい豚が飼われていた。神の民ユダヤに与えられた律法では忌み嫌うべき動物であり、イエスさまご自身も、せっかく宣べ伝えられたみことばに対してきわめて否定的な態度を取り、せっかく伝えてくれた人を恩知らずにも攻撃するような剣呑な人間のことを、豚に例えていらっしゃる。 12節。そういう意味では、この男でだめだったら豚に取りつかせてほしい、という、彼ら悪霊どものことばも、一応は筋が通っていると言えた。13節。すると悪霊に取りつかれた2000匹の豚は、ガリラヤ湖目がけて突進し、そのまま溺れて死んだ。悪霊どもは生き永らえたのではない。滅ぼされたのである。こうして、この男の人は、無事に悪霊の支配から脱した。 14節。豚を飼っていた人たちは逃げ出した。そして、いったい何が起こったのか言い広めた。うわさを聞きつけた人々は、イエスさまのいるところまでやってきた。15節。これがあの男か! そして、このイエスという人は、この男をこのようにしたのか! 彼らは震え上がった。 16節と17節。彼らはイエスさまに、この地方から出ていってほしいと頼んだ。それは、この男の人から悪霊を追い出された霊的権威を前に震えおののいたということもあっただろうが、やはり、この地域の産業であった養豚業が少なからぬ打撃を受けたことも大きかったのではないだろうか。 私は最初、この箇所を読んだとき、イエスさまはもっとほかの方法で悪霊を追い出されることはなさらなかったのかな、と思ったものだった。彼らこの地方の人々がイエスさまに出ていってほしいと頼むのはある意味当然じゃないかな、と。しかしここで私たちが考えるべきは、「悪霊に取りつかれた人」のことであろう。 いったい彼は、ここまで悲惨な生き方をしたくてしていたのだろうか? 自分ではどうにもならない、ただ悪霊に支配されるしかなかった彼は、あまりに醜く、そしてこの地上で苦しむだけ苦しんだ末に、行きつく先は永遠の地獄である。この世に生まれたばかりに、地上で地獄を味わい、のちの世で地獄を味わう、そんな彼を救って、何が悪いのだろうか? 私が神学生のとき、「弟子訓練」を一緒に受けていた信徒さんの中に、シムさんという方がいた。お仕事は3000頭の豚を飼う養豚場のオーナーで、彼は教会の子どもたちから「テジアッパ(ブタさんのパパ)」と呼ばれていた。 彼はほかの訓練生同様、1年間の弟子訓練のコースを通じて、めきめき信仰が成長していかれたが、ひとりの人を大切にするというサラン教会の牧会哲学を身に着けられたこの方だったら、どうしただろうか? イエスさまがもし、この男の人を救うためにあなたの豚3000頭のうち2000頭を差し出しなさい、とおっしゃったならば、どうなさっただろうか? ひとりの人を救うために、自分の大切な財産である豚を差し出しかねなかったのではないか、そんなことを思う。 もっとも、彼らデカポリスの人々は、神の国の福音を受け入れられるだけの下地を持ち合わせてはいなかった。やはり異邦人としての限界の中に生きていたのである。イエスさまもそんな彼らの限界をよくご存じで、彼らが「出ていっていただきたい」と言えば、イエスさまも争わず、彼らのもとを去っていかれた。 しかし、これだけならば、イエスさまはなぜ、わざわざガリラヤをあとにして、嵐吹くガリラヤ湖を渡ってまで、デカポリスまで赴かれたのだろうか、そこで宣べ伝えられるべき神の国の宣教は失敗に終わったのか、ということになるだろう。この話は終わっていない。 そこで、「神の国が臨んで以降の『未来』」のお話である。18節。彼はイエスさまについていこうとした。彼はもちろん、これほどまでのことをしてくださったイエスさまに一生ついて行きたいと思ったことだろう。あるいはもしかしたら、自分のことを邪険に扱いつづけたデカポリスの人たちに見切りをつけたかったのかもしれない。 19節。イエスさまは彼を弟子に取らなかった。その代わり、彼を直ちにデカポリスの働き人として派遣された。なんと、使徒が立てられるはるか以前に、イエスさまは「異邦人宣教」の道をすでに開いておられたのである。そして20節。彼はイエスさまがなさった大いなるわざを宣べ伝えた。 