元始、教会は家であった その4~主の晩さん考察~

聖書箇所;使徒の働き2:41~47/メッセージ題目;元始、教会は家であった その4~主の晩さん考察~ 今日は、恥ずかしい話からお分かち合いしたいと思います。 私は中学生のとき、母に連れられて初めて教会にまいりました。兄がすぐにイエスさまを信じてバプテスマを受け、ほどなくして母も、祖母もバプテスマを受けたのですが、私はバプテスマを受けるまでに少し時間がかかりました。 そんなときにどうしても気にしてしまうのが、主の晩さんの時間です。バプテスマを受けている人はみな受けられても、バプテスマを受けていない私はいただくことができません。みんな、いいなあ、と思いながら、手持無沙汰な時間を過ごしたものです。 そんな私もやがてバプテスマを受けました。主の晩さんにあずかれるようになったわけです。しかし、そうなるとどうなったか、といいますと、今度は、主の晩さんの時間を、とても退屈なものと思うようになってしまったのでした。 要するに、主の晩さんというものをちゃんとわかっていなかったわけです。それにしても今思い返しても、恥ずかしいことです。 本日学びますのは、主の晩さんに関してです。さきほどお読みいただいたみことば、使徒の働きは、イエスさまが天に昇られた後、聖霊なる神さまのお働きによって、エルサレムにはじまり各地に教会が形づくられたという記録に満ちています。 その中でも今日の箇所、2章は、エルサレムに集った聖徒たちに聖霊なる神さまがお降りになり、その聖徒を代表したペテロのメッセージをとおして、実に3000人もの人がイエスさまを主と信じ受け入れ、バプテスマを受けた、という、ダイナミックな箇所です。 マタイの福音書を締めくくるみことば、28章の18節から20節のみことばには、このようにあります。……イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。 この「バプテスマを授け」ということばは、ただ単に宗教的儀式としてバプテスマを授けるということではありません。このことばは「弟子としなさい」ということばと密接な関係があり、「バプテスマを授けて弟子とする」という意味でもありますし、「弟子とするためにバプテスマを授ける」ということでもあります。 つまり、バプテスマはゴールではないのです。むしろスタートというべきです。一説によると、日本のクリスチャンの平均信仰年数は、2年8か月ということです。短いと思いでしょうか? しかしこれは、10年、20年、30年以上、信仰生活をしている人と平均した数字です。となると、バプテスマを受けてたった数か月以内に教会に行くことをやめてしまう人というのが、とても多い、ということになりはしないでしょうか? このような問題を引き起こす背景には、2つのことが考えられます。ひとつは、バプテスマ準備クラスさえ終えればそれでよしとしてしまう、教会教育の不在、もうひとつは、主の晩さんが単なる儀式としかとらえられず、軽んじられている、ということです。 今日はその中でも、教会の存在の根本に主の晩さんが存在するというテーマでお話しします。本日お読みいただいたこの短い箇所の中に「パンを裂き」ということばが、2回も登場します。それは、すべての教会の基礎の基礎である初代教会にとって、パンを裂くこと、すなわち、主の晩さんを口にすることは、それだけ大事だった、ということではないでしょうか? 「主の晩さん」は、ほかならぬイエスさまが「守り行いなさい」と定めてくださったものであり、つまりそれは必ず守り行うべきものであり、それだけ、厳粛な思いで参加させていただくものです。 この「主の晩さん」を守り行う人は、バプテスマを受けている聖徒です。それはなぜなのでしょうか? それを知るには何よりも、聖書がバプテスマというものをどのように定義しているかを知る必要があります。ペテロの手紙第一、3章18節から21節です。 ……キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。その霊においてキリストは、捕らわれている霊たちのところに行って宣言されました。かつてノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに従わなかった霊たちにです。その箱舟に入ったわずかの人たち、すなわち八人は、水を通って救われました。この水はまた、今あなたがたをイエス・キリストの復活を通して救うバプテスマの型なのです。バプテスマは肉の汚れを取り除くものではありません。それはむしろ、健全な良心が神に対して行う誓約です。 8人の家族が箱舟の中に入って救われたのは、彼らが、その時代に生きたほかの人よりもよい生き方をしたからでしょうか? そうとは言えません。ただひとつ確実なのは、箱舟の中に入るという、神さまの方法に従えば救われるという、信仰を保っていたからでした。その信仰の実践として、箱舟の中に入ったのでした。 われわれが受けるバプテスマというものも、これと同じだというわけです。バプテスマはその形が形なので、つい私たちは、「みそぎ」のように、それを宗教儀式として体験すれば、きよくなる、きれいになる、と考えてしまいがちかもしれません。実際、バプテスマを連想する記述が旧約聖書にありますが、ヨルダン川に浸かるとナアマン将軍の皮膚病、それも、宗教的けがれの象徴とさえ言えるツァラアトが治ったなどという箇所をうのみにしていると、余計そう思えてきそうです。 しかし、このペテロの手紙第一によれば、そうではない、「健全な良心が神に対して行う誓約」だというのです。 しかし、私たちは罪人である以上、心がけがれていない人などいません。しかし、イエスさまの十字架の血潮は、そのような私たちの心をきよめてくださり、それこそ、健全な良心と見なしていただけるにふさわしく変えていただきました。そのように私たちの心を変えてくださった神さまに対し、これからは自分のために生きるのではなく、神さまのために生きるようにしてください、私はこの人生を神さまにおささげします、と、誓約させていただくのです。 誓約、誓いということは、神さまの恵みの中で初めてできることです。結婚式のとき私たちは、病めるときも健やかなるときも配偶者を愛することを誓うわけですが、そのような誓いを立てても別れるときは別れます。ここ数年私は、そのようにして別れていったカップルの話をよく聞くようになって、つくづく、誓いというものは人間の意志でできることではなく、神さまの恵みがあって初めてできるものであることを思わされます。 神さまの恵みによって献身したい、そう願ってするものがバプテスマです。その願いも、これも神さまの恵みが臨んで初めてできることなわけです。バプテスマはどこまでも、神さまの恵みの中でなされるものです。 人はバプテスマによって、古い自分が水に葬られ、その水から引き上げられて、キリストにあって新しい人として生きる誓いをしたことを、人々の前に公(おおやけ)にします。もはや自分が生きているのではなく、キリストが自分のうちに生きていることを公にするのです。 その生き方を公にした人こそ、キリストのみからだと血潮にあずかる、すなわち、主の晩さんにおいてパンとぶどう汁の杯にあずかるのです。よく、日曜学校の子どもなど、そのパンとぶどう汁を見て、欲しがるのを私はよく見てきましたが、神さまへの献身をバプテスマという形で表せるほど、神さまと教会において従順の態度を示していないかぎり、やはりこれを口にすることはふさわしくないわけです。 ただ、このようなことを私たちクリスチャンが主張すると、差別だ、と言い出す人が現れないとも限りません。そのような意見を考えてでしょうか、教会の中には、バプテスマを受けていない人にも広く主の晩さんをオープンにする教会もあります。だれでもパンと杯を取れるわけです。しかし私は、どうしてもそのような立場を取ることができません。 それを口にすることは、礼拝に参加したということ以上の意味があります。私はキリストのからだを食べ、キリストの血を飲み、キリストとひとつにしていただいている、つまり、キリストとともに十字架につけられている、自分に死に、キリストに生きる、その誓いをさせていただいている、私はキリストに一生ついていきます、という覚悟がなければ、それを口にすることなど到底できないはずです。主の晩さんとは、そういうものです。 そうだとすると、主の晩さんがクリスチャンにだけ開かれていることは、差別ではないことをご理解いただけると思います。 こんな話もあります。先週お話しした私の友人のことですが、はじめてソウル日本人教会に連れていった日が、なんと、たまたま主の晩さん、聖餐式の日でした。あっちゃー、こういうことで心を閉ざさないかな、私はちょっと心配になり、隣の席に座った友達に、ごめん、洗礼を受けていないと食べられないんだよね、と言いました。すると友達はこう言ったのでした。「あ、食べなくていいのね。」 私はこのことばに、とてもほっとしました。また一方で、友達が主の晩さんの本質をよく理解していたとも思いました。これを食べるということは、神さまに献身していることを表明することである、と。 そう考えると、毎回主の晩さんのたびにお読みしている第一コリント11章27節から29節のみことばの意味がわかってくるのではないかと思います。 ……したがって、もし、ふさわしくない仕方でパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分自身を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。 みからだをわきまえないで食べ、また飲む者は、自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになるのです。 ここでいう「ふさわしくない仕方で」とは何か、ということを考える必要があります。 キリストに従うことも誓えないのに、いかにもクリスチャンとして、何か立派な人であるかのように周りに認められようと振る舞う。それは、いけないことであり、それこそ「ふさわしくない仕方」ということです。いつもの主の晩さんにおいては、この29節につづく30節のみことばはお読みしていませんが、30節には、ふさわしくない仕方でパンと杯にあずかる者がいるせいで、コリント教会には、弱い者や病人、死んだ者が数多く現れたのだ、という、かなりぞっとすることばが続きます。 もしかすると実際コリント教会には、そのような目に見える怖ろしいことが起こっていたのかもしれません。しかし、このみことばをこんにちの教会に当てはめてみると、主への従順を誓えない一方で、教会の中で勝手気ままに振る舞う、宗教儀式を行なってさえいれば何をしてもいいなどと考える……そういう教会、クリスチャンは、病みますし、霊的に死にます。私たちが主の晩さんというものを、単なる宗教儀式のように守りさえすればそれでいいのではないことが、このことからもわかります。 しかしその一方で、ある人はこうおっしゃるかもしれません。自分はバプテスマを受けたとき、実は信仰のことがよくわかっていなかった、ということが、あとになってわかった。いま自分には確信がないことがわかった。そんな自分は主の晩さんを受けて信仰生活を送るにふさわしくないのではないか。 そういうことはよくあるものではないかと思います。私のよく知っているクリスチャンの中にも、バプテスマを受けたときに教会から発行してもらった「証書」を、教会に返しにいこうとした人がいるくらいです。要するに、クリスチャンをやめようとしたわけです。 そこまで極端でなくても、主の晩さんのパンと杯が回ってくるときに、何やら後ろめたい思いに駆られるということもあるわけです。自分はこれをいただいていいのか? 自分はこれをいただけるほど、立派なクリスチャンではないよ? しかし、問われるということは、実は私たちがそれだけ、神さまに拠り頼む道が開けているということで、むしろ歓迎すべきことです。むしろ、なにも考えないでパンと杯を取り、平気な顔をして口にする方がよほど問題です。 私たちは、この目の前にあるパンと杯が、主イエスさまのみからだであり、血潮であると考えたら、平気で口になどできるものでしょうか? むしろ、やめてください、私はふさわしくありません! と、叫び出したくなりはしないでしょうか? しかし、そんな私に、取りて食らえ、とおっしゃるのは、イエスさまご自身です。イエスさまは私たちのことを、十字架の血潮で洗いきよめてくださいました。神がきよめたものをきよくないなどと言う権利はだれにもありません。自分自身にさえありません。自分はけがれているから救われないよ、こんなことを言うべきではありません。自分はけがれているから神さまに救っていただくしかないよ、こう言うべきです。 わたしが十字架の血潮で洗ってあげたあなたこそ、わたしのからだと血潮を口にするにふさわしい、イエスさまご自身がそう言ってくださるのです。私たちはこの恵みに拠り頼んで、今日も主の晩さんにあずかりたいものです。 最後に、今日の箇所で、会堂という大きな集まりを持つ一方の、家という小さな集まりの中でパンを裂いた、すなわち、主の晩さんを持った、ということに注目して、メッセージを締めくくりたいと思います。 イエスさまはかつて、男だけで5000人のような大規模な集会で、彼らを満腹させられるほどのパンと魚を用意されたものでした。しかし、イエスさまが記念せよとおっしゃったのは、そのような大規模な食事会ではありませんでした。あるいは、復活のあとでイエスさまが湖の岸辺でペテロたち、漁から帰ってきた弟子たちをパンと魚の朝ごはんでお迎えになったという、感動的な食事の場面も福音書には記録されていますが、これもイエスさまが記念しなさいとおっしゃったわけではありません。 つまり、イエスさまが記念しなさいとおっしゃったのは、大集会の食事でもなければ、屋外のいわば仕事場の食事でもなかったのです。イエスさまが記念しなさいとおっしゃった食事は、人の家の2階の大広間での食事でした。 そう、家です。家で記念して行いなさい、という意味にならないでしょうか? のちに、主の晩さん、聖餐式は、教会の礼拝堂で行うのがつねになりましたが、本来は、家で行うものであったわけです。 そして、その記念の食事は、初代教会においては、毎日会堂で集まるのとは別の、家々での集まりでなされたわけでした。初代教会における主の晩さんはまさに、教会が家である、家が教会であるという精神の中で行われたわけです。 本来、主の晩さんとは家で行われたものだということを、ここで私たちは考える必要があります。いま私たちは、集まる人数もとても少なく、また、ソーシャル・ディスタンスを意識するので、離ればなれになっているとお思いでしょうか? でも、ここはひとつ、この』とんがり屋根の礼拝堂を、ひとつの大きな家と考えていただきたいのです。 この大きな家において、私たちはキリストのみからだと血潮にあずかっていることを記念して、バプテスマをもって神と人との前に誓約した、イエスさまへの献身の思いを新たにするのです。 私たちの献身の歩みは、一人ひとりでするものではありません。この、水戸第一聖書バプテスト教会の家族にならせていただいているどうし、ともに歩むものです。その誓約にともに連ならせていただいている証しとして、本日の主の晩さんを大切に守りたいものです。