彼らはイエスさまを拒絶したかもしれない。しかし、この男の人は曲がりなりにも同じ共同体の最大の問題人物であった人であり、それがこれほどまでに変わったという事実を見せられては、イエスさまを信じるしかない。やはり、レギオンの悪霊が追い出されたなりの霊的効果が現れていたのである。 彼の未来は、イエスさまの弟子として添い遂げることではなかったかもしれない。しかし、イエスさまの働き人としてイエスさまを宣べ伝える人となった。神の国はこうして、この男の人にも、デカポリスにも臨んだのだった。 ここは、やはりこの男の人に、そしてこの人に注がれたイエスさまの愛に注目しよう。 生きて地獄、死んで地獄のこの人を、天国の人にしてくださったイエスさまの愛。墓場の狂人、共同体に問題しか与えなかった人を、神の国の働き人としてくださったイエスさまの愛。その男の人を救い、素晴らしい使命を与えるためだけに、はるかガリラヤ湖を越えてデカポリスまでやってこられたイエスさまの愛。 私たちも考えよう。私はとても悲惨だった。そんな私ひとりを救ってくださるためにイエスさまはこられ、十字架によって救ってくださった。そして私はこれから、イエスさまによって神の国の働き人として用いられる。イエスさまは私に、どんな働きを望んでいらっしゃるだろうか? この男の人は最初の願いを聞いていただけなかったが、イエスさまのおっしゃったとおりの使命を帯びて、用いられた。私たちもイエスさまの望みどおりの人となり、用いられるように。

「どうして怖がるのですか」

聖書箇所;マルコの福音書4:35~41/メッセージ題目;「どうして怖がるのですか」  船乗りという仕事は、なんというか、ロマンを感じさせる。漁師、海上自衛官、クルーズ船の乗組員……今はあまり行かなくなったが、時間があるとき私はたまに大洗に行き、苫小牧行きのフェリーを眺め、ああ、北海道にこれで行ったら楽しいだろうなあ、フェリーの乗組員なんて、いつも旅行をしているようなもの、うらやましいなあ、などと思ったりした。  しかし、「板子(いたご)一枚下は地獄」という船乗りのことわざがあるとおり、海というものはただ船を悠々と浮かべてくれるやさしいものとはかぎらない。荒れたときにはその凶暴さをむき出しにする。下手したら波に呑まれて死んでしまう。その冒険心をくすぐるヒリヒリした感覚がいいのだと、もしかしたら船乗りの人たちは思うのかもしれないが、死んでしまってはおしまいである。  私たちの人生は、しばしば船が海を行くこと、「航路」に例えられる。多くは波のない海を行くがごとく、平穏無事に過ぎゆくものだが、時に私たちの人生には、荒波のような試練が襲いかかるときがある。  今日の箇所は、イエスさまの弟子たちが文字どおりの荒波に襲われる、という、ハラハラするような場面。しかし、イエスさまはこれを治められた。この湖の旅をとおして、イエスさまは弟子たちに何をお教えになったのだろうか?  特にイエスさまのおっしゃったみことば、「どうして怖がるのですか」に注目しよう。もちろんイエスさまは、そうか、キミたちは怖かったんだね、おお、よしよし、とおっしゃりたいわけではない。わたしの弟子ともあろうあなたたちは怖がってはいけないでしょう? それが怖がるとは、どうしたことですか、と、叱咤激励しておられるのである。  今日の箇所は短いので、ポイントに分けず、最初から見てまいりたい。35節。イエスさまは畑の種蒔きのたとえほか、いくつかのたとえを弟子たちに解き明かされたその日、夕方になってから、ガリラヤ湖の向こう岸に渡ろうと弟子たちを促された。弟子たちはもちろん、お従いした。  私たちクリスチャンの歩みとは、イエスさまが「行け」と命じられたら行き、「とどまれ」と命じられたらとどまる、その歩みの繰り返しである。私たちはクリスチャンとしてふさわしく歩むために、イエスさまの御声につねに耳を傾ける必要がある。イエスさま以外のもの、テレビとかインターネットとか、はたまたご近所や職場のうわさ話などを聞いて、それで心の中がいっぱいになっていては、イエスさまの御声を聞き分けることができず、したがってイエスさまに聴き従うことはできない。  