元始、教会は家であったその3~主イエスが奇蹟を起こされる家~

聖書箇所;マルコの福音書2:1~12/メッセージ;元始、教会は家であったその3~主イエスが奇蹟を起こされる家~ 「元始、教会は家であった」シリーズも、本日で3回目となりました。 私は先週、久しぶりに出張して、松戸で行われたセミナーに参加してまいりました。題して「主の弟子訓練指導者セミナー」。弟子訓練の指導者養成のセミナーは、通算で6回目の参加となりましたが、今回はこれまでのセミナーとまったくちがった立ち位置で、しかもまったく違った雰囲気の中で学ぶこととなり、きわめて新鮮な体験をしたものでした。セミナーと銘打たれていましたが、私はお勉強をしたというよりも、むしろ癒やしをいただいたという思いでいっぱいです。 今回のセミナーは、昨今のコロナウイルス流行という情勢により、韓国から先生を招くことができない中、それでも日本人の先生方によって開催しよう、という意思のもと、開かれたものでした。しかし今回は、方法論や技術のような「骨組み」を学んだわけではなく、どこまでも、長年弟子訓練牧会に取り組んでこられた教会、そしてその先生方を通して結ばれた「実」に注目するものでした。私もそのような中で、スタッフでもなく、韓国の先生からでもなく、とてもリラックスして受講でき、それだけでも画期的なものでした。 講義は、先生方が一方的に教えを注入するものではなく、その先生方の牧会のもとにある教会員の証しをふんだんに盛り込んだもので、それだけに説得力がありました。つけ加えれば、その証しをしてくださった兄弟姉妹の中には、むかし私が仙台で暮らしていたとき、共同生活をしていた中学生のお父さん、お母さんがおられ、その頃の彼の生活ぶりをお知らせする貴重な時間も持ちました。 そればかりか、実に18年前までの数年間、一緒に暮らして同じ牧師の牧会訓練のもとにあった、いわば「ムショ仲間」のような兄弟が来てくれて、ほんとうにうれしかったものでした。その「ムショ仲間」の証しを聞いた後、一緒に食事をしながら、あの頃の苦労や、それからの苦労を乗り越えてきたお互いのことをたたえ合ったものでした。 このセミナーの会場となった教会、聖書キリスト教会グレイスホームのことを少しだけお話ししたいと思います。この教会は、岡野俊之先生・めぐみ先生と2人の息子さんのご一家によって、松戸の奥の方の細い坂道だらけの住宅街の端っこ、市街化調整区域に隣接した一戸建ての家、首都圏にしては実にひなびた場所でスタートし、こたつにあたりながら礼拝をするという、とても家庭的な形でスタートを切りました。 今回、この教会に行ってみると、今もなお家庭的な雰囲気は保たれていて、ほんとうに、教会とは家の大きくなったものだということを実感したものでした。 この「家」から、特に、傷ついていた家庭の回復、というわざが多く起こされたことを、あらためて聞かせていただきました。離婚、家庭の不和、家庭内暴力、未信者の親との葛藤……そういったことが、「ただ愛すればいい」、「みことばはこう言っている」という、基礎の基礎に忠実な信仰生活にみなで着実に取り組むことにより、力が与えられ、解決に導かれる……言ってみれば、主イエスなる「まれびと」を迎えた家から奇跡が起こるのです。 本日の聖書箇所は、主イエスなる「まれびと」を迎えることで家、すなわち教会をなす基礎は、いかなる奇蹟を体験するか、そして、家という教会、教会という家は、イエスさまがおられるゆえに、奇蹟を体験する場所であることを、ともにみことばから味わってまいりたいと思います。 1節をご覧ください。イエスさまがおられた場所は、「家」です。イエスさまは、荒野ででも、湖畔ででも、ユダヤ教の会堂ででも、実にいろいろなところにとどまり、教えを宣べられましたが、忘れてはならないのは、「家」で教え、病気のいやしのようなみわざを行われた、ということです。 イエスさまの教えというものは、礼拝堂に来ないと聞けない、教われない、というものではありません。あるいは、礼拝堂で教わる教えが「上」で、家でディボーションや聖書通読などの形で受け取る教えは「下」ということもありません。それぞれのご家庭は、イエスさまがとどまられ、教えを語られる場所です。 だまされたと思ってやってみていただきたいのですが、まだの方でクリスチャンホームの方は、ご家庭で聖書を開き、ご家族の方と一緒に家庭礼拝を持ってみてください。そこでイエスさまに教えられる体験は、礼拝堂で一方的にみことばを聞く体験とは、一味も二味も違ったものとなり、その教えに心から嬉しくなるとともに、家族がみことばによって結び合わされる恵みの喜びを体験すること請け合いです。 しかし、イエスさまの恵みをいただく家庭は、その恵みを家族だけで独占しないで、外に向けても公開したいと思うようになります。今日の箇所の家庭も、イエスさまの教えをどうか聴いてください、と、家を公開しました。すると、押すな押すなの大騒ぎ、イエスさまを一目見たい、イエスさまの御声を聞きたい、さわっていただいていやされたい、そんな人が押しかけました。 家を開放する人は、なにも難しい聖書勉強が導けないといけないわけではありません。イエスさまがここにおられるから、楽しいから、うれしいから、ここに来てみてください、そんな思いさえ持てていれば、だれでも家をオープンにできます。そして、そこが教会になるのです。 今はもちろん、いろいろな理由で、人をお招きすることにためらいを覚えていらっしゃるかもしれません。しかし、それならそれで、いずれの日にかお招きできる日を主が来たらせてくださるように、お祈りすることです。その前提で、今日のメッセージを聴いていただければと思います。 この教会の礼拝堂は東茨城郡茨城町にありますが、それは「教会」が茨城町にある、ということとイコールではありません。おわかりでしょうか? 水戸第一聖書バプテスト教会は、みなさまのお住まいの家もその一部です。ということは、水戸市にもあります、鉾田市にもあります、石岡市にもあります、那珂市にもあります……県庁所在地を中心に、茨城県央の極めて広範囲に「水戸第一聖書バプテスト教会」は存在するわけです。お友達やご親戚を教会に招く、ということを、茨城町長岡の礼拝堂に招くことに限定しないで考えていただきたいのです。それぞれのおうちはイエスさまのおられる教会であり、そこに、コロナを気にしないでやってくるような、親しいお友達やご親戚をお招きするのです。 聖書の話に戻りますと、この家の教会が押すな押すなの大盛況となっている中、イエスさま目指してまっしぐらの人たちがいました。中風の人1人と、その人を寝床に乗せたまま担いで運ぶ4人の人でした。 4人というのがポイントです。ひとりの人をイエスさまのもとに運ぶには、4人の人が必要だったということです。これは、ひとりの人を救いに導くには、最低でもそれだけの人が必要であるという示唆を、私たちに与えてくれてはいないでしょうか? 私は高校生のとき、友達に伝道したい一心で、日本武道館で行われた本田弘慈先生の伝道集会に、仲のよかった同級生を2人連れていきました。しかし、1人に対して2人です。だめでした。結局、集会後はその2人のペースで話が進み、個人伝道どころではありませんでした。 これに懲りた私は、考えを変えました。のちに私は大学生になって、韓国に留学しました。そのとき、やはり同じ時期に、同じ大学の学科の友達が韓国に留学しました。伝道しなくては! 私はその友達をソウル日本人教会という教会に誘い、「四つの法則」という伝道ブックレットを読み聞かせました。 しかしその友達のことを、ほんとうにイエスさまを信じる信仰に導いた、つまりイエスさまを救い主と受け入れる祈りを導いたのは、私ではなく、私がその友達に紹介した、宣教団体のスタッフでした。 それだけではなく、その友達は好きなクリスチャンの若者ができて、その若者が聖歌隊員をしている教会に通いはじめてもいました。午前はその教会で聖歌隊席のそばに座って礼拝し、午後はソウル日本人教会で礼拝し、といった具合です。 さらに、その友達は韓国舞踊も習っていましたが、その舞踊教室の先生も熱心なクリスチャンで、とてもよく祈る人でした。これだけでも、私を含めて4人です。 というわけで、ひとりの人をしっかり救いに導くには、少なくとも4人の人が霊的に一致する、すなわちその人の救いを祈るということで一致することが必要だと、私は経験をもって教えていただきました。 一致。それはひとりの人を救いたいという思いで一致することです。中風の人を担いだ4人の人も、急いでいました。しかし、急ぐのと同時に、この人を寝床から落としてはならないから、バランスを崩さず、息を合わせて運ぶ必要もありました。その一致……それは、イエスさまのもとに連れていこう、ということで一致することでした。 家を開放してだれかを伝道したいと思うのはとても結構なことですが、そのような場合でも、伝道は特定の人の頑張り、個人プレーではないことに留意したいものです。家の交わりにおいて、最低4人の主を信じる人がたましいの救いを祈り、人をイエスさまのもとに迎える姿勢が必要であろうということが、この箇所からもヒントとして受け取れます。そういえば松戸の岡野先生による開拓教会も、岡野先生、奥様、そして2人の息子さんの、合わせて4人からスタートして、こんにちの素晴らしい教会につながっています。 聖書に戻ります。やってきたのはいいですが、人がいっぱいで、入れません。そこで彼らが考えたこと……屋根に上って瓦をはがし、そこから吊り降ろす、ということです。 大胆不敵というか、なんというか……ひとんちの屋根を壊すなんて、なんともすごいことをしたものです。しかし、彼らは必死であり、本気でした。イエスさまによってこの人が救われるためなら、家を壊そうが構うものか! そしてその本気の取り組みを、イエスさまはお叱りになるどころか、受け入れてくださったのでした。 たましいの救いは、すべてに優先します。家が壊れようがどうなろうが、それでもその人を愛して受け入れるなら、やがてはその人の救いにつながります。もし私たちが、イエスさまに会っていただきたい一心で、家にお客さんを迎えるとき、もしそのお客さんの連れてきた子どもさんが、クレヨンで壁に落書きしたり、障子やふすまに穴を開けたりしたら、どうしますか? 怒りますか? それとも、そんなことはいやだからと、はなから家に招きませんか? ある、子どもの働きで全国的に有名な教会の牧師先生は、もしあなたが子ども伝道に献身したいなら、礼拝堂の壁が汚れることを恐れてはいけない、という意味のことを語りました。子どもが礼拝堂にやってきて、自由にしたいのに、あれをやっちゃダメ、これをしてはいけない、などと、いちいちがみがみやられたら、もうその子には教会の中に居場所はありません。そんなことでどうやって、子どもに伝道するのでしょうか? ただ、大人の言うことに従順に従い、手がかかりさえしなければいいのでしょうか? そんな子どもがどれほどいるというのでしょうか? そんなことでは、果たしてほんとうの意味でイエスさまに出会ってもらうことなどできるのでしょうか? ただ、やはり多くの教会の場合、礼拝堂というものをそこまで自由に使わせる勇気はありません。それは理解しなければならないでしょう。それでも、家ならばどうでしょうか? 家は、礼拝堂以上にくつろげる場所であるべきでしょう。礼拝堂は不特定多数が集まりますが、家は、家の主人が許可して初めて入れる場所である一方で、入れてもらえるだけのリラックスした環境を提供してもらえる場所です。 イエスさまが教えを語られたその家にも主人はいました。しかし、その主人にとっての主人は、そこにおられるイエスさまでした。この中風の人を吊り降ろすためにひとんちの屋根をはがした行為は、イエスさまが受け入れてくださっている以上、してはならないことではなく、許されていることです。 同じように、家をとおしてのたましいの救いに関しては、たとえば連れてきた子どもが暴れたとか、ものを壊したとか、ちょっとしたアクシデントはつきものです。それをしつけるのはいいとして、力で押さえつけることはありません。とにかく、ありのままを受け入れ、愛することです。 さあ、イエスさまはこの吊り降ろされた患者に対して、「子よ、あなたの罪は赦された」と宣言されました。イエスさまは実に、人の罪を赦し、ご自身のみもとに引き寄せ、永遠のいのちを与えてくださるお方です。かくして、この4人の人の努力は、このたましいが救われるという形で報われたのでした。 これが、イエスさまのお働きの究極の形です。「ジーザス」のような映画を観たりして、イエスさまとはどういうお方を未信者の人が知ろうとすると、どうしても、病人をいやしたとか、悪霊を追い出したとか、わかりやすい奇蹟にばかり目が行きがちですが、ほんとうにイエスさまがなさったことは、たましいを救い、神の子どもとし、天国の民にしてくださるということです。 しかしこの家の教会、パリサイ人がまぎれていました。なぜ彼らはそこにいたのか、イエスさまの教えを素直に聞いて教わろうとするためか、それとも、ことばじりを捉えて訴えるためか、そこまでは聖書に書いてありませんが、パリサイ人ならいかにも考えそうなことを考えました。罪を赦すのは神おひとりではないか、このイエスは何者だ、神を冒瀆しているではないか。 イエスさまがどんなお方かわからないから、イエスさまのことを誤解したり、はなはだしくは批判したりする人というのは、クリスチャンがその交わりを未信者に対して開放しているかぎり、入ってくるものです。そういう、イエスさまのことがよくわからないような人は、イエスさまが「神々しい」人だとか「神がかった」人とは思うかもしれませんが、「神さま」とまでは思わないわけで、イエスさまが神さまであるという前提の話し合いがなされると、つまずくわけです。 しかし、そういう人たちも、家の教会を通してイエスさまとはどんなお方かを知るようになるのです。イエスさまは、ご自身がこのことばを言う資格があるお方だということを、はっきり示されました。9節です。 ……このことばを聞いて、恐らくそこにいた人たちは、ぎょっとしたのではないでしょうか。なるほど、罪を赦すお方は神おひとりですが、このような手の施しようのない病人をいやすことがおできになるのも、神おひとりです。中風の人も、その人を運んできた4人の人も、イエスさまはそれができる神さまであると信じたからこそ、運んできたのではないでしょうか。 いや、よしんば、人気者のイエスさまのことばを単にこの病人に聞いてもらいたいから、という理由であったとしても、イエスさまに出会えるだけでこの絶望的な病人は生き生きする、と信じていたからこそ、大変な思いをして運んできたのではないでしょうか。みんな、イエスさまを信じていたのです。しかし、それをほんとうになさる現場に居合わせようとは……彼らは恐れに打たれるのと同時に、期待に胸を膨らませたにちがいありません。 パリサイ人はそれとはちがいました。自分は神さまのことをよく知っていた気になっていました。だが、聖書の啓示する神の子イエス・キリストのことは、何にもわかっていませんでした。そして、そんな宗教指導者たちに、ユダヤの社会共同体は毒されていました。イエスさまはそんな彼らに対し、ご自身が、人の罪を赦す救い主であり、人の罪をいやす癒やし主である、すなわち神であることを、はっきりお示しになったのでした。 家の教会とは、目に見える奇蹟の起こされる場所です。その最大の奇蹟は、罪人がイエスさまを主と信じ、その罪が赦され、神の子とされ、永遠のいのちが与えられる、ということです。みこころにかなえば、病気だって癒やしていただく奇蹟が与えられます。経済的な行き詰まり、家族関係や職場生活をはじめとした人間関係のトラブルも解決に導かれる奇蹟を体験します。 ただしこれは、家の中のような小さな単位で、秘密が絶対的に守られる中で、オープンに語り合うことを通して実現することです。こういう神さまのお取り扱いを受けることは、礼拝堂での日曜礼拝のような大きな単位での集会、双方向ではなく一方的な集会を通しては、とても難しいことです。しかし、それぞれのご家庭が開かれるならば、とてもやりやすくなります。私はここに、それぞれのご家庭を舞台に、イエスさまに向けたたましいの救いへの協力がなされ、救霊という大いなる奇蹟を体験する「家の教会」というものを、提唱したいと思います。 みなさま、コロナの流行は、多くの教会で、ともに集まることをためらわせました。しかしそれでも、変わらずに人が集まる場所があります。それは、家庭です。家庭を、イエスさまを中心に迎えた場所として、大事にしていただきたいのです。そしてこの家庭が魅力的ならば、人は集まってきます。今はコロナ流行で、家を開放するには主の時ではないとお考えかもしれません。そのお考えは尊重されるべきです。しかしそれでも、今から祈って主の時を待ち望みつつ、備えていただきたいのです。そのときが、たましいの救いに向かって前進するときです。 この働きに用いられることは、私たちにとっては癒しです。私たちもまた、みんなと一緒にイエスさまに会って、触れていただくからです。時には横たわった患者のよう、時にはその患者をイエスさまのもとに運ぶ人のよう、しかし私たちは家において、イエスさまだけが与えてくださる罪の赦し、いやしをいただきます。感謝したいと思います。