弟子たちがお従いしたのは、絶対的な師であるイエスさまが目の前におられ、御声をもって促されたからである。私たちも弟子たちのように、イエスさまを目の前にするように生きているならば、御声は必ず聴けて、お従いできる。 しかし、形式的に礼拝をささげて、形式的にディボーションをささげさえしていれば大丈夫というものではない。こうして弟子たちに交じって御顔を見、御声を聴いていたイスカリオテのユダが、土壇場でどんな選択をしたか。イエスさまを十字架に引き渡すような、究極の罪を犯したではないか。私たちは形だけでみことばの語られる場に同席するのではなく、生ける交わりを体験することである。私たち自身をイエスさまの御前に、日々赤裸々に差し出そう。  36節。イエスさまのみことばとみわざを求める群衆はまだそこにいた。しかし、イエスさまはそこから新たなところに行かれるとおっしゃるので、弟子たちはついて行った。群衆に関わっていると、イエスさまは本来のお働きができない。もっと大事な、みこころにかなうお働きに赴かれ、それに弟子たちはお従いする必要があるのである。  イエスさまは群衆に対して意地悪だったのではない。よりご自身の存在とみわざが必要なところに赴かれたのである(それについて詳しくは来週学ぶ)。そこで、弟子たちはイエスさまを舟にお乗せして出発した。ほかの舟も一緒だった、とあるが、弟子たち以外にもついていく者がいた模様である。このような人は、群衆の段階から弟子の段階へと成長を遂げつつある人である。私たちもそうなりたい。  しかし、弟子として成長することはひとりでにできることではない。成長させられるために、ときに厳しいところを通らされる。折しも夕方、あたりは暗くなっていた。真っ暗な中、広くて深いガリラヤ湖を舟で渡るのが危険極まりないことは、少なくともその中の4人がガリラヤ湖の漁師出身だった十二弟子にはわかっていたはずである。しかし、これはイエスさまの促しである。「でも、おことばどおり」の信仰をもって、彼らは一歩を踏み出した。 37節。果たして、ヘルモン山から標高からの落差1200メートルのガリラヤ湖の湖面に、激しいおろし風が吹きつけて、湖は荒れだした。水は舟の中に入り込み、なお波に激しく揺られ、いまにも湖に呑み込まれ、沈みそうになっている。  激しく揺れている。風に吹かれている。波が呑み込もうとしている。湖に投げ出されそう。その恐怖はいかばかりか。それは動物的な本能のような恐怖と言えたろう。しかし、その舟の中にあって、イエスさまだけはちがっていた。38節。まるで死んだように、ぐっすり眠っておられたのである。もちろん疲れておられたわけだが、同時にこれは弟子たちへのテストともなった。  弟子たちはどうしたか? イエスさまを起こした。しかし、彼らは何と言ったか?「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか!」……。こんな深夜の荒れた湖に連れ出したのは、イエスさま、あなたじゃないですか、それが、私たちをよそに、われ関せずとばかりに眠っておられるなんて、何なんですか! どうしてくれるんですか! その悲鳴にはまるで非難がこもっているようだった。  しかし、もちろんイエスさまは弟子たちを放っておかれる方ではなかった。39節。イエスさまは風を叱りつけ、湖に「黙れ。静まれ」と命令された。すると風はやみ、すっかり凪になった。イエスさまは弟子たちを守られたのと同時に、ご自身がみことばひとつですべてを動かされる、全能なる神さまであることを示されたのであった。  しかし、イエスさまはただ単に風と波を鎮められたのではなかった。40節。イエスさまは弟子たちをお叱りになった。「どうして怖がるのですか。」そしてイエスさまは、彼らが怖がって取り乱したことは、彼らにまだ信仰がなかったからだと喝破された。イエスさまは単に全能なる神さまであることを示されただけではない。弟子たちの不信仰を取り扱われたのだった。  