元始、教会は家であった その2~主イエスを家庭に招き入れる~

メッセージ;元始、教会は家であった その2~主イエスを家庭に招き入れる~  私ども夫婦は韓国に住んでいた頃、外国人に料理を教えながら宣教する、山内さんという名前の若い女性の友達がいました。彼女は国籍は日本でしたが、韓国の名前を持っていて、ハングルで印刷された名刺もいただきました。「イェ・マルタ」という名前でした。苗字の「イェ」は、イエスさまという意味だそうで、マルタ、は、彼女のお師匠さんにあたる韓国料理研究家の女性が名づけました。私どもはこの名刺を眺めながら、へえ、マルタって名乗る人もいるもんだな、面白いな、と思ったものでした。  こんなことを思うのも、彼女はとても可愛らしい印象を与える人で、マルタという名前との取り合わせが妙だったからです。なんだか聖書を読むと、マルタは妹のマリアに比べるとちょっと可愛くない印象を受けると思いませんか? アメリカやイギリスには、メアリーさんはいっぱいいても、マーサさんはそこまではいません。有名人でも、カリスマ主婦のマーサ・スチュアートくらいしか知りません。彼女はカリスマ主婦ですから、マーサというお名前がよく似合いだと思いますが、みなさんはいかがでしょうか?  まあ、それはともかく、本日お読みしました本文、これは、マルタとマリアの姉妹の物語です。少し前に、彼女たちの兄弟のラザロのよみがえりから私たちは学びましたが、この姉妹は察するに、親がいません。男手のラザロに稼ぎを頼っていたと推測できます。  この姉妹は、イエスさまにとってどんな立場だったのでしょうか? イエスさまと人々の関係は大きく分けて、「群衆」と「弟子」に分けられます。イエスさまのあとをぞろぞろとついていくけれども、結局はイエスさまから離れてしまうような人たちは「群衆」です。まるでそれは、あまり賢いとは言えない羊の群れのようです。 言ってみればユダヤ人の群衆の間で「イエスさまブーム」が起こるわけです。ブームだから乗り遅れないように、と、ぞろぞろとイエスさまについていくのです。しかしこれでは、何かあったらイエスさまへの信仰をなくしてしまいます。そういうことは何度もあったことが、福音書を読めばわかります。残念なことですが、こういう方は古今東西存在しつづけて、現代の日本の教会にもいるものです。 これに対して「弟子」は、イエスさまについていくと決めたら、一生イエスさまについていく人です。こういう人は、他人がどうあれ、イエスさまについていくということにおいてはぶれません。厳しい訓練にも飛び込んでいきます。そして、率先して神さまのご栄光を顕していくようになります。 聖書というものは、「群れ」ではなく「弟子」という存在を念頭に置いて書かれています。神さまのみこころは、私たち人間が「群れ」で終わるのではなく、「弟子」として、一生イエスさまについていくことです。 しかしこの、マルタとマリア、ラザロの三きょうだいを見てみますと、この3人は「群れ」や「弟子」というカテゴリーに入りきらない存在のようです。牧師や神学者の先輩方は、この三きょうだいのことを、イエスさまの「友」または「友だち」と呼んでいます。 イエスさまに友にしていただけることは、とてもすてきなことです。ヨハネの福音書15章、13節から15節をお読みしましょう。 イエスさまは私たちの友だから、大事な友である私たちのためにいのちを捨ててくださったのです。イエスさまご自身が私たちのことを、もうわたしのしもべではない、わたしの友だ、と言ってくださったのです。あなたはわたしの友だから、わたしの父である神さまのみこころを、全部あなたに知らせよう……。 そのように、イエスさまが友として選び、そのみこころを余すところなく知らせた存在、それがマルタであり、マリアであり、ラザロであったわけです。 私たちはイエスさまの弟子として召されていると信じていますでしょうか? その召しのとおり、私たちは主の弟子でありたいものですが、それ以前に、イエスさまの「友」です。でも、言うまでもないことですが、私たちがイエスさまのことを「友」にしたわけではありません。そんなのは畏れ多いことです。私たちはイエスさまに、「友」としていただいた存在です。 私たちなどイエスさまの足もとにひれ伏すしかない者たちです。近づくこともできない者たちです。それを友として選んでいただいたとは、そのもったいない恵みに、ただ感謝するしかありません。 そんな私たちにとって、マルタ、マリア、ラザロの三きょうだいは、モデルです。イエスさまに愛された、友にしていただいた、という点で、モデルです。私はメッセージでよく、愛する上でのモデル、ということを語ってまいりましたが、「愛されるモデル」というのがあってもいいと思います。 愛されるということがなぜモデルとなるのでしょうか? それは、私たちは、愛されていることが実感できて初めて、愛することが実行できるようになるからです。愛なる神をもっとよく体験することが、私たちにとって必要ではないでしょうか。 それでは、イエスさまはこのきょうだいに対し、どのように愛を行われたか、その愛にきょうだいは、どのようにお応えしたか、実際に見てみましょう。 第一にイエスさまは、きょうだいの家を訪問してくださいました。 とはいいましても、イエスさまとその一行はマルタの招きを受けて家に入っていらっしゃいます。このきょうだいは、ぜひともおうちにイエスさまをお招きしたい! その思いであふれていました。 私たちがイエスさまを迎え入れたいという思いにあふれるならば、それは素敵なことです。私たちはときに、隠しておきたい事情があったりするならば、それがほかの人にはもちろんのこと、教会の交わりにも、家族に対してさえも、堂々とは話せないものです。 しかし、家族であれ、教会であれ、交わりの中心にイエスさまをお迎えしているという意識にあふれているならば、私たちの交わりはとてもオープンなものとなりますし、その交わりを通して、私たちは、いやし主なるイエスさまの癒やしを体験します。 想像力をたくましくしますと、このきょうだいの家族は、父親も母親もなく、三人で肩寄せ合って暮らしているところからして、愛に飢えていた、と言えるでしょう。また、この2人の姉妹は未婚でもあり、社会からは好奇の目にさらされたり、疎外されたりといったことも有り得たでしょう。それなのに、結婚するような機会は巡ってこない……どれほどつらかったことでしょうか。そんなきょうだいが肩寄せ合って暮らしていたのです。 そんな彼らでしたが、イエスさまをお迎えすることで、もう寂しくない、私たちは神さまの愛で愛されている、この思いに満たされることができたのでした。イエスさまもそんな彼らの家に、喜んで入っていってくださったのです。 また、この家を訪問したのは、イエスさまだけではありません。弟子たちもいっしょでした。これで、マルタとマリアの家は、あっという間に教会になりました。はい、まさしく、家が教会なのです。 私たちはここで、恵まれるうえでの2段階を見ることができます。第一に、家にイエスさまを迎え入れる、そして第二に、家にイエスさまの弟子たちを迎え入れる、ということです。 まず、マルタとマリアは、ペテロやヤコブやヨハネに会いたかったというよりも、言うまでもなく、イエスさまに会いたかったのでした。もちろん、ペテロたちに会えてもうれしくはあったでしょう。しかし、ペテロたちに会えてうれしかったのは、彼らがイエスさまの弟子だからであり、イエスさま抜きで彼らに会っても、そこまでうれしかったでしょうか。 私たちはですから、家庭での交わりに、イエスさまをお迎えしているという大前提が必要です。今、ご家族でクリスチャンはおひとりとか、やむを得ない事情でその家族での交わりにイエスさまを迎えられないという方は、ぜひとも、ご家族がイエスさまを迎える家族になれるように、お祈りしていただきたいのです。家族の救いというものは、もちろん、愛する家族にイエスさまを知ってほしいから、祈るものではあります。しかしそれ以上に、イエスさまが私たちの家に訪ねてきたいという、その御思いにお応えするためです。 ヨハネの黙示録、3章20節をお読みしましょう。……イエスさまがともに食卓に着き、私たちのつくった食べ物を食べてくださると想像してください! それはどれほどうれしい食卓でしょうか? 私たちが食事のとき、イエスさまの御名によってお祈りするということは、イエスさまに一緒に食卓に着いていただき、食事を取っていただくということです。私たちの食卓は果たして、イエスさまをお迎えするにふさわしい交わりとなっていますでしょうか? 砂を噛むような味気ない食卓になっていないでしょうか? この世的な話題、あるいは教会の人間関係のゴシップも含めた噺でなら盛り上がれても、主の恵みは分かち合えないではいないでしょうか? イエスさまが席についてくださる。語ってくださる。私たちは家庭であれ、教会であれ、交わりの中にイエスさまをお迎えしている。そんな家庭の交わり、教会の交わりとなるように、祈ってまいりましょう。私たちの語ることばが導かれますように、祈ってまいりたいと思います。 もうひとつ、イエスさまはどのようにこの家族に臨んでくださったのでしょうか? それは、マルタのことを、主の子どもらしく整えてくださる、という形でです。 マルタは、手伝ってくれないマリアにいらいらしていました。しかし、マルタは直接、マリアに「手伝ってよ!」ということはしませんでした。イエスさまに言いつけたのでした。 しかしイエスさまはそんなマルタを、優しく叱ってくださいました。理由は3つあります。まず、マルタはいろいろなことに心が乱れていたから、次に、ほんとうに必要なことはひとつだけだということをマルタは見失っていたから、そして、マリアからそのよいものを取り去ってはいけないから、です。 マルタがいろいろなことに心が乱れていた、とは、どういうことでしょうか? マルタが奉仕をして、イエスさまとその一行をもてなすことはとても素晴らしいことです。しかしいつの間にか、マルタには、奉仕することそのものしか見えなくなってしまっていました。 本来ならば、イエスさまを迎える際には、もっと落ち着いていてしかるべきだったのではないでしょうか? 先に食事をあらかじめ用意して、いざイエスさまをお迎えしたらすべきことを極力最小限にするなどしてです。しかしマルタは、とにかく最上のもてなしをしなくては、その思いにとらわれて、忙しくしすぎて、イエスさまの喜ばれることを見失っていたのでした。 そこで、ほんとうに必要なものとは何か、ということを考えましょう。それは、イエスさまのお気持ちです。ここでイエスさまは、マルタがつくってさしあげた料理を召し上がるわけです。しかし、イエスさまにとってのほんとうの食べ物とは何かが、ヨハネの福音書4章34節に語られています。それは、「わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです」ということです。 イエスさまは、ご自身がお休みになり、おいしい食べ物に舌鼓を打たれるならば、それで満足されるわけではありません。愛する友だちが、不満を抱えたまま忙しく立ち働くのを見ていては、ひとことおっしゃらなくてはならなかったのでした。 感謝なことに、マルタはこのとき、イエスさまのお声に耳を傾けて、忙しくてたまらなかった手をしばし休めることができました。そして、自分がどんなに、休ませてあげよう、というみこころを人に対して持っていらっしゃるイエスさまのお心がわからなくなっていたか、悔い改めに導かれたにちがいありません。 お掃除にしても、ごはんづくりにしてもそうですが、からだを使って行う奉仕というものは、疲れます。疲れてくると、疲れもせずに休んでいるように見える人が目に入ってきます。それは、人を批判し、さばく誘惑にさらされている、ということになりはしないでしょうか? しかしそのときから、私たちは「休ませてあげよう」というイエスさまの御声が聞こえなくなりかかっている、ということになるのです。これは家庭生活、教会生活の黄信号です。疲れてきたら、人を気にしないで、休む勇気も必要です。それでこそ、主の御前に憩いを得ることができるのです。 もうひとつ、奉仕はとても素晴らしいものですが、その奉仕そのものが目的となって、せっかくイエスさまがその場にいてくださっているという、その恵みを見失ってしまうようでは困ります。せっかくイエスさまが語られ、マリアがその足元でじっと耳を傾けているというのに、やれお水だ、ぶどう酒だ、ごちそうだ……などと、ばたばたお給仕するようでは、果たしてイエスさまはお喜びになったでしょうか? そうです、マルタのこの心乱れた奉仕は、みことばが語られる、この礼拝の雰囲気に大いに水を差すものになっていたのでした。この点でも、マリアが選んだよいもの、たったひとつの必要なものであった、礼拝が、無残にもマルタの手によって取り上げられようとしていて、それをイエスさまがストップされたというわけでした。 では、マリアの方はどうなのでしょうか? マリアは、マルタの性格をよく知っていたはずです。お手伝いしなければ叱られるかもしれない。しかし、イエスさまが来てくださったことによって、思いはイエスさまに集中しきりました。イエスさまが私に対してお喜びになることは奉仕ではない、みことばに耳を傾けることだ……。 奉仕は素晴らしいです。家事は素晴らしいです。料理が作られて人は肉体と情緒が養われ、掃除や片づけがなされてそこにいる人の気持ちがすっきりします。しかしそれも、イエスさまへの礼拝、みことばに耳を傾けることがあってこそです。それをしないでする奉仕は、心を乱すことにしかなりません。自分の心を乱すだけではありません。そこにいて、主のみことばに耳を傾けている人の心もです。 ここまでお話ししましたが、奉仕をするマルタと、みことばを聞くマリアは、どちらがすぐれているか、という問題ではないことをご理解いただけますでしょうか? どちらも素晴らしいことです。しかし、奉仕が礼拝の妨げとなるなら、これはいけません。自分の不満になっても問題ですし、人に対するおせっかいになっても問題です。 しかし何よりも、私たちはこのような、家庭生活にせよ教会生活にせよ、その生活においていちばんに意識すべきは、イエスさまが私たちに対して、どのようなみこころを持っていらっしゃるかです。 いったい、私たちが奉仕のし過ぎで苦しくなることを、イエスさまは願っていらっしゃるだろうか? その前に、「休ませてあげよう」という御声に私たちが素直に聞き従うならば、どんなにかよいことでしょうか? 家庭にせよ教会にせよ、私たちは集団で生活するわけです。しかし、私たちが集団なのは、お互いを見て比較するためではありません。一緒に、イエスさまの御前に行くためです。そのための奉仕です。これを間違えてはなりません。 そこで私たちは、主の御前に静まって、自分自身を省みたいと思います。私たちはイエスさまよりも、人が見えてしまっていなかったか? そのために、疲れていなかったか? イエスさまの御声を聞きましょう。イエスさまはそんな私たちを、慰めてくださいます。休ませてくださいます。 しばらく静まって祈りましょう。私たちはあまりにも忙しくしていなかったでしょうか? この礼拝に臨むときにも、家でやり残してきた家事や、ふだんのお仕事のことなど、気になって仕方がないことがあったりしなかったでしょうか? しかし、私たちが今ここにいるのは、習慣、ルーティン・ワークとしてではありません。このような私たちの弱さをすべてご存じの上で、なお私たちを愛し、守ってくださる、主に心からの礼拝をささげるためです。それは自分だけの礼拝ではありません。ともにささげる礼拝のためにです。 イエスさまが、このような私たちの教会に、家庭に入ってきてくださり、私たちを治めてくださることを感謝いたしましょう。私たちも、イエスさまをお迎えする喜びに満たされてまいりましょう。

「元始、教会は家であった その1~監督の徳目」

聖書箇所;テモテへの手紙第一3:1~7/メッセージ題目;「元始、教会は家であった その1~監督の徳目」  信仰の父アブラハムについての学びは、先週でひとまず区切りといたします。24章からは、アブラハムからイサクへと主人公が移っていきますが、イサク、またその息子ヤコブについては、時を改めて学びたいと思います。  街にはクリスマスソングが流れ、年賀状の広告があちこちで見られています。いよいよ今年も押し詰まっているこのとき、あらためて、教会を構成する要素である「家」というものの持つ意味を、聖書のいろいろな箇所から学んでみたいと思います。  先週私ども夫婦は、「家の教会コンベンション」というものに参加させていただきました。オンラインでの参加でしたが、自宅でパソコンをつけて講義を聴くのは、なかなか楽しいものでした。それはともかく、私どもはあらためて、家の教会による教会形成におけるたくさんの示唆をいただき、恵まれると同時に多くのチャレンジをいただくひとときとなったのでした。  「家の教会」は、教会を構成するそれぞれの家庭の発展形と言えます。みなさん、今年初めの総会でお配りした「年報」の、牧会指針のページに書いたことをご記憶でしょうか? 「家庭礼拝の充実」ということを挙げさせていただきました。クリスチャンホームの方は、週に1回でも家庭礼拝の時間を持ちましょう、と奨励させていただいたのでした。  ところがあの総会から間もなく、たいへんな事態が起こりました。言うまでもありません、コロナ流行。しかしこのことにより、私たちはステイホームの生活の中、家庭において教会を形成するということ、それ以上に、家庭とは教会の一部である、ということを、いやでも意識したのではないでしょうか。  そこで、コロナに揺れに揺れたこの年を締めくくるにあたり、家とは教会である、というお話を、シリーズでメッセージさせていただこうと思います。  題して、「元始、教会は家であった」。婦人運動家、平塚らいてうのことば、「元始、女性は実に太陽であった」という、有名なことばのパロディです。  「元始、教会は実に家であった」。私たちは教会といいますと、礼拝堂という建物を連想し、礼拝とは、礼拝堂に集まることだと真っ先に思わないでしょうか。もちろん、そのとおりです。 ところが本来、教会とはそういうのもではありませんでした。教会とは、はじめのはじめ、礼拝堂のような大きなスペースにだけ集まる集合体ではありませんでした。 私たちは、新約聖書の教える教会とは何か、ということを確かめることで、イエスさまが願っていらっしゃる本来の教会の姿、原点に立ち戻ることをしてまいりたいと思います。 ひとことで言います。新約聖書の教会は「家」です。新約聖書の中で「ローマ人への手紙」から「ユダの手紙」までの、合計21の「手紙類」は、現在進行形の教会形成に必須の内容でしたが、ここでいう「教会」は、現代に存在する大きな礼拝堂の「教会」ではありません。手紙類を読む大前提として、これらの手紙類が「家」に宛てられたものであることを、私たちは理解する必要があります。  コリント人への手紙第一、16章19節をご覧ください。「アキラとプリスカ、また彼らの家にある教会が、主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています。」アキラとプリスカが自宅を提供して、そこに人々が集まっていたわけです。 コロサイ人への手紙4章15節も、ニンパと彼女の家にある教会によろしく、とあります。ピレモンへの手紙は、ずばり、その宛先が、2節にあるとおり、ピレモンの家にある教会、つまり、ピレモンが家を解放して持っている教会であることがわかります。 手紙類をはじめ、新約聖書は、そのように家々に集まったクリスチャンたちを対象に書かれたものであるわけで、その前提で読むべきものです。そこで本日私たちが考えたいこと、それは、クリスチャンの共同体なる教会の、そのコアにあたる、家庭、その発展形としての家の教会についてです。 さきほども申しましたが、教会というものは、家庭の大きくなったものです。あるいは、家庭の延長線上にあるものです。言うなれば、個人の集まりが家庭、家庭の集まりが家の教会、家の教会の集まりが公的な礼拝、となろうかと思います。 私はうちの教会を牧会して7年目になりましたが、うちの教会の大きな特色は、礼拝において、家族ごとに座る傾向がとても強い、ということです。これはとてもすばらしいことではないかと思います。これはうちの教会が、それぞれの家族、クリスチャンホームの集合体としての教会を形成している、ということであり、聖書的に見ても理想的な教会のあり方ではないかと考えます。 本日の箇所、テモテへの手紙第一3章1節から7節は、監督、つまり家の教会の信徒たちをケアする役割の人は、いかにあるべきか、それを語る中で、彼らの品性や、彼らの家庭のあり方が問われています。 聖書でいう監督というと、こんにちにおいては一般的に「牧師」、「牧会者」という意味に解釈されています。もちろん、それも間違いではありません。しかし、監督の条件であるこの箇所のみことばに当てはまる人は、フルタイムで有給の牧会者にかぎらないのではないでしょうか? この条件が当てはまる人でも、牧師という肩書を持っていないならば、せっかく書かれたこのみことばも、その人には関係がないということになるのでしょうか? 私は、そうではないと解釈します。信徒とは、フルタイムの教会献身者ではない形で教会を構成する人ですが、本来、教会の主体は信徒です。信徒は教会の主体ですから、牧会の働きが担えるのです。伝道と弟子づくりに取り組むことができるのです。 取り組むことができる、どころではありません。伝道にしても弟子づくりにしても、本来、信徒が担ってしかるべきものです。ほんとうの問題は、それで信徒が忙しくなることではありません。問題は、信徒が取り組んで得られるその喜びを、牧師が奪い、独占してしまっていたことです。私も含め、牧師はそのことを、もっと悔い改める必要があります。 そこで今日の箇所の「監督」というものは、少なくとも家庭という形で教会を構成している私たち一人ひとりに当てはめて考えていただきたい課題です。 この、監督の備えるべき徳目として列挙された品性は、クリスチャンであるなしに関わらず、すばらしいもの、備えるべきものであるということに、異論のある人はいないでしょう。しかし、それだけならば、キリスト教は倫理を教えるものでしかなくなります。 ここでこれだけ徳目が列挙されているのは、家を中心として教会が形成されることと、深い関係があります。したがって、家を中心とした教会形成と関連づけて、これらの徳目はひとつひとつ理解される必要があります。それでは、見てまいりたいと思います。 まず、監督の働きは、1節にあるとおり「立派な働き」です。それは異存ないところでしょう。しかし、「立派」というのは、世の中の人たちが求める「立派」というものと、必ずしも一致しません。人々の上に立って支配し、横柄に振る舞ってはばからないことを「立派」と、世の人たちは思うかもしれません。しかしそうではなく、「仕える」ことでその人は「立派」なのです。 イエスさまというお方が「立派」なのはもちろんです。しかしイエスさまは、なぜ「立派」なのでしょうか? イエスさまは、人々を横柄な態度で支配するようなお方でしょうか? まったくちがいます。弟子たちの足を、それこそしもべのようになって洗ってくださるお方です。低くなってへりくだる。しかし、神の国に属する私たちは、そんなイエスさまのことを「立派」と思うでしょう。 そうです。へりくだるリーダーだから、監督は「立派」なのです。イエスさまがそうなさったように、へりくだることが、リーダーのいちばんの条件です。 では、家族の中で監督の役割を果たすリーダーはだれでしょうか? お父さんであり、夫です。夫たる男は、キリストの栄光の現れであることを、理解する必要があります。だから、キリストがへりくだられたように、へりくだることです。それでこそ立派な男性なのです。 とは言いましても、ご家庭によっては、家長でいらっしゃる男性がまだイエスさまを信じておられないケースもおありでしょう。それでも、ここにいらしている方は、それぞれのご家庭において主のご栄光を顕し、とりなして祈ることにおいて、主から霊的主導権が託されていることを記憶していただきたいのです。 その前提で、第一テモテ3章を読み進めてまいりますが、2節に入りまして、そういう人は、非難されるところがないことも条件になります。 もちろん、法律を犯したとか、倫理的にとても許されないことに手を染めたとかは論外です。しかしそうでないとしても、私たちはいつ、どんなときにも清廉潔白ということはありえるでしょうか? どこかでほころびがあるものです。それを指摘されたならば、非難された、ということになりはしないでしょうか? もしそうならば、非難されるところがない、という条件に当てはまる人などいるのでしょうか? そこで、家長にせよ、教会のリーダーにせよ、すべきことがあります。非難はされるでしょう。でも、非難されたままにしないことです。非難されるようなことがあったならば、神と人の前に悔い改めることです。いけないのは、開き直って、家庭であれ、教会であれ、共同体の中にいつまでも、非難の根を残したままにすることです。 一人の妻の夫……これは、テモテが任されていたエペソのような異邦人の社会においては、特に問われるところでしょうが、これは、性的に潔白であるということです。これはクリスチャンとして、つまり、共同体を預かるリーダーとして、必須の条件です。ひとりの配偶者以外の人に性的に惹かれるようなことがない、それが条件です。自分を制し……感情の赴くままのクリスチャンというのがたまにいて、そういう人は、何をやってもイエスさまに許されている、とうそぶき、勝手なことをします。とんでもないことです。罪が十字架につけられたなら、もはや罪に対して死んだ者であり、肉的な感情の赴くままに生きるということは矛盾します。御霊に満たされている人なら、自制、という、御霊の実を結んでしかるべきです。この自制が、家庭にはじまり、教会にまで影響を及ぼすのです。 慎み深く……つまり、神さまがおのおのに与えてくださった限度を超えず、それぞれの信仰の量りに応じて謙遜な態度を保つ、要するに、思い上がらないことです。これは、教会はもちろんのこと、家庭でも必要な態度です。この、慎み深いということにつきましては、後日、日を改めましてお話しさせていただこうと思います。 礼儀正しく……愛は礼儀に反することをしないと、第一コリント13章の「愛の章」にあります。愛は、相手を尊重し、尊敬すること、礼儀という形で実を結ぶものです。この「礼儀」は、親しき中にも礼儀あり、と言いますが、家族の中にもあってしかるべきです。子どもが礼儀をわきまえた人になるには、親が、礼儀正しい姿を忍耐強く示すことです。 よくもてなし……信仰が成熟して愛の人になるということは、人を実際にもてなすという形で実を結びます。愛というものは、自分の中で完結するものではなく、相手あってのものです。今、コロナウイルス流行でおいそれと人を招けなくなっていると思うかもしれませんが、それでも私たちには最低限、顔と顔を合わせて交わりを持つ人はいるはずです。 ひとつ屋根の下に暮らす家族は、その最たる存在でしょう。あるいは、よほど親しい人なら、コロナということを気にしないで訪ねてきてくれるかもしれません。もちろん、三密ですとか、防疫に努めることは大事なことですが、その上で、その大事な存在に、自己中心のコミュニケーションを仕掛けるのではなく、尊重し、相手に仕える行動をするのです。 教える能力……これは、自分には備わっていない、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、親になれば、だれでも子どもに教えるではありませんか。そう意識すれば、教えることができてしまうものです。 教会における私たちも同じことで、私たちがもし、ふだんからみことばによって教えられているならば、私たちは単に、そのままを人に語ればいいだけのことです。難しいことはありません。家庭の発展形である家の教会は、信徒たちが互いに語り合うことによって、結果的に「教える能力」が身に着いていくものです。 酒飲みでなく……お酒というものに関しては、キリストの教会の中でも教団教派によって見解の違いがあります。しかし、私たちもその一員である福音派は、押しなべて、お酒というものは避けるものという考えを持っています。だから、主の晩さんにおいてもそれを徹底して、ぶどう酒ではなく、ぶどうジュースを用いています。 つまり、酒飲みではないというのは、お酒を飲むけれどもお酒に呑まれない、という意味ではありません。アルコールは一滴も口にしない、ととらえるべきでしょう。私たちは主から、御霊に満たされることが命じられていますが、それと対照的に戒められていることは、お酒に酔うことです。酔うつもりもないならば、私たちはお酒など飲まなければいいわけで、お酒を口にするならば、たとえわずかにせよ、必然的に酔うことにつながり、そこには御霊の交わりが妨げられることになります。 聖書的にふさわしい家族の交わりは、お酒のないところに成立し、そこに御霊の交わりが成り立ち、それが発展して、お酒なくして人を招ける、楽しくもてなせる、という形になります。 乱暴でなく……当たり前だとお思いでしょう。でもみなさん、ご存じでしょうか? これを言うと大変ショックかもしれませんが、クリスチャンホームにも家庭内暴力のケースがあるという話をときどき聞きます。嘘ではありません。 男性は特に、粗暴な部分が暴力という形で出てしまう弱さを抱えています。まさかそれを外で出すこともできないので、ドメスティック・バイオレンスという形で、家庭を混乱と悲惨に陥れます。これは、それでもイエスさまはゆるしておられるという問題ではありません。いち早くやめるべきです。肉体的な暴力だけでなく、ことばや態度での暴力もいけません。でも、そこから立ち直り、愛し合う家族になったならば、それは素晴らしい証しになります。その証しをオープンにして、主のご栄光をともにほめたたえたいものです。 柔和で……マタイの福音書5章の、8つの幸いのひとつの徳目です。これは、「謙遜な人」という意味にもなります。人から過ちや足りないところを指摘されたら、意固地にならず、素直に認める。人から過分にほめられてもおごらない。そういう主人に育てられるならば、子どもたちも、イエスさまご自身がなぜ柔和な人のことを「幸いである」とおっしゃったのか、肌で実感するようになるでしょう。そしてその雰囲気は、彼とともにいる信徒たちにも伝わるようになるはずです。   争わず……私たちが受け入れているイエスさまは真理そのものであり、この真理を脅かす、たとえば異端のような存在、あるいは、人を人とも思わないでめちゃくちゃに扱うようなブラックな存在に、カルトのような存在に対しては、私たちは断固としてノーを突きつけ、それ相応の戦いをする必要があります。 しかし、そういうことではなく、ただ単にリーダーである自分が大事にされないとか、自分の思うとおりに家やグループが進んでいかない、とか、そういうことでいちいち腹を立てて、争いを起こすようでは困ります。私たちは、そのような自己中心が取り扱われる必要があります。 金銭に無欲で……金銭を愛することは、あらゆる悪の根であるとみことばは語ります。人は神さまの恵みのような目に見えないものよりも、お金のような目に見えるものにひかれてしまう弱さがあります。しかし、お金は偶像であり、サタンは、この偶像を用いて、教会の中に争いを起こしたり、ふさわしくない力関係を立て上げようとしたりします。お金を稼ぐよりも主の栄光を顕す、それが社会に参加することである、と、しっかり知っている人が、クリスチャンホーム、そして教会を立て上げるにふさわしい人です。 そして、4節と5節です。……これは私にとって、とても耳が痛いことばと思います。私が第一に大事にすべきは、自分の家庭です。しかし、家庭を大事にするとは、子どもたちを甘やかすことで時間と労力を浪費することではありません。子どもたちがしっかり立っていくように導くことです。 これが教会形成と深い関係があるのは、わけがあります。いったい私たちは、子どもを自分の所有物と思っていますでしょうか? それとも、神さまの栄光を顕す存在に育つため、しばらくの間お預かりしている存在と思っていますでしょうか? 子どもを自分の所有物と思うなら、その愛はエゴ、自己愛にすぎないものです。自分が好きな時にしか関心を向けなかったり、自分の思いどおりにならないと激怒したりします。しかし私たちは、そうであってはなりません。子どもたちは自分たちの子どもである以上に、神の子どもとして育つべき存在です。いずれ、この世において神さまの栄光を顕せる存在に育たなければなりません。 だから私たちは、子どもの所有権は神さまにあることを認めるのです。そうすれば、私たちは恐れをもって子育てに取り組み、のちの日に子どもを一本立ちさせることを学ぶでしょう。 教会形成も同じことです。私たちは、エゴによって派閥をつくるようなことをしてはいけません。派閥とは、信徒をリーダーの所有物にすることです。どの信徒も人に言われたり、強制されたりではなくて、たましいの救いと弟子づくりに献身しつつ仕え合うように育て合う、それがほんとうの牧会であり、教会形成です。 信徒は牧師の所有物ではありません。牧師にとって信徒とは、イエスさまを愛するその愛をライセンスに、しばらくの間、牧させていただいているだけの存在です。教会においては牧師ひとりが神の栄光を顕すのではありません。教会の信徒全体が、たましいの救いと弟子づくりに献身して、神の栄光を顕すのです。 たましいの救いと弟子づくりに取り組む信徒は、必然的に、あとにつづく人たちにとって、リーダーの立場になります。したがって私たちはみな、家庭を治めることにより、キリストのからだなる教会に仕えるとはどういうことかを、実際的に身に着けていくことが求められているわけです。こうして、あとにつづく人たちも、たましいの救いと弟子づくりに取り組む教会の主体として立っていくことになります。 最後に挙げてある2つの条件も見てみましょう。信者になったばかりの人は、いきなり、たましいの救いと弟子づくりを任せてはいけません。そういう人は、まだ自分は訓練が必要だということを、まず知る必要があります。聖書知識を学ぶ以上に必要なのはキリストに似た者となることであり、そのためには、ある程度の期間、主のみことばを体験する証しに満ちた共同体の中で学ぶ必要があります。 具体的には、家の教会のような、お互いがお互いを教え、仕え合う小さな単位の共同体の中で学ぶのが最も理想的です。そのようなプロセスもなしにリーダーに立てるのは、自己中心の間違った教えを伝えさせかねないことであり、極端な言い方をしますが、悪魔の所業を許すことです。絶対に避けなければなりません。 そして、教会の外に評判の良い人。つまり、証しになる生き方をしている人です。教会生活は真面目に取り組んでいても、職場や地域社会で評判の良くないような人は、リーダーになるべきではない、というわけです。こんな人がクリスチャンなの! と、後ろ指を指されるような人がいれば、教会にとって、ひいては神の栄光において、マイナスにしかなりません。 これはしかし、小グループのリーダーにかぎりません。私たちはともにキリストのからだなる教会を立て上げる信徒たちであるなら、すべからく、ここでパウロがテモテに伝授したような、監督としての徳目を備えるように取り組むべきです。以上の徳目はしかし、教会が大礼拝にしか集わないような大きな単位でのみ動くならば、目に見える形では表れてこないものです。問題になる部分は、大礼拝に参加するだけのクリスチャン生活では、隠れていたり、そもそもだれの目にもつかなかったりするものです。しかし、それはふさわしい教会形成のあり方ではありません。…