イエスさまがともにおられるならば、彼らは湖におぼれて死ぬことなどあり得なかった。それは、イエスさまが死なれるのは、十字架にかかられてであり、弟子たちもイエスさまの十字架と復活を経て、永遠のいのちをいただき、彼らはこのような場面でむざむざ死ぬのではなく、イエスさまのあとにしたがって自らの十字架を背負い、イエスさまについて死ぬように定まっているからであった。仕方がなかったとはいえ、弟子たちはそのことを悟ることができないでいた。  しかし、弟子たちにそこまでの信仰が育つまでには、なお一層のお取り扱いが必要だった。この、荒れ狂う湖の体験は、その意味で弟子たちにとって必要なものであった。 私たちにせよ、弟子たちのような恐ろしい体験をして、正気でいられるだろうか? だがイエスさまは、そのような中でも揺るがない信仰を与えてくださるお方である。弟子たちはその後もさまざまな体験をさせられて、信仰を育てていただき、主の働き人とならせていただくに至った。  私たちを取り巻く状況も、ときに厳しい。とても解決しないように思えて、恐れをいだいたり、むなしくなったりもするだろう。しかしイエスさまは、そのような状況のただ中でもともにいてくださるお方である。私たちの信仰が問われる。私たちはそのようなとき、眠っておられるようでも、変わらずに、眠らずに働いてくださっている、イエスさまに対する信仰を確かに持って祈るべきである(詩篇121:4)。  41節。弟子たちはイエスさまのご存在に、「恐れた」とある。この「恐れ」は、イエスさまが弟子たちを叱責された際に用いられたことば「怖がる」と、同じといえば同じ。実際、英語の聖書ではどちらも「アフレイド」と訳している。しかしギリシャ語では同じではない。40節で、イエスさまは弟子たちが「怖がった」ことを叱責されたが、この「怖がる」は、ギリシャ語では「臆病な」と同じことばである。  キリストの弟子は臆病だとなぜいけないのだろうか? それは、臆病な者は地獄に堕ちるとみことばに警告されているからである。嘘ではない。ヨハネの黙示録21章8節には、地獄に落とされる人の第一の条件として「臆病な者」と挙げられている。 臆病な者とは、神さまはどうせ自分のことを怠け者扱いして罰を与えるだろうからと、賜物を活かすこともせず、ただのんべんだらりと生きる者のことをいう。まさしく、1タラントを包みにしまって土に埋めておくような者である。そういう者は終わりの日にさばかれ、外の暗闇に放り出され、泣いて歯ぎしりしても中に入れてもらえない。  しかし、その地獄の警告をやたらと怖がり、主の働きをすることに尻込みするならば、それこそ臆病な態度である。こわがってはいけない。神さまは自分のことを地獄に落とすかもしれないと怖がるあまり、何もしないのではなく、神さまを「正しく」恐れることである。 天地万物を統べ治めるお方、それなのに私のことを瞳のように守り、愛してくださるお方……まさしく、風と荒波が鎮められたのを目の当たりにした弟子たち、死の危険から守っていただいた弟子たちのように、イエスさまを恐れるならば、その恐れは正しいものであり、その正しい恐れから、イエスさまに対するまことの従順は生まれてくる。要は、イエスさまとの正しい関係、愛の交わりを持つことに尽きる。  「どうして怖がるのですか。」怖がること、臆病なことは、信仰が確かでない証拠である。私たちは風や荒波のようなできごとを見て、それに翻弄され、「怖がって」いるうちは、まだ臆病な段階ではないだろうか。私たちはだからこそ、たとえ眠っているように見えても、実は生きて私のために働いてくださっている、ともにおられるイエスさまに対する信仰を日々増し加えてくださいと、祈る必要がある。「それでも」怖がる自分に気づかされるならば、なおのこと、その祈りに集中する必要がある。  私たちの「怖れ」「臆病」を、主の御手に取り扱っていただこう。間違った怖れを主に対する正しい恐れに変えていただくために、私たちから取り除いていただくべき「怖れ」は、何だろうか? 具体的に祈って示していただき、それを取り除いていただくべくお祈りしよう。「どうして怖がるのですか」と叱責されるような怖れではなく、主を正しく恐れる恐れに満たされ、そこから主の働きに用いられていこう。