未来に向けて種を蒔く

聖書箇所;創世記23:1~20/メッセージ題目;未来に向けて種を蒔く 私が青春をささげた東京での教会開拓時代のことは何度かお話ししましたが、千駄木という東京の下町で、教会開拓の働きを始め、私も伝道師という立場でそこに混ぜてもらっていました。 最初は、マンションの一室からのスタートです。しかし日曜礼拝がスタートして1か月で、そのマンションの商業スペースが、大家さんの好意で安く使えることになり、そのスペースを改装して、礼拝堂にしました。 しかしたいへんだったのは、近所から苦情が来て、礼拝や集会が中止する寸前まで追い込まれたことが何度もあったことです。今でも思い出すと緊張しますが、礼拝の時間に、苦情を申し立てた人がお巡りさんを引き連れてやってきたこともあったものでした。 泣きっ面に蜂、と申しますか、その好意を示してくださった大家さんはマンションの所有権をほかの不動産屋さんに売り、すると、教会のテナント料が数倍にはね上がり、ただでさえ苦しい教会財政を思いきり逼迫させました。 これはなんとかしなくては……主任牧師はほうぼうからお金を集め、韓国の教会から支払われる退職金さえ前借りして、千駄木から少し離れた千住の町に良い物件を見つけ、開拓からわずか2年でしたが、引っ越しました。 千住のその物件は袋小路にあり、表通り沿いだった千駄木の物件に比べると、その点では見劣りしました。また、千住は千駄木のような観光地でもなく、町としていかにも地味でした。しかし私たちは、これ以上ないほど喜んだものでした。ああ、これで動かなくてすむ! 礼拝も堂々とささげられる! 教会の方々は、ほぼ韓国の方々で固められていました。私はそのような方々をお相手に働かせていただいて、それこそ聖書の表現を借りれば「寄留者」として日本に生活することは、どれほど不安定で、また気持ちも不安になることか、思わずにはいられませんでした。 せめて、神さまを礼拝する場所ばかりは、安定した場所になってほしい、私はそのように祈りを込めて働かせていただいたものですが、土地建物が自分たち教会のものになり、そこで堂々と韓国語で礼拝をささげ、韓国語で賛美をし、韓国語でお祈りをし、韓国語で会話をし、キムチを中心とした韓国料理を食べる教会生活ができるようになって、ああ、ほんとうによかったなあ、と思ったものでした。 本日の聖書箇所、創世記23章をお読みし、学びながら、そのころのことを思い出しました。まことに、寄留者として客地に生きることは不安定な生活を強いられることですが、それでもその地に生きる証しを立てることは必要です。なぜならば、子どもたち、孫たちまで、不安定な生活をさせるわけにはいかないからです。 今日の箇所にまいりましょう。1節、2節のみことばをお読みします。……アブラハムの愛する妻、サラは死にました。127歳ですから、長寿を全うしたというべきですが、アブラハムは泣きました。 サラとは、いろいろなことがありました。異邦人の王に2度も召し入れられそうになっても、アブラハムは自分の身を守ろうともしました。サラ以外の女性と交わり、子をなしたこともありました。その子イシュマエルを巡ってサラの激しいことばを受け入れざるを得なくて、大いに苦悩したこともありました。しかしそれでも、サラはアブラハムにとって、愛する女性だったのでした。 主にある人が亡くなるということは、天国に行くということであり、それは喜ぶべきことといえば確かにそうです。しかし、私たちは堂々と悲しんでいいのです。泣いてもいいのです。主よ、なぜ愛する人のいのちを取ったのですか! 私たちはこのように、何度も悲しみに正面から向き合いながら、悲しむ者とともに涙を流してくださるイエスさまの愛を知ることとなるのです。 しかし、アブラハムはいつまでも悲しんでばかりもいられません。サラを葬るということをしなければなりません。しかし、アブラハムはその土地にあって寄留者です。サラを葬るために、この土地の所有者にお金を支払って、土地を手に入れなければなりません。 この「土地を手に入れる」ということは、重要な意味を持ちます。アブラハムはすでに、ベエル・シェバという、定住すべき土地がありました。しかし、それでもなお、アブラハムは、半分遊牧民のような生活を続けていました。 それが、サラの葬られる土地を手に入れるということは、そこに自分も葬られるということであり、息子のイサクも葬られるということです。時代は下り、イサクの妻のリベカ、ヤコブの妻レア、そしてヤコブがそこに葬られることとなりました。子孫に至るまで葬られる、これは、神さまが約束してくださったこの地を所有する権利を持っている、ということを、明らかにしていることになります。 そのためにもアブラハムは、サラを葬るこの土地を、正式な手続きを経て手に入れる必要がありました。3節と4節をお読みしましょう。 アブラハムの申し出に、この土地のヒッタイト人たちは何と答えたでしょうか? 5節、6節です。 アブラハムはヒッタイト人から見れば外国人、寄留者です。そんな彼のことを彼らは高く評価し、最上級の待遇をしようという意思を示しています。 しかし、これを額面通りに受け取り、彼らの好意に甘えるということは、いかにも厚顔無恥なふるまいです。第一コリント13章にありますように、神の民に備わっている「愛」の特質は、「礼儀に反することをしない」ことにあります。 この箇所は読み進めていきますと、ヒッタイト人がアブラハムのことを、それこそ下へも置かない待遇をしているわけではないことがはっきりします。私たちの場合はどうでしょうか? 神さまにお従いする生き方をしているなら、そこには、愛、寛容、親切、善意、誠実といった対人関係における御霊の実が結ばれていき、それはほかの人たちにとって私たちに対する素晴らしい評価へとつながるのですが、だからといって、私たちがいかにも、御霊の実を結んでいる素晴らしい人であるかのように自任して、振る舞うのはいけません。私たちがほんとうに御霊の実を結んでいるならば、謙遜になることが求められています。 とはいいましても、アブラハムは、土地を手に入れることは自分のするべきこととして主張しました。謙遜というものは、卑屈とはちがいます。いえ、私はそのような評価に値しません、そのようにへりくだるのは結構ですが、へりくだるあまり、この世界に対して引いてしまい、何の影響も与えられないようでは困ります。 アブラハムの場合は、どのようにしてこの土地を所有するヒッタイトに対して影響力を行使しようとしたのでしょうか? 8節、9節です。 まず、アブラハムは、「死んだ者を私のところから移して葬ることが、あなたがたの心にかなうのであれば」と、ヒッタイト人たちの心に委ねています。お墓というものは、なんといっても、亡骸(なきがら)を置く場所であり、ぞっとしないものです。いわんや、この時代、異邦人のお墓を用意してあげようなどということは、普通ならば考えられないことです。アブラハムは、異邦人の遊牧民として生きる自分の弱い立場を認めながら、なお、ヒッタイト人の好意にすがろうとしていました。 そしてアブラハムは、どこに葬るつもりかを語っています。ツォハルの子エフロンの所有する、マクペラの洞穴。このようなことをアブラハムがすぐに言えたのは、どこならば葬るのを許してもらえそうかということを、事前によくリサーチしていた、ということです。あるいは、11節でエフロンがアブラハムに対して語ったことばを見ると、アブラハムはエフロンとの間に、一定の信頼関係を築いていた可能性もあります。 11節を詳しく見てみましょう。エフロンは民の集まっている前で、それをアブラハムにただで譲ると宣言しました。エフロンとしては、気前のいいところを示したのでしょうか。あるいは、アブラハムに対する尊敬の念を示したつもりだったのでしょうか。 しかし、この土地をただで取引したとなると、後々まで問題を残すことになります。なによりも、この土地はヒッタイトの好意で手に入れたもの、という事実が、アブラハムとその家族を支配することになります。それは、ひいてはアブラハムの子孫であるイスラエル民族にも影響を及ぼすことになります。 それだけではなく、アブラハムの一家は、ヒッタイト人の土地をただでせしめた家門という悪名も手にすることになります。これでは、神さまが約束の地としてイスラエルにカナンを与えられることが、きわめてふさわしくない形でその根拠を持つことになります。 この点でも、アブラハムが彼らの「ご主人」と呼びかけたりすることばや、妙にへりくだった態度を示したりすることを真に受けなかったことは、よいことだったと言うべきです。アブラハムは何と答えたでしょうか。13節です。 アブラハムは、あくまで通り相場で土地を買わせてくださいと申し出ました。といっても、この点でも彼らの判断に委ねました。彼らヒッタイト人が許すならば、相応のお金を払って土地を買います、ということです。 するとエフロンは、前言を翻しました。15節です。 この銀400シェケルというのは、時代によって価値が異なります。だから、それが高すぎるか適正な値段なのかはわからない、という神学上の見解があります。私も基本的にはそうだろうとは思います。しかし、聖書のほかの箇所を読んでみますと、この「シェケル」に関して、興味深い事実が見えてきます。 サムエル記第二の最後に、ダビデがイスラエルの軍事力を推し量るために民の数を数えたという、主のみこころにかなわないことを行なったため、主の懲らしめを民が受けるという、大変なことが起こったことが記録されています。疫病でいっぺんに7万人が倒れたのでした。 今、私たちの生きるこの世も、疫病の流行という時代であり、この箇所はとてもリアルに感じられないでしょうか? しかし、現代のコロナウイルスの流行のこれといった責任者の所在を問うのがとても難しい一方、サムエル記第二の疫病の責任者ははっきり、ダビデでした。 心が咎めたダビデは、主にいけにえをささげることを決意しましたが、その場所をいけにえの牛とともに提供したアラウナは、最初ダビデ王の申し出に恐れ入って、どうかただで使ってください、と言ったのですが、ダビデは、いや、お金を払って買い上げたい、と、ゆずりませんでした。それでようやく、アラウナはダビデから銀を受け取ることを承知し、土地と牛を提供しました。なんとなく、今日の箇所に構造が似ています。 ダビデは、イスラエルが主の下されたわざわいから救われるように、ダビデ王自身の悔い改め、神との和解のために、このようにいけにえをささげることを必要としました。問題はこのとき、ダビデがアラウナに支払った銀です。それは50シェケルでした。 シェケルというのは通貨の単位ではなく、重さです。1シェケルが11.4グラムですから、50シェケルは570グラム、なかなか重いですが、これは言うなれば、ダビデが神さまと和解し、イスラエルがわざわいから救われるために支払われる代価を象徴的に表しています。 一方、アブラハムがエフロンに支払った額はいくらでしょうか? 銀400シェケル、約4.5キロの銀です。一応、この時代のシェケルがダビデの時代のシェケルと同じ価値と考えると、銀400シェケルは、ダビデが払ったシェケルの、なんと8倍です。単純に考えると、王さまが自分の罪のとがめのために払ったお金の、8倍もするということです。 そう考えると、相当に高い額を吹っ掛けられたと言えなくもありません。それでもアブラハムはいっさい値切らず、言い値で買うことを承知しました。それは、それほどこの地に拠点を置くことが、自分にとっても、ひいては神の民にとっても大事であったからです。 そして、アブラハムがこのように、相手の言い値を唯々諾々と受け入れて土地を買ったということは、それだけ、居留させてもらっている土地の主人であるヒッタイト人のことを大事に思っている、ということです。アブラハムは裕福な族長として、自分の権勢を誇って、ヒッタイト人の下へも置かない扱いを当然のこととすることもできたはずです。しかしアブラハムは、そのように振る舞うのをよしとしませんでした。 アブラハムは、このようにしてきっちりとお金を払うことで、この地のヒッタイトにとって証しとなる行動をしました。これは、私たちにとっても模範となる行動ではないでしょうか。 ペテロの手紙第一、2章11節と12節をお開きください。……はい、旅人、寄留者という表現は、明らかに旧約聖書のアブラハムのことを意識したうえで、私たちのことを指しています。アブラハムが寄留者であるように、私たちもこの世にあっては、天の御国を目指しながらこの地に寄留する、寄留者です。 そんな私たちは、この世の論理で生きることを余儀なくされますし、何よりも、私たちはこの世に生きているかぎり、肉の性質を帯びて生きることは避けられません。この肉の欲は私たちのたましいに戦いを挑み、私たちが神さまに従えなくなるようにする、すなわち、神さまのご栄光を顕すという、人として最高の生き方、当然の生き方をできないようにしてしまいます。 だから、この肉の欲を避ける生き方を私たちは、ともに目指す必要があります。アブラハムは肉の欲の源ともいえる、お金に対する執着を切り捨ててでも、アブラハムから見れば異邦人であるヒッタイト人の前で立派に振る舞いました。アブラハムのこの生き方がヒッタイト人をして創造主なる神さまをほめたたえさせたかどうかは神のみぞ知る、といったところですが、少なくとも、私たちもやはり異邦人でありましたが、アブラハムのこの生き方を見て、神さまをほめたたえています。 そして今度は、私たちがその生き方によって、あとにつづく人々が神さまをほめたたえるようにするのです。時にその生き方は、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けるあまり、アブラハムが400シェケルの銀を手離したように、大きな犠牲を伴うものであるかもしれません。 しかしこれは、未来に向けて種を蒔くことと理解しておきたいものです。私たちは、葛藤を覚えるとき、天のお父さまを思いましょう。ひとり子イエスさまを十字架におつけになるほどの大きな犠牲は、信じるすべての人を生かし、そこに天の御国を実現してくださいました。私たちも十字架を信じる信仰ゆえに、天の御国に入れていただいています。 アブラハムは400シェケルの銀で、やがてイスラエルが約束の地を手にする礎を築きました。イエスさまは十字架の死によって、信じるすべての者を神の民としてくださり、御国を築いてくださいました。私たちも手離すことにより、大きな、大きな収穫を神さまが得させてくださることを、信じてまいりたいものです。 私たちにはまだ、これは自分のもの、これだけは譲れない、と、こだわっているものはないでしょうか? それを神さまの御手にゆだねる決心が与えられるように、祈ってみてはいかがでしょうか? 私たちの財産、私たちの時間の使い方、私たちの趣味……いろいろあると思います。しかし、私たちのあとにつづく人々から御国が立てられ、私たちも主とともに統べ治める者となるならば、何を惜しむことがあるでしょうか? それを手離すことにより、どれほど豊かな実を結ぶでしょうか? しばらく祈りましょう。アブラハムが、あとにつづく神の民のために、異邦人の間で立派に振る舞うために、400シェケルの銀を手離した、すなわち、未来に向けて種を蒔いた、その信仰に倣うために、私たちは何を手離すべきか、お示しください……。

アドナイ・イルエの神の子羊

聖書箇所;創世記22:1~24/メッセージ題目;アドナイ・イルエの神の子羊 私たちが聖書を読んでいると、ときに、感覚的によくわからなくなる記述に出会います。特に、神は愛なり、と語られているのに、なぜ神さまはこのようなことをお許しになるのだろうか、と、首をかしげてしまったりしないでしょうか。 しかし、それは得てして、私たち聖書を読む側の思い込みに問題があったりするものです。神は愛なり、というとき、私たちが思い描く「愛」というものが、聖書が語っている「愛」というものと一致していない、ということが、往々にしてあるわけです。 聖書を読んで感覚的に受け入れられなくなるとき、私たちのすることは、一回聖書を読んで拒否感を示したら、それきり読まなくなる、ということではありません。その箇所を一回こっきりではなく、何度でも聖書全体をお読みし、神さまのまことの愛とは何かを受け取ることです。聖書に語られていることが理解しにくいからと、あきらめないで、何度でも読み込んでいただきたいのです。 そこで本日の箇所です。本日の箇所も、なぜ神さまはこのようなことをお命じになるのだろうか、子どもをささげよだなんて! と、とまどったりしないでしょうか? そこで私たちは、この箇所のほんとうに語ろうとしていることを学び、神さまのみこころを受け取ってまいりたいと思います。 1節のみことばです。神さまがアブラハムに与えられたものは「試練」です。あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを、全焼のいけにえとしてささげなさい。」 このご命令を受けたとき、アブラハムはどのような思いだったことでしょうか。私の個人的なことですが、まだ下の娘が小さかったとき、2人でごっこ遊びをしていて、娘はこんなことを言うのでした。私はブタの丸焼きになるから、とどめを刺して! 娘は「ブヒー、ブヒー」なんて言うんです。そこに私が刃物を振り下ろす真似をします。しかし、娘はまだ「ブヒー、ブヒー」なんて言います。これでは丸焼きにはなれません。 しかし、私はもう、刃物を振り下ろす真似などできなくなり、「もうやめよう……」と言って、別の遊びを始めさせました。ごっこ遊びとはいえ、娘に手をかけているような気持ちでいっぱいになり、あまりにもつらかったのでした。 ただのごっこ遊びでさえそうなのです。ましてや、山へ連れていき、ほんとうに全焼のいけにえとしてささげよと命じられたアブラハムは、どんな気持ちになったことでしょうか。 神さまがおっしゃるとおり、アブラハムにとってイサクは、「愛しているひとり子」です。手になどかけられるものでしょうか。しかし、神さまのご命令は絶対です。 もう、お分かりだと思います。アブラハムとイサクの関係は、御父なる神さまと御子なるイエスさまの関係を示していました。アブラハムがイサクを全焼のいけにえとして神さまにささげることは、父なる神さまが愛する御子イエスさまを十字架に死なせられることを示していました。 しかし、アブラハムの従順は、イサクをほふってそれで終わり、というレベルにとどまってはいませんでした。5節のみことばをお読みください。……アブラハムは、イサクとともに戻ってくると約束しました。イサクは、生きて帰ってくる。アブラハムはそう確信していたということです。これはどういう意味なのかは、のちほどお話ししているうちに明らかになってまいります。 6節をご覧ください。アブラハムは火と刃物を取りました。火はいけにえを焼き尽くすためのもの、刃物はいけにえをほふるためのものです。どちらも、いけにえのいのちをささげるために用いる道具です。そうです、イサクのいのちがアブラハムの手のうちにあることを、アブラハムが両手に持った火と刃物は雄弁に物語っています。 一方でイサクは、薪を背負っています。薪は言うまでもなく、木です。木を背負って山道を登るイサクの姿に、やはり何かを連想しないでしょうか? そうです。十字架を背負ってゴルゴタの丘をのぼるイエスさまのお姿です。まさしくイサクは、神さまがまことのいけにえとして十字架の上にて砕かれるイエスさまのお姿を、その十字架のできごとのはるか昔に表していたのでした。 ただし、イエスさまとイサクはちがうところもあります。イエスさまはご自身が十字架に掛かられ、いけにえとなられることの意味をよく理解していらっしゃいました。これに対してイサクは、まさか自分がいけにえとしてささげられようとは、思いもしていなかった模様です。7節と8節の会話をお読みしましょう。 まず7節で、イサクはここでようやく、なぜアブラハムがいけにえの羊を連れてこなかったのか疑問に思いました。しかしアブラハムは、その羊は神さまがその場で備えてくださると答えています。 アブラハムはこのように答えていますが、アブラハムは、当のイサクがいけにえとしてささげられるということに気づかれまいと、嘘をついたか、ごまかしたかしたのでしょうか? いいえ、そうではありません。アブラハムには、羊が備えられるという信仰はあったと見るべきです。 とはいっても、この時点でははっきり、アブラハムが神さまからそのように御声を聞いたという形跡はありません。2節をお読みください。しかし、それにつづいて神さまは、「……しかし、わたしは、その場に全焼のささげ物の羊を備えよう」とおっしゃってはいないわけです。 神さまがイサクの代わりに羊を備えてくださるということは、信仰をもって信じてはいました。実際に神さまは、アブラハムに対して具体的にそのことを約束してくださっていたわけではありません。しかしアブラハムは、約束の子イサクはきっと生きて帰る……必要なら神さまは、いけにえとしてささげる羊も備えてくださる……そのように、わずかな望みにかけながら、一歩、また一歩、歩みを進めていったのでした。 そしてアブラハムとイサクは、ついに神さまがお示しになった場所に着きました。神さまのご命令はあくまで、イサクを全焼のいけにえとしてささげるということです。アブラハムは祭壇を築いて薪を並べました。そしてイサクを縛って、祭壇の薪の上に横たえました。 イサクは、アブラハムのなすがままになっています。しかしイサクは、もう子どもではありませんでした。いけにえを焼き尽くせるほどの薪を背負って山を登れるほどの体格があったのですから、充分立派でした。しかしイサクは、アブラハムが命じるとおり、縛られるままになり、祭壇に横たえられるままになりました。そして、振り下ろされる刃物を待つのみとなりました。 これは、イサクの従順を表しています。神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださる。イサクはアブラハムのそのことばを信じていました。しかし、神さまが父アブラハムにお命じになったのなら、自分が全焼のいけにえになれとのご命令にもお従いしよう……まさしく、全き従順です。 そしてアブラハムもまた、いよいよ主に対する従順を果たそうとしました。刃物を取り、息子イサクをほふろうとしました。そのとき、御使いがアブラハムの手を止め、語りました。12節です。 アブラハムは、2つの理由で、神さまから与えられた試練に合格しました。ひとつは、神を恐れていた、ということ、もうひとつは、ひとり子さえも惜しむことがなかった、ということです。 アブラハム以来受け継がれてきた私たちの信仰は、神さまを恐れるということ、そしてそれと同時に、御父なる神さまが、惜しむことなくひとり子イエスさまを十字架につけてくださった、ということを信じることです。 では、アブラハムがこのように行動したことは、信仰ということとどのような関係があるでしょうか? ヘブル人への手紙11章17節から19節です。 メッセージの冒頭でも申しましたが、時に私たちにとって難解に思える聖書箇所は、聖書全体をよく読むことによって、その葛藤を解決することがふさわしい方法です。この、ヘブル人への手紙の箇所をお読みすることもそれにあたります。 このヘブル書の箇所は、創世記22章のアブラハムのエピソードに対する、またとない解き明かしです。まずこのみことばは、アブラハムはイサクを「ささげた」と評価しています。 しかし、形だけ見ると、アブラハムはイサクを全焼のいけにえにしたわけではありません。そればかりか、イサクのことを刃物でほふってさえいません。しかしヘブル書のみことば、つまり神さまのみこころから見たら、アブラハムはイサクを「ささげた」のです。それは、御使いが「もう充分だ」と、アブラハムがイサクに手をかけるのを許さなかったことからも明らかです。 さらに18節、19節も見てみましょう。神さまがアブラハムに、イサクをささげよ、とおっしゃったことは、「イサクにあって、あなたの子孫が起こされる」と神さまがアブラハムにおっしゃったことと矛盾するではないか、という印象を持たなかったでしょうか? しかし、そうではないならば、残る可能性はただひとつ、「アブラハムはイサクが復活することを信じていた」ということです。 しかし、イサクは死にませんでした。代わりに、そこに備えられた羊、「主の山に備えあり」、「アドナイ・イルエ」の羊がささげられたのでした。それでもヘブル書のみことばは、アブラハムがイサクのことを「死者の中から取り戻した」と評価しています。 ここに、イサクをとおして私たちは、イサクの二重の立場を垣間見ることになります。まず、イサクはイエスさまの象徴でした。アブラハムは、イサクをほふっていけにえとすることをみこころとして受け取っていました。しかし、それと同時に、イサクは死んだままではなく、復活して、そのイサクから約束の民、神の民を生まれさせてくださると信じていました。 イエスさまも、その死によって御父に対する宥めの供え物となられましたが、三日目に復活されました。御父はイエスさまを、死者の中から取り戻されたのでした。 それでもイサクとイエスさまとの間には、決定的な違いがあります。言うまでもないことですが、あえて申します。イサクは死ななかったのですが、イエスさまは死なれたのでした。イエスさまを十字架の上で死なせるしかなかった御父のみ思いは、いかばかりだったことでしょうか。 イエスさまは十字架の上で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」、叫ばれました。何の罪のない神の御子が、私の、あなたの、私たちの罪をみな背負って、十字架の上で呪いを受けられました。そのように御子が叫ぼうとも、見捨てるしかなかった御父のみこころは、いかばかりだったことでしょうか。 もうひとつのイサクの姿、それは、備えられた羊によって全焼のいけにえとなるのを免れた姿ですが、何に似ているでしょうか? それは、まことの備えられた羊なるイエスさまによって焼き滅ぼすさばきの火を免れた、私たち信仰する者たちの姿です。 私たちは罪人です。私たちにふさわしいものは、焼き滅ぼす神の怒りの炎です。滅ぼされるべき者たちです。しかし、イエスさまは、私たちを愛して、この炎と燃えさかる御父の怒り、罪人を滅ぼさんとする怒りを、十字架の上に釘づけにされた両手で受け止めて、私たちを御怒りからかくまってくださいました。 イサクが、備えられた羊によって無事に帰ってくることができたのは、私たちがさばかれる代わりに、イエスさまがそのさばきを身代わりとなって受けてくださった、それゆえに私たちがいのちを得させていただいた、そのことを象徴しています。 最後に、本日学びましたアブラハムのイサク奉献について、新約聖書のまた違った角度の評価からも学んでみたいと思います。ヤコブの手紙2章21節から24節をお読みしましょう。 アブラハムが信仰の人であったということは、実際にイサクをささげるほどに神の御声に聞き従うことで証明された、というわけです。そうです、信仰は行いという形で実を結んでこそしかるべきであるわけです。 たしかに、イエスさまを信じさえすれば私たちは救われるのであって、救われて永遠のいのちを得るためには、それ以上のことをする必要はありません。 しかし、今度はその信仰を、神に救われた者としてふさわしい行いへと実を結ぶべく、神さまに拠り頼む方向へと生かしていく必要があります。 面倒なことはしなくていい、やりたくないことはしなくていい、なぜならもう、信じているのだから……このように安易に考えることが許されるのならば、聖書のみことばがここまで分厚い必要はありません。私たち人間は、そこまで単純な存在として創造されているわけではありません。 偉大な神さまのみこころにお従いすることは、どんなに素晴らしいことか、そのことをみことばは、時にはモデルを示しながら、時には反面教師を登場させながら、私たちに教えてくれています。 アブラハムの場合は、イサクをささげるということを実践することで、信仰とは御父が御子をいけにえとされたことを信じることであると、私たち主の民に教えてくれています。そこから私たちも、いずれの日に取り戻させていただくという信仰をもって、わずかでも自分の持つものをささげる実践をさせていただくというわけです。 本日は主の晩さんを執り行います。備えられた羊なるイエスさまのみからだにあずかり、血潮にあずからせていただいているという事実を、いまいちどこの共同体が確かに受け取らせていただく時間です。 この大事な時間に備え、一週間私たちは祈ってきたことと思います。それでも私たちは、主の御前にふさわしくないことをしてしまったかもしれません。悔い改め、それでも主のみからだと血潮にあずかるものとならせていただいていることに感謝し、主の晩さんに臨みたいと思います。しばらく祈りましょう。