「みことばの解き明かしはなぜ必要なのか」

聖書;マルコの福音書4:21~34/メッセージ題目;「みことばの解き明かしはなぜ必要なのか」 イエスさまがたとえで語られたのは、それが庶民の理解力に合っていたからである。しかし、それが庶民に理解できなかったのは、イエスさまに責任があることではない。わからなければお尋ねすればいいのである。それをお尋ねし、そのほんとうの意味するところを悟らせていただくならば、その人は「群れ」から「弟子」へと脱皮する。 ことはたとえだけではない。聖書というものは、その気になればだれにでも理解できるのだが、へりくだって聖霊さまの知恵を求めないかぎり、わからない仕掛けになっている。わからないのは、わかろうとしないからである。この点、私たちは「群れ」でいいと思ってはならない。みことばの意味を悟らせていただき、従わせていただく「弟子」になって、イエスさまにどこまでもついていく、祝福された人生を歩んでいただきたい。 いまこうして私はメッセージを語らせていただいているが、これは別名「みことばの解き明かし」という。私たちは、みことばの解き明かしをいただいて、ふさわしくみことばを理解し、その理解したことを生活のただ中で実践する。あるいはそのみことばをやさしいことばで人々に宣べ伝える。いずれにせよ、みことばを証しする生活をする。 その証しの生活、人々の前で神の栄光を顕す生活のために、みことばは理解されていなければならない。みことばはわからないままでいてはならない。 十二世紀の真言宗の僧侶、西行(さいぎょう)が伊勢神宮にて詠んだ歌、「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」この歌は、日本人の宗教観をよく表しているだろう。仏教者が神道のカミにそういう感情を抱く、いかにも日本的である。いや、日本人に限らず、もしかすると結構多くの人が、この歌の語るように、ありがたければそれでけっこう、と、信仰の対象を深く見極めないで終わらせてはいないだろうか? しかし、私たちを愛し、私たちと深い交わりを持つことを願っていらっしゃるイエスさまの前では、それはいけない。「ああ、このたとえは何やら面白いね、深いね、すばらしいね」と思っても、その意味をちゃんと悟ることがなかったならば、そのたとえを語ってくださったイエスさまに感謝したことにはならない。たとえにかぎらず、一見するとわかりにくいみことばをただ読んだだけで、わかったつもりになって、何やら霊的ステージが上がった、などと思うのは、自己満足にすぎない。だから私たちは、みことばの解き明かしをいただいて、ちゃんと理解する必要がある。 今日は、今日の箇所で語られた4つのたとえを3つのポイントにまとめて、たとえのような「難解な」みことばは、なぜ解き明かされなければならないのか、もっといえば全般的に、みことばの解き明かしはなぜ必要なのか、学んでまいりたい。 ①みことばの解き明かしはなぜ必要なのか、それは、神の国の奥義が人々に伝えられるため みことばは秘密から始まっている。イエスさまが地上で生活しておられた公生涯において、やむをえず弟子たちの見ている前で神の子としてのみわざを行われたり、御姿をお見せになったりされたときも、それを言いふらしてはならないと厳しく戒められた。しかし、やがてイエスさまは十字架におかかりになり、復活され、天に昇られ、聖霊が降られて、人々はイエスさまが神の子であるとを証しする者と変えられた。 もはや秘密ではない。その光を人々の前に照らすべきである。しかし、その光を升の下に置いたら、その光はまるごと消えてしまう。寝台の下に置いたら、肝心の照らす人間は寝台の上で眠っているし、自分の部屋さえ照らせていない。だれのことをも照らす明るいところに掲げるから、光なのである。 とはいえ、その光が光としての役割をするためには、光の扱い方をよく知っておく必要がある。光とはろうそくにともす火であるが、火はまかり間違うと、大火事を起こす。