寄留者の祝福

聖書箇所;創世記21:22~34/メッセージ題目;寄留者の祝福 今日のメッセージのタイトルは、「寄留者の祝福」とつけさせていただきました。「寄留者の祝福」とは、「寄留者の受ける祝福」であり、「寄留者の与える祝福」です。 アブラハムは、神さまから祝福の源として召されていました。それは、アブラハム自身が祝福を受けるということであり、同時に、アブラハムが祝福を人々にもたらすということでもありました。しかしその祝福は、どこかに定住してもたらしたものではありません。天幕生活、放浪の生活の中で、祝福を受け、祝福をもたらしたのです。 さきほどお読みしたみことばは、そのようなアブラハムの「寄留者の祝福」を、如実に描いています。このみことばから「寄留者の祝福」を、「寄留者の受ける祝福」と「寄留者の与える祝福」の2つの側面から学んでまいりたいと思います。 まずは、「寄留者の受ける祝福」です。22節をご覧ください。……アブラハムの受けていた祝福は、この地の王であったアビメレクも認めざるを得なかったようなものでした。 それはそうです。アブラハムは100歳にして、90歳の妻サラを通じて子どもをもうけました。そのプロセスで、当のアビメレクがサラに指一本ふれることを神さまはお許しになりませんでした。そしてアブラハムは無事子どもイサクをもうけました。さらには、イサクが跡取りになることにおいて最大の障害であったイシュマエルは去りました。 アビメレクはその様子を見て、アブラハムの背後にはどれほど、神の見えざる手が働いていることかを感じずにはいられなかったことでしょうか。 アブラハムは、ゆえなく祝福されていたわけではありません。創世記12章の1節と2節をご覧ください。……聖書に記録されているかぎり、アブラハムがお聴きした最初の主の御声は、このように語っておられたのでした。わたしはあなたを祝福する。あなたは祝福となりなさい。 アブラハムが祝福されることは、最初から神さまによって定まっていたことでした。主は与え、主は取られる。私たち人間が祝福されるかどうかは、すべて神さまにかかっています。 私たちはどうでしょうか? 私たちは祝福を受けた存在です。最大の祝福、それはイエスさまの十字架を信じる信仰が与えられ、罪赦されて神の子どもとなり、永遠のいのちが与えられた、ということです。 しかし、このことが祝福であることを実感するには、どのように生きる必要があるでしょうか? そこで私たちは、「神の栄光を顕す」生き方をする必要があります。私たちのことを罪から贖い出してくださった神さまの、その素晴らしさを、私たちの生き方によって、隣人に証しするのです。 お開きにならないでよろしいですが、マタイの福音書5章16節で、イエスさまはこのようにおっしゃっています。「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」 光は闇の中に輝いています。闇の中を生きているかぎり、私たちはこの世にあってつまずき倒れます。しかし、光に照らされているかぎり、私たちは安全です。神さまの導きをいただいている確信を持って、日々を生きる力が与えられます。 世界はサタンの支配のもとにあり、そのために人々は悪の道を歩み、あるいは搾取され、塗炭の苦しみを味わっています。この世界にあって、私たちがイエスさまにあって解放された生き方を示していくならば、人々はそのような私たちの生き方を見て、私たちの信じる神さまが素晴らしいことを知るようになるのです。 私たちは、自分が祝福されていることをどれほど知っていますでしょうか? 私たちが聖書を読むこと、お祈りすることは、その、神さまの宝物のような自分の価値を発見させていただくことであり、そのような自分が人々に神さまのすばらしさを顕すということにおいて、神さまの御手に用いられるという、祝福の道に踏み出していくことでもあります。 アブラハムとアビメレクの話に戻りますと、アビメレクはアブラハムの姿を見て、いやでも、そこに神さまが生きて働いておられたことを見るのでした。 そこで、「寄留者の祝福」を、こんどは「寄留者の与える祝福」という側面から見てまいりたいと思います。 23節のみことばを見てみましょう。……あなたは何をしても神がともにおられる。だから、私と私の子孫を裏切らないでいただきたい。私があなたに示した誠意にふさわしく、私にも、この土地にも、誠意を示していただきたい。 このようなことをアビメレクが言った背景には、明らかに、アブラハムの偽ったことばによって、危うく自分がサラを召し入れて、いのちを失うところだったという、アブラハムに対する叱責が込められています。アブラハムは確かに祝福されている。しかし、あなたの祝福、うまくいっていることが、すなわち私とその民に対する呪いとなってはたまらない、私とその民も、主にあって祝福されるようにしていただきたい、ということです。 先々週も学びましたが、アブラハムはアビメレクとその民を、創造主なる神さまを恐れることがないゆえに私のことを殺すような者たちだ、と断じました。まるで野蛮人のような扱いです。しかし、実際はそうではありませんでした。アブラハムは確かに祝福されていましたが、神さまを恐れていたという点では、アブラハムよりも、アビメレクとその臣下の方が上でした。 アビメレクは確かに、アブラハムの姿に創造主なる神さまの栄光を見ることができたのですが、その神の栄光を正しく表すことをしていなかったアブラハムのことは難じました。あらためてアビメレクは、アブラハムが誠意を尽くすことで神の祝福が自分とその民に臨むように、すなわち、呪いから自由になるように、アブラハムに要請したのでした。 私たちが隣人に対して神の栄光を顕すことは、隣人をさばいたり、蹴散らしたりするような形になってはなりません。人々は神さまにお従いする私たちの姿を見て、何やら特別な力が働いている、と思うかもしれません。それはありえることです。 しかしそんな当の私たちが、周りの未信者のことを、イエスさまを信じていない、救われていないなどと、見下したり、さばいたりしていいわけがありません。私たちのすることは愛することであり、さばくことではありません。 しかし、私たちは時に、そのようにまるでパリサイ人のごとく振る舞う自分の傲慢さが、事もあろうに未信者によって指摘されることがあります。そのようなとき私たちは、神の栄光を隠してしまった、とか、証しにならないことをしてしまった、などと、落ち込む必要はありません。 私たちのすることは、そのような傲慢な自分を神の前でも人の前でも素直に認め、悔い改めることです。私たちは所詮、まだまだ整えられている段階にある者です。そうして私たちは、神の栄光を顕す者としてますます整えられます。これは祝福です。 そもそも、神さまは私たちの不完全さによって、そのご栄光が隠れてしまうような小さい方ではいらっしゃいません。 アブラハムは嘘をつき、その結果アビメレクとその民に破滅をもたらしかねないことをしたわけですが、それでもアビメレクは、アブラハムの神なる創造主を、かえって認めています。神の栄光をアビメレクは見ているわけです。 神さまは、そのご栄光を顕すべく遣わされた人間の卑小さを超えて、ご栄光を輝かせるお方であることを覚えましょう。私たちはなにも、人間的な努力をして神の栄光を輝かせようしたり、輝かなかったからと落ち込んだりなどしなくてもよいのです。 アブラハムの話に戻りますと、アブラハムはアビメレクに促されて、アビメレクとその子孫を裏切らない、そして、アビメレクにもその土地にも誠意を尽くすことを誓いました。これで、アブラハムの受ける祝福はアビメレクにとって呪いではなく、祝福となったのでした。 しかし、アブラハムには解決すべき問題がありました。自分が掘った井戸がアビメレクのしもべに奪い取られたというのです。アブラハムは、これは不当であるとアビメレクに抗議しました。 井戸というものは、掘るのに相当な労力を必要とします。しかし、荒野の中で井戸を掘ることをしないならば、遊牧生活をしていたアブラハムにとっては自分の家族やしもべたち、家畜に飲ませる水が確保できないことになり、死活問題です。アブラハムにはどうしても井戸が必要でした。 しかし一方で、アブラハムの寄留していた土地はゲラルの地、アビメレクのものです。アビメレクのしもべたちが、この土地に掘られた井戸の所有権を主張するのは、当然といえば当然のことでした。アブラハムにしてみれば、取られた、奪われた、という意識が強かったでしょうが、アビメレクのしもべたちは、アビメレクの土地を管理する者として、当然のことをしたまででした。 しかし、26節をご覧ください。アビメレクは、そのことは知らなかったし、あなたもそのことを今まで私に告げてはくれなかった、と、反論しています。アビメレクは、それは知らなかったのだから私を責めないでほしいと主張している一方で、もし必要ならばあなたに返還する用意がある、ということも語っていることになります。話が分かる人です。 アビメレクのしもべたちが遊牧生活を送るアブラハムから井戸を奪ったということは、おまえはもうこの土地にいるな、というメッセージを送っていることにもなります。 このような反応は、かつてアビメレクがアブラハムからサラを取って召し入れようとしたとき、あやうくアビメレクにも主のさばきが及ぼうとして、それを聞いたしもべたちも大いに恐れたことと考え合わせると、どうなるでしょうか? アビメレクのしもべたちもまた、アブラハムがあらゆる形で主の祝福を受けていたことを見ていたはずです。そんなアブラハムの姿に、彼らは恐れをいだいたでしょう。このままでは自分たちの土地も奪われるかもしれない、それも不当な形で、なにしろ、サラの一件でもあれだけ不当なことをしたというのに、結局は創造主なる神の祝福を受けているではないか……。 このようなとき、彼らの取る手段は二つに一つです。ひとつは、アブラハムの神である創造主の御前にひれ伏すこと、もうひとつは、創造主を恐れるあまり、創造主の寵愛を一身に受けているアブラハムを遠ざけることです。彼らが取ろうとした手段は、後者、アブラハムを遠ざけることでした。出ていけ。この井戸は、われわれの土地に掘られたものであるかぎり、われわれのものだ。 しかし、アビメレクはそのようには考えませんでした。アブラハムの掘った井戸は、あくまでアブラハムのものであると見なしました。あらゆる面で神がともにおられるアブラハムに、彼が採掘した井戸の所有権を与えることにより、アブラハムが寄留するゆえに神さまがその土地に注がれる祝福を、ともに享受する道を選びました。 ただしアブラハムは、その井戸をただで返してもらうことはしませんでした。自分の群れの中から羊と牛を取って、アビメレクに与えました。これが両者の間の契約となったのでした。アビメレクは土地を提供し、アブラハムは家畜を提供する、そういう契約です。 このことにより、アブラハムはアビメレクの治める土地から井戸水をくみ上げ、しもべたちや家畜とともに土地に寄留することが許されました。しかし、アブラハムは契約を結んだだけではありません。アビメレクに贈ったその家畜の中から雌羊7頭を取り分け、井戸は私アブラハムが掘ったという証拠としていただきたい、と言うのでした。 ここから、この土地の名前がベエル・シェバと名づけられました。ベエル・シェバは2つの意味を含む掛詞(かけことば)となっていて、ひとつは「誓いの井戸」という意味、もうひとつは「七つの井戸」という意味です。この名前、また、アブラハムが贈った羊が7頭であったことから、アブラハムが所有権を主張した井戸は7箇所であったようですが、ともかく、この7つの井戸は、誓いによってアブラハムのものとなっている、というわけです。 このようにして、アビメレクはこの井戸のある土地、ベエル・シェバは、アブラハムの寄留する地であると認めた、と誓いました。これは、創造主なる神さまにかけて誓ったということで、絶対です。こうして、アブラハムはこの地に寄留する権利を、神さまからも、そしてこの地を治める王からも、正式に得ることになりました。 それだけではありません。アブラハムはこの地に、1本のタマリスクの木を植えました。木を植えることは象徴的です。やがて去る土地であるならば、木など植えても仕方がないわけで、木を植えるということは、この地に定住しようというアブラハムの誓いを見ることができます。 そして、次章22章を読むと、アブラハムはここベエル・シェバに腰を落ち着け、ついにウルの地から出発した放浪生活に終止符を打つことになるのでした。もはやアブラハムは、寄留者ではなくなるのでした。 とはいいましても、アブラハムの子孫であるイスラエルがほんとうの意味で「ダンからベエル・シェバまで」と象徴的に言われる、ここパレスチナの地に住むようになるのは、ずっとあとのことですし、その民もさらにのちの時代、2度にわたってこの土地を追われることになりました。イスラエルは寄留者としてこの地を長く生きることになったのでした。 現在は国としてのイスラエルが復興し、多くの人がイスラエル人として国に帰還していますが、世界には今なお多くのディアスポラ、散っている人が存在しています。寄留者なのです。 一方、イエスさまを信じる信仰によって神の民とされ、アブラハムを信仰の父と呼ぶことが許されている、私たちの場合はどうでしょうか。私たちはこの世界の地上の、日本という土地に住んでいますが、いかに自分の土地を持ち、自分の家を建てても、やがてこの地上を去ることが定められています。私たちもまた、寄留者です。 それでも私たちは、寄留者でありながらも、どれほど多くの祝福を神さまからいただいていることでしょうか。私たちには食べるものがあります。住む場所があります。そればかりではありません。神さまをともに礼拝する、主キリストのからだなる教会のひと枝ひと枝とされています。 やがて私たちは、寄留者の生活を終え、永遠の天の御国に入れられます。神さまが私たちを、永遠の住まいに迎えてくださると誓ってくださった以上、私たちは入れていただけるのです。 だから私たちはこの地上の生活に汲々となるのではなく、上にある天の御国をつねに見上げて生きる者となりたいものです。 また私たちの存在は、この寄留している地に祝福をもたらしているという自覚を持って生活したいものです。アビメレクがアブラハムの存在の背後に創造主なる神さまを認めて恐れたように、私たちも神さまとともに生きる生き方をしていくことで、この世に神さまを証しするのです。 その生き方は、この世の人々を愛し、祝福するという形で実を結びます。そして、私たちの愛や奉仕を受け取るこの世の人たちも、私たちのその神さまにならうよい行いに触れて、神さまはおられること、その神さまは世界万物を造られ、人をつくられた創造主であられること、そしてその神さまは愛であられること、その愛によって自分も愛されていること、このお方こそ信じ受け入れ、お従いすべきお方だということを、受け入れられるようになります。 そのような人は、私たちと同じように、この世界は寄留するだけの土地であり、やがて天の御国に迎えられる日を待ち望み、それゆえに日々その天の御国に入れられるにふさわしく、主の栄光を顕して生きるようになります。 私たちは、寄留者として生きるこの地上で、主の栄光を顕して生きるという祝福が与えられており、その祝福は周りの人々を祝福します。こうしてともに、御国を受け継ぐ祝福に入れられるのですから、どんなに素晴らしいことでしょうか。この祝福ゆえに、ともに神さまをほめたたえつつ、この地上の歩みを歩みおおせてゆく私たちとなりますように、主の御名によって祝福してお祈りいたします。

恵みに目が開かれる

聖書箇所;創世記21:1~21/メッセージ題目;恵みに目が開かれる  私は、独身時代から結婚を経て、下の娘が生まれたころまで、千住(せんじゅ)という東京の下町にある韓国人教会で働いていました。私もまだまだ若かったころで、いろいろな想い出がありますが、その中でも忘れられないのが、上の娘が1歳の誕生日を迎えたとき、教会のみなさまに祝っていただいたことです。  韓国人ばかりが集まって韓国語で礼拝をささげる教会なので、行事の持ち方も韓国式になります。1歳のお祝いというのは、韓国社会では特別な意味を持つものでして、「トルジャンチ」という特別な呼び名もあるくらいです。このトルジャンチを教会のみなさまに祝っていただいたわけです。私ども夫婦はみなさまのお祝いに感謝して、お餅をお配りしました。 お餅といっても、日本式のお餅ではありません。日本で暮らす韓国の人たちを相手に、ちょっと離れた西新井(にしあらい)という町にある韓国式のお餅を売るお店から、わざわざ取り寄せたものでした。教会のみなさまにも喜んでいただけたと思います。懐かしい想い出です。   私どもにとっては、このトルジャンチは日本にいながら韓国式に持ったこと以上に、特別な意味がありました。娘は、3か月早産、27週の超未熟児で生まれており、特に、かかりつけの産婦人科で手の施しようがなくなり、救急車で1時間かけて大学病院に運ばれたときなど、私はおそらく、それまででいちばんいっしょうけんめいにお祈りしたのではないかというくらいに祈ったものでした。 そのような娘を、神さまはしっかり育ててくださったのでした。ああ、よく育ってくれた! まことに、このトルジャンチは、感慨深いものがありました。  私どもですらそうだったのですから、アブラハムとサラの間に生まれたイサクが、乳離れまで果たしたとは、彼らにとってどれほど大きな喜びとなったことでしょうか。何しろ100歳、90歳のときに生まれた子どもです。こんなに年を取ってしまったとは、子どもだけでなく、親も心もとないところです。それが無事に育ってくれて、親も達者でいたとは、喜びもひとしおというものです。 ところが、この喜びが一転、家庭の不和と深刻な悩み、そして別れへとつながるという、聖書を読んでいてもとてもつらいできごとへとつながっていきました。そんな今日の箇所は、私たちに何を教えていますでしょうか? ともに見てまいりたいと思います。 まず、1節と2節のみことばを見てみましょう。神さまは約束を果たされて、サラの身からイサクを生まれさせてくださいました。ここからわかることは、神さまは約束を果たして、人を顧みてくださるお方である、ということです。サラからご自身の民を生まれさせてくださると約束してくださった以上、そのとおりにしてくださるのです。 このように神さまが、特別な約束を果たしてくださったことは、アブラハムとサラにどのような祝福をもたらしたでしょうか? 3節のみことばです。 名前に注目しましょう。イサクという名前、これは欄外の脚注にもありますように、「彼は笑う」という意味です。この「笑い」はサラにとってどんな意味を持っていたかは、6節のみことばを読めばさらによくわかります。そうです、サラはここで、ようやくほんとうの意味で、にっこりと笑うことができたのでした。 サラはかつて、御使いの訪問を受けて、男の子を産む、と告げられたとき、こんなお婆さんが子どもを産むなんて、と、笑いました。その笑いはうれしくてにっこりと笑うその笑いではなく、年老いてついに子どもを授からなかったおのが身の悲しさに皮肉な笑いを浮かべた、その笑いです。 そのサラが、このように約束の子どもを授かり、ついにほんとうの意味で「笑う」ことができるようになったのでした。神さまが約束をかなえてくださるということは、「笑い」を回復させてくださる、ということでもあります。 その笑いに満ちた時間、それが、盛大な乳離れの宴会でした。この宴会は、だいたい3歳くらいになると催されたといいます。まさに、年寄り子が寵愛を一身に受けていた様子が伝わってくるようです。 ところが、この笑いに満ちた家族の喜びが、一転して悲劇にたたき落とされます。きっかけとなったのは何でしょうか? 皮肉なことに、これも「笑い」だったのでした。 9節をご覧ください。エジプトの女ハガルがアブラハムに生んだ子、これはイシュマエルですが、イシュマエルがイサクをからかっていた、とあります。この「からかう」ということばをいろいろな聖書の翻訳を比較して読んでみると、「戯れていた」「遊んでいた」という訳もある一方で、「笑っていた」という訳もあります。 しかしこのときイシュマエルの取った行動は、聖書原語のヘブライ語のニュアンスから見ると、イシュマエルは笑うは笑うでも、イサクのことを「あざ笑っていた」と解釈するのがいちばん妥当で、この新改訳聖書の「からかっていた」という表現は的を射ていることになります。 イシュマエルのこの行動がサラを怒らせ、ハガルもイシュマエルも追い出してください、ということになったわけですが、これは、弟をからかうなんて子どもとしてよくあることではないか、何もそんなに目くじらを立てなくても、という問題ではありません。 このときイシュマエルは、乳離れして3歳にもなっていたイサクよりも13歳年上なので、すでに16歳になっていました。イサクがいかに幼児といえども、アブラハムとサラとの間に生まれて家督を継ぐ正式な跡取りとなり、神の民を生み出す源となっていたことを知らないはずがないばかりか、そのことの持つ重みを、イシュマエルは充分に理解していてしかるべきでした。 それが、そのようにからかった、あざ笑ったということは、神さまがイサクに与えられた神の民の源としての権威を無視することでした。サラが耐えがたい思いをしたのは、自分が産んだわけではないイシュマエルがイサクを馬鹿にすることに対してともいえますが、サラの怒りがかきたてられたことは、大局的に見れば、主の大きなみわざが行われる契機となったのでした。 こうまで神の権威をないがしろにするイシュマエルは、やはりアブラハムのあとを継いで神の民に数えられるにはふさわしくなかったのでした。イシュマエルはやはり、出ていかなければならなかったのでした。 しかし、アブラハムは悩みました。もとはといえばイシュマエルは、自分のあとつぎにすべくもうけた子どもであり、まだイサクが生まれる前には、自分に与えられた神の民としての祝福を受け継ぐ存在としてずっと育てつづけてもきたわけです。 そもそも、アブラハムとサラが待ちつづけることができて、神の時にしたがってイサクひとりをもうけていればこんなことにならなかったのです。アブラハムは自分のしたこととはいえ、きわめてつらいかたちで刈り取りをすることを迫られていました。 しかし、神さまはそのように苦境に陥ったアブラハムに、助け舟を出してくださいました。どのようにしてでしょうか? みことばを語られることによってです。12節、13節をお読みください。 ここからわかることは、人は神さまの御手に悩みをゆだねるならば、神さまはその悩みから解放してくださる、ということです。苦しんではならない、そう神さまは語ってくださいます。 ここで神さまは、わたしはあなたに約束したとおり、イサクからあなたの跡継ぎとなる民を増え広がらせる、とおっしゃいました。しかし、神さまはイシュマエルを切り捨てられたわけではありません。イシュマエルからも民を増え広がらせることで、神さまはアブラハムに与えてくださった祝福を実現してくださることを約束してくださったのでした。 世に、望まない妊娠、などということばがあります。望まないのに妊娠したからと、中絶を考えたりします。しかし、子どもをみごもらせてくださることは神さまの主権のうちにあると考えるならば、望まないのはあくまで人間の側であり、神さまにとっては「望まない」ということはないはずです。 この、イシュマエルの存在も、イサクが乳離れするほどに育った今となっては、特にサラにとっては「望まない」存在となっていたかもしれません。しかし、「望まない」のは人間の都合であり、神さまはイシュマエルが生まれることを望んでおられたのです。 神さまがみこころのままにみごもらせ、出産させ、育ててくださった以上、「望まない」ということはありえないのです。神さまはイシュマエルをとおしても、民を増え広がらせる祝福を約束してくださいました。 14節をご覧ください。アブラハムは、翌朝早く、ハガルとイシュマエルを家から出しました。決断と行動は早くしなければならなかったのでした。ハガルは正妻ではなく、奴隷の身分です。主人に言われたならばそのとおりに従わなければなりませんでした。 食べ物と水の入った皮袋を持たせたといっても、そこから先のことまでアブラハムは責任を持つことはできません。あとは、ハガルとイシュマエルで何とかするしかありませんでした。しかし、荒野をさまようのもむなしく、ついに水は尽きてしまいました。 イシュマエルももはや、精も根も尽きたのでしょう。イシュマエルを荒野に立つ灌木の下に放り出すと、ハガルはそこから離れました。ハガルは遠くからイシュマエルの姿を見つめていて、声を上げて泣きました。 思えば、ハガルの人生は、奴隷という立場ゆえに、アブラハムの身勝手さに翻弄されてばかりの人生でした。もともとハガルはエジプトの人でしたが、アブラハムがエジプトに落ち延びてサラを自分の妹だなどとファラオに偽り、その際にファラオがアブラハムに贈った奴隷の中にいたのがハガルでした。そして、神さまの約束を待ち切れなかったアブラハムの子どもをみごもる羽目になったのもハガルでした。ハガルはその身重の身で、サラにいじめられて逃亡し、神の声を聞いてアブラハムのもとに戻ったりしました。 ハガルが泣き叫んだのは、そんな翻弄されてばかりのおのが悲しさのゆえでしょう。「笑い」という意味の名前が与えられたイサクのゆえに追放されることになった自分たちは、もはや笑いとは正反対の身に置かれました。なんと皮肉な生き方を強いられたことでしょうか。 しかしハガルは、神さまを恨むべきではなかったのでした。神さまは何をしてくださったのでしょうか。17節です。……神さまはハガルの泣く声を聞いてくださいましたが、それ以上に、イシュマエルの声を聞いてくださったのでした。イシュマエルとは、「神は聞く」という意味です。まさに、イシュマエルの存在が衰え果てようとしていたとき、神さまはイシュマエルの、声にならない声を聞いてくださったのでした。 イシュマエルは、放っておかれてはならなかったのでした。主のみこころは、ハガルがイシュマエルを放っておいて、死ぬに任せることではない、イシュマエルをしっかり抱きしめ、元気づけることだったのです。 そのとき主は、ハガルの目を開いてくださいました。するとそこには、井戸がありました。もうこれでイシュマエルは死ぬことはありません。イシュマエルは元気づきました。 イシュマエルは神に見捨てられた人ではありません。かえって、神さまはイシュマエルとともにいてくださり、荒野にあっても自分で身を立てて成長するすべを身に着けたことをみことばは語っています。のみならず、結婚まで果たしました。ここから神さまは、先祖をアブラハムとする民を生まれさせてくださったわけでした。 以上見てきたところから私たちが学ぶこと、それは、約束の民に属さない者に対する、神さまのかぎりない恵みとあわれみです。 神のみこころを正しく受け取ることをしなかったアブラハムとサラに翻弄されることになったのは、ハガルとイシュマエルの責任ではありません。しかし神さまはそれでも、イサクからご自身の民を増え広がらせるというご自身のみこころを成し遂げるために、ハガルとイシュマエルをアブラハムのもとから去らせました。イシュマエルは約束の子どもではなかったからでした。 そんな神さまは薄情なお方なのでしょうか? 私たちはそう考えてはなりません。このようなイシュマエルの民に象徴される異邦人も、ほんとうの意味でアブラハムの子どもとして回復されるべき時が来ます。それは、神の御子イエスさまを信じる時です。 エペソ人への手紙2章11節から19節をお開きください。特に12節、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人である、異邦人とはそのような存在ですが、それはすでに、イサクとちがって跡取りから除外されたイシュマエルにすでに、このような悲惨な異邦人の現実は実現していました。 しかし、彼らのそのような悲惨な現実も、イエスさまの十字架を信じ受け入れることで、ほんとうの意味でアブラハムの子孫となることにより、祝福へと変えられるのです。 いま、アラブ人の宗教であるイスラム教は、自分たちが先祖イシュマエルをとおして神の祝福を受け継いでいると教えます。しかしこれは、聖書の教えとは相受け入れるものではありません。ほんとうに祝福を受け継ぐのは、イエスさまを信じ受け入れることによってです。 イシュマエルの子孫を祝福するという神さまのみこころは、今や世界の一大勢力となった、われらキリスト教会と同様に一神教であることを主張するイスラム教が勃興したことで実現したわけではありません。イスラム教は、イエスさまのことを預言者と見なそうと、神さま、主としてお従いしているわけではありません。 一部では、私たちの信じるイエスさまの父なる神さまとイスラム教の神であるアッラアが同じ神であるなどと解釈して、キリスト教とイスラム教を一致させる「クリスラム」または「キリラム教」などと呼ばれる神解釈を推進させる運動がありますが、聖書的に考えるならば、これは間違いです。 しかし、そのような非聖書的な運動が推進される一方で、アラブ社会の中には迫害をものともせずにイエスさまを信じる人たちが起こされているのをご存じでしょうか。彼らアラブ社会のクリスチャンたちは、ほんとうの意味で、イシュマエルが引きついだアブラハムの子孫としての祝福を受け取っているのです。 イシュマエルの子孫が祝福されているという、その祝福は彼らによって実現しているのです。迫害を避けて妥協して「キリラム教」などと主張するのと、アラブ社会の中で迫害されようともイエスさまを純粋に信じようとするのと、どちらが聖書的か、すなわち、まことの神さまのみこころにかなっているか、言うまでもないことです。 ひるがえって、私たちのことを考えてみたいと思います。私たちはもしかして、イエスさまを否定し去るような日本の社会に生まれたことで、神さまを恨んだりしてはいないでしょうか? あるいは、キリスト教社会としての長い歴史を持つ欧米をうらやんだりしていないでしょうか? しかし、その必要はないのです。私たち日本人が、世々の聖徒とともに恵みを受け継ぐことはないなどと、だれが決めつけるのでしょうか? 私たちはそのような中でも、キリストの十字架を信じる信仰を与えていただき、すべての時代、すべての世界の兄弟姉妹とともに、神の民にしていただいているのです。 ハガルとイシュマエルをあわれんでくださった恵みの神さまは、約束の民から除外されたまま生きていたと思わされていた悲惨さから救ってくださったように、私たちのことも救ってくださいます。いま私たちの周りには、神さまから見放されたとばかりに悲しみの中にいる方がいらっしゃるかもしれません。 そんな方々に対し、神さまの恵みに目を開かせた御使いの役割を果たすのはだれでしょうか? 私たちではないでしょうか? 私たちも恵みによって救っていただいたように、そのような方々が神さまの恵みに目を開くために私たちのことを用いていただけるならば、どんなに素晴らしいことでしょうか。 そのためにもまず、私たちが、神さまの恵みに目を開いていただきましょう。そうしてこそ私たちは、愛する同胞、家族を主のもとにお連れすることができます。自分のことしか見えなくなり、何も見えなくなっていたハガルが、目の前の井戸に目が開かれ、死にかかっていたわが息子、イシュマエルを生かすことができたようにです。 私たちは異邦人であろうとも、キリストの血によって神の民に加えていただいた。この恵みに日々感謝し、私たちを愛して召してくださった主にお従いする私たちとなりますように、主の御名によってお祈りいたします。

人の思いを超える祝福

聖書箇所;創世記20:1~18/メッセージ題目;人の思いを超える祝福 劇作家のつかこうへいが言っていました。詐欺師は、嘘をつくことにおいて、まるで芸術家のようだ。嘘をつくことの犯罪は、最近ですとオレオレ詐欺、にせ電話詐欺、などという、ぞっとしないものが目立ちますが、あれだけ手が込んだ犯罪など、よく思いつけるものだと思います。あんな手合いを芸術家などと呼びたくはありませんが、きっと、あのような犯罪を考えついた者たちは、それがうまくいったときなど、まるで絵や音楽が上手に創作できた芸術家のように、自分たちの悪知恵に酔いしれていることでしょう。 しかし、嘘がどんなに素晴らしく思えても、神さまがご覧になったらいかがでしょうか? 偽証してはならない、と、律法は語ります。あのような悪質な嘘でなくて、嘘も方便、などというケースもあるかもしれませんが、嘘は嘘です。それがどんな理由でなされたものでも、神さまは喜びません。 今日の聖書箇所でも、アブラハムは嘘をついたような振る舞いをしています。サラのことを、自分の妻だと言わず、妹だと言ったことは、かつてエジプトででも行なったアブラハムの処世術でしたが、サラはたしかにアブラハムにとって、母親ちがいの妹ではありましたが、妻という立場が優先するはずです。 そればかりではありません。もっと重大な問題があります。サラは約束の子、神の民の源なるイサクを生むべき立場にありました。アブラハムのこの嘘をついた振る舞いは、自分自身の罪だけではなく、イスラエル民族の危機につながり、神さまのみこころを損なうことにつながる、重大な問題でした。 ともかくも、アブラハムはゲラルの地に寄留していたとき、サラのことを、自分の妹であると公言しました。アブラハムが自分の身を護るためでした。そのためには、サラが取られて人妻となってもかまわない、とさえ言っているような態度です。 それにしても、ここまで私たちは聖書を読んできて、おかしい、と感じないでしょうか? あれだけアブラハムは、神さまの約束のみことばを受け取り、自分の妻であるサラから約束の子どもが生まれることを聞いていたというのに、この不信仰はいったい何だ、そんなことを思わないでしょうか? しかし、これは私たちにとっては反面教師として、しっかり心に留めておくべきことです。私たちはいつもみことばを読んでいます。神さまの語りかけを受け取っています。 それなのに、私たちはなんと、そのみことばのとおりに振る舞えないことが多いものでしょうか。聴いていたはずのみことばを実行できず、かえって、そのみこころと反対の、罪深いことを行なってしまうものでしょうか。 アブラハムの姿は私たちの姿です。だから、アブラハムの正体見たり、とか、アブラハムは魔が差したのだろう、などと切り捨ててはなりません。今日の箇所からともにじっくり学び、私たちもまた、信仰の人としていかに考え、また語り、振る舞うべきか、考えてまいりたいと思います。 さて、ともかく、アブラハムのもとに王から使いがやってきて、サラは王のもとに召し入れられました。ここでもさらに、私たちは、おかしい、などと思ったりしないでしょうか? サラはこのときで90歳にもなります。90歳のおばあちゃんを召し入れる王さまなどいるのだろうか! 聖書の言っていることはいかになんでも! などと、ちょっと混乱しないでしょうか? しかし、最近私には、このサラにまつわる聖書の記録は決して誇張でもなく、嘘をついているわけでもないと確信したできごとがありました。その日私はテレビを視ていました。すると、はっとするほど綺麗な女性がテレビに出てきました。明らかに若い人ではないのですが、何と申しますか、並々ならぬ気品をたたえていて、ああ、綺麗だなあ! と、見とれてしまうような女性でした。 いったいだれでしょう? 岸恵子さんでした。いえ、過去の映像とかではありません。新作の舞台の宣伝だったので、今の岸恵子さんです。その女性が岸恵子さんだとわかったときには、もう、びっくりを通り越して、呆れかえってしまいました。 岸恵子さんは昭和7年、1932年のお生まれです。そう、今年88歳になられます。米寿です。映画「君の名は」に出演されたのはもう70年ちかくむかしですが、ずっとお綺麗な方だったわけです。 あの、岸さんのお姿を見て、私は確信しました。岸さんがあれだけお綺麗ならば、子どもを産めるようにしてくださっただけの若さを神さまから与えられた、サラはもっときれいだったにちがいない。年齢がどうあれ、王さまが召し入れることも、充分ありえたはずだ。 アビメレクも、このような美人を召し入れることに成功して、さぞかしご満悦だったのではないでしょうか。しかし神さまは、ご自身の民を生む未来の母に、指一本ふれることをお許しになりませんでした。 3節をご覧ください。……おまえは、夫のある身の女を召し入れたゆえに、死ぬことになる。恐ろしい警告です。しかし、この警告を受け取れたことはアビメレクにとって幸いでした。なぜならば、召し入れることをやめるならば、死ななくて済むからです。 神さまは全能のお方であり、あわれみ深いお方です。このように、まことの神さまを恐れる文化になっていない民族にも、臨んでくださり、みことばを語りかけてくださいます。私たちは、神さまを過小評価してはなりません。私たちクリスチャンにとってだけ、神さまは神さまなのではありません。すべての世界、すべての人を創造された神さまは、人間だれにとっても神さまです。 もちろん、人の側で神さまを神さまと認めるかどうかという問題はありますが、それでも神さまは、すべての人を生かし、その人々の中から、みこころを示すべき人を選んでくださいます。 このときのアビメレクもそうでした。神さまがアビメレクに語られたのは、イスラエル民族を守られるという意味もありましたが、同時に、アビメレクのいのちを救われるためでもありました。 アビメレクはどういう人だったのでしょうか? その語ったことばから、アビメレクの人となりを知ることができます。4節と5節です。 アビメレクは、サラが人妻と知っていたら、当然、召し入れるなどということはしなかった、私は殺されるようなことは何もしていない、潔白だ、と、神さまに訴えています。 その訴えに対し、神さまは何とおっしゃっているでしょうか? 6節と7節です。 まず、アビメレクが神さまの御前で罪ある者とならないように、と、神さまはアビメレクのことを守ってくださいました。あとは、アビメレクが、この夢の中で語られたことばを神さまのことばとして受け取り、神さまを恐れてお従いして、サラを手離す決断をするだけです。 神さまは、いつでも人にみことばをもって警告しておられます。どんな人に対してもです。責任の所在は、その警告を警告として受け取らない、人間の側にあります。人がさばかれるのは神さまの勝手きまぐれではありません。 しかし、人がもしほんとうに神さまを恐れる人だったならば、神さまがその人を守ってくださいます。このときのアビメレクもそうでした。のみならず、アビメレクに祝福が臨むように、神さまは取り計らってくださいます。神さまにあって祝福を祈る神の人につなげてくださるという、最大の祝福をその人はいただくことになります。 私たちもこの世の人たちを恐れてはいけません。私たちに与えられているイエスさまの御名は、みこころにかなう祈りならば何でも求めれば御父にきいていただけるという、すばらしい力を持った御名です。 私たちがイエスさまの御名によって人々のためにとりなして祈り、また祝福するとき、それは、イエスさまがとりなしてくださり、また祝福してくださる、ということです。金銀のような財産がなくても落胆しないでいただきたいのです。私たちには、イエスさまの尊い御名が与えられています。 アビメレクは神さまを恐れていました。そして翌朝、アビメレクがこの夢のことをしもべたちに告げると、しもべたちも一様に神を恐れました。 アビメレクはアブラハムを呼びつけ、抗議しました。あなたはサラのことを妹と言ったではないか、そのために、私にもわが王国にも大きな罪がもたらされるところだった。 ここでアビメレクが罪と言っている、「罪」といういい方にも注目しましょう。罪とは、神さまとの関係の中で生じるものであり、神さまとの正しい関係を保つために、罪があってはならない、と、アビメレクは告白しているわけです。 アビメレクのこのことばに対し、アブラハムは何と言っているでしょうか? まずは11節です。 ゲラルの人々は神を恐れないので、サラのゆえに私を殺すと思った。しかし、今までも見てきたとおり、ゲラルの人々は神を恐れていました。偶像の神々をではありません。創造主なる神さまを恐れていました。それをアブラハムは正当に評価せず、神を恐れないゆえに殺人を犯す者たち、と決めつけています。とんでもない評価を与えたものです。 そして、12節、13節を見てみましょう。……いったい、真実の愛を尽くすとはどういうことでしょうか? アブラハムが生き残るためには、サラがどうなってもかまわない、アブラハムのいのちに危険が及ぶなら別れたっていい、それがアブラハムに対し真実の愛を尽くすことだ、とでもいうのでしょうか? しかし、その考えがどんなに間違っていたかは、エジプトでファラオがあやうくサラを召し入れそうになったとき、神さまがファラオとその宮廷を痛めつけられたことですでに明らかになっていました。それなのに、同じことを繰り返したのです。 これは、嘘も方便では済まされない話です。アブラハムとサラとの間の愛情という点でも大きな問題をはらんでいますが、事はそれにとどまりません。下手をすると、アブラハムの子どもではない子をサラがみごもるかもしれないという話です。そうなったら、約束の子ども、神の民が生まれるため、神さまがここまでアブラハムとサラを導いてこられたことは、すべて水の泡と化します。 要するに、何が問題だったのでしょうか? アブラハムの不信仰です。ご覧ください。ゲラルのアビメレク王とそのしもべたちの方が、アブラハムよりもよほど神さまを意識しているという点で、信仰的とすら思えないでしょうか? しかし、ここでも私たちは考えてしまうかもしれません。異邦人よりもよほど信仰的ではないアブラハムが、それでも信仰の父と呼ばれるにふさわしいのだろうか? そこで私たちは、アブラハムという人ではなく、そのようなアブラハムを選ばれた、神さまに目を留めたいと思います。いざというときに不信仰から、このようなとんでもない行動を取ってしまうアブラハムをとおして、それでも神の民を生み出してくださるお方、それが神さまです。 頭がよいとか、品行方正であるとか、そういったことは、ときに生まれながらにして備えているかのような人がいます。しかし神さまは、そういう人を信仰の父として選ばれたのではありません。 かえって、欠けだらけの人を選び、それでもこのように、失敗や弱さを思い知らせてくださることにより、神さまに拠り頼む信仰を育ててくださることによって、整えてくださるのです。それはアブラハムにかぎったことではありません。私たちも同じなのです。 私たちは取るに足りない者ですが、神さまはときに、この世の人たちが私たちに好意を持つようにさせ、その方々の好意により、私たちを祝福してくださいます。このとき、アビメレクが多くの贈り物をアブラハムとサラに与えたことも、神さまの祝福と深い関係がありました。アビメレクは、サラを取ったり、アブラハムを殺したりするような人ではありませんでした。神を恐れるゆえに、アブラハムを祝福しようと願う人だったのです。 私たちが生きているこの世界、特に日本は、神さま、イエスさまを信じている人がほとんどいないで、その現実に目を留めるならば、私たちは心細くなるかもしれません。しかし、私たちを取り巻く環境の中を生きる人たちのことを生かしておられる神さまにこそ目を留め、その人たちに神さまの祝福があるように、私たちは祈ってまいりたいものです。 イエスさまは、主の弟子としてこの地を生きるさすらいの私たちを励ますことばを語ってくださっています。マタイの福音書10章40節から42節をお読みしましょう。 これが、神さまのみこころなのです。私たちはですから、私たちに対してよくしてくださる方々に、イエスさまの福音を語ることをためらったり、あきらめたりしてはなりません。私たちのことを主の弟子、主のしもべと見込んでよくしてくださる方々のことを、主は祝福してくださる、この主のみこころを私たちは受け取り、あきらめずに福音を語ってまいりたいものです。 アブラハムはといいますと、アビメレクを祝福しました。私たち主のしもべにできることは、金銀をもって人々を養うことでなかったとしても、ナザレのイエス・キリストの名によって、人々を立ち上がらせることです。主は私たちの祈りを聞いてくださり、人々を祝福してくださいます。 アビメレクはどんな祝福を受けたでしょうか? また、子をなすことができる祝福を受け取りました。今日の箇所の最後の部分、18節で、それまでアビメレクの家が子をなすことができなかった理由が述べられています。……アブラハムの妻サラのことで、つまり、サラがみごもることになるイサクは、あくまでアブラハムの子どもであり、アビメレクがなした子どもではない、ということが強調されているわけです。 しかし、アビメレクがこのように主を恐れる人であったことは、結果として、アビメレクが子どもをもうけることができるようになったという、大きな祝福を受けることにつながりました。アブラハムが死ぬか、それともアビメレクが死ぬかという瀬戸際で、主が介在され、そのどちらの悲惨なことにもならず、サラも二夫にまみえるようなことにもならず、すべては丸く収まり、それ以上の祝福を、アビメレクも、アブラハムも、受け取ることになったのでした。 私たちは恐れるかもしれません。私たちの不信仰がもしかして、事をおかしくしないだろうか。神さまのみわざが隠されないだろうか。証しにならないのではないだろうか。人につまずきを与える人々のよくない話を見聞きすると、余計そんなことを私たちは考えるかもしれません。 しかし、そのように思えるときこそ、私たちは神さまの大きさに心を留めたいものです。私たちがこの地に祝福をもたらす器として神さまに選ばれているかぎり、私たちが神さまのご栄光をいたく傷つけるようなことから、神さまは私たちのことを守ってくださいます。この神さまの愛と選びにまず信頼し、アブラハムのように度重なる不信仰と不従順の罪を犯すことから、守っていただくよう、祈ってまいりたいものです。 神さまの祝福はとても大きなものです。私たちはまだまだ整えられなければならないところが多いものですが、そんな私たちの祈りを神さまは聞いてくださり、この世界に祝福をもたらしてくださいます。この神さまの愛と選びに信頼して、今日もこの愛なる主のみ手に用いられるべく、整えられることに感謝してまいりましょう。