いま世間を騒がせている韓国発祥の異端は、本来人々を照らして神さまへと向かわせるはずだった火の取り扱いを最大限に間違えた群れであり、その被害は大変なものである。 私たち人間は、子どものうちは火を扱わせない。火を扱うことができるのは、火についても、たとえば引火しやすいものや引火しにくいもの、風向きといった、その他あらゆる事象についてもよく理解を深めた、大人である。私たちもクリスチャンはみことばの光を掲げるために、光の性質をよく理解し、どうすれば最も効率的に光を掲げて明るくできるか、どうすれば火事にならないか、どうすれば人や自分をやけどさせないか、火の取り扱い方をよく知る必要がある。私たちが、光なるみことばをよく学ぶ必要があるのは、そのためである。 しかし私たちは、学ぶことで終わらせてはならない。学んで自己満足ではマニア、オタクである。パリサイ人はみことばをよく学んでいても、それを愛なく人をさばく道具としてしか用いなかった。悪い意味でのみことばオタクである。学んだら人を励ます、慰める、力づける、新たな働きに送り出す……みことばとはそのように用いるべきものである。私たちがみことばを学んで恵まれたら、その恵みを新たな人へと「流そう」。それが、明かりをふさわしく照らすことである。 ②みことばの解き明かしはなぜ必要なのか、それは、解き明かされてその価値がわかれば、私たちはますます、みことばを求めるようになるため 24節。これも一見すると難解なことをおっしゃっているが、宣教という文脈で読み解くと、イエスさまから聞くこと、すなわち私たちにとっては、みことばを読んで学ぶことをするならば、それを受け取る信仰の大きさに比例して、学んだだけ自分に与えられ、さらに学んだ以上のものが与えられる、ということである。 それは私たちも体験していることではないだろうか? 私たちはみことばを学ぶことで、その背後にある神の愛、神の慈しみを知り、神さまによりいっそう感謝するようになる。何が神さまの嫌っておられることかを知って、その価値観を持つことや行いをすることを避けるようになる。神さまの願っていらっしゃることを具体的に知り、生活のただ中で実践するようになる。こうしてますます、神さまとの強い結びつきを体験し、愛し愛される関係に入れられる。 しかし、そのような神さまとの愛の交わりに、そもそも関心を持たない人、そういう人は、学ばない人である。学ぶことに関心などない人である。学ばない人にとって福音は「猫に小判」である。小判の価値も使い方も知らない猫には、小判をやっても何の意味もないので、猫から取り上げて自分で使うしかない。 この「猫に小判」の西洋版のことわざは「豚に真珠」であると一般に言われているが、何を隠そう、このことわざはイエスさまがおっしゃったみことばである。ただ、「豚に真珠」は正確には「猫に小判」と意味が同じではない。価値ある福音を真珠の飾りを豚がひづめで引き裂くように粗末にし、福音を伝えた者に豚が突進するように攻撃を加え、傷つける。そういうことをする人は日本にも、世界にもごまんといる。そういう人への福音宣教のわざは今日も怠りなくなされているが、彼らが謙遜に主の御前にひざをかがめ、恭しくみことばを受け取らないかぎり、神の国が拡大しないのは主の摂理である。 私たちはみことばの恵みを取り上げられない者となるために、学ぶ者となりたい。みことばを語る人を愚かにもさばく者とならないために、学ぶ者となりたい。私たちは学ぶ者となることで、そのみことばの素晴らしさ、豊かさを具現する人となる。そうしてみことばを宣べ伝える人として用いられ、豊かに受けただけのみことばの恵みを、人々に分かち合うようになる。私たちは人々に証しする喜びのゆえに、もっとみことばを求める者となるだろう。 わからないみことばは人に伝えることなどできない。わからないみことばなど、どうやって実践できるだろうか? もっと学ばせてください! もっとわからせてください! 用いていただくために! それが私たちの祈りとなるようにしよう。 