十字架に向けての入城

聖書箇所;ヨハネの福音書12:12~19/メッセージ題目;十字架に向けての入城  先日まで行われていた大相撲秋場所は、正代(しょうだい)関が初優勝と大関昇進を決め、大きな話題となりました。さて、大相撲の本場所の優勝にはいろいろなセレモニーが伴いますが、残念ながら、昨今の事情でできなくなっているセレモニーがいろいろあります。優勝力士がオープンカーに乗ってのパレードなど、その最たるものでしょう。  紋付き袴、大銀杏の優勝力士は、沿道を埋め尽くす群衆に、満面の笑みをたたえて手を振ります。隣で優勝旗を持った、やはり大銀杏に紋付き袴の関取も、うれしそうです。なんとも晴れがましい姿! 私はむかしから大相撲が好きで、この優勝パレードの様子は何度となく見たものでしたが、見ているこちらまでうれしくなり、祝福したくなる気分になります。  さて、このオープンカーの祝賀パレード……そのオープンカーに乗った主人公が、オープンカーではなく、何の変哲もない軽トラックの荷台に乗って登場したら、どうしますか? でも、沿道の群衆が割れんばかりの歓声で迎えたとしたら、どうしますか? 今日はそんなお話です。  今日の箇所は、イエスさまのエルサレム入城のエピソードです。これは、前回のヨハネの福音書の学びの時扱いました、ベタニアの三きょうだいの家をイエスさまが訪問された、あのできごとの翌日のできごとです。そのとき、何があったでしょうか? マリアがイエスさまに、香油を注いだのでした。 売れば数百万にもなろうかという大変な宝物を、惜しげもなくイエスさまに注いだという……弟子たち、特に、イスカリオテのユダなどはこれを見て憤慨し、マリアを責めましたが、イエスさまはむしろ、これはご自身の葬りの日のためにマリアが行なったことだと、マリアのこの行動をほめてくださいました。 マリアが香油を注いだというこのことにより、いよいよイエスさまの死、十字架の死が備えられることになりました。今日の箇所は、その翌日のできごとで、イエスさまはベタニアからエルサレムに入城されます。 14節に、イエスさまはろばの子に乗られた、とあります。このろばは、荷物を載せるための子ろばです。まだ、だれも乗ったことのないろばです。この子ろばの持ち主は、主がお入用だから連れていきます、と弟子たちが言うと、喜んで、とばかりに子ろばを引き渡します。 かくして、イエスさまは子ろばにまたがって、エルサレムに入城されました。イエスさまがラザロをよみがえらせたことを知って、その話題で持ちきりになっていたエルサレムの住民たちは、沿道に群れを成して、メシアなる王を迎える態度で、なつめやしの枝を手にし、自分の上着や木の枝を道に敷いて、最大級の歓迎をしました。 そんなイエスさまがまたがっているのは、しかし、荷物用の子ろばです。しかし、王さまなら、立派な白馬にでもまたがったほうがよくないでしょうか? しかし、イエスさまが乗られたのは、荷物用の子ろばです。まさしく、オープンカーではなく、軽トラの荷台です! 15節を見てみますと、これは、旧約聖書みことばの成就であると書かれています。ゼカリヤ書9章9節で預言されていたとおりです。 ちょっと、ゼカリヤ書の9章9節を開いてみたいと思います。……イエスさまは、義なるお方として、勝利の凱旋をされることが強調されています。しかし、この神さまの絶対的なさばきによって人をさばき、罪に定めるのではありません。「柔和な者」とあります。そうです。イエスさまは柔和な方なのです。 イエスさまは、マルタ、マリア、ラザロの三きょうだいを友とされたお方でもいらっしゃいます。十二弟子にしても、厳しく鍛えられたばかりではなく、この世の徒弟制度のような関係ではない、友として接してくださいました。イエスさまは、このような罪だらけの私たちにとって、大上段(だいじょうだん)にさばくお方ではありません。むしろ、このような私たちを諦めることなく、どこまでも寄り添ってくださる、それこそ「友」、柔和なお方です。 そんなイエスさまに似合っていたのは、この世に堂々と君臨する「白馬」ではありません。庶民の視線に降りてきてくださる「子ろば」でした。群衆はそんなイエスさまの姿に、自分たちの味方となってくださる王さまという、かぎりない親しみを感じたにちがいありません。しかし何よりも、彼らのこの熱狂的な歓迎ぶりは、ゼカリヤ書9章9節の成就であり、かくして、みことばはほんとうだったということが明らかになったわけでした。 それにしても私たちは、もし、イエスさまが私たちのことを用いてくださるとするならば、自分のことを立派な「白馬」だと思いますか? それとも「子ろば」だと思いますか? いえいえ、私たちは「白馬」などと言いきれるものではないでしょう。せいぜい「子ろば」程度のものでしょう。しかし、「子ろば」であろうと、私たちはその背中にイエスさまをお乗せできるならば、立派に用いていただけるのです。主のご栄光を顕させていただけるのです。 むかし、榎本保郎という牧師がいらっしゃり、彼の物語は三浦綾子が小説にして週刊朝日に連載し、「ちいろば先生」というあだ名とともに有名になりましたが、取るに足りない子ろばのような存在、華やかなオープンカーではなくて軽トラのような存在でもイエスさまをお乗せできるならば栄誉極まりないことです。 榎本先生だけではありません。私の母教会、北本福音キリスト教会で30年にわたって牧会していらっしゃる小西直也先生は、この子ろばがイエスさまをお乗せしたという箇所に示され、自分のような者でも主をお乗せして用いていただけるならば、と、直接献身に踏み出されたと語っていらっしゃいます。 イエスさまが柔和な王さまでいらっしゃるのは、それが、私たちのように、罪を認めてへりくだる者、けっして威張らない、威張れない者の、王さまとなってくださるゆえです。この世の王さまなら、大金持ち、偉い人、そういう人の上に堂々と君臨したがるでしょう。しかしイエスさまはちがいます。私たちのような者たちの上に君臨するどころではありません、「仕えてくださる」お方です。その汚い足を洗ってくださるお方です。イエスさまはそんな王さまです。   しかし、イエスさまが王であられるのは、この世の者たちが王に立てたからそうなるのではありません。このとき、エルサレムの者たちは、イエスさまを王として迎えましたが、そんな彼らがイエスさまを王にしたのではありません。イエスさまを王に立ててくださったのは、父なる神さまです。どのようにして御父はイエスさまを王にお立てになるのでしょうか? イエスさまを十字架におつけになることによってです。  イエスさまがエルサレムに入城されたのは、いわば「王の戴冠式」、冠をかぶせられて王に立てられる、そのためのご入城といえましょう。では、イエスさまにかぶせられた冠は、どんな冠でしょうか? 茨の冠です。茨の冠のあとを待つものは、十字架でした。  イエスさまを大歓迎したはずのユダヤ人たちは、宗教指導者たちに焚きつけられ、イエスさまを裏切り、イエスさまのことを、十字架につけられるほどの極悪人と見なしました。十字架は、彼らユダヤ人にとっては、この上ない呪いを表す存在でした。 しかし、主に選ばれた者たち、私たちにとっては、この血なまぐさい存在、目をそむけたくなる存在が、どれほど麗しく、慕わしいことでしょうか? イエスさまは十字架の上で両手を広げ、御父が私たち罪人に怒涛の如く注がれる激しい御怒りから、私たちをかくまってくださいました。私たちは王なるキリストの打ち傷によって、いやされたのです。 イエスさまの十字架はまた、私たち人間のうちに平和をもたらす存在です。世の王たちは、臣民に平和を実現してこそ、よい王として認められます。イエスさまこそは、私たち人間のうちに平和を実現してくださるお方です。 その平和は、まず私たち人間が神さまと和解させていただく、つまり、神さまと平和な状態にしていただくところから始まります。その、父なる神さまとの平和を実現してくださるのは、イエスさまの十字架をおいてほかにありません。イエスさまの十字架によって平和を実現していただいた私たちは、同じイエスさまの十字架によって和解していただいたどうし、お互いの間に主にある平和を実現していくのです。こうして、キリストが王として統べ治める御国が、私たちの間に実現します。 ただ、このときイエスさまのことを「ホサナ!」主、わが救い、と大歓声でお迎えした群衆は、わずか数日後にはそんな自分たちが一致団結してイエスさまを十字架につけよなどと叫ぼうとは、思いもしなかったことでしょう。彼ら群衆がイエスさまを十字架につけさせるように、扇動した存在がありました。宗教指導者たちです。そんな彼らの苦々しいつぶやきが、19節に書かれています。 イエスさまはおっしゃいました。彼ら群衆が黙れば、石が叫ぶ、と。彼ら宗教指導者たちは、まるで石が叫び出すようなとんでもないことを、着々と進めていたわけでした。彼らはこのとき、群衆を見て、何を思ったでしょうか。律法に通じた彼らのことです。ゼカリヤ書9章9節のメシア預言を連想したにちがいありません。しかし、彼らはこのように、ゼカリヤ書のとおりにイエスさまが現れても、なお信じませんでした。かえって、よくもこのとおりになったな、と、怒りまくったわけです。 何とかたくななのでしょうか。しかし、主の真理に目がふさがれ、けっしてその覆いをイエスさまによって取り除けていただこうと思わない者は、どんなにみことばによってイエスさまが神の子であると示されても、受け入れることはありません。かえって、彼らのすることは、ますますイエスさまに敵対し、したがって神さまに敵対することです。 ただ、このようなパリサイ人に関する記述を、聖書が、これでもか、と書いているのは、なぜだとお考えでしょうか? それは、私たちが、イエスさまを信じることによって自分はもはや律法主義者じゃない、ばんざーい! それに引き換え、あの律法主義者どもはなっていない、などと、安心して、人を罪に定めるためでしょうか? いえ、それこそが、パリサイ人のすることなのです。おわかりでしょうか? パリサイ人に関する記述に聖書があれほど紙面を割いているのは、私たちもパリサイ人になりうる、もっと言えば、私たちもパリサイ人である、からです。 パリサイ人とはもともと、分離主義者、という意味です。世の中のけがれ、俗から分けられた生き方を目指す存在です。しかし、それが度を過ぎると、みことばを一字一句、文字どおりに守り行なわなければ認められない、という、極端な考えになります。その発想に立つならば、たやすく人を罪に定めるようになります。 でも、そのような生き方は、私たちもしばしば、してしまったりしてはいないでしょうか? 私はイエスさまの十字架を信じてきよい存在としていただいた。それなら私たちは、イエスさまの十字架を誇るべきなのに、私たち自身を誇るという、実に愚かなことをするのです。そればかりか、自分の目の梁を差し置いて、人の目のちりを取らせてもらおうとするのです。 聖書に書かれたパリサイ人、宗教指導者は、そういうわけで、自分と関係ない存在と考えてはいけません。いわば反面教師であり、自分の中にもそのようなダークサイドがあることを、謙遜に認める必要があります。 ともかく、ユダヤの宗教指導者たちは、この時点ではイエスさまを引き渡すための十分な策を練ることができずにいましたが、しかし、それであきらめたわけではありません。結局彼らは、最終的に、エルサレムの民衆を抱き込むことに成功しました。彼ら民衆は、イエスさまを王として迎えたはずだったのに、わずか数日後にはピラトに向かってイエスさまを十字架につけよと騒ぎました。暴動寸前になるところで、ピラトはイエスさまを十字架につけました。 それは、御父のみこころが成就したということでもありますが、だからといって、エルサレムの者たちの罪が減じられたということにはなりません。彼らエルサレムの住人たちは、どうなったのでしょうか?  彼らはのちに、ペテロの説教によって、心を刺されて悔い改めました。「神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのだ!」その一回の説教で、実に三千人もの人が主の弟子になったとみことばは語ります。大変な数です。それから日々、イエスさまを信じる人は増し加わり、宗教指導者たちに翻弄されたエルサレムの住民たちは回復しました。 このときこそエルサレムの民は、イエスさまを王としてお迎えしたことのほんとうの意味を知ったのでした。イエスさまはローマ帝国の支配から解放する王ではなかった。十字架によって成し遂げてくださった神の平和により、私たちを統べ治めてくださる王さまであった。イエスさまの十字架を受け入れるならば、私たちも神との平和を得させていただける。それまでは、律法を守り行うことで神さまに認められようとしたユダヤ人たちは、ようやくほんとうの意味で救いを得ることができたのでした。 エルサレム入城……それは、柔和な王としての入城で、十字架におかかりになることで、私たちを王として統べ治めてくださるための入城でした。 私たちのうちに王として入城されたイエスさまは、その十字架によって私たちを統べ治めてくださいます。私たちのすることは、十字架をもって私たちに仕えてくださったイエスさまの、その御力をいただいて、主と、人々を愛し、お仕えすることです。 今日私たちは、主の晩さんをもって主の十字架をしのびます。私たちが主の晩さんにあずかるとき、罪人のこの私に寄り添うように、子ろばに乗って私のもとに訪ねてきてくださったイエスさまとひとつとされていることを心から感謝し、イエスさまの十字架の犠牲をしのぶ者となりましょう。