そして26節から29節、私たちはみことばを学んで成長するわけだが、成長そのものは、私たちの努力という要素だけで説明できるものではない。私たちはもちろん、人々が成長するためにみことばの種を蒔く必要がある。しかし、成長させてくださるのは神さまであり、伝道や宣教の種蒔きをした者、牧会のような霊的成長の手助けをして水やりをした者、どちらかがより偉いのでは決してない。もちろん、成長する者そのものが偉いわけでもない。 終わりの日は収穫の日である。その収穫に向けて、神さまは最後まで教会を成長させてくださる。私たちは神の畑であるが、神の同労者としての自覚も持ち、謙遜に成長するとともに、謙遜に奉仕させていただこう。神の民として成長するために、神の同労者として成長するために、日々みことばを学ぼう。 ③みことばの解き明かしはなぜ必要なのか。それは、そのみことばが国家単位、民族単位に至る、多くの人に共有されるため。 31節。からし種は野菜であるが、聖書箇所によってはこれを「木」とも表現する。鳥が巣をかけるような丈夫な枝を張り、3メートルにも5メートルにも大きくなる。この「からし種」の種の実物をご覧になったことのある方もおられるだろう。まるでほこりの粒のように小さい。これが大きく大きく成長するのである。 ここでイエスさまは、「空の鳥が巣をつくる」と語っていらっしゃる。このたとえは、単なる漠然とした象徴ではない。エゼキエル書31章6節をご覧いただきたい。ここでは「木」とは、当時の大国であるアッシリアのことを指し、アッシリアの庇護のもとに国々が集まることを「鳥が巣をつくる」という比喩で表現している。 始まりがガリラヤの片田舎だった福音宣教、神の国が、やがて世界中に広がり、世界の国々とその民がその神の国の陰に宿ることになるわけである。時代は下り、世界の様々な国々が、キリスト教国として建国された。それは、その国々が、大いなる神の国の陰にあることを高らかに宣言した、という意味である。 からし種は小さいがとても大きくなる。このたとえを聞いた者も十二弟子プラスアルファの少人数であった。しかしそこから始まった神の国の福音は、世界をおおった。国々が神の国のもとに身を寄せた。そして、いまわずかな群れである私たちからも、神の国が世界に広がるビジョンを思い描かないか? 神の国の旗印である「神の愛」は世界を変えた。人々を奴隷状態から解放し、疎外された人を神のかたちとしての人に回復させた。神の愛に動かされて人々はまことの安らぎを得られるように世界を変える努力をしている。その歩みはなお途上にあり、この「巣」を壊す企てはやまないが、それでも福音の宣べ伝えられるところ、国や民族の単位の変革がもたらされる。 そのように変革するには、みことばが人々にわからないままでいてはならなかった。医療を行うでもいい、福祉を行うでもいい、学校を建てるでもいい、人々を愛するためにキリストの犠牲に倣っていること、すなわち、その生き方において解き明かされているみことばが、人々に具体的に伝わっている必要があった。 私たちの信じる福音、宣べ伝える福音は、国と民族に及ぶもの。この点で私は韓国のクリスチャンから多くのことを学んだ。彼らは国と民族に世俗化が進もうとも、決してあきらめずに祈りつづけている。今度は私たちが日本のために祈る番である。私たちのすることは大それていなくてもよい。ともしびを掲げることが大事である。日本が神の国に身を寄せる国家と民になることを信じて、祈り、福音を宣べ伝えよう。 ●みことばの解き明かしはなぜ必要なのか。それは、私たちが解き明かされたみことばにしたがって生き、人々にイエスさまを証しする働きに用いていただくためである。 私たちは学んだみことばを、どのように実践することによって、この世界に変革をもたらす器として用いていただけるか、祈ってみてはいかがだろうか? 私たちの周りに、飛んでくる鳥が巣をかけるように憩いを得て、みことばによって力づけられ、みことばを携えて飛び立つ人が興されるように、祈ってみてはいかがだろうか? そのように、みことばの恵みを「流す」ために、みことばから何をどのように学ぶのか、今ここで具体的に決心をしよう。